重ね綴字の御伽噺(フェアリーテイル)

西野淡

好奇心は猫を殺す

猫谷 室心の失敗

 好奇心は猫を殺す。


 元々はイギリスのことわざ(en:Curiosity killed the cat)の訳である。

 英語には、「Cat has nine lives.」(猫に九生あり・猫は9つの命を持っている/猫は容易には死なない)ということわざがあり、そんな猫ですら、持ち前の好奇心が原因で命を落とす事がある、というのが本来の意味らしい。

 そして、日本では主に転じて、『過剰な好奇心は身を滅ぼす』と他人を戒めるために使われることが殆んどであろう。



 猫谷 室心(ねこたに だいし)が、その言葉をこれ以上無く実感していたのは、バイトが長引いた何でもない夜の事であった。

 帰宅中に駅裏通りのネオン街を歩いているときにふと、車道を挟んだ向かいの歩道に目をやると見知った顔を見かけた。

 これが大学で馬鹿やる友人だったら明日の話のネタにする位だったであろう。

 だが、その人物はあまりにも夜の駅裏通りとは関わりが無さそうな人物であった。


「雪白……美咲?」


 雪白美咲(ゆきしろ みさき)。

 今年の入学式で新入生代表として挨拶したのが記憶に新しい、我が大学が誇る才媛である。

 学生ながらも現夢市(うつめし)に本社を置く国内有数の新進気鋭の企業「グリノワール」との提携研究チームの一員を務め、その傍らに時々だが学内広報誌を始めとするモデルとしても活躍している。

 そんな、この場所と不釣り合いな女は、時折スマホの画面を確認しながら裏路次へと入って行く。


(何だって、こんなとこに)


 美人女子大生と怪しげなネオン通り。

 頭の中に様々な可能性……という名の妄想が浮かぶが、彼女の後を追うようにして路次へと入っていった見るからにガラの悪そうな派手派手しい髪の二人の男の姿に一気に打ち消される。

 雪白と二人が消えた周辺に目をやる。不幸なことに、通りを歩く酔っ払いやキャッチが特に気にした様子もない。

 猫谷は、暫し胸の中で黙考する。はぁ、と息を一つ吐く。


(見るからに面倒の予感がするが、これで何かあれば寝覚めが悪いからな)


そして、向かいの通りへと渡るべく、信号に向けて駆け出した。


 



「ねぇねぇ、君こんなところで何してんの? ひょっとしてオシゴトとか探してる?」

「沢山、稼げるとこ教えて俺らこの辺で顔広いしさ」


 案の定と言うべきか。

 裏路次の奥へと辿り着くと、例の二人組は雪白に絡んでいた。

 物陰に隠れながら、こっそりと様子を窺う。

『下心』という二文字がありありと透けて見える顔でアレコレ話しかけてくる男達に対して、雪白は時折スマホへと目を向けながら、何を考えているかわからない目で自分を囲む男を黙って見ている。


(……怯えている……ようには見えないよな?)


 大学の広報写真で見る表情豊かな顔とは違う。……まるで、人形のようだ。


「ひょっとして、待ち合わせ中?」

「……まぁ、そんなところです」


 雪白の言葉に二人が興奮の声を上げる。

 完全にその手の仕事であると認識したのか。

 やれ、どこの店だ。やれ、幾らかなどテンションと欲望の赴くままに矢継ぎ早に問いかける。


「……なぁ、さっきからスマホばっか見てるけどさぁ。歳上の人と話すときは目を見て話しましょうって習わなかった?」


 基本的に無視を続ける雪白に苛立ちが募ったのか、男の一人が強引に細い腕を掴む。


「……何ですか?」

「っ!! ハハッ……社会の常識を知らないお嬢ちゃんにオシゴトの前に研修してやるって話だよ」


(……マジかよ)


 思わぬ急展開に積み荷の影で舌打ちをする。

 こんなことなら早々に警察に連絡するべきであったと、今更ながらに後悔するが、時既に遅い。

 足下の石をそっと拾い上げる。

 幸いにも三人はまだ気付いていない。

 極力、影から体が出ないようにして、慎重に三人の頭を越えるように狙いをつける。

 誰かがいるかも知れないと思わせるだけで、短絡的な行動への牽制にもなるし、うまいこと注意を逸らせば逃げ出す隙も生まれる可能性がある。


(……行けっ!)


 小さく腕を振って遥かに上の虚空へと石粒を投擲……しようとした瞬間、


(!?)


 ゾクリと背筋に悪寒が走る。

 まるで、氷の蛇が体を這っているような気持ち悪さに思わず体が硬直する。


「……ヒッ!?」

「な、なんだぁ!?」


 同じものを感じたのだろう。男二人が俄に騒ぎだす。


「……あぁ、やっと餌に食い付きましたか」


 雪白が静かに呟く。

 恐る、恐ると影から彼女の顔を覗き込み、そして、息を飲んだ。


(笑って……いる?)


 ガラス玉のような目を輝かせ、形の良い口は喜びにつり上がっている。

 人形のような無表情だった顔には、獰猛な笑みが浮かんでいる。


「クソッ! おい、一体どうなってんだ……」

「あぁ、そこ危ないですよ」


 グチョリ


 泥水のような音と共に雪白に掴みかかっていた男の体の下半身が消える。


「えっ、……あっ、ああぁ!?」


 地面に体が沈んでいくというあり得ない状況に、男はパニックになる。


「チクショウ! 離せぇ! 離せよぉ!!」


 地の底にいる何者かに必死に抗うが、その甲斐もなく上半身もずるずると道に沈んでいく。


「……ぅッぷ、……たす……け……」

「ひ、ヒィッ!」


 顔の近くまで沈んだツレを見て、腰を抜かしていたもう一人が這う這うの体でその場を離れようとする。……しかし


 グチョリ


「ガァッ!?」


 何かに引っ掛かったように、男が転倒する。

 そして、後ろを振り返り、足首まで沈んだ自分の右足をみて恐怖の声を上げる。


「あっ、ああぁ!? やめろ! 離せ! 離せぇ!」


 必死の形相で足を引き抜こうともがく。

 しかし、努力も虚しく瞬く間に足首から太股まで引きずり込まれる。


「イヤだ! イヤだ! 助けて! 誰か……」


 男の声が途切れる。

 体をしゃがんで小さくしながら、俺はじっと物陰で沈黙する。

 体の震えを抑え、ぎゅっと目を閉じる。

 声が漏れないように必死で両手で口を塞ぐ。


 恐怖、戸惑い、後悔。


 息を殺しながら身を潜めながら、一刻もはやく彼女がここから立ち去ることを祈る。


 ぴたり、とすべての音が止まり、静寂が訪れる。


(……終わった……のか?)


 ゆっくりと目を開けて、顔を上げる。

 路次を抜けた先の裏通りの明かりが目に映り、


 グチョリ


「……は?」


 ズブッ、ズブッ


 得体の知れない何かが足に絡まる感覚。

 それに悲鳴を上げる間も無く、体が沈んでいく。


「……あぁ、もう一人いたんですか」


 路次の奥から雪白が現れる。


「……雪……白」

「おや、私の事を知っている方でしたか。同じ大学の方ですかね? でもまぁ、もう関係ありませんが」


 雪白は、涼しい顔で此方を見下ろす。

 先程見えた笑みは既に消え失せ、変わりに感情の読めない瞳がこちらを見据えている。

 まるで、実験動物でも眺めるようにも見える澄まし顔に、混沌とした感情が怒りへと変わっていく。

 首から上を懸命に動かしながら有らん限りの感情を混めて睨み付ける。


「……の……やろ!」

「まぁ、貴方には特に恨みはありませんが、これも世のため人のためって奴です。……別に好きなだけ恨んで下さってもかまいません」


 ゴボッ


 止めとばかりに、一気に体が引きずり込まれる。


「※※※※※」


 最後に雪白が何かを告げる。

 しかし、それを確認する間も、考える間もなく。

 猫谷の意識は暗い闇へと沈んでいった。

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