第109話 口は禍のもと
ベルズにある冒険者ギルドのギルドマスターから手紙をもらったのは三日ほど前のこと。王太子セイリウスの病弱な体に効くという「パワワフルーツ」が手に入ったという内容だ。
獣人の国ウルズにしか流通していない果物の中でも、特に珍しい部類に入るらしい。実が青いうちに木から離れ、歩くことで熟すというこの果物は、どれだけ歩いたかでその筋肉量……もとい、甘さが変わるという。
「前のミロフィといい、
冒険者ギルド、フレズヴェール。酒場も兼用しているギルドのカウンターには、濃紺のマントを羽織った月色の髪のエルフがひとり座っている。彼の前にいるのは上半身裸の逞しい体躯を晒した狼頭のギルドマスター、フレズヴェール。彼は若干締まりのない顔でエルフの男――ライリを見つめていた。
「何? その気色悪い視線」
「いやぁ……お前さんも立派になったと思ってな」
「父親みたいな顔しないでくれる?」
「その毒舌も耳にしなくなるとさみしいもんだ。
「感傷に浸るにはまだ早いだろ。ギルドマスターに父親に、やるべきことはまだたくさんあるんだからさ」
「はっはっは! お前に諭される日が来るとはな。闇堕ちエルフも随分と丸くなったもんだ」
フレズヴェールの大きな声に、それまでガヤガヤとしていた酒場の空気がぴんっと張り詰めたような気がした。背中に感じる視線と共に、ひそひそと様子を窺う声も聞こえる。
「……聞いた?」
「闇堕ちって……あの?」
「昔この街を半壊させたって言う……」
「俺はルナティルスの国王を誑かして国を乗っ取ろうとしてるって聞いたぞ」
そんな、ありもしない(わけでもない)噂話に、さすがのライリもうんざりとした表情で重い溜息をついた。
確かにギルドにいた頃にはいろいろと問題を起こしもした。昔ならここで一発凶悪な黒魔法を放って場を鎮めるのだが、今のライリはそういう意味では自由ではない。
ライリの後ろにはルナティルス――国王であるユリシスと王妃レフィスがいる。考えもなしに行動を起こして問題にでもなれば、その尻拭いをするのはライリを雇っている彼らだ。
ユリシスたちに迷惑をかけるのは本意ではない。ならばここはおとなしく聞き流そうとしていたのだが。
「ライリは闇堕ちなんかじゃないもんっ!!」
ここにはいないはずの、そしてもう十分過ぎるほど聞き慣れた少女の怒りに満ちた声がした。
「リュティ……。なんでここにいるの」
驚いて振り向けば、陰口を叩いていた冒険者に向かって地団駄を踏んでいるリュティスの姿が目に入った。変装のつもりなのか、少女には不似合いの大きなサングラスをかけている。それでも上質な布で出来たマントと、美しい刺繍の施されたワンピースとピカピカに磨かれれた赤い靴は、少女がいいところのお嬢様であることを嫌と言うほど物語っていた。これでは攫ってくれと言っているようなものだ。
「お? ありゃぁ、もしかしてリュティスか? 生まれたとき以来だから五、六年ぶりくらいか。デカくなったな」
「母親に似て、ますます無鉄砲さに磨きがかかってるんだよ。今日だって、多分あれ勝手に城を抜け出してるからね」
「護衛官泣かせだな」
「まったくだよ」
そうぼやきながら席を立とうとしたライリだったが……。
「ライリが恋に落ちるのはリュティスだけなんだからー!」
という、公衆の面前での告白を物の見事に喰らい、思わず椅子からずり落ちてしまった。
「冗談だろ……」
日頃からリュティスの幼い恋心アタックを受けてはいたが、まさか昔馴染みのギルドでも暴露されるとは思わなかった。背中に嫌な視線を感じて振り向けば、案の定フレズヴェールがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
「はっはっは! ライリ、お前も隅に置けねぇなぁ! いつの間にそんなイイことになってたんだ? ホラ詳しく話してみろ」
「ちょっ……うるさい! 大体リュティス、なに勝手に城を抜け出してきてるんだよ」
「ライリが城にいないから探した」
「仕事してんの! 君の弟のために気色悪い果物取りに来てるんじゃないか」
「うん。お父様に聞いた」
「だったら……」
「……じゃない?」
「は?」
「……ライリ、浮気じゃない?」
「……はぁぁぁぁ!?」
呆れすぎて思わず声を荒げてしまった。その迫力にびくぅっと肩を震わせたリュティスから、しばらくするとずずっ……と鼻をすする音が聞こえはじめた。見なくてもわかるが、サングラスの下からぷっくりとした頬を伝ってぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
「そっ……そんなに怒らなくても……」
「怒る気も失せて呆れてるだけだよ。大体そんなに目立つ格好で一人で来るなんて、攫ってくれと言ってるようなものだ。少しは自分の立場を考えて行動しなよ」
「まぁまぁ、ライリ。リュティスもお前さんのことが心配で……」
「そうだそうだー!」
「子供に対してなんてこと言うんだ。もっと優しくしろー!」
「幼くっても恋心は真摯に受け止めるべきだわ。冷徹エルフ!」
「そんな奴やめて、俺が嫁にもらってやるよ。今から俺好みに成長させてやらぁ」
宥めるフレズヴェールに乗っかって、ギルド内にいた冒険者たちも次々と声を上げはじめる。さっきまで陰口を叩いていた男たちも、なぜか今はすっかりリュティスの味方だ。
「子供に心配されるほど弱くもないし浮気する相手もいないんだよっ! あとリュティスを嫁にもらうって言ったの、誰? 幼女誘拐の罪で捕縛させてもらうから」
ライリからぶわぁっとどす黒い瘴気が溢れ出すと、それまで言いたい放題だった冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。その波に紛れて逃げようとしていたリュティスは、片足を闇の触手に掴まれてあえなくライリの眼前に逆さ吊りの刑となってしまった。
捕まったことよりも、いまリュティスが一番気になるのは、宙吊り状態でめくれそうになっているスカートだ。下に穿いたドロワーズが見えないように、必死でスカートの裾を死守している。
「うわぁぁ! ライリのばかー! えっちー!」
「子供の下着に興味なんてこれっぽっちもないから安心して」
「少しは興味持てー!」
「ほんと、誰の真似してるの。その言動」
「いや……ライリ。お前さん、わかってんのか? 仮にも王女だぞ?」
そういうフレズヴェールも、笑いをこらえる顔に真剣味は感じられない。どちらかというと子や孫を見るような目つきだ。
「王女なら王女らしい振る舞いを期待するよ」
「ライリはおとなしい女は好みじゃないって言ってたもん」
後ろでブハッと吹き出すフレズヴェールを冷たい目で一瞥して、ライリはリュティスを拘束している闇の魔法を消滅させた。当然真っ逆さまに落ちるリュティスはライリの腕に抱きかかえられていて、怒られている状況だというのに少女の頬がポッと朱に染まる。
「誰が言ったの、それ」
「お母様とイーヴィ」
「あいつら……あとでシメる」
「いや、レフィスももう王妃だからな。ほどほどにしとけよ」
そう釘を刺すフレズヴェールに振り返って、ライリが恐ろしいほど美しい笑みを浮かべた。美しすぎて逆に怖い。それでも腕に抱かれたリュティスだけは、棘だらけの美貌にメロメロのようだ。
「僕で遊ぼうなんて百年早いんだよ。特にレフィスは」
「お母様だけずるい! リュティスも一緒に遊ぶ!」
「あーもう! そういう遊びじゃないから!」
「リュティスの相手しーてー!」
「うるさい!」
本気で怒鳴っているようでも、その表情を見ればライリがリュティスを本気で疎ましく思っていないことはわかる。冒険者だった頃は闇堕ちだの何だのと恐れられていた彼が、今は自分にも他人にも深い愛情を向けている。そのことをフレズヴェールは何よりも嬉しいと思った。
「じゃぁ、ライリはいつになったらリュティスと遊んでくれるの?」
「僕をその気にさせてくれたら、その時だよ」
「うん! わかった!」
「「わかってない(ねぇ)よな」」
無垢な笑み浮かべるリュティスに対して、ライリとフレズヴェールの呆れた声が見事に重なった。
その後、城へ戻ったリュティスが「男の人が『その気』になる時ってどんな時?」と父親に訊ねたものだから、ライリはありもしない疑惑をユリシスから向けられてしまうのだった。
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