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「――ところで、レイドリック」

 洞穴に降りる前に、セレスティアが静かに振り返る。

「戦闘の心得は?」

 この先に、もはや人ではなくなった過去の勇者たちがいる。彼らを倒して、弔いたいとは確かに言った。質問の意図くらいはわかっている。

「ナイフより重い刃物は持ったことがない」

 レイドリックが軽い口調で答えるので、彼女は嘆息した。

「そんな奴、本当にこの世にいたの」

 オルフェリアの皇族が護身のために戦闘技術を嗜むのはごく一般的なことで、弟も身を守るためならば一般兵と同じくらいには戦える。あの宝剣は、そう言った方面でも役に立つようにできていた。

 テイレシアの王族は、本人の趣味でもない限り武芸を身につけないとは聞いたことがあった。とは言っても先の戦争では、自ら軍を率いて属州を奪還していたはずなのだが。

「刃物を使わない戦闘技術は?」

「あると思う?」

「あると思いたい」

「残念だ」

「何で勇者のくせにそんなに弱いの」

「弱いから勇者になったんだろ」

 飾りの将か。

 セレスティアはもう一度嘆息してから、洞穴を降り始めた。レイドリックが、後を追う。道は細いが、だからこそ身を守りやすい。

「守ってあげるから、あたしから離れないで」

「了解」

 この男には危機感がないのか、とセレスティアは嘆息した。守り切れる保証なんてどこにもないのに。

 生きているのか死んでいるのかもわからない、かつての勇者を斬り払う。この瞬間の自分は、確かに魔王そのものだ。先程斬ったのは、女のようだった。最初に斬ったのは、男だ。どちらも、若そうだった。普通に生きていれば、普通の人間としての人生が数十年は待っていたはずだ。

 生きよう。

 そう言われた。レイドリックの言葉は正論だ。自分は魔王ではなく、ただのセレスティアとして生きていいはずだ。なのに、いざ言われると、戸惑った。まだその言葉に返事さえしていない。

「あたしは、生きて、何をすればいいの」

 不意に呟いた。

「それがわからない。生き方が、わからない」

 今まで、彼女にとってのやるべきことは勇者に倒されることだった。その勇者が、自分を倒すことを否定した。だが、今更生きろと言われて、何をすればいいのか。突然広がった人生は、途方もないものだった。

「じゃ、俺の友達になりなよ」

 レイドリックの声は、明るかった。思わず、彼を振り返る。レイドリックは、何でもないように笑っていた。

「……友達」

 悪くないかもしれない。

 魔王と勇者が友達というのも、なかなか滑稽だ。悪役と正義の味方が手を取り合うだなんて、なんだか寓話みたいだが、それはそれで趣がある。

 セレスティアにも大切な人は確かにいる。クロエもいれば、シリウスもエルリッドもいる。物静かで人見知りだが才能がある妹に、いつも守ろうとしてくれた養父。弟は祖国を背負って生きている。クレールは元気にしているだろうか。異動してしまったが、働き者で優秀なのに自己評価が低いあの元部下のことは、なんとなく気にしていた。

「あのさ」

 その大切な人の中に、己は何者にもなれないなどとほざいている勇者を加えてみても、悪くない。生きると言うことを教えてくれた恩人などと、重たい言葉をあえて使いたくなかった。

 だからこそ、今はあえてくだらない冗談を言いたい。

「そこそこの歳の男が、女に言う言葉なの、それは」

 そう言い返すと、レイドリックは吹き出した。

「だって、セレスティアは強すぎてタイプじゃないから」

「奇遇だね。あたし、自分より強い男が好み」

 言い放ってみて、不意に気付く。そう言えば、好みの異性のことなんて考えたこともなかった。弟なんて、実父譲りの女癖の悪さを発揮しそうで、早くも周囲に呆れられそうなのに。

「そんな奴、いるのかよ」

 レイドリックが呟いた。

 彼は世間知らずが過ぎる。自分より強い男くらい、いくらでもいるに決まっている。たとえばシリウスだ。

「俺は、勇者としての役目が終わったら旅に出るんだ。色んな人や物を見てきて、帰国しようと思う」

 自分はそのまま帰国してもいいと思った。その程度には人生にあてがない。

 帰国したらまた黒い軍服を着た銀髪の師団長として生きていくだろう。その人生が悪いものだなどとは全く思わないが、束の間の自由を謳歌するのも、また人生だ。

 誰かのために、何かのために生きてきた。

 少しくらい自分のために、勝手気ままに生きたところで、誰が咎めるだろう。テイレシアの王都の薔薇だって見てみたい。

「あたしも混ぜてよ、レイドリック。友達なんでしょ」

 そう言うと、レイドリックがいいぜ、と笑った。

「よし、当面の予定ができたところで、今はやるべき戦いを済ませよう」

「全部あたしが倒すことになってるのに、よく言う」

「俺には守られると言う任務がある」

「馬鹿を言わないで」

 まったく、危機感がないにも程がある。

 洞穴を降りていく。そろそろ中央だろうか。人が踏み入れたとわかる痕跡がいくつも残っていたから、一切迷わなかった。

 中に、かつての勇者とは名ばかりの、魑魅魍魎と化した化け物たちが蔓延っている。

「行こう」

 セレスティアは軽く呼吸をしてから、ただの人になった元魔王の最初の一歩を歩んだ。



――了

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セレスティア 桜崎紗綾 @saya_sakura

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