感想屋(書籍)

宮本摩月

めぞん一刻/高橋留美子(ネタバレあり)   コミック

 再読して改めて名作であることを実感した。最終巻は涙なしには読みすすめられない。


  ヒロイン音無響子を、現実離れした女性崇拝や、逆に人格無視のセクシーなヒロインとしてではなく等身大の女性としてこれだけ魅力的に描き得たのは、男性的な感性と女性的な感性を併せ持つ高橋留美子だからこそだろう。

 音無響子は見た目の美しさ以外はごく平凡で多くの欠点を持つ女性である。母性豊かで善良だが、嫉妬深く、優柔不断で、性欲に流されかける危うさもある。

 そういう生身の人間として描かれていながらも、どこか聖女の趣があるのは高橋留美子の画力によるものなのだろうか。

 物語の骨組み自体は、美人をめぐる三角関係で、最終的にヒロインはさえない男を選ぶというありふれた物語だ。さえない男、五代君を選ぶ過程に特別なセンス・オブ・ワンダーがあったかというとなかったように思う。

 この物語の魅力は、ポップな画力と、非凡なコメディセンスと、登場人物たちを欠点も含めてまるごと肯定する高橋留美子の暖かな眼差しにあるのだと思う。

 感動をもたらすのは人間ドラマ部分だが、それだけでここまで引っ張ることはできないし人気も獲得できなかっただろう。

 紆余曲折の末に結ばれたからこその感動であり、しかし紆余曲折をそのまま延々と描写されると読む側としては苦痛でしかない。

 『めぞん一刻』はコメディベースでありポップな絵柄であることで紆余曲折をコメディとして読者に苦痛なく疑似体験させることに成功している。

 



 最後に――

 感動的な美しい物語だからこそ、この作品のキズについても言及したい。

 この作品の大きな問題点を挙げるならば、サブヒロインの七尾こずえの描かれ方ではないだろうか。コメディリリーフでもなく主要キャラクターでもないという中途半端な描かれ方であり、ビターな恋愛の結末という意味だけでなくキャラクターの扱われ方という意味でも気の毒だと思う。

 ちょっとした誤解で五代裕作との関係を解消してしまった時期に、こずえちゃんは他の男のプロポーズを受け入れてしまい、その後、誤解が解けるのだが、プロポーズされるほどの関係の男の存在がほのめかされたのはかなり後半であり、結末に向けて取ってつけた感が否めない。

 五代君に想いを寄せるキャラクターは他にも、八神いぶき、音無郁子もいる。だが郁子ちゃんは初期の頃ライトに慕っていた程度。八神ちゃんは強烈にアタックしているが、恋に恋している感があって両者とも深いダメージはないように見える。

 しかし、こずえちゃんはもっと五代君と深く関わってしまっている。三鷹さんなみには丁寧に扱ってあげるべきキャラクターだったと思う。



 おっと、ネガティブなことに文章を割きすぎたようだ。「最後に」とは書いたものの、この美しい物語をネガティブな文章で締めるわけにはいかない。前言撤回しよう。


 今度こそ最後に――

 五代君、響子さんお幸せに。今頃は孫ができてるかもしれない。一刻館は綺麗なアパートに建て替えられてるかもね。

 こずえちゃん、三鷹さん、普通はそうなんだよな。五代君たちのような結ばれ方をするのは特例。幸せになってほしい。

 四谷氏はどうしてるかな。きっと、どこかの老人ホームに入って相変わらず覗きを楽しんでいることだろう。


 

 

 


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