第2話 僕の初めては女子高生

 少し早めに校舎についた蒼太は受付のお姉さんに案内され、ロビーのソファに腰かけていた。受付カウンターでお仕事をなさっているお姉さん方はスーツをビシッと着こなし、目つきもキリッとしていてさすが人前で接客をする社会人だなぁといった印象だ。そしてなにより皆さん美しい。

 蒼太も高校時代は広島にあるこの予備校に通っていたのだが、当時は勉強に手一杯で気づかなかった女性スタッフの色気に、講師のバイトとなった今改めて気づかされた。きちんと着こなした姿なのに、お尻がすこし張っているところなど大人のギャップがあっていいし、大人の女性のタイツは年下の男には魅惑的だろう。いやはや、思春期の男子にその姿立ち振舞は反則じゃないですかね。

 あまりジロジロと見るわけにもいかないので、携帯しているトルストイの本に目を落として待っていると予定の六時十五分になった。

「成瀬先生」

受付嬢に呼ばれカウンターまでいく。いち大学生に先生呼びはいまいちしっくりこない。

「こちらが今日から担当の成瀬先生です。そしてこちらが今日からご担当の杠葉莉緒さんです」

 互いに紹介をしてくださったのだが、蒼太は一瞬頭が真っ白になった。今目の前で何が起こっているのか、いや、これからどんな事が起こるのかを整理するのに時間がかかってしまったからだ。

 そこにいたのは紛うことなき『女子高生』だった。

 おしゃれとは言えない紺のセーラー服だが、首元には白の折返しの襟、また金ボタンがアクセントとなり全体の気品を高めていた。いかにもいいとこのお嬢さんといった感じの制服。流行にのまれず伝統を守り、それもあいまって一層清楚な印象をうけた。

 予備校で先生として授業をするのだから相手が女子高生ということも当然あるのだが、蒼太自身新しい環境にいたし、今までの人生で同年代の女子と関わることなんて無かったから、それは当たり前のように、想定されていなかった。

 高校時代特に女子と話すこともなく、これといった青春の機会も皆無だった蒼太には、これからこの女子高生と週一回八十分となりで授業をするという事態を、なんの心の準備もなくサラサラーっと、さながらお茶漬けのように胃に運ぶことはできなかったのである。初めての生徒が女子高生だなんて……

「成瀬先生?」

「あっ、はい」

 肩をちょんちょんっとされ正気に戻る。目の前にはやはり件の女子高生が佇んでいる。

 莉緒は緊張しているらしく、顔を少しうつむかせモジモジしていた。一言でいうと可愛い。二言でいうとめっちゃ可愛い。

「では、教室まで連れて行ってあげてください。今日からよろしくおねがいします」

「あっ、はい。じゃあ行きましょうか」

 意識おぼろげにそんなことを口にしつつ莉緒の前を歩き始めた。

 莉緒も少し距離をとりつつ、そしてまだ少しうつむきつつついてきてくれている。


 個別指導の教室は4階にあるのでエレベータを利用する。幸いなことに1階で待っていてくれたエレベータのおかげで蒼太たちはスムーズに乗ることができた。

 しかし、乗り込むと何を話したらいいものか、なんとも居た堪れない空気が直方体の箱の中に充満する。そもそも何も話さないべきなのか。

 しかし、先程は自分から名乗り忘れていたので、蒼太はもう一度自分の名前を伝えることにした。

「成瀬蒼太といいます。これから杠葉さんの担当をします。よろしくお願いします」

 名札を見せつつ先ほどと同じような自己紹介をする。

「……」

 莉緒は何か答えようとしていたが言葉にはならず、そのかわりうつむきがちな顔を、また少しコクリとうつむかせて返事をしてくれた。どうやら本当に緊張しているらしい。なんだかこっちまで変に気恥ずかしい。


 個別指導教室は十組のブースに区切られていて、蒼太たちは五番ブースで授業をすることとなっている。席は机が三つ横並びになっており、蒼太は一番右に腰掛けた。

「真ん中の席どうぞ」

「は、はい……」

「じゃあ使うテキストとかの用意してください」

 莉緒はリュックから筆箱やテキストをとりだす。まだ少しうつむきがちだ。かなり恥ずかしがり屋なのかもしれない。とはいえなんとかいい雰囲気をつくって円滑に授業しなくては。えーっと、どうするんだっけ。あ、そうだ、研修だ、研修を思い出せ。研修どおりにやればいける。

「えーっと、成瀬蒼太です。よろしくおねがいします」

「あ、はい……」

オイオイオイオイ、何やってんの僕。今日三回目の名乗りなんだけど。こんなの武将でもやんないよ。ほら、杠葉さんも困ってんじゃん。次なんて会話すればいいんだっけ。たしか研修では……

「杠葉さんは高校一年生だよね、僕は高校の時ソフトボールやってたんだけど、杠葉さんは何か部活入ってる?」

「えっと、軽音です」

 ちょっと意外だ。彼女のイメージとは違ってかなりアクティブな部活だ。てっきりかなりおとなしい子かと思っていたので、文化系の部活かと思っていた。しかし軽音か、軽音なら僕もアニメで履修済みだ。何度も再履修したしな。ちなみに推しはギターの子。

「おお、なんの楽器やってるの?」

「ベースです」

 これまた意外。こんな華奢な子ベースを持って演奏している姿が想像つかない。

「ベースって大きいやつだよね。重くないの?」

「んー、ちょっと重いかも……」

「なんでベースにしたの?」

「ギターってちょっと……」

 何か言葉を選ぼうとしている感じだ。経験上こういうときは間髪入れず聞いてみると避けた言葉が聞けるものだ。

「ちょっと、何?」

「や、ちょっと、かっこ悪くないですか?」

 なぜか同意を求める言い回しだ。

「え、かっこよくない?」

「そういう意味でかっこ悪いじゃなくて……その、みんなやってるから」

 わかる!それめっちゃわかる!僕もまわりがアイフォンだからアンドロイドにしたことあるし。もしかしてこの子……

「あのー、つかぬことをお伺いするのですが。もしかしてB型?」

「えっ、なんでわかったんですか!?」

「なんとなくびびっときたというか、まぁ勘だね」

 やっぱりか、なんか同類の感じしたんだよな。だけど今の一手はまずかった。血液型当てで初手B型は悪口だからな。B型は何かと変なこだわりや、他人とは違う自分でいたい気持ちをもっていたり、そのくせ他人に仲良くされたり、褒めてもらえたりするとすごく嬉しかったり。要約すると面倒くさいイメージがあった。ソースは僕。まぁ今回は当てれたからいいか。

「もしかして先生もB型なんですか?」

 なかなか鋭い子だ。というか、B型認定されたのちょっとショックだな。

「そうだよ、なんでわかったん?」

「んー、びびっときたんです。勘ですよ」

 く、か、可愛いすぎる。今からかってきたよね。それ僕には効果は抜群だからね。

 莉緒はうつむきがちだった顔をいつのまにか上げて、こわばっていた表情も緩み、クスっと笑いながら蒼太の言葉を引用していた。

 女子高生にからかわれるなんて経験初めてだった蒼太は少しドキッとしてしまっていた。一旦落ち着こう。この調子だと僕はもたない。

 一呼吸おいてみると、蒼太はあることに気づいた。距離が近い!体を寄せているというわけではないのだが、高校では席と席は離れていたので、机をくっつけて横に女子高生が座っているというシチュエーションは、これまた経験したことがなかった。

 それにそれまではよく顔が見えなかったが、顔をあげて話してくれている今、ふとみてみると、かなりととのった顔立ちで、清楚で気品ある制服がとても似合っている。将来はさぞかし綺麗な女性になりそうだが、その顔立ちには高校一年生らしい幼さを残している。肩に届くか届かないかくらいの黒髪も、いちども染めたことのないナチュラルな美しさがあった。パーツパーツが整っている一方で、その雰囲気にはあどけなさがある。要約するとかなり可愛い。

「ん、じゃあ緊張もとけたところで、授業はじめましょうか」

「はい」

 蒼太は自分の緊張を上書きするようにそう言って、授業をはじめた。


 莉緒の授業は古文だった。勉強法もぼんやりしていて、どこかぱっとしないイメージがある科目なだけに、苦手としてそのままにしておく学生が多い。どうやら莉緒もその一人らしい。授業前にもらえる情報の中には『古文:苦手 偏差値:43・5』とあった。

 テキストの最初は歴史的かなづかい、品詞、そして活用。うーんなんとも地味だ。テキスト一言一句読んでやってても面白くないよな。とりあえず練習問題やってみてできてなかったら解説してみるか。実際どのくらいできるのか知りたいしな。

「杠葉さん、これなんて読む?」

 と、テキストの『てふ』を指差す。

「え……て、てふ?」

「これ古文特有の歴史的かなづかいなんだけど、現代かなづかいになおして読める?」

「あっ、そっそういう……」

 莉緒は少し恥ずかしそうにうつむいた。僕の説明不足だったなと反省。

「これは漢字に直すと『蝶』なんだけど、これだとよめる?」

「……ちょう?」

「そうそう、あってるよ。こんな感じで古文には古文特有のかなづかいがあって、現代かなづかいとは表記が違うんだ。こういうのまだやったことない?」

「や、なんか聞いたことはあるような、ないような……」

 そういえばまだ四月始まってすぐだから、杠葉さんは高校で古文の授業を受けてないのかもしれない。

「なら僕と一緒にここにある例文で確認していこうか。もし中学で触れてたらだんだん思い出せるかもしれないし。」

「は、はいっ」

 莉緒はそう元気に返事をすると、テキストに目を向けた。最初にあったような緊張感は今はもうほとんどなくなっていた。これならなんとかいい雰囲気でやっていけそうだ。


「だいぶできるようになってきたね。じゃあラストいってみようか。これは?」

蒼太が指差したのは『かむなづき』。

「かんなづき!」

「おお、正解。ちゃんと読めるようになったね。コツつかめたかな。テキストにはローマ字で母音を使って解説されているけど、暗記して頭で考えて読むのは大変だから、よく出る読みのパターンで感覚で覚えるのがいいと思うよ」

 莉緒はだんだんとできるようになっていったことが楽しかったのか、やや誇らしげに満ち足りた様子でうなずいている。

「ちなみに『かんなづき』は『神無月』って書いて陰暦十月のことだけど、なんで『かみ なし つき』って書くかわかる?」

「んー、神様が無い月ってことですよね。十月だけ神様消えるんですか?」

「おしい、結構いい線いってる。消えるというよりはどこかに行っちゃうんだけど。さて、どこでしょう」

「え……天界……?」

「普通天界って答えるよね」

 不覚にもちょっと笑ってしまった。この子はちょっと素直すぎるのかもしれない。

「ちょ、笑わないで下さいよ」

「ごめんごめん」

「で、どこに行くんですか?」

「出雲」

「出雲……?」

「島根にある出雲ってとこに行くんだよ。そこに神様たちが集まって色んな会議をするらしい」

「へぇ〜、じゃあ神無月だけど出雲には神様がいますね。出雲だけ『かみありつき』ですね」

「お、なかなか鋭いな杠葉さん。そうだよ、実際に出雲だけは『かみありつき』だよ」

 と言って紙に『神在月』と書く。

「おぉ〜!」

 莉緒はまさか自分が思いつきで言ったことが本当だったことに驚きと嬉しさが混ざったような表情でにやっとしている。ほんとこれ反則でしょ。ドキッとしちゃいますよ。いいんですか?いいんですよね?

 まぁ、とにかく初めての授業の出だしは上々。この調子ならなんとかやってけそうだな。そう感じた蒼太には当初の不安はもうなくなっていた。

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僕の青春はラグってるかもしれない 加賀美紅 @KagamiKou

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