第11話枷と籠の中


 約束をした翌日、紫亜しあ茉紘まひろも普段と変わらぬ学院生活を送っていた。茉紘は、朝のお祈りの時や、授業中など何度か紫亜を見つめてしまっていたが、紫亜と目が合うような事はなかった。

「それじゃあ、次の文を、松原さん」

「はい」

仏語の授業で紫亜があてられ、淀みなく仏語を読み上げる。やわらかで少し低めの落ち着いた声。艶やかな黒髪と真っ直ぐ伸びた背筋が美しい。

「はい、そこまで。じゃあ次は…藤城さん」

「…え、あ、はい」

紫亜に見惚れていた茉紘は、慌てて立ち上がる。

「…すみません、どこからですか、」

「あらあら、松原さんの方を見ていたから熱心に聞いているのかと思ったわ」

先生が揶揄からかうようにそう言うと、途端に周囲から視線を感じた。紫亜も思わず茉紘の方を向いてしまい、目が合う。恥ずかしさで真っ赤になってしまう茉紘。周囲からもクスクスと笑い声が漏れた。

「次はちゃんと聞いていてね」

「はい、すみません…」

紫亜はどう思っただろうか、茉紘はそればかり気になってしまったが、もう紫亜の方は見れなかった。




 昼休みになればいつも瑠璃子の元へ向かう茉紘だったがこの日はずっとひとりで過ごしていた。瑠璃子は欠席のようなのだ。

「久しぶりだな、この感じ」

ひとり自然の庭でスケッチでもしようと鉛筆を握るも、ぼんやりとしてしまう。風はほとんど吹いていないくらい静かで、目の前で数羽のすずめが何かをついばんでいる。

ひとりでいるのは慣れてきたと思っていた。が、こうして瑠璃子がいない日が来ると全然そんな事はなかったのだ、と気付かされる。


 瑠璃子と出会ったのは、この学院の初等部に瑠璃子が転校してきた時だ。桜の舞う季節、高学年となったばかりの頃。

 たまたま隣の席になったのが茉紘だった。はじめは綺麗過ぎて近付き難いという印象で、瑠璃子と仲良くなれそうとは思ってはいなかった。

 初めて瑠璃子と話したのは、欠席時のノートを貸した時だった。瑠璃子は、転校当初から保健室で休んだり、欠席する事が多い児童であった。肺が弱くて喘息の発作にもなりやすい。自然、茉紘が欠席時のノートを貸したり、何かと手助けをする事が多くなっていた。

 それに、互いに絵を描くのが好きという共通点もあり、段々と一緒にいるうちに打ち解けていき、ふたりは友達と呼べる間柄になった。

 瑠璃子はいい友達だと思う。

 ただひとつ困った事があるとすれば、それは茉紘は瑠璃子のもの、というような暗黙の了解が出来てしまっているという事だ。

 前に一度だけ、瑠璃子の休みが長い間続いた時、茉紘が他の子と仲良くなった事があった。茉紘としては、欠席していた瑠璃子も休み明けにはその輪に加わるだけだと思っていた。

 が、休み明け、そこにあったのは不機嫌な瑠璃子と気まずい空気だった。


「友達はいらない、か」

つい最近も聞いた台詞。過去の出来事を思い巡らせながらも、茉紘はスケッチブックに瑠璃子のようで瑠璃子でない少女の輪郭をぼんやりと描いていく。


 結局他の人と仲良くなる事はなく、あれ以来、茉紘と瑠璃子はずっとクラスが同じだった事もあり、茉紘と瑠璃子はペアなのだ、と周りから認識された。

 茉紘は、瑠璃子が欠席中でも、何かペアを組むような事があれば彼女の意向を聞く事もなくほぼ強制的に瑠璃子と組にされた。

 そして、茉紘もまたそれを拒否しなかった。瑠璃子といる時は単純に楽しかったし、茉紘も他とうまくやれる程の要領の良さは無かったのだ。

 ただ、そういう事の積み重ねによって瑠璃子が休みの時、茉紘はひとり孤立する事が増えていった。

 中等部に上がって初めて瑠璃子と別のクラスになった時、茉紘はこれは新しい友達を作るチャンスかも、と内心思ってしまった事は否めない。

 しかし、初等部からの持ち上がりの生徒が大半をしめるこの学院で、新しい関係性を築くのは思っていたより容易ではなかった。

 そして、茉紘にとって意外だったのは、瑠璃子がさほど茉紘に対して執着を見せなかった事だ。むしろ、中等部に上がってから、依存的に接していたのは茉紘の方だ。茉紘の方から瑠璃子に会いに行き、なにかと一緒にいたがった。


「私ってなにがしたいんだろう」

瑠璃子といる時、それは不自由な枷のようで、しかし逆に安心していられる籠の中のような、そんな気持ちになる事が増えていっていた。ここに留まりたいのか、解き放たれたいのか、自分でもよく分からなくなっていた。

 そんな時、ひとり凛と立つ、松原紫亜が眩しく思えた。ぐずぐずとして結局孤立してしまっている自分とは違って、自らひとりでいる事を選んだ彼女。彼女もまた友達はいらない、と言うのだろうか。


 スケッチの中の少女が、瑠璃子のような少女から紫亜のような少女に描き変わっていく。独り遠い彼方を見つめる凛とした少女。でもそれは、あまりにも脆い薄い硝子のような危うさも併せ持つ。

 鉛筆を置いて、茉紘は遠い彼方を見つめた。雲ひとつない空が青くどこまでも広がっている。広々としていて清々しい筈なのに、ひとりで見つめる空は寂しく感じられた。

突然、風が強く吹いて、茉紘が持っていたスケッチブックは悲しい事にビオトープにある池へと落ちた。

「ああ、そんな…」

スケッチブックは拾い上げると水が滴り落ちた。この間は、雨から守れたのに、こんなところでふいに駄目にしてしまった。こんな時、ひとりでは励ます人も悲しみを分かち合う人もいない。濡れてしまったスケッチブックを片手に茉紘はしばし呆然とするしかなかった。


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砂糖菓子の人魚 白山ユウ @sugarandsugar

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