第23話 内務省に江藤新平の梟首写真が掲げられた事とその顛末
「なんだ、この写真は!」
内務省の一室に江藤新平の梟首写真が掲げられているのを見て、
江藤の梟首写真が街中で売られているという話は耳にしていた。
県庁などの役所に配布されているということも小耳に挟んでいる。
それは今まではまだ噂話だった。
しかし、今は河瀬の勤務する内務省に、その写真が掲げられてあった。
「江藤に対しての刑罰はすでに終わっている! かくのごときものを衆人へ示すために提示することは、刑罰を増加するに等しい! 速やかに撤回すべきである!」
梟首は死後まで人々にその首を晒すという、斬首より厳しい刑である。
最も重い罰を受けながら、さらにその場にいない人にまで晒した首を見せつけるというのは、さらに刑を科しているようなものではないかと、河瀬は怒っていた。
「どうした、早くこれを引っ込めろ」
そう河瀬は命じたが、誰も江藤の梟首写真に手をつけようとしない。
河瀬は
その立場の人間が命じているのだから問題ないだろうと思った河瀬だったが、内務省の役人たちは互いを横目で見つつ、動こうとしない。
「なぜ、江藤の写真を外そうとしない」
「それは……上の方の許可が必要ですので……」
言葉を濁しているが、河瀬にはその意味が分かった。
内務大丞の河瀬が命じているのに外せないということは、つまりはそれより上の、内務卿、内務大輔、内務少輔、いずれかの人間が江藤の写真を掲げたということである。
「……踏み台になるものを持って来てくれ」
それぞれの役人にも立場があるだろうと、河瀬は無理強いせず、台だけ持ってくるように言った。
そして、その台に乗り、河瀬が自らの手で、江藤の梟首写真を外してしまった。
河瀬の命令で写真を外さなかった者も、河瀬が外そうとするのを止める者はいなかった。
江藤に密に同情を寄せているものは多かったのだ。
後になって河瀬の行いを知ると、大いに称賛する人もいたほどだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○解説
これは伊藤痴遊が書いたものを元としてますが、河瀬は昭和3年まで元気に長生きしていたので、実際に本人から聞いた話かもしれません。
「内務省に江藤新平の梟首写真が掲げられていた」というのが新聞報道などだったら眉唾の可能性がありますが、当時、内務大丞の地位にいた河瀬の話となると、信憑性が高そうです。
河瀬は宮津藩の出身ですが、木戸孝允の妻・幾松の妹分・玉松を妻にもらっており、木戸家との縁も深い人です。
なお、この後、フィラデルフィア博覧会事務局長官、内国勧業博覧会の事務局長などをしているので、冷遇されたわけではないようです。木戸さんの力かもですが、良かった良かった。
明治・大正・昭和小話 井上みなと @inoueminato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。明治・大正・昭和小話の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます