星が握る命運
祭影圭介
星が握る命運
東京・星見(ほしみ)市。深夜0時頃――
背の高い山々に囲まれた街の外れの森の奥深くに、広大な敷地を持つ研究所があった。監視カメラや有刺鉄線が張り巡らされ、普段はひっそりとしていて誰も近づかないような所なのだが、施設内には警報が鳴り響いていた。
覆面の男が廊下を逃げている。男は中肉中背で、腕には幼稚園の年長ぐらいの女の子を抱えていた。女の子は、現在(いま)は気を失いぐったりしている。
数人のいかつい黒服のガードマン達が怒号を飛ばしながらそれを追っていた。
少し遅れて、夏服の制服姿のハーフの少女、早乙女スピカが「聖(せい)ちゃん!」と叫びながら続く。背は一五〇センチ半ば程で、首には獅子の形のペンダントをぶらさげていた。
男は研究所の中庭に出て池の反対側に周り、そっと女の子を地面に横たえ足を止めた。
ガードマン達が好機とみて、彼を捕えようと走る速度を上げ、距離を詰めた。
だが覆面の男はそれに怯んだ様子もなく、威嚇するように片手を高らかに上げ叫ぶ。
「我が命運を握りし、一角獣座の星よ!」
男の手元から青白い光が天に伸びる。天に響く獣の声。空高く、一角獣が姿を現し、悠然と男の前に降り立った。
「戦星術(せんせいじゅつ)!?」
後退りするガードマン達。そして彼らは思い出したように、腰にある拳銃を抜き構えた。
「下がって!」
スピカがガードマン達の前に出て、男と同じように片手を高らかに上げ、叫んだ。
「我が命運を握りし、獅子座の星よ!」
彼女の声に反応して獅子の形のペンダントが光る。
スピカの手元から青白い光が天に向かって伸びた。先程とは違う獣の咆哮。
それは段々と近づいてきて、空高くから獅子が地面に勢い良く音をたて着地し、足音をさせながらスピカの元に駆け寄った。
対峙する一角獣と獅子。互いに敵意剥き出しで威嚇しあっている。
男の「いけ!」という合図で一角獣が動き出す。スピカも応じて、獅子に動くよう促す。
激しいぶつかり合いが繰り広げられるが、徐々に一角獣の方が優勢になっていく。
焦り、苦しそうな表情のスピカ。
男は再び、地面に横たえた女の子を抱き抱えようとする。
「我が命運を握りし金色の秤よ!」
スピカとガードマンの後ろから、片手を高らかに上げ叫びながら、白衣を着た三十代前後の女性が姿を現した。背が高く、首には光っている天秤の形のペンダントをぶらさげている。手足は細く、赤いヒールがよく似合う綺麗な大人の女性だ。
彼女の手元から青白い光が天に伸び、金色の秤と剣を持った全身甲冑に身を纏った戦士が現れ、鎧を鳴らしながら剣を振るい、劣勢の獅子に加勢をした。
「大丈夫? スピカ」
「圭(けい)さん!」
優しい声で駆け寄る女性に安堵するスピカ。
彼女は葉狩圭(はかりけい)、覆面の男にさらわれた女の子、聖の母親で、両親のいないスピカにとって、親代わりでもあり、姉のような存在だ。
心強い味方の登場を嬉しく思ったスピカだったが、しかしすぐに不安そうな顔に変わる。
「聖ちゃんが!」
覆面の男の元に横たえられた女の子に視線を送るスピカ。その視線を追い、葉狩も険しい表情で「聖」と娘の名前を口にする。
「今は目の前の敵に集中。二人で力を合わせましょう!」
葉狩の加勢により、劣勢では無くなったものの、それでも一角獣の勢いは衰えず、戦いは互角の状態だ。
「レプリカとはいえ一角獣の星を操るとは……誰なの!?」
覆面の男が、ペンダントのような――、何か光っているものを、戦士や獣たちが争っている方へ放り投げた。空中で眩い閃光と破裂音がして、破片がぱっと飛び散る。
不意を突かれ、スピカは思わず目を背け、葉狩は顔を手で覆った。
突如、一角獣が強い青白い輝きを発し、狂ったような雄叫びをあげる。無秩序に動き回るようになった。
戦士も獅子も翻弄されている。
「制御を失わせるため、わざとレプリカを暴発させた!?」
「聖ちゃんが危ない!」
男は、地面に横たえた女の子を抱き抱え逃走する。
「犯人が!」
スピカ達が戦星術の制御で手一杯の中、ガードマン達も尻込みしてしまい、その隙に研究所の庭から男は姿を消した。彼らは犯人が見えなくなった方に向かって発砲し、悪態をついた。
「くそ!」
「葉狩、早乙女、どけ!」
ガードマン達の後ろから、スピカと同い年ぐらいの少年が登場した。背は高くも無ければ低くも無く一七〇センチ前後で、よく鍛錬しているのだろう、身体(からだ)全体には程よい筋肉がついている。
彼の名前は鷲上和城(わしかみかずしろ)。
スピカ達と同じ戦星術師で、首には鷲の形のペンダントを下げている。
「我が命運を握りし金色(こんじき)の鷲よ!」
鷲上が片手を高らかに上げ叫ぶ。声に反応してペンダントが光り、手元から青白い光が天に伸びた。大きな金色の鷲が空から飛来し、鷲上の頭上で羽ばたく。
再び空高く昇り、一角獣目がけて急降下した。
戦士と獅子が一角獣から後退する。その間に鷲が突っ込み、一角獣の獣は眩い光と断末魔をあげながら霧散する。
勝利の雄叫びを上げながら鷲上の頭上に戻る金色(こんじき)の鷲。ペンダントが優しく光り、鷲は悠々と天へと帰っていった。スピカ達の戦士と獅子も同様に空へ還す。
「二人もいて何をてこずってるんだ!」
鷲上に怒鳴られ、悔しそうなスピカだったが、葉狩はその言葉には耳を貸さず、男が消えた方へと走り出した。
ガードマン達も慌てて駆け出し、スピカも後に続く。途中、葉狩は一人立ち止まって、地面に落ちたペンダントの残骸を拾っていた。
スピカが彼女を追い越して中庭の端に辿り着き、後ろをちらっと振り返る。彼女は葉狩がまだその場に留まっていることに驚いた。スピカが息の上がった体を休めている僅かな時間に、ガードマン達はとっくに建物の向こうに行ってしまった。
「圭さん! 何やってるの!? 早く!!」
スピカに呼ばれて、葉狩はペンダントを握り、急いでスピカの元へ近寄り合流する。
「聖ちゃん、今助けに行くからね!!」
スピカは再び走り出した。
葉狩圭の娘、聖がさらわれたが、数日後に研究所付近の山林の中で無事発見され保護された。
その後、病院に運ばれて検査を受けた。
心配したスピカと葉狩が報せを聞いて急いで駆け付けると、べッドの上で身体を起こしながら児童向けの本を読んでいた聖は、怖かったと泣きじゃくることもなく、二人の姿を見て飛び跳ねて喜んだ。
十分な水と食料を与えられていたようで、特に衰弱した様子は見られず、怪我も無くすぐに退院した。
数日間どう過ごしていたのかスピカ達が慎重に聞き出すと、どこかの山奥の小屋にいたらしい。
犯人は、仮面をつけて怪人達と戦う人気特撮シリーズの、お祭りで売っているようなプラスティックのお面をつけ、変声器で声を変えていたが、聖には優しく、人生ゲームなどのボードゲームやトランプをして楽しく一緒に過ごしたという。
男は未だ逃走中で捕まっていない。現在(いま)まで身代金の要求なども一度も無く、人質が解放されたとすると誘拐目的ではないのだろうが、犯人の目的が何なのか、いまいちはっきりとしていなかった。
なお今回の事件は警察には伝えず、鷲上和正を始め鷲上家の人間と黒服の男達が忙しなく動いて調査していた。
その事件のあった鷲上研究所の敷地内。
屋外の庭で晴天の下、私服姿のスピカと白衣の葉狩が対峙していた。
「我が命運を握りし、獅子座の星よ!」
「我が命運を握りし金色の秤よ!」
天に向かって青白い光が二本伸びる。金色の秤と剣を持った全身甲冑に身を纏った戦士と、獅子が現れた。
スピカの合図で獅子が戦士に攻勢をかける。戦士がそれに応戦した。
「スピカ、自分の守護星を使い、もっと力を引き出しなさい」
「攻撃力のない乙女座の力では大切な人を守ることはできない」
「自分の守護星近くの星座の力はレプリカで確かに使える。だけど」
果敢に攻めるスピカ。だが葉狩は、表情一つ変えないで制御している。
「私は強くなりたい!」
「レプリカの力は本物に遠く及ばない。星座盤をわざわざ持ち運ばなくていいようにしただけ。百合博士は……」
「お母さんの話はやめて!」
獅子の牙が戦士の剣を噛む。唸る獅子。牙と剣の刃が擦れる音がする。
「力が無かったから母は死んだ!」
「あなたのお母さんは何度も言ってるように私のせいで死んだの。未熟だった私をかばい……。力が無かったからじゃない」
「力が無かったから聖ちゃんを目の前で奪われても守れなかった!」
「それでも私はあなたの乙女座の力がうらやましい」
動揺するスピカ。獅子の姿が青い光とともに天へと吸い込まれるように消える。
葉狩も戦士を天へ優しく返す。
「もういい!」
スピカは葉狩に背を向けて歩き出した。
「どこいくの!?」
「鷲上に稽古つけてもらう」
「門前払いされるわよ」
「知ってる。門から出てくるところを捕まえるか、夏休み終わってからでもいいから学校で頼む」
スピカは振り返ること無く、葉狩から遠ざかっていった。
鷲上家の大屋敷に着いたスピカだったが、門の前にはサングラスを掛けた黒服の男が二人、常時見張りとして立っていて近づきがたい雰囲気だったので、路地の曲がり角の日陰に身を潜めて鷲上が出てくるのを待っていた。彼女はトートバッグから漫画や雑誌を出して読んだり、飲み物を飲んだり、スマホで暇を潰しながら、目当ての人物が出てくるのを待っていた。
読むものが無くなりスマホの充電も無くなりかけて、飲み物も残り少なくなった頃、ようやく屋敷の門が開いた。
中から出てきたのは和服姿の少女だった。年齢はスピカと同じぐらいで、美しい黒髪の長髪にピンクの着物がよく似あっている。全体的におしとやかな雰囲気で、優しそうな笑顔が特徴だった。
続いて鷲上と、紬着物に武者袴を履いた五十~六十代位の男が出てきた。年配の男は厳つい顔で鷲上に似ている。頑固そうで、剣道などの武道の師範を務めていそうな雰囲気だった。
彼の父である鷲上和正(わしがみかずまさ)だろう。
スピカにとっては雲の上の人で、あまり直接会ったことは無いのでよく覚えていないが、星見市では地元の名士で通っている。
和服姿の少女が門を出て二人の方に向き直り、頭を下げて挨拶をしていた。
スピカはそこに近づいて行って声を掛ける。
「鷲上!」
「早乙女」
鷲上が気づいて振り向いた。和正も息子の言葉に反応して、顔を向ける。
「早乙女だと?」
一同の視線がスピカに集まった。
「ああ、春の大三角の」
和服の少女が思い出したように言った。
「何をしにきた。外人との間に生まれた小娘が」
鷲上父に侮蔑の目を向けられながらも、スピカはぐっと堪えた。
「鷲上、戦闘訓練に付き合って」
「お前なんかに付き合っても時間の無駄だ」
鷲上は迷わずに断る。彼に代わって和正が彼女を睨みつける。
「星にまつわる秘密を持ち出ししたりしてないだろうな」
「してません」
「今回の研究所の襲撃の件、お前が仕組んだりしてないだろうな」
「違います」
「じゃあ帰れ。さっさと追い払え和城」
不機嫌な顔をしながら和正は一人屋敷の中へと戻っていった。
スピカは真剣な表情で、鷲上の目を見ながら頼み込んだ。
「強くなりたいの、お願い」
「葉狩すら倒せないのに何言ってやがる」
呆れた様子で彼は溜め息をついた。
「それなら、うちが相手しましょうか?」
和服の少女が言った。
彼女の申し出にびっくりしたのは鷲上だった。
スピカは、「誰?」と首を傾げる。
「初めまして。白鳥琴音(しらとりことね)です」
白鳥はにっこり微笑んで頭を下げた。
「白鳥ってまさか……」
「ああ、俺と同じ夏の大三角を構成する白鳥家のお嬢様」
「鷲上に引けは取らないつもりだけど」
「いいのか? がっかりするぜ」
「京都の星の宮に帰る前に、まだ時間があるので」
「俺は行かない。車を回そう。研究所まで遠いし、暑いだろ」
鷲上はスマホを取り出し電話をかけ始めた。
「春の大三角、杜(もり)の星都(みやこ)の早乙女家。面白そうな相手じゃない」
「よ、よろしくお願いします……」
スピカは全く予想していなかった対戦相手に決まったことに戸惑いつつも、屋敷の門の前に来た黒塗りの車に、白鳥と共に乗り込んだのだった。
鷲上研究所に戻って行われたスピカと白鳥の模擬戦闘は、白鳥の圧勝だった。
その後白鳥は、葉狩の娘、聖と遊んで仲良くなり京都へと戻って行った。
翌朝、狭い通学路は、幼稚園へ向かう親子達で溢れていた。朝の挨拶が飛び交い、お母さんに手を引っ張られてよちよちと歩いている子もいれば、友達に会いはしゃぎ出している子もいる。
そこを学校の制服姿のスピカと聖の二人が、手を繋ぎながら歩いていた。
彼女達は鷲上研究所の敷地内にある寮で暮らしていて、毎日バスで市の外れにある研究所から通学していた。
シングルマザーの葉狩は、研究で泊まり込むことも多く、料理、掃除、洗濯などの家事は主にスピカが行っていた。
聖も幼いがスピカよりしっかりしている一面もあり、よく家事を手伝ったり、普段は聞きわけも良く、独りで留守番したり遊んだりしていることも多かった。
寮費は水道光熱費込みで、葉狩の安い給料だけでもなんとかやっていけたが、スピカもバイト代を入れたりしてたまに美味しいものを食べたりと、三人で力を合わせて生活していた。
「京都に行きたい!」
幼稚園指定のバッグを肩から掛けて元気に歩く聖。靴下はいつもと違い、女の子達がアイドルとして活躍する女児向けアニメで、可愛いキャラクターがプリントされたものを履いていた。大好きな番組で、おねだりしてようやく買ってもらったばかりなので、ご機嫌のようだ。
「スピカお姉ちゃんも一緒に行くでしょ?」
手を繋いでいるスピカは、まだ眠いようで欠伸を堪えている。
「私は今日バイトが……」
「お母さんとお姉ちゃんの三人で行くの」
むすっとした表情の聖を見て、スピカは苦笑いした。
「学童から帰ったらお母さんに頼むもん」
信号のない小さなT字路に差し掛かり、二人は足を止めた。
目の前をゆっくりと一台の乗用車が通り過ぎる。運転している男の顔がみえた。
それまで、ややぼんやりとしていたスピカだったが、突然目が覚めたような表情になり、車の方に顔を向ける。
「どうしたの?」
「ああ……、ごめん。行こう」
バイト帰りの夜、スピカが研究所の門に入り、駐車場から建物に向かって歩いていると、慌てた様子の鷲上や黒服の男達が建物から出てきて、車寄せにエンジンを掛けたまま停まっている黒いミニバンに次々と乗り込んでいった。
ただ事では無さそうと感じたスピカは走って行き、ちょうど車の後部座席に入ろうとした鷲上を捕まえた。
「何があったの?」
「お前には関係ない」
突き放すような態度で扉を閉めようとする鷲上だったが、スピカも力を込めて両手でそれを抑え、やや息を切らせながら、短く大事な話があると告げる。
「……母の仇を見た」
「どこで」
それを聞いた途端、鷲上の表情が険しくなった。
「今朝。だから何かあったでしょ」
問い詰めるスピカには、一歩も引く気配がない。
ドライバーが運転席から「早くしてください!」と二人に向かって、切羽詰まった声を上げる。
観念したように鷲上が言った。
「屋敷が襲撃を受けている」
「私も行く」
「勝手にしろ。早く乗れ」
鷲上は、やれやれというように車の奥に引っ込んだ。スピカも乗り込んで両手で戸を閉める。
車が荒っぽく発進し、よろけた彼女は慌ててシートベルトを締めた。
そして、『母の仇を見た』とスマホで葉狩にメッセージを送ったのだった。
鷲上屋敷内の中庭にて、リュックを背負った一人の男と、スピカと鷲上は対峙していた。男は葉狩と同じぐらいの年代で、首元に狼の形をしたペンダントをつけている。
「狗井志龍(いぬいしりゅう)か」
「間違いない。おおいぬ座シリウスが守護星。そして母の仇」
歯を噛み締めるスピカ。
「我が命運を握りし光り輝く天狼よ!」
狗井が叫んで掌を夜空に突き出す。スピカと鷲上よりも強くて太い青白い光が天へ伸びた。
狼の吠え声。巨大な狼が唸りながら姿を現し、二人を睨みつけた。
凄まじい光と迫力に一瞬怯む彼女達だったが、スピカは勇気を振り絞って鷲上の前に出た。
「我が命運を握りし、獅子座の星よ!」
スピカの元から青白い光。鷲上も負けじと彼女に並んで召喚する。
「我が命運を握りし金色の鷲よ!」
獅子と鷲が現れ、狼との戦闘が始まった。
互いに威嚇し合い、牙や爪を剥き出して飛びかかり、噛み付き合い、激しいぶつかりが繰り広げられている最中――
ふいにそれらが霧散した。光の塵となった。
「……消えた?」
「レプリカが動いていない」
スピカと鷲上のペンダントに点っていた光が消えていた。彼女達は、狗井の仕業かと彼を見る。
だが狗井も困惑していた。鷲上が彼を捕まえようと走り出す。
「いくぞ!」
戦星術が突然使えなくなるという予想外の出来事に気を取られていたスピカは声を掛けられ、慌てて後を追った。
狗井が背を向けて逃げながら、担いでいたリュックを胸の前に持ってきて、中身を必死に探っていた。
少し差が縮まってきたところで、突如彼は二人の方に目がけて何かを連続で思いっきり投げつけた。
白い閃光。
スピカ達は目をやられ思わず呻き声を漏らし足を止める。さらに煙がモクモクと二人の視界を遮った。咳き込んで、彼女達は口を抑えながらその場にしゃがみこむ。
「狗井!」
スピカが叫ぶ。
「一旦ここから離れるぞ」
口を手で覆い、煙を避けながらなんとかその場を離れる二人だったが、それが晴れて落ち着いた頃には、既に狗井の姿は無かった。
「逃げられた!」
「あんなものまで用意してるとは……」
「星座盤も持っているかも」
「ああ、俺は星座盤を取りに行く」
鷲上は狗井が逃げた方向とは違う方向に駆け出した。
「え? ちょっと――」
不意を突かれて置いていかれた格好となったスピカは、どうしようと困惑していたら、鷲上が離れたところから叫んだ。
「早乙女は狗井を追ってくれ! あと葉狩にレプリカが動かないって連絡も!」
走り去る鷲上に向かって彼女は大声で答える。
「わかった!」
スピカは駆けながらスマホを取り出し、通話ボタンを押した。コール音が数回して葉狩が出る。
「スピカ、いまどこにいるの!?」
「鷲上の屋敷。狗井と戦闘中レプリカが使えなくなったの! お願い、星座盤を持ってきて!!」
「え!? 戦闘中!? 鷲上の屋敷で! レプリカが使えない!?」
「そう! だから星座盤が必要かも! 敵が持ってるかわからないけど、早く持ってきて!!」
スピカはしゃべりながら狗井が消えた方へと走って行った。
鷲上と別れてから三十分程が経った。狗井が逃げた方を探したがスピカは彼の姿を見つけられずにいた。
屋敷の外に出て、塀に沿って裏門の方へと向かう。
彼女はスマホを取り出し、何のメッセージや着信もないことを確認して、溜め息一つついて立ち止まった。
そのとき屋敷の内部から四本の青白い光が天へと伸びた。距離はさほど遠くはない。
牡牛(おうし)、子犬(こいぬ)、巨大な狼の三体が同時に、けたたましい音とともに空からやってくる。
スピカは信じられない――という表情で呆然と立ち尽くしていたが、やがて気を取り直すとスマホをしまい急いでそちらの方へ駆け出した。
もう1本青白い光が天へと伸びる。勇ましい雄叫びを上げながら飛来したのは金色(こんじき)の鷲だった。
「やっぱり、あそこに……」
近くの門を探して屋敷の中に入る。すると大きな爆発音がして、スピカは驚いて思わず足を止めた。
先ほど青白い光が天へと伸びたところから火の手が上がる。
獣の耳をつんざくような禍々しい叫び声。
金色の鷲は狂ったように屋敷の上空で暴れだした。
息を切らしながらスピカが、戦星術の召喚が行われた現場に到着すると、牡牛・子犬・巨大な狼が、暴れる金色の鷲を取り囲んでいた。その後ろには土蔵がある。
土蔵の扉が開いていて、中から火の手が上がっていた。黒い煙と物が燃える音がする。
その傍らで狗井と鷲上は対峙していた。
狗井は勝ち誇ったような顔で、手には牡牛、子犬、狼の三つのペンダントを握っている。
一方鷲上は大量の汗をかいて、肩で息をしていた。手に持っている星座盤が欠けている。それは古墳から出土する銅鏡の三角縁神獣鏡によく似ていた。
彼の足元には、倒れこんで痛みを堪えている人物が一人――
足から血を流しているのは鷲上の父、和正だった。
「鷲上!」
スピカは鷲上の方に駆け寄る。
「何があったの!?」
「狗井が仕掛けた爆弾で親父がやられた。そのとき星座盤も吹き飛んで欠けた」
「まさか術の発動中に壊れたの!? 最悪、暴走するんじゃ――」
かつての文献によれば、戦星術で呼び出された星(せい)獣(じゅう)が何らかの理由により突如荒れ狂ったとき、街一つが消滅したという。まだそこまではいっていないが、早急に対処しなければならない深刻な事態だった。
「わかってる。親父を頼む。制御に集中できない」
スピカはしゃがみこみ、和正を気遣う。
「これぐらいなんともない」
和正は彼女の手など借りぬというように、シャツの袖を歯と手を使って思い切り引き千切り、切った布切れを足の傷口に巻こうとする。
「貸してください」
手間取っている様子を見てスピカが代わりに巻きつけた。
「ぐっ」
痛みを堪える和正。スピカは処置をしながら鷲上に尋ねる。
「なんで三体もいるの!? 敵は狗井一人なんでしょ!? レプリカは動かないんじゃなかったの!?」
「わからん!」
話していてもしょうがないと思って、スピカは加勢しようと立ち上がり、片手を上げ天にかざした。
「我が命運を握りし、獅子座の星よ!」
しかし何も起こらない。
首元のペンダントを確認するが光はついていなかった。
くそっ!
――と、彼女は悪態をついた。
苦戦している鷲上を見てスピカは悔しそうな表情をした。
三体の敵を相手にしている鷲は依然として暴れているものの、集中攻撃を受け徐々に傷が増えていく。
「何もできない。私にも戦う力があれば――」
「全くだ。こんなときに何もできんとは」
和正がぼそっと呟いた。
「誰か他に戦星術を使える人はいないんですか!? 京都から応援を呼ぶとか!」
「いない。応援は間に合わん。手がないわけではないが……今の状態では使えない」
切羽詰まった声で鷲上が父に尋ねる。
「親父なんか手があるのか!?」
「あるにはある。だが……」
「何なんですか!? レプリカとはいえ束になってこられては、いつまでも持ちませんよ!」
スピカは苛立ちを抑えられず、和正にぶつけた。
彼は少し考えたのち意を決したように口を開く。
「夏の大三角の発動だ。万が一のことを考え、他家にはもう連絡してある。あとは電話を一本するだけだ」
スピカと鷲上は、はっとしたような顔になった。
和正はズボンのポケットからスマホを取り出し、力を込めて握り締めた。手は僅かに震えている。
「俺はまだやったことがない」
鷲上が本当にやるのかと自問自答するように、やや信じられないという様子で言った。
「待って。いま制御を失っているときに、そんな大技を使えば――」
「下手をすれば術者の命は無い……。最悪、和城は死ぬかもしれん」
「そんな……」
重い空気が流れ一同閉口した。
そこへスピカ達と狗井の間に葉狩が現れた。星座盤を二つ持っている。片方はスピカが持ってくるようお願いした乙女座のもので、もう片方は彼女自身の天秤座のものだろう。
「圭さん!」
スピカが頼もしい味方が来てくれたと素直に喜ぶ。
だが――
「圭、お前か? レプリカシステムを止めたのは」
狗井が彼女に向って訊いた。
「ええ、そうよ。でも私がシステムを止めたの無駄になったみたいね」
「え?」
二人の会話を聞いて混乱したスピカが疑問の声をあげる。
「葉狩、なんでそんなことを!?」
鷲上の質問には答えず、葉狩は狗井に向かって続ける。
「この前研究所に侵入した理由が分からなかったけど、いまわかった。システムにウイルスを仕込んで自分のレプリカしか使えないようにするためだったのね」
葉狩は星座盤の一つを地面に置いた。
「あなたならうまく鷲上家に忍び込んでわし座の星座盤を破壊か持ち去ってくれると思ったけど、期待外れだった」
「そうか! やっぱりお前だったか! 俺の元に来い、圭!」
「おのれ! どいつもこいつも勝手なことを」
狗井は歓喜し葉狩に向かって手を差し出し、和正が激昂した。
「勘違いしないで志龍。私は星の力は、医療を始め人に役立つものを除いて、封印すべきという早乙女百合博士の主張に従っているの。あなたとは違う」
「馬鹿な! 星の力はそもそも神々のもの。伝承によれば人間がその力を羨み、そそのかして盗んだ。神々に返すべきもの。返さない限り厄が続く!」
二人の真っ向から食い違う主張に、和正も傷を押さえながら、だが痛みを感じさせない大声で叫ぶ。
「そんなことをすれば国が滅びる! この小さな島国の繁栄は神々の力があってこそ!」
「確かに奇跡は星の力によってもたらされる。しかし人を傷つける力は、一度制御を失えば自分をも傷つける」
「圭さん、そんなこと言ってないで今は鷲上に加勢して!」
「スピカ、狗井を倒せたとしても和城君の暴走は止められない。鷲上和正、わかっているんでしょう?」
苦渋の表情の和正は、頷きながら言葉を絞り出す。
「俺が和城と制御を代わる」
「できる訳ないでしょう。いい加減、誰かが犠牲になるのは、これで最後にしてほしい。私がやるしかなさそうね」
葉狩は嘆息し、その場にいる全員の顔を確かめるように、周囲をゆっくりと見回した。
スピカとも一瞬、目が合った。
何だろう――
と首を傾げている間に、彼女は他の方を向いてしまったが、いつもとは違う雰囲気を和正は敏感に感じ取ったようだ。
「葉狩、お前まさか……」
「我が命運を握りし金色の秤よ!」
片手を高らかに上げ叫ぶ。手元から青白い光が天に伸び、金色の秤と剣を持った全身甲冑に身を纏った戦士が現れる。
金色の秤が大きく揺れ、剣を葉狩に向かって振り下ろした。
「圭さん!?」
その斬撃の後、光の塵となって消えていく彼女の体を目の前にして、スピカが悲鳴にも似た声を上げる。葉狩の元に駆け寄った。
「圭さん! なんで圭さんが!?」
「後継者のいない夏の大三角の担い手をいま失うわけにはいかない」
「圭さんまで失ったら私はどうすればいいの!? 聖ちゃんは!?」
すがりついて泣き出すスピカ。
星座盤を地面に置き、消えゆく体で葉狩はそっと抱きしめる。
「信じなさい、あなたの母を。誇りを持ちなさい。その星と名前に」
「いや、消えないで」
「聖をお願い」
葉狩が姿を消すと同時に、秤を持った戦士も消える。
地面に倒れ込み、スピカは絶叫した。
「星のために命を落としたか。バカなやつだ……」
狗井の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「暴走は止まったが……。これでは夏の大三角が発動できない」
鷲上は言った。
戦闘は続いている。暴れ回るのは収まったが、傷だらけの鷲は元気がない。
「引け、和城! 早乙女の娘、一旦立ち去るぞ!」
和正が厳しい表情のまま、ずるずると足を引きずりながら、スピカに近づいていった。
彼女は泣いていたが、手で涙を拭って顔を上げる。地面に置かれている星座盤が目に入り、はたと動きを止めた。
「いつまでぼうっとしているんだ! お前もここで死にたいのか!?」
「まだ夏の大三角を夜空に輝かせることができるかもしれない」
「何だって!?」
鷲上が大声で振り向き、和正は驚いて動きを止める。
スピカは、葉狩が持っていなかった方の星座盤を掴み、立ち上がった。
「我が命運を握りし純白の乙女よ!」
片手を高らかに上げ叫ぶ。
手元から青白い光が天に伸び、純白の乙女が夜空から降臨した。
見る者全員の心を魅了し、戦闘を鎮めるように優雅に星獣(せいじゅう)達の真ん中に舞い降りて、噛まれる・引っ掻かれる・角で突かれるなどの敵の攻撃を防ぎつつ、怯え傷ついた鷲を宥めるように優しく抱きしめた。
最初、弱弱しい鳴き声を発していた鷲だったが、美しい乙女により癒されたそれは、甲高く力強い雄叫びを上げ、乙女が抱きしめる手の力を緩めてそっと放してやると、勢い良く羽ばたいた。
すっかり傷が癒え元気になったそれは、敵の包囲を難無く抜け出し、一段と空高く舞い上がる。
金色の鷲は完全に復活した。
その場に居合わせた者達の驚きと喜びの声が入り混じる中、不意に純白の乙女が消える。
何かが倒れる鈍い音がした。
スピカは気を失い、地面に力なく身体を横たえていた。星座盤が彼女の手元から離れ転がっている。
「早乙女!」
鷲上が気遣うが、彼の父が口を挟む。
「和城、今だ!」
スマホを取り電話をかける和正。
狗井は背を向けて走り出す。
「我が命運を握りし金色の鷲よ!」
鷲上が片手を高らかに上げ叫ぶ。手元から青白い光が天に伸び、金色の鷲はさらに高度を上げ光点となり、ついには見えなくなった。
夜空に鷲、琴、白鳥の3つの星座が輝く。
青白い光が三つの星座の星を結んで夏の大三角を作り、牡牛、子犬、巨大な狼は消滅した。
星が握る命運 祭影圭介 @matsurikage
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リア充の陰謀/祭影圭介
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 12話
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