第108話 リュティス・オー・ランタン
新生ルナティルスの若き護衛官ライリは頭を悩ませていた。
目の前には第一王女リュティス。母親に似て落ち着きがないのが玉にキズだが、天真爛漫で見ている者の心を軽くする笑顔もまた母親似だ。
彼女と一緒に旅をしたライリがその娘であるリュティスを無下に扱うことはないのだが、こう何度も問題を起こされてはさすがのライリも呆れを通り越して煩わしささえ感じてしまう。その思いを隠しもせず眉間に深い皺を刻めば、リュティスが小さな肩を震わせるのがわかった。
「ホントに……何でこう、君は次から次に問題を起こすかな?」
覚えたばかりの召喚魔法を盛大に失敗して城の中庭に巨大なカエルを出現させたり、行ってはいけないと釘を刺した場所に探検に行った挙げ句魔獣に追われて戻ってきたり。
ひと月前は両親に連れられて訪れたエルフの国で、何をどうしたのか王子の寝所に間違って潜り込んでしまい、責任を取って嫁に来いと本気か冗談かわからない婚約騒動にまで発展した。その際にリュティスが放った「私はライリとけっこんするの!」発言は、いま思い出すだけでも頭が痛い。
毎日何かしらの問題を起こすリュティスのせいで、「護衛官」であるライリのメンツは丸つぶれだ。
「それで? どうしてそんなことになってるの?」
ピンク色のフリルとリボンをあしらった、可愛らしい白のワンピースを着たリュティスの頭は――なぜか巨大なカボチャにすり替わっていた。
「もうすぐハロウィンだから、カボチャのお化けを作ろうと思ったの。せっかくだから動いたら面白いだろうな……って、思って」
「余計な魔法をかけたってわけ。だいたい無生物に命を吹き込むなんて、半分黒魔法みたいな魔法どこで知ったのさ」
「ブラッドが教えてくれた」
「……アイツ。まだどっか抜けてるんだから」
ブラッディ・ローズと呼ばれる指輪の元であった赤い髪の男を思い出し、ライリは諦めたように深い溜息をこぼした。
指輪という枷から解放されたブラッドは、数百年以上昔に生きていた存在だ。リュティスの母レフィスが彼を指輪から解放し、今は城に身を寄せているが、長い拘束によりブラッドの自我は他と比べるとやや薄い。端的とも言えるかもしれない。
今回もリュティスが「カボチャを動かしたい」と頼み、それに対してブラッドは特に深く考えることもなく魔法を教えたのだろう。とは言え、本当に危険ならブラッドも拒否するはずだ。そこに余計な心配はないのだが、結果として余計な心労がライリにのし掛かるのだった。
「もういっそのことハロウィンまでそのままでいたらいいじゃないか」
「えぇー! ヤダヤダっ! ライリ、これ取ってよぅ。こんなんじゃお嫁に行けない」
嫁の行き先ならエルフの国があるじゃないかと一瞬だけそう思いはしたものの、たとえ冗談でもそれを口にすることは何となく躊躇われた。その理由がわからず、気持ちの悪いもやもやが胸に渦巻き始めたところで、ライリは膝上に走る鈍い痛みに思考を遮られた。
見ればリュティスが足にしがみ付いたまま、カボチャの頭部をゴンゴンとぶつけている。本人は何とかしてくれと頭をすり寄せているつもりなのだろうが、立派なカボチャは鈍器のようで地味に痛い。
「痛っ! ちょ……待って待って。リュティス、それ凶器だからっ!」
「ライリじゃないとダメなの。早くしないと呪いで全身カボチャになるの……ぐすっ」
「あぁ、もうっ!」
ぐりぐりとカボチャ頭を押し付けてくるリュティスの脇に手を入れて、ライリが彼女の小さな体を軽々と持ち上げた。ようやく合った視線――はカボチャのくり抜かれた黒い空洞だが、そこから大粒の涙がほろほろとこぼれている。
「リュティスのそれはただの魔法の失敗だから、カボチャになることはないよ。わかった?」
「でも……言われたもん」
「言われたって……今度は誰に」
『誰にって、俺に! 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! ハロウィンの人気者と言ったら誰だい!? それは俺! ジャック・オー・ランタン様々だぜ』
「……は?」
腕に抱えたリュティスから、陽気な男の声が飛び出した。リュティスからというより、彼女のカボチャ頭から。見ればギザギザの口元がもごもごと動いている。
『いいねー、その顔。綺麗な顔が驚きに歪む顔、俺様大好きよ!』
「……え……、ちょっと待って。何これ」
『ビビってるビビってる! まさかカボチャが喋るとは思わないもんな! ぐへへ、これぞハロウィンの醍醐味ってやつ? あ、何ならあのセリフも言ってやろうか? トリック・オア……』
「ちょっと黙っててくれる?」
ピキッと、空気が凍る。それまでリュティスに向けていたのとは真逆の、明らかに敵意を剥き出しにした慈悲のない冷酷な眼差しに、カボチャのお化けジャック・オー・ランタンが「ひぃっ」と声を上げて身震いした。ライリの全身から溢れるどす黒いオーラを察知して、カボチャの皮からねっとりとした汗が滲み出る。
まだ何もされていない。魔法の気配もしない。けれど哀れなジャック・オー・ランタンは悟ってしまった。彼を敵に回してはいけないと。
『す……すみましぇん。調子に乗りました』
「わかったら、ちょっとリュティス出して」
『ハイィッ!』
潔い返事が聞こえたかと思うと、再びカボチャの空洞の目からブワァッと涙が溢れ出した。
「ほらぁー! アイツが言ったんだもん。このままリュティスをカボチャにするって……うわぁぁん!」
「わかったわかった! ちょっと煩いから泣くのやめて」
「でも……ぐすっ、リュティ……このままじゃ、ひっく」
「元に戻すから泣くな」
「……ほんと?」
「こんな呪いに僕が負けると思ってるの?」
「……ううん。ライリは、つよい」
「だったら僕の言うこと聞いて、少し大人しくしてて。できるよね?」
こっくりと頷くカボチャ頭に額をコツンと合わせてやると、オレンジ色の皮の頬がほんのりと朱に染まった。
言うことを聞いてすっかり大人しくなったリュティスを左腕に抱え直し、ライリは改めてカボチャの三角にくり抜かれた黒い空洞を覗き込む。カボチャを被っているだけならリュティスの目が見えるはずだが、生憎と空洞の奥には闇が溜まっているだけだ。
ブラッドが教えた無生物に命を吹き込む魔法は、おそらく単にカボチャが跳ねたりするような害のないものだったのだろう。そこにどこをどう間違ったのか、「自我」まで定着させてしまったリュティス。魔法自体は失敗だが、出来上がったジャック・オー・ランタンは限りなく召喚魔法に近い代物だ。
これでは魔法の才能があるのかないのかわからない。とりあえずはジャック・オー・ランタンがそこまで大物ではなかったことに安堵するべきか。
「ジャック」
『へいっ、兄貴!』
即座に力の差を見極めたジャック・オー・ランタンに、危険はないと判断する。あとはこのカボチャ頭をどうにかするだけだ。
「消えて」
『えぇー!? そんな殺生な。俺、出てきたばかりっすよ! それにこの嬢ちゃんの願いを叶えるために来たんで、それが終わるまで家に戻れないっす』
「願いって、君が動くことだろう? だったらもうじゅうぶん叶ってるじゃないか」
そう返すライリに、どこにあるかわからない舌を「チッチッチ」と鳴らして、ジャックがこほんとひとつ咳払いをする。そしてリュティスの声を真似て――似てないが――こう言ったのだった。
『カボチャを動かせる魔法まで覚えたなんて、さすがは僕のリュティスだ! これはもう結婚するしかない。僕と結婚してくれ!……って言われたらどうしよう。リュティス困るけど結婚するー!』
「……」
「うわぁぁっ! リュティス、そんなこと言ってないもんっ。カボチャのばかー! 大っ嫌い! うわぁぁん!」
秘密を暴露されたリュティスが突然喚き、ライリの腕の中で暴れ出した。足をばたつかせ、小さな手で自身のカボチャ頭をぽかぽかと殴る。そんなささやかな攻撃すら痛いのか、ジャックの呻き声がリュティスの泣き声に混ざって聞こえてきた。
『痛っ! ちょっ……本当のこと、あいた!』
「あー! あー! 何も聞こえなーいっ!」
『そんなこと言ったって……。嬢ちゃんだってライリの兄貴と結婚したいんだろ? 誓いのキッスに夢見て……痛ぇよ!』
「ばかばか! そんなの知らないもんっ」
「ちょっと煩い。二人とも耳元で叫ばないで!」
混乱を極めたこの状況。耳元でぎゃあぎゃあと喚かれても、抱えているのがリュティスならライリはその体を放り投げることはできない。
でも煩い。すごく煩い。それに話を聞かない二人にだんだんと怒りが込み上げてくる。
ざわざわと空気が震え、ライリの月色の髪の毛が風もないのにゆらりと巻き上がった。俯いたライリの体から溢れ出したどす黒いオーラが、そのまま彼の右手に絡みついて生き物のように蠢いている。その時になってようやく、リュティスとジャックは自分たちに向けられている恐ろしい邪気に気が付いたのだった。
「……へ?」
『おわっ!? 兄貴っ、ちょっ』
「二人とも……僕、大人しくしてって言ったよね?」
叫ぶ前に黒い靄を纏った右手をカボチャ顔面に押し付けられ、二人の意識があっという間に引き摺られる。悲鳴も謝罪も口にする暇さえ与えられず、リュティス(とジャック)はライリの怒りの黒魔法によって死んだようにコテンと深い眠りの底へと落ちて行ってしまった。
***
フリフリのレースを施した天蓋付きのベッドの中で、リュティスがすやすやと眠っている。枕元には立派なカボチャのジャック・オー・ランタン。傍らに立って見下ろすライリは、肩をがっくりと落として深い溜息をこぼした。何だかとてつもなく疲れてしまった。
リュティスにかかっていた呪いは既に解いてある。イライラしすぎてつい眠らせてしまったが、結果として寝ていてくれた方が助かったとも言える。あんなことを起きているリュティスにすれば、また一騒動起きるのは目に見えているからだ。
母親にそっくりのリュティス。彼女の母親レフィスとは一緒に旅をした仲間であり、ライリの心を救ってくれた恩もある。彼女に対する思いは恋慕とは違い、もっと深い家族に似た愛情だ。そのレフィスの娘で、思考も行動も彼女そっくりのリュティスから幼い恋心を向けられるたびに、ライリはどうしていいかわからずに戸惑ってしまう。
嫌いではない。むしろ大事に思っている。だがそれが男女間の恋愛かと問われれば答えは出ないし、何よりリュティスはまだ子供だ。
「ほんと……親子揃って、僕の心にずかずか入り込んでくるんだから」
リュティスの前髪を払った指先を下に滑らせ、その柔らかい頬をぷにっと押してみる。子供特有の餅みたいな感触を存分に楽しんだ後、リュティスが起きないのを確認したライリは彼女の額にお休みのキスをひとつ静かに落とした。
それはさきほど呪いを解くためにしたものよりも、随分と優しいキスだった。
***
ライリが退室した後――。
ぱっちりと目を開けたのはジャック・オー・ランタンだ。オレンジ色の皮の頬はうっすらピンクに染まっている。
『意外と見込みあるんじゃね? 嬢ちゃんがイイ女になるまであと十年くらいか。俺様がそばにいて、嬢ちゃんの恋の手助けをしてやるぜ! 任せときな!』
お節介心に火のついたジャック。彼とリュティスが、ライリに恋の駆け引きをしてあっけなく撃沈するのは、また別のお話。
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