アイス・大福トライアル
真花
アイス・大福トライアル
世界が溶ける日がいつか来るとしたら今日に違いない。
大学の文芸部、クーラーの壊れた部室で気休めに開けた窓に腕を引っ掛けながら、正太郎は陽炎を探しながら思考をやめていた。
ドタドタと足音。ノックもなく文太が入ってくる。
「おい! 暑いな」
「暑いな」
「いいもんがあるぞ」
文太はビニール袋からアイスクリームと大福を出して、テーブルに置く。
アイスは分かるが何故大福? でもアイスは有り難い。
「ほら、大福を食えよ」
文太が右手にむんずと大福を掴んで差し出す。
「いや、俺はアイスがいいな」
「暑いときは大福だろう」
「じゃあ何でアイス買って来たんだ?」
「大福が一つしかなかったから、次善の策としてアイスを買ったんだ。だが、より良いものを友人には食べさせたい」
キメ顔の文太。大福の圧力がもう一段階増す。
「俺にとってはアイスの方がより良いよ……」
「ふむ、そうか。じゃあアイスをやるよ。悪いな、俺が大福を取ってしまって」
「いいよ、ありがとう」
文太は暑気の中のオアシスを貪るように大福を食べる。
正太郎はアイスを咥える。涼を取るとはこう言うことだ。
でも、暑いのは暑い。
口の中で涼が消えてゆく。
「何で大福なんだ? 分からん」
「何で、って、子供のときからそうだよ」
「習慣って奴か?」
「習慣も何も、常識だし、実際に暑さが和らぐじゃないか」
文太は自信満々だ。
「暑さに効くかは今度試すとして、常識というのは信じられないな」
「疑うのか?」
「俺の常識にはないよ」
文太は首を捻る。ふむ、と言って一人頷く。
「じゃあ、街の人に訊いてみればいい」
アイスと大福、どちらが今日と言う日に適した食べ物であるかを調査するためのトライアルを行うことに決定した。
ただ訊くだけでは信憑性に欠けるので、アイスにも大福にも関係のないアンケートをして、回答のお礼としてアイスと大福のどちらか一つを選んで貰う、という形式にする。とは言え折角のアンケートなので、二人が本当に知りたい内容である「大人とは何か」を質問と設定する。場所は校門の外、学校を囲む壁の前で商店街に近い側で、人通りがそこそこある所にする。
アイスと大福、十個と十個。部室にあったビールケースと板を手に目的地に向かう。
ビールケースの土台に板を渡し、文太がどこからか持って来たパラソルを立てる。これまた文太がどこからか持って来た模造紙に大きく「『大人とは何か』の質問に答えて頂いた方にお礼として『アイス』か『大福』のどちらかお好みのものを進呈します」と書く。
もし理由を問われたら「研究目的」と答えることにして、正午、トライアル開始。
一瞥されるだけで誰も声を掛けて来ない。
「呼び込んだ方がいいのかな」
正太郎が弱気な声を上げる。
「まだ十五分だぞ。のんびり待とうや」
文太がどっかりと座り直す。
そこに、ひょっこりと十歳くらいの男の子が覗いてくる。
「お兄ちゃん、僕でもいいの?」
「いいよ、もちろん」
正太郎が笑顔で応える。
「大人ってのはね、ちんこに毛が生えたら大人だよ」
正太郎の笑顔が引きつる。
「貰っていい?」
「あ、うん、そうだね」
「じゃあ、大福貰い!」
男の子は板の右端に積んである大福を一つ掴んで、へへへ、と笑いながらたったと走って行った。
文太はノートに「ち、ん、こ、に、け」と言いながらメモを取っている。
いや、ちんこより大福が問題だ。
「文太、大福取ってったよ」
「いや、だから当然だって」
きっと少年はさっきアイスを食べたばかりだったのだ。
次に興味を示したのは、高校生かな、男子の二人組だ。メガネと角刈りで、メガネの方が前に出る。
「あの、どうして道端でこんなことをしてるんですか?」
文太が応じる。
「研究だよ。大人とは何かを知るために、より多くの人の意見を集めているんだ」
「そうですか。……じゃあ、勇気を持って言わせて頂きます」
正太郎は何を言うか想像出来てしまった。
「セックスをすることだと思います」
やっぱり。
角刈りも同じ意見とのこと。二人共、目が真剣だ。そうだよな、未知の世界だよな。
「なるほど。二人揃ってそう考えるんですね」
「はい!」
返事の熱が彼の中に滾っているものを映し出している。
「ありがとうございます。大変参考になりました」
二人は出した勇気の分の報酬を既に得たような笑顔になっている。
「では、アイスか大福を」
「じゃあ、大福を」
「僕も」
「え、本当ですか?」
思わず大きな声を出してしまった。メガネが一瞬ビクッとしてからおずおずと訊いて来る。
「だめですか?」
「いや、すいません。どうぞ、もちろんどうぞ」
また大福が売れた。文太はメモを取っている。
文太の言うように大福は夏の食べ物なのかも知れない、若者にとっては。
三人目は大学の同級生。
「よう、正太郎、何やってんの?」
趣旨を説明したら、身を乗り出して話し始める。
「確かに、俺らの年代では考えなきゃならないことの中心にあるものの一つだよな。広くその意見を集めるというのはいいアイデアだと思う。でも、それだったらクラスでやってもよかったんじゃないのか。一声掛けてくれれば協力したぜ? 俺は」
ほぼ悪ノリで始めていて、本当はアイスか大福かのトライアルとは口が裂けても言えない。
「まあ、とにかく、その質問の答えは、独立だよ。精神的、経済的、物理的な、ね。」
「もう少し詳しく訊いてもいい?」
正太郎が訊き、文太がメモを取る。
「分かり易い順に言うと、物理的な独立ってのは親元から離れるってこと。経済的にってのは、金だから、結局仕事をすると言うことになるだろう。精神的ってのはその上にあるもので、これが成されると本当の独立ってことになる。その精神的独立については、自分で決めて、それの責任を取るってことだね」
ちんこに毛の男の子も、十年後にはこういうことを述べるのだろうか。
それはそうと彼の弁は理解し納得出来る内容だ。自分も同じ学生で、同じ立場で、成し遂げなければならないものは独立だと思う。今、自分が思っている「大人とは」にほぼ合致する答えだ。
「じゃあ、お礼のものを」
「おう。大福一個貰うよ。じゃあな」
正太郎は、いいかげん諦めようと思った。大福はスタンダードなんだ。青年までは。
文太がやっと書き終えて、ふう、とため息をつく。
四人目は三十前後の女性だ。指輪を右手の薬指にしていると言うことは独身なのかな。時刻は二時になっている。平日のこの時間に道を歩いているって、何をしている人なのだろう。
「こんにちは」
笑いかけて来たその笑顔に、正太郎は「可憐」と心の中で叫ぶ。何をしてる人でもいいや。
「はい」
「面白いことしていますね」
「ありがとうございます」
「答えてもいいかしら」
「喜んで」
「大人になるってのは、親になるってこと、と私は思うわ」
文太が「親」と書く。
「どうしてでしょうか?」
「親になることで、自分以外の命と人生の責任を、本当の意味で取るようになるから。もちろんその前提には自分と同等に相手の命と人生の責任を取る、パートナーが必要だけどね」
薬指を見てはいけない。今は、絶対に。
「責任の範囲が自分自身を越える、と言うことなんですね」
「そう。そうなることで、より負担は大きくても、大人になると思うわ」
「なるほど」
「じゃあ、ご褒美もらって行くわね」
「アイスもありますよ」
「ありがと、でも大福がいいわ。それじゃ、失礼します」
正太郎は文太に、素敵な人だったな、と同意を求めたが、文太は、そうか? とそっけなく、メモから目を離さない。いつの間にかトライアルの目的が本当に大人についての調査になって来ているように思う。
大福の売れ行きがやっぱり正太郎には不思議でしょうがない。
五人目は若いおばさんと言うか、四十代の女性。
答えは「諦めること」
諦め受け入れることが隅々まで広がってゆくのが大人になることだと言う。
大福。
六人目は同じく四十代のおじさん。
答えは「欲望を満たす,力、金を得ること」
そのうらぶれた外見からは、絶対にこの人はそれを持っていないだろうと確信する。
大福。
七人目は五十代くらいのおじさんで、強かに酔っている。
答えは「全部忘れちまうこと」
目的か結果か分からないけど、アルコールがそれに一役買っているのは間違いない。
大福。
八人目は恐らくリタイア後の男性。
答えは「飽きた中でもそれなりの楽しみを見つけること」
リタイア直前くらいなのかも知れない。人生に飽きたのか、仕事に飽きたのか、恋に飽きたのかは語ってくれなかった。そのそれなりの楽しみも語ってくれなかった。
大福。
九人目。三十代の多忙ですという雰囲気をビンビンに出している男性。何故このトライアルに時間を割いたのか分からない。
答えは「嵐のような毎日の中でも、ほっとする時間を見付けると、それが大人の時間で、そういう時間を持つようになるのが大人」
正太郎がそう言う時間をどうやって取っているか訊くと、彼ははにかみながら「残念ながら取れてない」と答えた。
大福。
気が付けば時刻は五時。文太がメモを見て、うんうん頷いている。
「正太郎、大人とは何か、の質問の答えに傾向があるぞ」
「本当?」
「うん。皆、きっとちょっと先にはあるが、今は自分にないものを欲しがっている。そしてそれはなかなか手に入り辛そうだ」
回答とその人物を思い返す。全員は覚えていないが思い出せる範囲で反芻する。
「そうか……確かにそうだ」
「存外、大人のイメージってのはそう言うものかも知れないな。ずっと遠くにある理想像なんて見えやしなくて、半歩先のところまでしかイメージが出来ない」
「その半歩先は自然には到達できない。半歩なのに、手に入れ難いものなのか」
文太が大きく頷く。
「そうだ。そうに違いない」
「それなら、人ごとの、世代ごとの言うことの変化も説明ができる」
「これはなかなかの発見だぞ」
「なかなかだな」
笑いが込み上げる。文太も同じようだ。大発見だ、大発見だ、と言い合いながら暫く笑い続ける。
一息付いたところで文太が時計を見る。
「そろそろ店仕舞いにしようか」
正太郎は合意し、片付けを開始する。
「文太、俺は今日一日の大福の売れ行きを見て、大福が食べたくなっているよ。」
「じゃあ、大人とは何かを言わなくちゃ」
来たのは九組だが学生が二人だったから、大福十個は売り切れている。
「もうないだろう?」
文太はふふっと笑う。
「じゃあ俺が言おう。大人とは、大福を欲するものだ」
そう言って袋を出す。
「ちゃんと半歩先に用意してあるよ」
文太は袋の中から大福を二つ取り出した。
(了)
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