第22話 「むすんでひらいて」の歴史
『むすんでひらいて』が初めてその題名で日本に姿を現すのは明治の終わり頃です。
明治42年の『幼児教育研究雑誌』の『幼稚園に於ける幼児教育の実際』の遊戯の項目の中に『結んで開いて』があります。
明治36年から明治42年くらいの間に『むすんでひらいて』は幼児教育の遊戯として加わったようです。
『むすんでひらいて』が多くの子どもに親しまれるようになったのは、昭和初期から10年くらいだという話もあります。
昭和2年に発行された『唱歌遊戯』には、現在の歌詞と同じく「むすんでひらいて てをうってむすんで」という歌詞で載っています。
(画像:https://kakuyomu.jp/users/inoueminato/news/16816700426553578549)
児童文化研究家の
明治の終わりに『むすんでひらいて』が幼稚園の遊戯に加わり、大正時代の本では定番として本に載り、それが昭和になって広まったという流れかもしれません。
現在も行っているところがあると思いますが、昭和前期には保育室に入ると、まず「むすんでひらいて」をさせて「その手を膝に」で、手をお膝に置かせて、教師に注目をさせるということをしていたそうです。
「むすんでひらいて」は江戸川双葉幼稚園のようなキリスト教の牧師が開いた幼稚園でも歌われていました。
昭和16年に開園した双葉幼稚園ですが、開園後1週間ほどで行われた初めての朝の会の様子についてこう書かれています。
“オルガンの歌に合わせて『結んで開いて』を歌いつつ遊戯する様、5、6、7歳の幼児にして、僅か一週間足らずの訓練で、よくもこうまで揃つて可愛いお手々を無邪気に敲き、お口いつぱい開いて上手に歌を歌えるものだ、と感心させられた”
『むすんでひらいて』は戦後の教科書、昭和22年の『一ねんせいのおんがく』に採用されます。
同じく『一ねんせいのおんがく』に採用された『ちょうちょ』は「桜の花の 栄ゆる御代に」を「桜の花の 花から花へ」に変えられました。
『ひのまる』も2番の「朝日の昇る 勢ひ見せて ああ勇ましや 日本の旗は」が変更になっています。
しかし、『むすんでひらいて』はそのまま採用されたようです。
『むすんでひらいて』は明治初期に讃美歌として日本に入り、明治14年の『小学唱歌集. 初編』で『見わたせば』という題名と歌詞がついて歌われるようになります。
ただ、明治28年でも日本のキリスト教徒は65000人くらいだったと言われているので、讃美歌として入った頃に聞いたのは極少数の人で、唱歌の『見わたせば』が、人々にとっては最初に触れた『むすんでひらいて』の曲だったことでしょう。
明治20年代には呉海平軍楽隊が海軍軍楽隊編曲の『戦闘歌』として歌詞をつけて、明治天皇陛下の前で奉唱します。
この曲に別の歌詞をつけた『海戦』があり、また、明治29年に新編教育唱歌集に入れられた『戦闘歌』は、軍歌ではあるものの海軍で歌われる歌詞とは違う歌詞でした。
明治37年の唱歌集ではむすんでひらいての曲に『花見』という題名と「山々にたなびく霞」という全く違う歌詞がつけられており、いろいろなバージョンがあるようです。
賛美歌だったものが、唱歌になり、軍歌になり、様々にパロディ化され、歌詞だけでなく旋律もアレンジされ、どんどん変質した後、明治の終わりに『むすんでひらいて』になったようです。
『戦闘歌』も讃美歌→唱歌と流れて出来たアレンジ品の一つであり、『むすんでひらいて』も同じくアレンジ品だったというわけです。
また『むすんでひらいて』が「ルソー作曲」だと言われたのはあくまで戦後以降の話であり、昭和22年の『学習指導要領音楽編』でも「外国民謡」と書かれており、明治大正も「誰の作曲かわからない外国の民謡」という感覚だったと思われます。
明治38年の『高等小学唱歌. 下巻』には『戦闘歌』という題名で「見渡せば寄せてくる 敵の大軍面白や」という歌詞が載っています。
どれくらいまで『戦闘歌』が唱歌として載っていたか確認できませんが、前述のように昭和2年には『むすんでひらいて』が今と同じメロディー同じ歌詞で出ています。
同じ昭和2年に『むすんでひらいて』のメロディーが『見渡せば』で載っている本もありますが、歌詞なしの旋律だけです。
もう昭和の頃には『むすんでひらいて』は、子どもの手遊び歌『むすんでひらいて』だったのだと思います。
昭和に入って軍歌として歌われていない『むすんでひらいて』の旋律は、GHQからすると讃美歌の旋律なので、歌詞に問題が無ければ問題がないと判断したと考えられます。
“戦前”と考えた時、今の私たちからは明治と昭和戦前は近く見えますが、明治の終わりと昭和20年では30年以上の時が経っており、それは昭和の終わりと令和くらい違うので、もう終戦の頃には『むすんでひらいて』は軍歌としてのイメージではなく、幼児の手遊びとしての曲のイメージが強かったのかと思います。
それゆえに戦後最初の教科書に『むすんでひらいて』が採用されるのも、問題なく行われたのかと推察します。
参考文献(敬称略):
『唱歌遊戯』(高橋キヤウ/右文館)
『ルソーの夢 -むすんでひらいて考-』(海老沢敏/幼児の教育第77、78、79号・お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション)
『童謡のふるさと』(上笙一郎/ 理論社)
『子どもの歌研究資料』(菅沼康憲/陽光出版社)
『史的変遷からみる幼児教育における音楽活動の特徴 ―昭和初期から昭和 20 年代半ばに注目して―』(松本晴子/宮城学院女子大学発達科学研究2012.12.1-9)
『昭和戦中期の戦時託児所について― 幼稚園から戦時託児所への転換事例 ― ①』(矢治夕起/淑徳短期大学研究紀要第53号(2014.2))
『学習指導要領 音楽編(試案)昭和二十二年度』
(全部きちんと読んだわけではなく、拾い読みした形ですが、感謝を込めて掲載させていただきました。)
(※こちらの『「むすんでひらいて」の歴史』も引用したり、スクショして載せたりする場合はタイトルとURLを記載下さい)
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