ブラックと戦う誰か

川野マグロ(マグローK)

ブラックと戦う誰か

「はぁー、今日も疲れたー」

「お疲れさま。大丈夫? 顔色が悪いけど」

「へへっ、平気平気。これくらいでへこたれてたら生きてけないよ」

「そーお?」

 俺は、多分普通の会社で働く普通の会社員。だと自分のことを思っている。

「あと、今日はお客さんがいるんだ」

「それなら言っといてよ」

 だが、それは俺の思い込みだったのかもしれない。

「ごめんごめん。道で倒れてて」

「道で?」

 この出会いが俺の人生を大きく変えた様に感じるからだ。

「太郎くんって言うの?」

「はい」

「空腹で動けなくなってたんだ」

「恥ずかしいです」

 太郎くんは驚くほどよく食べた。いくら空腹で倒れるほどご飯を食べていなくてもこれほど食べる人は今まで見たことがないほどよく食べた。

 気づくと家の食料は冷凍してあるご飯だけになってしまった。

「よく食べるんだね」

「そうなんです。どれだけ食べても足りないんです。もう我慢しておきます」

「もう殆どないんだけどね」

「ええ!?」

 俺と妻はそのことを笑って済ませたが、太郎くんは真剣な表情を緩めることはなかった。

「どうしたの?」

「どうか、恩返しさせてください!」

「いや、いいって。ねぇ?」

「うん。ご飯だってコンビニに行って買ってくればいいんだし」

「ですが」

「気にしないで、やりたくてやったことだから」

「私も恩返しがしたいんです。やりたいことなんです。何か困っていることはありませんか?」

「そう言われても……あなたは?」

「うーん…………会社のこと……とか? でも太郎くんには関係ないし」

「関係あります。今から行ってきます」

「「今から?」」

「はい。ありがとうございました」

「じゃあよければ!」

 そう言って少し待ってもらい最後に残っていたご飯も温めて太郎くんに渡した。

「本当に行くの?」

「はい」

「気をつけてな」

「はい。行ってきます」

 俺たちも特に太郎くんを制止することなく見送ってしまった。


 しかし、翌日から変化が起きたのは事実だった。

 普段なら休日なんてあってないようなものだったが、今回の休みはしっかりと英気を養うことができた。そう自分で思えるほどだった。

 逆に妻に仕事の行かないことでクビにされたのではないかと心配されたほどで、仕事で無くならない休みが久しぶりすぎてどう過ごせばいいかわからなかったほどだ。

 二日目は、いつぶりかもわからない少し遠くまで出かけるということができた。

 この日も呼び出しがなく、意識は仕事に向いていたときもあったが、

「今日ぐらい楽しみましょ」

 という妻の言葉で我に返り、

「うん。そうだね」

 と言ってそこからは目の前のことに集中して楽しむことができた。


 家に帰ると太郎くんと他に3人の見覚えのない人たちが居た。

 なんだろうと思い、

「どうしたの?」

 と声をかけた。

 すると、安心したように、

「出かけてたんですね。良かった。引っ越しっちゃったかと思いましたよ」

 と太郎くんは笑顔で返してくれた。

「そんなはずないじゃん」

「そうですよね」

「それで、今日はどうしたの?」

「これです」

 声とともに差し出されたのは封筒だった。分厚く、中に何かが入っているように見える。

「感謝の印です」

「いや、いいって」

「受け取ってください。これはあなたのものです」

「しかし……」

「もらっておきましょう? ここでもらわないと逆に失礼よ」

「そうです!」

「仕方ないか。ありがとう。もらっておくよ」

 受け取った封筒は思っていたよりも太くそして重みがあった。しかし、そこへ意識を向け続ける前に、

「はい! それでは」

 と太郎くんたちが去ってしまった。

「「またどこかで!」」

 少し遅い時間だから抑えた声で別れを告げた。


「何が入ってるの?」

「さあ?」

 口では、さあ、なんて言ったが持っていた俺にはだいたい見当がついていた。そして、厚さからして自分たちがしたこと以上のものであることも察知していた。

 そう、中身は、

「お金?」

「やっぱりか」

「恩にはお金を返す人だったのかしらね?」

 俺にできたのは腕を組み首を傾げることだけだった。

 言っていたことを思い返してみればもっと別の意味だとわかるような気がする。が、俺は一字一句間違わずに楽しかった休日以前のことは思い出せそうになかった。

 だから、首を傾げた後はただ欲のままに眠った。


 休日明け、人生がまるで二周したような休日を過ごした俺はうつっぽかった。

 あれだけ楽しかった日々が終わった。そう思うだけで体は重かった。

 しかし、体の重さは普段の自分よりは辛くはなかった。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 そして、そんな事を気にする間もなく俺は早くに家を出た。

 なんだかんだ言っても気分が良かったのかもしれない。

 いつもの一駅先で電車に乗り、一駅前で電車を降りた。

 何のことはない。

 むしろ少し歩いて清々しい気分だった。

「おはようございます」

「おはよう」

「おはようございます」

「おはようございます!」

 会社についてからの一日も気分が下手に落ち込むことはなかった。

 仕事が終わったのも、いつもの残業に追われるよりも圧倒的に早かった。

 何より上司が意味もなく業務中に話しかけてきたり、業務外の仕事を任せてきたりすることがなかった。

 むしろ俺がほうけてしまっていた時に、

「疲れてるんじゃないか?」

 とアメを差し入れてくれたことで毒でも入ってるんじゃないかと警戒したほどだ。

「ありがとうございます」

 と言って受け取り、腹痛に苛まれたりすることもなく、

「お疲れさまでした」

 と帰ることができた。


「ただいまー」

「え? 早かったね」

「本来ならいつもこの時間に帰ってこれるはずなんだけどね」

「そうなんだ」

 こんな、本来普通とされる生活に、自分だけでなく周りまでもが驚く環境は自分が思っていた以上に異常だったのかもしれない。

 だが、それに気づけたということは自分の生活が正常に戻ったということではないだろうか。

 きっと、これでいいのだ。

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