『we're Men's Dream』 -type C-

澤俊之

第1話『we're Men's Dream』 -type C-

 十月のはじめ、クルマのトラブルで、山奥で遭難しかけていたウチら三人のバンド・メンバーは、たまたま居合わせたおねえさんに助けてもらうことになった。山小屋に案内され、風呂まで用意してくれた。五右衛門風呂というヤツ。辺りには薪が燃えるいいにおいがただよい、朝もやに溶け込んでいく湯気もあったかそうだった。

 たまらなくなったウチはデッキに衣服を脱ぎ散らかして、さっそく入浴。が、五右衛門風呂のフタがウチの体重ではうまく沈まない。思わずひっくり返ってしまい、へりに頭を軽くぶつけ、朝日に思い切りお尻をさらしてしまった。見かねたおねえさんが、一緒に入ってくれることになる。ふたりいっしょにフタへ乗っかり、ゆっくりと風呂に沈んでいく。湯はちょうどいい加減の温度で、最高に気持ちよかった。車内泊で芯まで冷え切った心と体が弛緩する。

「うー、しみるっ、あったけー」気持ちにゆとりが出てくると、次第におねえさんのDくらいあるおっきな胸が気になってしょうがなくなってしまう。「ん? おねえさん、胸、でかいっスね……。触ってもいい?」といいながら、お湯の中で浮いているおねえさんの胸に手を添えて軽く持ち上げる。不意をつかれたおねえさんは、思わずに変な声を出した。かわいい。ウチはおねえさんに挑発的な目を向けながらいう。

「わぁ、思った以上の感触! やっこいっすね~。……ウチのも触ってみる?」

 おねえさんは、ちょっとうろたえながらも、遠慮がちにウチの胸をちらちらと見る。

「……あ、あなたのも……いい形してるよ」

 おねえさんはそう言いながら、両手をへりに載せ、目を閉じる。動揺を抑えるために落ち着こうとしているみたいだった。ウブだなあ。そういえば、ウチもあの時、目を閉じて心を鎮めていたっけ。


 ウチは小学生のころ、地元名古屋の少年野球チームで唯一の女子だった。そして投手。

 中日ドラゴンズファンの父に「龍子(リューコ)」と名付けられていた。

 三歳年上の兄「一樹(カズキ)」は中日ドラゴンズの打撃コーチと同じ名をもらっていたけれど、全く野球に興味を示さなかった。父の期待はウチに寄せられていた。


 小学校六年生最後の試合、最終回。点差は7-6とリード。ワンアウト一塁・三塁。

 少しだけ野球帽を目深にかぶりなおし、目を閉じて心を鎮める。一塁側から微かに違和感のあるスパイクの音が耳に入る。投球モーションに入ると、気配が動いた。目を閉じたまま、体幹を活かして、ショートに向かって送球する。

 一塁側審判の右腕が上がる。思惑通りに刺した。盗塁を阻止して、ツーアウト。歓声が上がるも、すぐに場は緊張感に包まれる。ここぞという時には目を閉じ、集中力を高めて投げるのが、ウチの得意技だった。帽子と前髪で隠してやっていたので誰にもバレてはいない。

 縦スライダーとチェンジアップで、空振りを続けて二回獲る。兄のノーパソを借り(カズ兄の主目的はエロサイト巡回だと知っていたので、ログインのアカウントは別にしてもらっていた)、Youtubeで球種をトレースして特訓を繰り返していた。超小学生級投手、裏の一面だ。再現できるまで自身に叩き込んだ。

 あと一球で勝負が決まるだろう。いや、決めてみせる。一度だけ目を開けて周囲を確認し、また目を閉じて集中をする。次はド真ん中のストレートだ。セコい手は嫌いだった。勝負時にはストレート。これでストライク、バッターアウト、勝利、だ。残ったランナーは、さっきの牽制球を見て、警戒しているのがわかる。打球音がしなければ、永遠にベースに拘束されるがままだろう。

 集中力が最大まで高まると、応援や歓声が完全に消えていく。すっと鼻から短く息を吸う。ウチは全身全霊を込めて、小学校最後の球を投げた。オマエのバットはウチの球に掠りもしないぞ。

 スパン! ミットの小気味良い音が鳴る。ウチは目を開いた。ストライク、バッターアウト。

 一瞬おいて、場内が大歓声に包まれる。勝利。これまでで最もキレのある速球だったと思う。チームメイトたちとハイタッチを交わす。観客席にはドラゴンズのユニフォームを着た父が、ちぎれんばかりに腕を振っている。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

 この二年後、中日ドラゴンズにラウル・バルデスが入団。その後、とある試合で、バルデスは、ウチがやっていたのと同じ「心眼投法」を披露し、注目を浴びる。

 中学生になっても野球は続けたが、二年生になる前にやめた。そのあとも続けていれば、「バルデスに先んじて心眼投法を編み出した女」を自称することもできただろう。しかし、小学生の頃とは違い、中学生ともなると、男子との体力差は、あきれるほど大きくなる。半年ほどで、格下だと思っていたタメの男子にガンガン打たれ、ガンガン獲られ、まったく歯が立たなくなっていった。つまらない。やっていられない。野球を味わえない。

 応援してくれていた父の期待を裏切る形になってしまったけれど、どうしようもなかった。リューコの龍の字が泣いていた。父には代案として女子軟球を勧められたけれど、ウチにとっては妥協でしかないので首を横に振った。首を横に振るヤツはピッチャー失格だ、と誰かが言っていたような気がする。ウチは他人から失格を与えられる前に、自分から降りた。


 中学二年になった。野球は辞めていたけれど、毎朝のランニング、ピッチング練習、バットの素振りは続けていた。習慣とは怖いものだ。囚われていた、という方が近い。三つ子の魂、百まで。

 中学校のマラソン大会は女子・男子に分かれていたけれど、毎回トップだった。それだけの修練を常にしていたから当然の結果だ。できれば男子にも混じって、男子をひれ伏せさせたいという願望もあった。

 気づくと胸のふくらみも大きくなり、ピッチング練習の時、邪魔に感じるようになった。生理もはじまり、その前後は全く運動する気にもならなかった。どんどんと野球から遠ざかっていく気がした。そのせいもあって、だんだんと日々のトレーニングが億劫になり、ヒマを持て余すようになっていく。


 一方、三つ年上の兄、カズキはバンド活動に明け暮れていた。担当はエレキベース。いつも充実した表情をしていて、正直少々まぶしかった。夜中でもボンボンとアンプを鳴らすので、父とよくケンカをしていた。せっかくオトコに生まれたのに野球をしないなんて。ウチは兄と性別を替わって欲しかった。そうすればウチは夢を続けられたはずだ。兄がオトコであることも、自分のしたいことが出来ているのも、うらやましくてしかたがなかった。

 とある日、大手ホームセンターの店長をやっている父が、残業で深夜まで帰らなかった。相変わらず兄は、夜中でも我関せずにエレキベースを自室で弾きまくる。ウチは習慣だったトレーニングから離れていたせいで体力を持て余していた。生理前だったこともあり、メチャクチャカンに障った。コントロールが効かず、兄の部屋のドアを思い切り開け放つ。

「うるせぇんだよ、カズ兄! 何時だと思ってんだよ!」

 兄は、ウチを見て一瞬呆けたような表情になったけれど、ほくそ笑みながら演奏を再開した。

「ざっけんじゃねえよ!」

 ウチは兄にとびかかった。ウチがベースのネックをつかんでも冷笑を崩さなかったので、さらにアタマへと血が昇る。右拳を握って振りかざし、兄の顔面を殴りつけると、鼻血が流れだす。血を見たウチはさらにヒートアップしてしまい、ありとあらゆる箇所を殴りつける。

 ウチは体力の限り、怒りを兄にぶちまけ、荒がる息を整えるため深呼吸をした。

「……いってぇ、さすがの握力とスナップ。効いたぜ、リューコ」

 兄は、憎まれ口をたたきながらベースのストラップを外してベッドわきに置く。その時、違和感を覚えた。全身殴りまくったはずなのに、両手は無傷。そういえば、手を使ってガードすることもできたはずだ。ウチの目線に気づいた兄が続ける。

「リューコ、デケぇ音で悪かったな。でもな、俺には夢があるんだよ。そのためには常に鍛錬が必要なんだ。……前のオマエだったらわかるはずだ」

「……わかったようなクチきいてんじゃねえよ……」

 ウチはそう言いながらも気づいていた。殴られ続けても手を使ってガードしなかった理由。兄はベースを弾く手を守るために、ウチからの殴打に身をさらしたんだ。自分の夢のために。呼吸が整ったウチは少し平静を取り戻した。

「リューコ。一度でいいからよ、『俺の夢』がどんなか見てくれないか」

 兄はそう言って、壁にかかっていたスカジャンから短冊のような紙を取り出し、ウチに手渡した。「モン・レーヴ、ファースト単独出演ライブ。11月12日 18:30会場、19:00開演 ドリンク・チャージ500円(税込み)」と書かれていた。ウチは思わず声を出して読む。

「……モン・レーヴ? って、カズ兄のバンド?」兄は鼻血をぬぐいながら、黙ってうなずく。ウチは続けて聞いた。「モン・レーヴって、どんな意味だよ。スカした響きだな」

「まさに『俺の夢』って意味だよ。フランス語」

「はん、やっぱりスカしてやがる」

 それを聞いた兄は笑いながら答える。

「いちおういっておくけど、俺のつけたバンド名じゃないからな。……ドリンク代くらい出してやるから、来いよ」

 ウチは受け取ったチケットをジーパンの尻ポケットにねじ込んで自室に戻った。ベッドで仰向けになり、くしゃくしゃになったチケットを広げて、ぼんやりと眺める。

「……モン・レーヴ……俺の夢……」

 兄を殴って発散できた体が、ほどよい疲労感を伴って、眠りの世界に吸い込まれる。兄がベース演奏を再開したようだったが、どんどんと音が遠ざかっていった。


 十一月十二日。中学校の放課後。いったん帰宅して、制服からパーカーとジーンズに着替える。兄に誘われたライブ。全く行く気はなかったけれど、体がそうは言っていなかった。行かなければ、夜も眠れなさそうだ。しぶしぶと身支度をして、玄関を後にした。


新栄町近くのライブハウス「名古屋ハートランド」。大きさこそ、たいしたことはなかったけれど、開場前から長蛇の列。そのせいか、開場時間を前倒して入場がはじまった。ウチが野球をやっていたころよりは少ない観客だろう、と、過去の栄光を胸によぎらせながら入場する。

 はじめてのライブハウスは勝手がわからなかったけれど、前の客がするように受付へとチケットを出して、ドリンク・チャージの500円玉を手渡す。店員がメニューを見せてくれたので、烏龍茶を頼んだ。

 オールスタンディングの会場内には、おそらく二百人以上の観客がいた。場内の空調は効いていたようだけれど、汗が出るほどの熱気に包まれていた。やがて、照明が落ちる。ステージの中央がスポットライトで照らされる。そこには、腰まである髪を揺らして、こちら側を見据える若い女性の姿があった。

「メルシ。サヴァ? 今日はわたしたちだけのステージ。モン・レーヴ、ご賞味あれ」

 女性がそういった瞬間、照明が全開になる。鯖(さば)? ウチはサバが嫌いなので、ご賞味できないな、と、思っていると演奏が始まった。向かって左手でカズ兄がエレキベースを爪弾いていた。家で聴いていた数百倍の音量に感じた。間違いなく、兄は、自身が求めていたマウンドに臨んでいる、そう直感した。

 激しいドラムの生音に負けないベースプレイ。これまでのウチにとって「ベース」とは踏むもの、スライディングして目指すもの、そして、そのどちらをも阻止するもの、という野球脳が生み出す単語でしかなかった。しかし、兄のそれは違うものだった。

 ベースとドラムこそ大胆な演奏だったけれども、その上に重なるギターの音はどこか繊細だった。ギタリストがフェンダーの真紅のテレキャスで、美しい和音を奏でる。女性ボーカルが、甘い声色で歌い始めた。

 ウチにとって初めてのライブサウンド。圧倒的だった。煽情的なリズム帯と、それを乗り物にして軽やかにハーモニーとメロディを響かす歌とギター。兄がいう、夢、という言葉には誇張がなかった、と感じた。モン・レーヴは、彼らの夢でもあり、ウチの夢にも等しい存在感を、これでもか、と、この空間に飛び散らせていた。キレイだな、と思った。特にボーカルの女性と、飄々と難しそうなプレイをするサラサラヘアのイケメン風のギタリストは、浮世離れした美しさだった。こらえきれない美しいサウンドとビジュアル。ウチは思わず、去りしときのマウンド上のように目を閉じた。やがて、ライブは終わる。


 あれは夢だったのだろうか。どうやって帰宅したのか記憶にないまま、自室のベッドで目が覚める。モン・レーヴ、やはり夢だったのかもしれない。

 リビングに下りると、すでに出勤していた父が用意してくれていた朝食が卓上にラップされていた。六枚切りの食パンをトーストして、それらと一緒にもぐもぐと食べる。まだ目は醒めない。二階から階段を下りてくる足音が聞こえた。

「よお、おはよ、昨日は来てくれてありがとな。どうだった?」

 兄があくびを噛み殺しながらそう言った。

「……よく思い出せない。なんだか夢見てた感じだったな」

「だろ? だから、モン・レーヴ。俺の夢、なんだよ」

「カズ兄は、夢をかなえる場所を見つけたんだね。ウチは……」

 言い淀んでいると、兄が手のひらを向けて制した。

「ああ、わかってるぜ。だったら、また見つけりゃいいだろ? いちおうリューコの兄貴なんだからさ、こう見えていろいろ考えてるんだぜ」

 考えているようにも思えなかったけれど、昨日の夢が現実ならば、現実は夢になりうるのだろう。モン・レーヴ。

「今日の午後、バンドのミーティングあるから、オマエもこいよ」

 

十一月十三日、午後三時。自宅から最寄りのコメダに集合した。奥のテーブル席から、昨日の夢で見た女性が手招きをしている。まだ夢の中? 場違いな気がしながらも、メンバーたちと同席する。

 ボーカルの女性は玲(レイ)、ギタリストは紡(ツムグ)、ドラムスは史郎(シロー)と紹介をされる。レイが口を開く。

「あら、カズ。こんなかわいい妹さんがいたのね」

 くくっ、とレイの隣にいたギタリスト、ツムグが笑う。

「鼻の形とか、そっくりだよ。かわいいね」

 ツムグはそういうが、前日の殴打で若干いびつにしてしまった鼻の形をほめられても、あまりうれしくはない。ウチは声が震えるのをおさえて言う。

「……モン・レーヴって、夢? だっけ? って、カズ兄から聞いたけど、ずいぶんスカした名前っスよね」

 それを聞いたメンバー一同はお互いに顔を見合わせる。答えたのはツムグと呼ばれたギタリスト。

「バンド名はボクのアイデアなんだ。夢をかなえる。ボクの夢。ドリームとかダイレクトすぎるから引いちゃうでしょ? だからフランス語にしてみたんだよ」

「そーゆートコが、スカしてるんじゃないっスか?」

「名前なんてどうでもいい。結果についてくるんだよ。名前っつうのは」

 ドラムのシローが、コーヒーカップに目を落としながら、静かに言った。

「カズからいろいろ聞いてるよ。リューコちゃん。夢。探しているんだっけ?」

 レイがツムグの左腕に手をまわしながら、言った。ちょっと胸がうずいた。イケメンとか、別に全然興味ないし。レイは、これ見よがしにツムグの腕に胸を押し付けていた。

「たぶん、僕はリョーコちゃんに新しい夢を示せると思うよ」

 サラサラヘアを右手で払いながらツムグが言った。

「はあ? 夢とか、カンタンじゃねえから夢なんじゃねえっスか」

 そう言いつつも、ツムグの目に引き込まれてしまう。

「カズくんから聞いていたけど、天才球児だったんでしょ? だったら、かなえられる夢はあるよ」ツムグが壁に立てかけていたギターをケースから取り出す。「コレ、貸してあげる。たぶんリューコちゃんの夢はこれで紡(つむ)げるよ」

 モン・レーヴのステージ上で、ライトを浴びていたギター。放心したまま、ツムグから差し出されたそれを受け取る。


 父がケンカする対象にウチが加わった。夜中でも爆音ベースを鳴らす兄、それに合わせて、思い切りギターへスナップをかますウチの音。なんとなく、頭上に漂っている夢を引き寄せるには今しかないと思っていた。


 月一のモン・レーヴ単独ライブに通う習慣がついてしまった。

 ライブ後にはツムグさんからギター、レイさんからは歌と勉強(と、ちょっと怪しいフランス語)を教わった。でも、どうしてもツムグさんやレイさんのように繊細な音楽を奏でることが出来ない。

「どうしたら、レイさんみたいなキレイな声になるんだろう」

「私もリューコちゃんみたいなハスキーで歌いたいって思うときがあるよ。でも、それはできない。リューコちゃんはリューコちゃん。私は私」

「どうしたら、ツムさんみたいにクリーンなギター弾けるんだろう」

「リューコちゃんのいいところは、力強いスナップ、あとは、演奏にためらいがないところだよ。……スカした僕にはできないこと」

 モン・レーヴはたしかにスカしている名称だし、イケメンの見た目もスカしていたけれど、ツムさんの美しいギタープレイは、ウチに夢を見せてくれていたはずだ。


 気が付くと中学三年生。進路決定を余儀なくされていた。

 家庭教師をしていたレイさんのおかげだろうか。いつの間にか、定期試験の点数は学内上位になっていた。

 ウチは軽音楽部がある東海学園高校に進学した。


 夕餉に赤飯を炊かれたのは三度目。小学校の時に野球で勝負に勝った時、生理がはじまった時、そして今回高校入試に合格した時。どれもこれも恥ずかしい祝福だったけれど、父は忙しい身の中でウチを気にかけてくれていたので、黙って受け入れていた。大量に炊かれた赤飯はその晩だけでは食べきれなかったけれど、翌日の朝におにぎりにして出された。

「リューコ、合格おめでとな」

 兄が、あたためなおした味噌汁をすすりながら言った

「……うん」まだ野球にかわる新たな夢には至っていないけれど、なんとなく近づけた気がしたのは、兄のおかげ。そして、レイさんやツムさんのおかげだったと思う。「……あ、ありがと」

 兄は、ウチの言葉に気づかないフリをして言う。

「言い忘れてたけど、……モン・レーヴ、解散することになった」

「ええ!?」


 兄が玄関先に置いてあったギターケースを手渡してくる。

「なに、これ?」

「見りゃわかるだろ、ギターだよ、ギター」

 ウチはそれを受け取って、ソフトケースのジッパーを開ける。収まっていたのはツムさんの愛器、フェンダーUSA、真紅のテレキャス。

「ツムさ、イギリス行っちまった」

「??? どういうこと?」

「あいつ、留学する予定だったんだ。イギリスのオックスフォード大学、だったかな。これ、リューコに弾いていてほしいって置いてった」

 ウチはその真紅のボディを、ひとなでした。ネックを持つと、丹念に手入れされていたのがわかる。

「なんで、ウチに……?」

「たぶん、いちばんコイツを活かせるのがオマエだと思ったんだろ? 楽器は弾いてナンボだからなあ」

「……レイさんは?」

 そう聞くと兄はいったん押し黙る。

「レイはツムの留学を応援するって言ってた。大学が終わるくらい待てないのは彼女とは言えないよ、ってな」

 やっぱり、ツムさんとレイさんは恋人同士だったんだ。少し胸の奥がちくちくする。高価なギターを遺されたことも手伝って、胸の痛みは強くなる。なんだか、焦らされている気もした。


 ウチは予定通り、高校へと進学をし、軽音楽部に身を置いて名を馳せる。一年生だったので、高学年生からは、やっかまれたが、歌唱力と演奏力でねじ伏せた。でも、そんな日々が終わるのは思っていたよりも突然、かつ早かった。高校一年の冬、父に辞令が下った。父が務めている大手ホームセンターは全国展開をしている。兄もウチも手がかからなくなっていたおかげで、父は仕事をがんばった。そして、そのがんばりが実ってしまい、支店の中で最も規模が大きい東京への転勤を命じられた。世にいうところの栄転。が、我が家は父子家庭で、母はいない。さびしがり屋の父は、到底単独で上京などできない。

「リューコ、とうさんといっしょに東京行ってくれないか?」

 その昔、野球をあきらめたうしろめたさも手伝い、父の要望に抗うことができなかった。もとより、父をひとりにさせるということも考えられなかった。


 高校二年生になるタイミングで転校した。父の上役のコネも手伝ったのか、もといた名古屋の高校と、同等レベルの女子高校に入ることができた。転居と転校は譲ったけれど、もちろんすべてを譲ることはできない。せめて軽音学部は速攻で体験しておこう。そう考えたウチは、初日からギターケースを背負って登校をした。


昼休みになると、遠巻きに視線を感じた。ギターを背負った転校生。まるで漫画の世界だ。その中から、特徴のある見た目のふたりがウチの机に近づいてきた。太っちょと、モデル体型の金髪。太っちょが口を開く。

「ねえねえ、リューコちゃん、ギターケース持ってるけど、ギター弾けるの? ボクはマコ、ドラム担当。こっちの子はヌイちゃん。ママがフランス人。ベースやるんだ」

「ドモ、ハジメマシテ、ヌイ、イイマス」

紹介された外人顔、金髪のヌイは片言で答えた。

「ああ、……ついでといっちゃあなんだけど、歌も歌えるぜ」

ウチがそう答えると、ヌイとマコは目を輝かせて、お互いを見つめあった。

「ところで、ヌイ? フランス人のハーフっつったっけ? 『モン・レーヴ』って意味わかるか?」

「てへ、フランス語っぽいけど、わっかりませーん」

ヌイは流暢な日本語で答える。……からかわれたのだ。

「リューコちゃん、いっしょにバンド組まない?」

 巨大なアルマイト製のドカベン片手にマコが言った。安定感がある。

「……いいぜ、いっぺん音合わせしようか」


 マコ自宅にある、父親のスタジオ(二十畳くらいある)に招かれて音合わせをした。

 曲はニルヴァーナ、スメルズ・ライク・ティーン・スピリット。なぜなら、ウチの岩隈(いわくま)ばりのスナップと、ハスキーボイスを最大限に活かせるから。

 マコのフォーカウントの後、ローコードのFメジャーをストロークする。

 三人でスタジオ内をグランジサウンドで満たす。マコ、ミコ、どう見ても異質な異邦者(ウチ)に、屈託なく声がけしてくるだけあって、生半可の演奏力ではなかった。ゆるぎない自分を持っているんだろう。演奏後、マコがシンバルをつまんで消音する。この瞬間、彼女らとのバンド結成は決定的になった。ウチはすかさずに言う。笑みが隠せなかった。

「……さて、と、バンド名どうしようか」

「リューコちゃん、決めていいよ」

「……夢(レーヴ)、が入るのがいいな。レーヴは男性名詞。……ストレートで恥ずかしいけど、「メンズ・ドリーム」ってどうかな。女のウチらが、オトコに代わってロックで夢をかなえてやるって感じで」

 野球での挫折。女ゆえに夢が果たせなかったこともアタマによぎる。ツムグのことも。

「じゃあ、きまりだねっ!」

 マコとヌイが両手をあわせて飛び跳ねる。一瞬、その背中に天使の羽根のようなものが見えた。錯覚だろうと思ったけれど、新たな夢に、ほんの少しだけ近づけた気がした。


 思い出に浸っていると、五右衛門風呂の温度でちょっとのぼせてきた。おねえさんも、ぼーっとしている。

「……おねえさん、おねーさんってっば」

 ウチがおねえさんの胸の先端を指でなぞってみると、ほえっ、とあえいで、目をぱちくりとさせる。我にかえったようだ。

「ご、ごめん、なんかぼーっとしちゃって」

「そのスキに思う存分触らせてもらえたんで大丈夫っス」

「……その分、私のも触ってもらっていいっスからね」

 と、言いながらおねえさんの右手首をつかんでウチの胸に添えさせる。

「……うん、気持ちいい感触だね。すべすべ。若いっていいなあ」

 おねえさんは、何かを吹っ切ったように、冷静になっていた。なに考えていたんだろ?

 五右衛門風呂のおかげで、暖気は充分。明日のライブでは、オトコには果たせない夢を見せてやる。ウチは湯舟の中で両手指を鳴らした。


<了>

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『we're Men's Dream』 -type C- 澤俊之 @Goriath

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