目覚めた世界で

 ドクン、ドクン。

 ドクン、ドクン、ドクン。


 鼓動のような音を鳴らしながら空間が震える。微かな、だが確かに響くその音に赤レンガの壁を枕にして微睡んでいた男はゆっくりと目を開ける。

 そして、一つ大きな欠伸をすると、目許を隠していた山高帽子の鍔を上げると周囲に目をやる。

 周囲は四方八方に入り組む赤煉瓦の壁。

 眠る前と何らかわりばえが無い――が、男の表現で言うなら明らかに空気が


「どっかの誰かが落ちやがったか」


 偶然か、或いは嵌められたか。

 この様子だと二人か三人は食われたことだろうと男は推量する。


「……これだけ食えば、流石に繋がっちまうか。ここも潮時だな」


 はぁ、と男が気怠げに溜め息をつく。

 この『異界』ともお別れであると考えると気分が重くなる。陰気臭いのがたまに傷だが、面倒事から離れた暮らしは中々に快適であった。


(……諦めて次の宿を探しますかい)


 さっさと離れるべく準備しようとしたその時、男の足元から、ガタガタ、と何かが揺れる音が響く


「あん?」


 目を下ろすと、年代物らしき木製の旅行鞄が……正確にはその中のモノが何かを訴えるように音をたてている。。


「ったく! 一体全体何処のどいつだ?」


 男は毒づきながら手慣れた様子で鞄を開ける。そして、次から次へと革表紙の本を取り出していく。


「お前じゃない、お前でもない、お前は違うか」


 十冊、二十冊、とこぢんまりとした鞄には到底収まりきれない筈の本がみるみる周囲を埋めていく。

 

 開けて、積み上げ。開けて、積み上げ。そして――


「ははぁ、まっさかお前が、かぁ?」


 男はその本を手に取ると、驚きを露に目を見開く。

 皮のカバーには所々に傷や汚れが目立ち、抜け歯のように背表紙で綴じられた頁の束の間には所々に空きが目立っている。

 まさしく、といった姿に違わず、事実つい先日までは男の旅行鞄の底で身動ぎひとつなく埋まっていた。

 しかし、目の前にある本は水を得た魚、翼を広げた鳥の如くボロボロの身を動かして跳ねている。


「わかった、わかった、どうしたんだよ?」


 男は表紙を撫でながら本の言葉を聴く。

 しかし、本が伝える内容に訝しげに眉を潜める。


「……あ? けど、感じる気配はどうしてもただの人間だよな? まさか、本のクセにボケが始まった……っあたっ! わかった、わかった!」


 バサバサバサッ!

 本が羽のようにページをばたつかせながら男の顔に躍りかかる。

 それを宥めながら、やれやれと息をつく。


「ったく、こちとら無用なリスクを背負いたくないってのによ。……わかった、お前のお目当てより先にヤツラが来そうなら帰るからな?」


 男の問いかけに、本はピタリと暴れるのを止めると、そのまま静かに男の手元へと収まることで了承の意を示す。


「はぁ、しゃーねぇ、行くとするか。……てなワケで、お前らもさっさと行くぞ」


 男がさっと手を振ると、周囲に積み重なっていた本が一斉に羽ばたく。

 バタバタバタバタッ! と騒々しく風切音の合奏を鳴らしながら、群れをなして旅行鞄の中へと消えていく。

 全ての本が中へと帰っていくと、男は旅行鞄の鍵を閉める。


「しかし、本当にこんな場所で何十年も待った出会いがあるのかねぇ?」


 まぁ、いたら儲けもんとでも思っときゃ良いか。そう独りごちると、ボロボロの本を片手に抱え、反対に旅行鞄を引きながら赤煉瓦の道の奥へ向かっていった。




「あぁ、チクショウ!」


 角を曲がった先、何度目かになる行き止まりに遭遇し、猫谷はがっくしと膝をついた。

 前の行き止まりから暫く間が空いたこともあったのだろう。精神的なショックが肉体の疲労となり一気に体に押し寄せる。


(一体、どんぐらい経ったんだろ)


 どれ程の間、意識を失っていたかは定かでは無いが、この『赤煉瓦の街』を猫谷が歩き回りはじめてから大分と時間が経っている。

 一時間か、二時間か。いや、もっと長い時間をさ迷い続けているようにも感じる。


 ふと、ぼんやりと上を見上げる。

 夜空には灰とも薄茶ともつかない排煙のような雲が薄くかかっている。バッテリーが壊れたのか、普段から時計として使っているスマホは既に動かない中で、この空が猫谷にとって、時間を知る唯一の手がかりである。

 しかしながら、ここに最初に見上げてからまるで時が止まったかのように変化を見せない。夜空の闇は、これ以上深くなることもなければ、明るくなる様子も見せないでいる。


 猫谷は億劫そうに立ち上がると、先程まで歩いてきた道へと目を向ける。延々と続く道には、並び光る街灯を除いて人も物も見当たらない。


(……止まっていても仕方がないか)


 しっかりしろ。

 心と体に渇を入れると、猫谷はここに訪れる前に見つけた別の分かれ道を目指すべく再び歩き始めた。



 ――遡ること数刻前。

 地面の中に引き込まれた猫谷が意識を取り戻したのは、赤煉瓦で作られた街の大通りであった。

 この奇妙な街は、道路は勿論のこと、左右に並び立つ建物も窓などの一部を除いて全て同じ赤で形作られており、レトロな雰囲気の街灯も合間って何処か異国情緒を感じさせる。――これが単なる旅行であれば、猫谷もそんな感想を抱き楽しんだところであろうが、今の状況では到底そんな心持ちにはなる筈もない。焦燥しながら、何とか状況を整理して周辺を見て回り、人を探して助けを求めようと動き出した。

 しかし、近くには同じく地面に引き込まれた男二人、……そして、幸か不幸か雪白 美咲の姿はおらず、街の何処にも人影はらしきものは一切見当たらなかった。

 そうして、歩き回っている内にふと猫谷は奇妙な事に気付く。


(……どの建物にも入り口がない?)


 通りに沿うように建っている建物であるが、玄関らしきものが一切見当たらない。

 いや、妙なのはそれだけではない。

 先程から通りを大きく回っている筈だが、いやに判で押したような程にそっくりな景色が続いている。

 猫谷は、ふと近くにある民家のガラスに近づき、その奥を除き込む。そして、思わず言葉を失う。


「……マジか」


 曇りの強いガラスの向こう側には、人の姿どころか家具のひとつもない。赤レンガで囲まれただけの僅かな空間があるだけであった。

 まさしく、外観だけいやに精巧につくられた模型というべきか。


 一体、誰が何のためにこの赤レンガの迷宮都市を作ったのか。


 頭を駆け巡る疑問に目眩を覚えながら、猫谷は、改めて自分が異質な場所にいることを悟った。



「……つっかれたぁ」


 暫く歩き続けて先程訪れた分岐点に辿り着くと、深々と息を吐く。そして、引き返して来た道に位置する建物の煉瓦にスマホケースに付けたキーホルダーを使って『×』を刻む。

 お菓子の家の兄妹に負けず劣らず原始的な方法だが、これが案外馬鹿にできない。

 唯一の惜しむ点と言えば、猫谷がこの方法を思い至るまでに、何度もさ迷い続けたが中々長かったことか。


 猫谷は、来た道から見て右手に三方向に分かれている道の印の有無を確認する。

 何度も同じような通りで分岐に遭遇していると何処を通ったかすら曖昧になってくる。ここに来る前には、まだ通ってない道と思って進もうとしたら、印に気付いて寸での所で時間の浪費を避けられたこともあった。


「おっ」


 三又のちょうど真ん中に当たる通りの壁を見て声をあげる。探索済みの印がついてない。


(だからといって、先に進める訳じゃないが)


 猫谷は、変な期待を持たないように自身に言い聞かせると、新たな赤煉瓦の道へと歩を進める。足を動かしながら、連々と続く街並み見る。

 外見だけの張りぼてと言えども、これ程の広さの街は造るのは容易ではないこたは想像に難くない。

 少なくとも道楽で作るには些か値段が張るだろうし、こんなものが作られていたら今頃ネットで小さくない噂のタネにはなっている筈だ。


(そして、アイツ)

 

 意識を失う前に見た光景が脳裏に過る。

 あの女――雪白 美咲もこの奇妙な場所に関係があるのであろうか。

 様々な可能性を考えるも、疲れた頭で禄な考えが浮かぶ訳でもなく、推論とも言えない妄想位しか浮かんでこない。


(まぁ、何にせよ、此処から出ないとな)


 警察に訴えるにせよ、大学へ申し出るにせよ、テレビにタレコミをするにせよ全てはそこからだ。

 そう、自分を鼓舞しながら猫谷は道路に映る影を横目に見ながら延々と続く道をひたすらに進む。


 そして、どれ程進んだであろうか。暫く歩き続けたその先でピタリと足を止める。


「……ははっ……やった」


 猫谷は思わず笑みを浮かべてそれを見上げる。

 目の前には、中世の城門を彷彿させるような巨大な建物がそびえ立っている。

 門と館を足したような三階建てはあろう建物は街と同じ立派な赤煉瓦で作られていたが左右に尖塔を配した立派なその佇まいは街にある建物と比べても明らかに異彩を放っている。

 だが、そんな事は猫谷にはどうでも良かった。

 猫谷の視線の先、建物の正面。そこには建物の中へと繋がる入口が開いていた。。

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重ね綴字の御伽噺(フェアリーテイル) 西野淡 @wabisuke03

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