十四.まさかの正夢

肉。

ぐねぐねと、媾うように蠢いている。

赤とも桃とも黒とも紫ともつかない色味は見ていて気分が良くなるものではない。


俺の頭の中が今こんななのだろうと青年はぼんやりと考えた。

熱に浮かされた頭はろくなものを見せてくれない。


手足はない。

頭は見当たらない。

二匹の巨大な蛇。

うぞろ、うぞろ、隙間なく滑らかに動き回る。


それらが巻き付いて、彼は身動きひとつ出来ない。

苦しい。

気持ちが悪い。

締め付けられて、息が出来なくて、喘ぐ事しか出来ない。

愉悦の声をしゅうしゅうと吹き上げる大蛇。


ふと、手の平の中に何か握り込んでいる事に気付く。

縛り付けられたまま掌中を見ると、乳白色の光が、ぶわりと溢れてそこから広がった。




辺りは薄暗い。

見知らぬ部屋だ。

手に、馴染んだ温もりがある。

寝台に突っ伏して眠ってしまっている少女のつむじが見える程度の光量はある。

外から漏れてくる光。

やんだ雨。

酔っ払いどもが荒っぽく騒ぐ声。

ナヴェドの街。


頭と胸には布の帯が巻かれていた。

痛みが少し引いているし、火照りも収まりつつある。


「…………リィ、ズ」


苦し気に狂おしげに名を呼ばれた少女は少ししてから億劫そうに頭をもたげて、


「……ドリ。おきたの」

「悪かった」

「わあ……ドリが謝ってる。明日は雪が降るよ」

「そりゃあ、見てみねえとな……っつ」


殊勝な受け答えのさ中、強い痛みがドリを襲う。

塞がり切ったわけではない傷があることを思い出さざるを得ない。

深手ではないにせよ、血が多く流れる場所。

痛みに背を丸めてうずくまるドリの手をリィズが握り返す。


「ドリ。ドリはここに来る前にはもうダメになってて、水袋の人が包帯や火酒を分けてくれたんだよ。

 宿の台帳には名前の一文字だけ書いてもらった」


そう言われてみれば確かに、そんなことをした覚えがある。

最低限の読み書きは二人ともオヤジから教わっていた。

デューリという名の頭文字は、一文字だとダーと読み、形は器を焼き上げる竈だとか、火と岩を吹くという山の形に似ている。

宿主もその一文字で宿泊を了承した。

純粋なヒト種の子供にしか見えない容姿と言動のリィズが手続きを行うことも出来はしたが、熱に浮かされながらも状況を理解したドリが、自ら筆記具を握ったのだ。

至極全うに金を払い宿の部屋を取っている事実は今更ながら彼の笑いを誘った。


「……朝になったら船の手配に行くぞ」

「まだ起きちゃダメだよ!」

「船の上で寝りゃあいい」


追っ手がマーク一人とは思えない。

海路を封じようと先回りされている可能性も大いにあり得るのだ。

暴論を振りかざしまた横になる。

朝まで時間はまだたっぷりとある。

何なら今すぐにでも発ちたい所だが、それは得策ではなさそうだ。

一時(ひととき)も無駄にせず快復に努めようと瞳を閉じた。


「バカドリ!」


怒りと不満を露にするリィズの拳をぽこぽこと腹に受けながら、微睡んだ。

もう悪い夢は見なかった。




翌朝。


「ンだ、こりゃあ。」


ナヴェドに入って二度目の問い掛けだった。

至極当然の疑問である。

彼の身体は、洗い物を干すために各部屋に備え付けられた長いロープによって寝台に縛り付けられていた。

念入りに、厳重に、何重にも。

外では海鳥がクウクウと高らかに鳴いているし、窓からは暖かな陽射しが差し込んできている。


「おはようございます、『ダー』さん。

 お姉さんからの伝言で、『病人は横になあれ』とのことです」


寝台の側の木椅子に座って小さな机に向かう男が、にっこり笑って言った。

ドリの起床第一声に肩をビクリと揺らしたのは見間違いではない。

善良でお人好しで懲りないこの商人(あきんど)は決して腕っぷしのある強者ではなかった。

朝一番から頭に血が上ったドリが吠える。


「テメエ、水袋の……あいつをどこやりやがった!!」

「あああ、お、落ち着いて下さい!あなたを縛ったのは彼女自身です!」

「だ、ろお、なぁああ」


ものは試し、ぎしぎしと全身をくまなく動かしてみるが、他の部屋のロープまで拝借してきたのであろう雁字絡めの拘束具はびくともしない。

昨日の死に体からすれば見比べるべくもない元気いっぱいな青年の姿に、男は初対面の時のように怯えて椅子の後ろに隠れるくらいしか術がない。

ふうう、と細く長い息を吐いた彼がゆっくりと背中から倒れ込んだのを見てほっと胸を撫で下ろす。


「彼女にはお礼はいいと言ったんですが、それでは気が収まらないということだったので、おつかいを頼んだのです」

「一人で行かせたのか」

「ハイ!」

「よし、殺す」

「ヒェッ!?」


ドリの眼差しに物騒な光が宿る。


「あわ」


一度は寝台に落ち着いた筈の大きな身体がまた、ぐぐぐ、と動き出す。


「うあああ」


縛り付けられた胸の包帯に肩に腹に腿に、幾重も束ねられた縄がぎりぎりと食い込み、やがて。

ミヂミヂミヂミヂ。

ブチィッ。


「ああああぁぁぁぁ……」





商人の断末魔が響くより大分前。

すっきりと晴れ渡った空の下、少女は足取り軽く歩いていた。

軒先に並ぶ店の品物はどれも珍しく目新しくつい足を止めそうになるが、目的地は決まっているのだ。

北の空を見上げるとそれは見える。


(あの、とんがり屋根!)


ーーのそばに立つ漁師の朝市が、彼女が遣わされた場所である。

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南の蛇と光の娘 @gr_n

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