最終章 ここが私の街

 授与式は大瞑堂の本堂が礼拝のために開放される前の時間、午前九時から行われた。


 私と他二人の合格者は、与えられた法衣に着替えて席に着く。一人ずつ呼ばれて祭壇の前に行き、面談をした先輩思念士から力の授与を受け、最後に試験の責任者である大司教様からお言葉をいただくという段取りである。

 神に殉ずる者の、神に準ずる技術。その授与は神聖視され、ひっそりと、しかし重く厳かに執り行われる。


 まず他の二人のうち一人が授与を受け、次に私の番となった。私は随一と名高いその祭壇の前まで歩いていく。

「祈りなさい」

 大司教様の厳かな声。私はひざまづき、目を閉じて祈りを捧げる。


 こつこつという大司教様が脇に移る足音が聞こえ、代わりにもう一つの足音が聞こえてくる。足音は私の目の前で止み、それからその主――顧問が静かに言った。

「神に殉ずる同士へ――我が名のもとに、その力を分け与えん」


 そのとたん、私に変化が起こる。

 体のどこかで――意識のどこかで、それまで存在すら認識することのできなかったもう一つの「眼」が開いていくのを感じる。

 その眼に映るのは風景ではなく、暗闇の中に点在する人の姿だ。その姿はぼうっと光を放っている。私は――私の眼は、その光の中に入っていけることを知っている。その中を覗き込み、その中に送り込むことができることを知っている。

 授与とは正式には力を与えることではなく――眠っている力を呼び覚ますことなのだ。


『私の声が聞こえますか?』と頭の中に顧問の声が響いた。

『――はい』私は祈ったまま、同じように頭の中で答える。

『あなたの力を確認しました』と顧問は言う。『とても強い力です。そして――恐らくあなたの若さの賜物なのでしょう、あなたの力はいまのところ、強い指向性を持っていません。言い換えるなら――あなたはこれから自分の意思で、何に特化することもできるものと思われます。いえ、一つに特化する必要もないかもしれません――私のように』


 想定外の宣告に、私は少し戸惑う。


『あなたが自分の力を見極めてから将来を決めたいと言っていたことは覚えています。しかし――あなたの力には選択肢があります。やはり最後は、あなた自身の願いによって後人生のかたちを定めなければならないようです』

『……わかりました』私は心の中で言う。

『そのことについて』と顧問は少しくだけたように言った。『あとでお話があります。お付き合いいただけますか?』

『話、ですか? ……わかりました』


 心の中での対話はそれで終わった。実際にどれくらいの時間が経ったのかは定かではない。でもそれは現実の会話と比べると、一瞬にも近い短い出来事であったように思う。


「新たな力の誕生を、我々は心より迎え入れ、その者と共に歩むことを誓わん」

 顧問が凛とした声で口上を述べる。何らかの所作をしている音が聞こえる。

 それから顧問が遠ざかる音が聞こえ、入れ替わりに別の足音――大司教様の足音が私の前までやってきた。


「見開きなさい」

 大司教様は言った。私は両目をゆっくりと開く。それと同時に、心の中に開かれたもう一つの眼をゆっくりと閉じる。

 先程までと変わらない祭壇がそこにある。でもそれを見ている私は、既に先程までの私ではなくなっている。私にはそれがわかる。

「その瞳が神の道を見失わんことを。そして世を照らす光の一部とならんことを」

 いまや私の瞳は二つではない。私は新たに背負った第三の瞳で、これから世界を少しでも良きものとしていかなければならない。今日を境に、私は新たな使命を持ったのだ。

 こうして私は――思念士となった。


 ◆


 法衣から自分の服に着替えて部屋で待っていると、顧問が娘さんと共にやって来た。

「お待たせしました。……どこかもっとくつろげる場所に移りますか?」

「いえ、私のことでしたらお構いなく」と私は言った。「ここでも構いません」

 そうですか、では――と言い、二人は席に着く。

「お話というのは、あなたの今後についての、一つの提案です」と顧問は言った。「あなたの力には選択肢がある……そう言いましたね?」

「はい。結局は自分で将来を決めなければならない、と」

「そうです。そこで提案なのですが――私のもとへ来ませんか?」

「え?」


 思わず私は聞き返す。

 それを織り込み済みだったのだろう、顧問は一つうなずいて淡々と続けた。


「人がある道を選ぶには、その道のことをある程度は知る必要があります。もちろん本当の奥深さはその道に入って長きにわたる研鑽の末に初めて理解できるものですが――いずれにせよ、何も知らずに道を選ぶというのは些か心許なく、そして難しいことでしょう。その点、あなたには様々な可能性があると私は言いました。いまの話を当てはまるのであれば、あなたがその選択を十分に行うには、あなたが選びうる道について、一通りのことを掴んでおく必要があるということです。おわかりですか?」

「――はい」


 私は答える。

 実際、私が戸惑ったのもそこなのである。

 選択肢があるというのは悪いことではない。世の中には選択の余地もなく一つの道を進むことを余儀なくされている人々がたくさんいる。しかしいきなり選ばなければならない立場になるというのも、それはそれで難しいことだ。


「いまのあなたでは、選ぶための判断材料に乏しいでしょう。そこで私のもとで、しばらく私付きの思念士として働いてみてはどうかと提案したいのです。私自身、いろいろな仕事をしていますし、顧問という立場上、他の多くの思念士の仕事の現場にあなたを派遣して、それらを経験させることもできます。――五年」


 そう言って、顧問は開いた手をかざす。


「五年ほど、そのようにして様々な仕事を経験して――あなたが二十歳になったとき、自分の道を決めてはいかがでしょうか。あなたは本当に若い。まだまだ時間はたくさんあります。思念士となる者のすべてがそのような余裕を持っているわけではありません。あなたはその利を活かして、他の誰よりも自分に与えられた選択を――誤解を恐れずに言えば、楽しむことができる。そのようにすごすのが最も良いのではないかと、私はそう思うのです」

 いかがでしょうか――と顧問は言った。そして続けた。

「もちろん、すぐに答を出せとは言いません。考える時間もあなたにはたっぷりある。それが若くして合格した者の特権でもありますから――」

「いいえ」

 私は顧問の言葉を遮るように言った。顧問は意外そうな顔で私を見る。


 ――このとき私に起きた心境の変化をうまく説明することは難しい。

 でも喩えるなら――これまでばらばらだったものが、実はたった一つのかけらが見つからないがためにそうなっていて、そのかけらがついに手に入ったことで、すべてが一気に繋がっていくような――そんな感覚だった。

 私はいままでずっと迷ってきた。思念士になる――でもどんな思念士になるのか。なりたいのか。そもそもどこで生きていくのか。生きていきたいのか。

 ずっと答の出なかった数々の物事がたったいま、一つの場所にすとんと着地した気がした。


 最後にもう一度だけ、自分の心を確認する。迷いはないか。後悔はしないか。

 ……ない。

 そうして考えてみると、すべては定められた流れであるかのように感じられた。


「そのご提案を受け入れさせてください」と私は言った。「私は――あなたのもとで働きたいと思います」

 顧問はじっと私の目を見つめる。私も顧問の目を見つめる。考え足りないことなど何一つないことを示すために。


「……わかりました」と顧問は言い、柔らかく微笑んだ。「では、そのように計らいましょう。あなたの身の回りにも様々な準備が必要でしょうから、そうですね――再来月。再来月の月初めから、あなたを私付きの思念士とします。それでよろしいですか?」

「はい」


 私の返事を聞くと、顧問は安堵したように深く息を一つついた。

「実を言うと、今日は授与式よりもこのお話を持ちかけることのほうが気になっていたのです。結果的に、あなたの力にもとづいた提案をさせていただく形になりましたが――もしあなたの力がどのようなものであっても、私としてはあなたが成長していくのをしばらく目の前で見守りたい願望があったのですよ」

「それはやはり――私がまだ若輩だからでしょうか」

「それもあります、確かに」と顧問は認める。「でもそれ以上に、あなたがそう思わせる人間だということが大きいです。あなたを見ていると、あなたの目の前に立ちふさがり、あなたの成長を阻害するものをすべて取り払いたくなるのですね。あなた自身でそれをやることがある程度必要だとしてもです。……面談のときも似たようなことを言いましたか。要は、この子はどこまでも伸びる――あなたはそのような期待を抱かせる存在なのです」


 あなたと出会った人の多くはそう思うのではないかと推察します――と顧問は言った。


 私はその感情を想像しようとしたが、うまく想像できなかった。

 そういうことを思うには私はまだ若すぎるのかもしれない。

 いつか一人前になったとき、目の前に有望な若者が現れたら、私にもそのような気持ちが湧いてくるのだろうか。そのときに初めてそれを理解することができるのだろうか。


 いや、それ以前に――自分がそこまでの期待をされていることに、光栄であることを越えた居心地の悪さを感じる。果たして私は、そこまでの想いを込めて貰えるだけの器なのだろうか。自分ではさっぱりわからない。

 ただ、期待されているならば応えたいと思うし――私自身、行けるところまで行ってみたいという欲もある。


 ――そう、未来への欲。それこそが、先程の顧問の提案によって初めて気づかされた感情の一つだった。

 私は――できるだけ大きな存在になりたい。

 居住まいを正し、それから私は顧問に誓う。

「最初はいろいろとご迷惑をおかけすることになるかもしれませんが、少しでも早く一人前の仕事ができるように頑張ります。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」と顧問は言い、傍らに座る娘さんの肩に手をかけた。「この子と二人、あなたを歓迎します。共に歩んでいきましょう」


 ◆


「……そうか」と店長は静かに言った。「ではこの店で働くのは来月末まで、ということでいいんだな?」

「はい」と私は答える。そして右手を左胸に当てる。「いろいろとありがとうございました」

「その挨拶はまだ早いよ。まだ一ヶ月と半分近くある。その間はきっちり働いてもらうわけだからな」

「……そうでした」


 私は苦笑する。そんな私をちらりと横目で一瞥してから、店長は再び手元の書類に視線を戻す。


「後釜のことなら心配無用だ。思念士志望者の受け入れを再開した以上、また来年に向けて人は入ってくる。この制度に関して言えば、目まぐるしく人が入れ替わってなんぼだ。どこぞの男のように五年も居座った奴もいるが、そういうのは健全ではない。……また十年も音沙汰がなくならんことを祈るよ」

 店長はそこで言葉を止め、沈黙する。私は失礼します――と言い残して部屋を出ようとする。

「お嬢ちゃん」ふいに店長は私を呼び止めた。

「はい」私は扉に手をかけようとした体勢のまま振り返る。

「……お嬢ちゃんの仕事は手抜きがなくて結構なことだ」と店長は言った。「そういう仕事を、死ぬまで忘れんようにな」

「先輩の教えです」と私は微笑んだ。「では、失礼します」


 ◆


「寂しさ半分、ほっとしたの半分かな」と先輩は言った。「ほっとしたっていうのは、キミがこの街に残るってところね」


 倉庫の整理をしながら、私と先輩は会話をしている。

 結局いまに至るまで、この手の力仕事では先輩にまったく敵わないままだった。私と変わらぬ体格をしている先輩のどこからその力が出てくるのか、未だに理解できない。


「言うまでもないから言っちゃうけどさ、私としてはキミには街に残って欲しかったから、キミの決断は大歓迎なわけね。仕事を一緒にできなくなるのは寂しいけど、同じ街にいるならいつだって会える。……当分、あの下宿舎に住むわけ?」

「そうなります」と大きな箱をよろよろと降ろしながら私は言った。「将来どうなるかはともかく――五年ほどはあそこで暮らすことになるかと」

「少しは何か飾ったりしなよ」先輩はからかうように言う。「五年もたったらキミも立派な大人なんだから、それまでには男の人の一人や二人、部屋に招く機会だってあるでしょう」

「それは――どうでしょうか」

「どうもなにもね」と呆れたように先輩は言う。「キミとお近づきになりたいという男の人、私はそこそこ知ってるよ。そのうちの何人かは実際キミに話しかけたり、食事に誘ったりしたはずだけど――キミ、まったく興味を示さないんだもん。キミ次第なんだよ、そこは」


 そうだったのか。まったく気づかなかった。


「……まったく気づかなかったって顔してるね」先輩がため息をついた。「キミ、清純なくせしてずいぶんな男泣かせだ」

「先輩はどうなんですか?」

「え?」

「料理修行でお忙しいのはわかるんですが……その気になれば出会う機会は作れるはずですよね?」

「んー、それはねえ」先輩はあらぬ方向を見る。「まぁ、機が熟したら、という感じかねえ」

「いつ熟すんですか?」

「それは――いや、私の話じゃなくてキミの話だよ。まったく」


 言いながら、先輩は上半身がすっぽり隠れるほどの木箱を悠々と移動させる。それからゆっくり息を吐くように、よかった――と言った。

「まだまだキミとこういうお喋りができるんだね。ここの仕事をやめたあとは、もうちょっと積極的に休みの日に会いたいよ。それから、ここにも食べに来て。もう従業員じゃなくなるんだから」


 不文律として、この店の従業員は客としては店に寄らないことになっている。再来月からは私にはもうその枷はない。


「そうですね。いつか先輩の料理が出てくるのを待ってます」

「そうそう、そこ。いつまでも賄いを出すだけで満足してないからね、私は」先輩は手を腰に当てる。「キミのその五年とやらのあいだに、私は絶対にお客さんに料理を出せるようになってみせる。いままでずっと、いつかは、と思っていたけど、キミのおかげで明確な目標ができた。五年以内だ」

「――はい」


 私は先輩に微笑む。先輩はそれを見て同じように微笑みを浮かべ、静かに私の手を取った。

「キミと会えて本当によかった。もうすぐキミの先輩じゃなくなるけど――これからもよろしくね」

「先輩はずっと、私の先輩です」私は言う。「初めてお金をもらう仕事をしたときに、優しく丁寧に教えてくれた特別な人です。こちらこそ、よろしくお願いします――先輩」

「……もう、また泣いちゃうからやめてよ」


 先輩は困ったように笑顔を歪め、じゃあ仕事仕事――と言って背中を向ける。

 整理が終わると、私達はいつものように厨房へと向かった。

 ――裏方にまともな雑用が無かったらお客さんの前に良いものは出てこないからね。

 最初に仕事をした日、先輩が言っていたことを思い出す。生涯、私はその言葉を忘れることはないだろう。


 ◆


 大瞑堂の前の大通りには冷たい風が吹いていた。

 私は少し体を縮ませながら、本堂とその両脇にある二つの塔を眺めていた。

 礼拝にやって来た人々がまばらな列を作っている。街の人々と巡礼の人々が合わさってできたその列の周辺には観光客と思しき人々がいて、この一連の光景を少しでも多く記憶に留めようと、我を忘れたようにありとあらゆるものを見回している。


 初めてここへ足を運んだとき、私は街の側には属していなかった。でもいまは違う。


 少し曇った空と塔の先端を何の気無しに見つめていると、家族連れの観光客の父親らしき男性から声をかけられた。この街の人ですか――。

 私はそうですと答える。

 値段がそこそこで広い宿に泊まりたいのだが、どこを選べばいいかと観光客は言う。

 私は通りの一つを指さし、その要望であればこの向こうにある宿がもっとも適切でしょうと答え、男性が手に持っていた地図を受け取って然るべき箇所を示す。男性は礼を言い、家族と共にその方向へと姿を消していく。


「堂に入ったもんですね」と後ろから声が聞こえた。

 私は振り返る。衛士さんがいつものように飄々と立っている。

「もう道案内は要らないかな」と衛士さんは冗談めかして言い、それから真面目な顔を作った。「おめでとうございます。見事に一発で通りましたね」

「ありがとうございます」と私は言う。「色んな人の支えがあって、運良く合格することができました」

「あれから調べたんですよ、思念士試験の歴史を。ちょっと興味があって。そうしたら――年齢についてはとりあえず過去七十年分くらいしかわからなかったんですが、少なくともその中には、十五歳以下の合格者はいませんでした」

 最年少と言っていいと思います――と衛士さんはお告げのように言った。

「そう――ですか」


 正直なところ、私にはその実感も興味も薄かった。

 たまたま昔から関連する本をたくさん読んできて、たまたま決意するのが早かっただけだ。そしてどれも、外からの影響に押されてそうなったものばかりである。ある意味では流されてここまで来たのだとも言える。こと年齢については、どこまでが自分の問題なのかよくわからなかった。

 でも、一つ言えることがある。この得られたものを最大限に使って、私はこれからは自分の意思で羽ばたいていく。


「顧問は本当に顔の広い人です。きっとあなたには溢れんばかりの出会いがあることと思います」

「――楽しみにしています」


 二つの矛盾する感情がある。私は人と接するのが得意ではない。きっとそのことでこれからたくさん気を張ることになるのだろう。

 けれどもそれが――何故だろう、いまはとても待ち遠しくもある。

 私は再び大瞑堂を見る。空を支える二つの塔と、支えられた広い空を見る。それから周りを見渡し、最後に自分の心を見る。

 ここが私の街だ、と私は思う。私はここで、これからの私を一つ一つ築き上げていく。いつの日か、多くの人々を救える大きな存在になれるように。

 私は何かに向かって宣言する。

 こんにちは。

 私はこの大瞑堂のある街の――新米思念士です。【完】

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大瞑堂のある街 loki @loki_uf

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