彼女の記憶

 ――その昔、妄想が好きな少女が居た。

 メランコリー気味な彼女は、小中学校と友達がおらず、小さい頃に母親がプレゼントしてくれたクマのぬいぐるみを、イマジナリーフレンドとして大事にした。


 高校一年の夏。

 少女は自分の妄想へきかし、小説という媒体で創作を始めようと思った。自宅のパソコンを立ち上げ、デスクトップ上のメモ帳を開き、初めて打ちこんだ一文字、一単語、一節、一文――

 たった数十文字を生み出しただけで、誰かに見られていると錯覚し、赤面しながらバックスペースを連打した。


 翌日。

 制服のまま本屋へ走り、汗を浮かべながら手に取ったのは、名前のみ知っている海外作家の代表作だった。現代国語で習った日本文学は避け、長ったらしいタイトルのライトノベルも避けてしまった。理由はどちらも、『背伸び』である。


 翌々日。

 少女は、購入した海外文学をまだ半分も読んでいないというのに、なぜか小説を書ける気になっていた。翻訳された海外文学の見様見真似で、物語になると思い、無我夢中で文字を並べたのだ。


 一週間後。

 先週の意気はどこへやら? まったく文字が浮かんでこず、小説を書くのが嫌になった。――この少女、衝動的なタイプである。


 一ヶ月後。

 いきなり長編を書くのではなく、短編から挑戦する必要性を知った。またプロットの重要性も知った。――この少女、説明書を読まない実践タイプである。


 半年後。

 ようやく、五千文字程度の小話が完成した。初めて生み出した作品の末尾に、

『おしまい♪』

 をつけた瞬間、実績解除の音が脳に響いた。――この少女、小説も書かずにゲームばかりしているタイプである。

 さて。残るは、自分の作品を世界に広めるフェーズだ。少女は都合の良い小説投稿サイトに会員登録し、ユーザーインターフェースに従って、作品を丸々コピー&ペーストした。だのに、最後のワンクリックを思い迷ってしまった。

 だから、ふたたび読み返しては心を落ち着かせた。雑な表現はないか、誤字・脱字はないか、放送禁止用語はしゃべっていないか?

 ほどなく推敲すいこうが終わり、いよいよ最後のクリックである。投稿ボタンを押し――

 いや、待った! 雑な表現や、誤字・脱字や、放送禁止用語はないか?


 といった具合で、一時間後にようやく投稿が完了した。

 初めは十回ほどしか読まれなかった少女の作品だが、ふたつ、みっつと投稿し、SNSでプロモーションしてゆくうち、コメントをもらえるまでに成長した。

 その中でも少女は、二十代の男と連絡を取り合うようになった。好きな分野が似ており、住んでいる地域も同じだったので、すぐに意気投合し、『面白いストーリー』とか『文才がある』とか褒め合う日を重ねた。

 初めは切磋琢磨という意味もあったが、なにより称賛が欲しい! 少女は次第に、承認欲求が大きくなっていった。

 だって、ここでは、つたない、文章で、も、評価して、もらえ、る。

 五時ごじ奪地だつじってもコメントが

 そのうち少女は、文豪プロの本も、作家の卵アマチュアの作品も読まなくなり、おごりが増えていった。


 処女作を投稿してから一年が過ぎると、少女は長編の執筆に取りかかっていた。『超大作!』なんて自分を奮起させ、キャラ設定も自信満々に載せた。

 ところがある日。少女はSNS経由で、クラスメイトの女子たちに小説を書いていることを知られてしまったのだ。

 悲しいかな、一部の知能指数の低いティーンにとって、『小説』とか『創作』なんて言葉は格好のエサに過ぎない。加えて、漢字も読めないような連中である。小さな脳ミソから捻出した冷やかしが、

『このコメントはあなたを見ていまーすww』

 だったのだ。

 少女は初め、荒らしを相手にしなかった。が、馬鹿の一つ覚えで、そればかりコメント欄に乱発されると、たまったものではない。次の日、その次の日――と、同じコメントが増えていった。

 こうして、ネットリテラシーが破綻したクラスメイトの低俗なイジメが始まった。生産性皆無の愚者イミテーターが、創作する者クリエイターを馬鹿にする。まさに現代を象徴する構図だ。

 少女は不特定多数の犯人にヤキモキする日々を過ごし、ついにコメントの掃除を始めた。けれど消しても消しても、

『このコメントはあなたを見ています』

 便所のラクガキは、無機質にはしゃぎたてた。

 こういったウェブの悪癖あくへきは静かに広まり、悪質なネットユーザーが面白がって、顔も名前も知らない少女のイジメに加担していった。誰も物語を見てくれないのに、なにが『見ています』だ。


 イジメはついに、直接的なものへと変化した。

 少女が沈んだ様相ようそうで登校すると、クラスメイトが小説の内容を大声で説明するのだ。翌日から少女は学校へ足を運ぶのをやめ、それでも負けん気で投稿を続けたが、

『このコメントはあなたを見ています』

 チープな十六文字が、少女のページをけがしてゆくのは変わらなかった。

 少女はいきどおった。書いているのは私記しきではないのだ! 物語なのだ!

 そこで唯一の理解者、このサイトで知り合った男に相談した。

 すると余所余所しく、

『まずは一本書き上げよう。そうすれば見返してやれるよ』

 身に沁みないアドバイスを返してきた。初めて手を着ける長編小説なのに、この男はどうも作品を見てくれていない様子だ。けれど、真意を聞くかどうかを決めあぐねる。もっと褒めて、もっと励ましてくれても良いのに。


 翌日。途方に暮れた少女が、古本屋で執筆の指南書を探していると、

『小説入門・まず一本書き上げよ』

 という、憎たらしいタイトルの本が目に留まった。どいつもこいつも、書き上げろ書き上げろとはやす。今やっているではないか、超大作を!


 いや! 作家仲間の、あの男だけは信じてくれるはずだ! 少女は懲りずに、作品について、そして荒らしについて相談した。

『だいじょうぶ』『やればできる』『おもしろい』『コメントなんて気にすんな』

 次第に返し方が雑になり、ついには返事が来なくなった。荒れ果てた彼女のワークスペースなんて、もう興味がないのだろうか? そんなわけない! 連絡を取り続ければ、きっと返事がある!

 けれど、代わりに返ってきたのはメッセージではなく、


『このコメントはあなたを見ています』


 男のアカウントによる荒らし行為だった。

 少女の気は、もう確かではなかった。

 幸か不幸か、男の住まいを知っていたので、直接その真意を聞き出そうと、家の前で待ち伏せた。男を日々追い回した。ストーカー行為を繰り返した。結果――紺色の制服を着た地方公務員ポリスメンと顔馴染みになった。

 その隙をついて、男はどこかへ引っ越してしまった。


   ◇ ◇ ◇


 あんな小説投稿サイトなんて嫌い! 荒らす奴は大嫌い! あの男はもっと嫌い!

 少女は死んだ魚の目をしながら、投稿した作品のバックアップを取り、データをすべてメモリーカードに移した。その後アカウントを死刑執行し、パソコンのコードを直抜きした。

 簡単なことである。初めから自分だけ読めれば良かったのだ。誰にも理解されないなら、自分だけが作品を誉めれば良い。自分だけがコメントをすれば良い。墓場まで持っていければ良いのだ。


 少女は机上のペン立てからカッターナイフを取ると、イマジナリーフレンドの腹を切り裂いて、メモリーカードを臓器の中へと突っこんだ。感情のまま不可解な言葉を叫び、ひたすら号泣しながら。

「みんな呪われろ……わたしは、もうすぐ死ぬ……」

 少女が絶望の塩味で浸されていると、なんと奇跡が起きたのだ。

 イマジナリーフレンドの体から――目から、鼻から、口から無数の文字がこぼれ落ち、自室の床を埋め尽くしていったのだ。彼女を生成していたであろう万言まんげんが具現化したのである。


 こうして少女は、数ヶ月ぶりに口角を上げることができた。

 おのが言葉たちに呑みこまれ、幸せに溺れながら。


                              『おしまい♪』

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