今日という日が

レジ袋

第1話

 太陽が眩しい猛暑の日だった。

 

 朝から焼くように太陽がアスファルトを焼き付けていた。

 温暖化の影響なのか真夏日が続き、外に出るのも億劫になるような日だった。

 

 「お母さん、今日病院に行くから夕飯買って帰っておいでね。」


そう言ってシングルマザーの内田彰子は息子の暖人へ500円を手渡した。病院というのは暖人の弟である陸が入院している大学病院のことだろう。風邪も滅多に引かない彰子だが、陸は生まれつき身体が弱かった。


 陸は小学4年生だ。本当なら遊び盛りの年なのだろうが、人生のほとんどを病院で過ごしている。

 「心室中隔欠損」これが陸の病名だった。

心臓にある四つの部屋のうち、右心室と左心室という部屋の間にある筋肉の壁に穴が空いてしまう病気だ。成長と共に閉じることが多いが陸の場合は厄介で、生まれてからすぐに手術をした。その後も何度か手術をしたが、退院できるまでに回復していないのだろう。


「わかった。」


 暖人は、渡された500円をポケットの中にグチャグチャに突っ込んだ。

ここ数週間は陸の様子が悪いのだろう。彰子と顔を合わせるのは毎日朝のほんの数分だけだった。


 暖人は陸のことが嫌いだった。


「うるさい!お前なんか早く死ねばいいんだよ!」


 前に病院へ行った時、外で遊びたいと大泣きをした陸に思わずこう言ってしまったのだった。病気のせいだと分かっていても、我慢できなかった。


 陸の病気が酷くなってから、家族は陸中心になっていった。

大好きだったサッカークラブも、お金がかかるからと言われ辞めた。高校に入ってから周りが大学受験を考え始め、塾に行き出しても行きたいと言えなかった。

それどころか相談できる時間すらなかった。


 自分がこれだけ我慢しているのにどうしてーーー


そう思うと、怒りが込み上げてきたのだった。


 あれ以来、病院には行っていない。いや、行けていない。あいつの顔を見るのが怖かった。そして、こんな酷いことを言える自分が怖かった。




 高校までは自転車で通っている。

交通費がかからないと言うことと、学費の安い公立高校しか行けなかったからだ。

 高校生活は楽しかった。家が近いこともあり、中学の時の友達も沢山進学していたし、何せ学校にいる時間は家のことを忘れられた。

 くだらない会話で笑っても、サッカーをしても怒られないし、楽しかった。


 「内田、ちょっとこい。」


 突然休み時間に扉がガラッとあき、担任の鷲見が暖人を呼んだ。


 「お母さんから電話があった。弟さんが危ないらしい、今すぐ病院に行け。」


 鷲見は暖人に朝回収していた携帯を渡すと、早く行くようにと伝え、走って職員室へ戻っていった。


 「またか。」


 もう何度目だろう。珍しいことではなかった。今年に入って陸がよく熱を出すようになり、その度に呼ばれるのだ。それよりも自分の時間をも削られているようで腹が立っていた。

 携帯の電源を入れると、彰子からの不在着信が沢山入っていた。「早く来て。」「連絡ください。」

とメッセージもあった。


 また大袈裟だなと思いながら、前の一件もある暖人は、重い足取りで病院へと向かった。


 病院へは電車で20分程だった。なんて謝ったらいいのか、どう会おうかを考えながら、彰子からの着信画面を眺めていた。


 電車の中、出れない。


とだけメッセージを返した頃、病院のある駅へと着いた。


 着いた頃には駅まででかいた汗もひいていた。

 小児科病棟はいつも可愛く切り絵や貼り絵がされていた。看護師や専属の保育士が作っているのだろう。季節に合わせ、変わっていくこの絵を見るのが暖人は好きだった。


 陸の病室に入ろうとした時、いつもの看護師に止められた。


「今、エンゼルケアの途中だから、隣の部屋にお母さんがいるわ。」


 そう言われ入った説明室には、うなだれて泣きじゃくっている彰子と、肩をさすっている担当の看護師の姿があった。


 頭の中が真っ白になった。


 エンゼルケアってなんだ。なんで合わせてもらえないんだ。なんでこんな泣いているんだ。


「どうしたんだよ。」


 そう呟いた暖人に、目を真っ赤に腫らせた彰子がこう返した。


「暖人、陸、死んじゃった。がんばったのに…」


 陸が死んだ?そんなはず、だって一ヶ月前喧嘩した時は外で遊びたいって元気だったじゃないか。


 暖人は脚の力がすっと抜け、その場に蹲った。何が起きているのか分からなかった。


 エンゼルケアとは、死後処置のことで看護師が亡くなった方の体を拭いたり、内容物の処理などを行う最後の医療行為だ。もちろん、医療関係者以外は目にすることはないだろう。


 手続きなどは、親戚の人がしてくれているらしい。彰子は一人では立てないほど憔悴していた。

 

 「お力になれず、申し訳ありませんでした。」


最期の見送りの時、寝台車の前で彰子に深々と頭を下げていたのは、担当の医師だった。彼もまた目に涙を浮かべ、車から見えなくなるまで頭を下げ続けていた。



 葬儀が終わり、家に戻ってきた時、ふと陸の使っていたランドセルに目がいった。今ではほとんど使っていなかったが、戻ってきた時のためにと家に置いてあった。そこには、陸の夏休みの日記帳が入っていた。


8月12日 ひさしぶりにいえでごはんを食べました。おかあさんもおにいちゃんもとてもおはなしするのが楽しかったです。


8月13日 きょうは外でおにいちゃんとさんぽをしました。小学校ではサッカーをやっていたけど、ぼくはできないので、みていました。


8月14日 おにいちゃんがサッカーボールをくれました。早くできるように病気を治したいです。ぼくはお兄ちゃんのことがだいすきです。


 汚いがしっかりとした字でこう書かれていた。 暖人の目からは涙が溢れていた。

 

 どうしてあんな事を言ってしまったんだろう。


 どうしてすぐ会いにいかなかったんだろう。


気づくには遅すぎたのだ。自分の愚かさに。

 何もかもが音を立てて崩れ落ちていった。学校や友達より大切なものはなんだったのか。

 あの無邪気な8歳の笑顔はもう見られないのだ。




あれから10年が経った。


 「俺、医者になるわ。」

 「医者になって、陸みたいなやつを助けたい。」


そう思って猛勉強し、医学部に入り、今では小児科専門医になるための専攻医になった。


それが、陸への償いだと思ったから。


 

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今日という日が レジ袋 @rejibukuro10

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