『we're Men's Dream』 -type B-

澤俊之

第1話『we're Men's Dream』 -type B-

 どん。軽い衝撃が走ると、乗っている車がなにかにぶつかって止まってしまった。後部座席で眠っていたボクは、運転席を伺ったけれど、なにも見えない。スマホの時計を読むと午前一時。画面右上の電波アイコンは「圏外」の表示。

 車内灯もつかず、車はエンジンもかからないみたいだった。運転席の龍子リューコがなんどもスマホを確認する。

「だー、ダメだ! おかしい。マップアプリだと十二号線を東に直進してるはずなのに!

おい、真琴マコ、ヌイ。オマエらのスマホ、電波入るか?」

 ボクともう一人の同乗者のヌイは、スマホの画面に目を落とし、同時に首を横に振る。

 そうこうしているうちに、エアコンの切れた車内の温度が下がり始めた。せめてお湯でも沸かそうと思って後部キッチンに移動する。コンロのスイッチを入れたけれども、なにも起こらなかった。ガスではなくて、IHヒーターだったからかもしれない。ボクは機械に弱いので無力だった。

 三人で軽く話し合った。スマホがライト替わりにもなるけど、充電のあてもないし、あと五時間もすれば夜が明ける。それまではスマホの電源を落として、おとなしく毛布にくるまって眠ることにした。

 早朝、運転席の方から物音がした。リューコが誰かと話しているようだった。助けがきたのかな? ボクはヌイといっしょに毛布に包まったまま、もぞもぞとそちらに向かう。

 運転席から見えたのは、ボクたちよりも少し年上の女の人で、やさしそうな美人だった。さむさに凍えていたボクたちを彼女の山小屋に案内してくれた。

 山小屋の中はとてもあたたかかった。暖炉に燃える火がとてもきれいで、思わずうっとりしてしまう。

「残り湯で悪いけど、お風呂であったまりなさい」

 美人のおねえさんからそう声をかけられるけど、小屋の中にお風呂は見当たらない。軒先に連れ出されると、そこにはドラム缶を流用したお風呂があった。

「うっひょー!」

 さっそくリューコがすっぽんぽんになって、それに入ろうとする。でも、体重が軽いせいかフタを底に沈められないみたいだ。おねえさんが、その様子を見かねて、リューコと一緒にフタを沈めて入浴をする。とても気持ちよさそうだ。見ていると、リューコの肌つやが、どんどんぴかぴかになってきた。

「ゆでたまごみたい……」

 私は思わずつぶやいた。

「……マコちんは口開くと食べ物のはなしばっかだね」

 ヌイはきれいな金髪を後ろ髪にゴムでしばり、デッキに脱ぎ散らかされたリューコの服をたたむ。

 充分にあたたまったリューコとおねえさんは五右衛門風呂から出る。朝日の中で湯気が立ち上る肢体は、タイプはちがうけどスタイル抜群で、まぶしかった。

 かわりばんこ、ということでボクはヌイと一緒に入浴することになった。わたしたちも全裸になり、五右衛門風呂に体を沈める。ざぶざぶと体を沈めると勢いよくお湯があふれた。わたしの体積のせいだ。ヌイはフランス人とのハーフで、モデルばりにスリムで高身長。対してわたしは三人のなかで、いちばん背が低く、いちばん体重と体積がある。そのせいで湯があふれてしまったけど、幸いにも五右衛門風呂の下にある薪には湯がかからず、火は消えなかった。

 幼馴染のヌイと一緒にお風呂に入るのはいつくらいぶりだろう。

「マコちん、せまいよ」

「……」

「また、いちだんとサイズアップしたんじゃない?」

ヌイが少しうつむきながらそういうと、少しウェーブがかった長い金髪がボクの頬をくすぐった。こそばゆい。

「ヌイちゃんもまた、背、のびたね」

 ひさしぶりに一緒に入浴できたので、おもわず笑みがこぼれてしまう。

 五右衛門風呂は立って入るので、ヌイとボクとの身長差がよくわかる。ボクの体積のせいで、細いヌイの体と密着、というか圧迫してしまう。そういえば、昔にもこんなことがあったけ。あの時はお風呂じゃなかったけど。


 ボクは墨田区生まれの墨田区育ち。代々政治家の家系に生まれ育った。家は業平なりひらにある一等地の豪邸だ。母がボクをおなかに宿したときには男の子を期待されていたらしく、生まれる前から、父の名である誠一郎セイイチロウから一文字とって「マコト」という名前をつけられていた。

 でも、生まれたボクは女の子だった。おなかにいるころから「マコト、マコト」と呼び掛けていた両親は、ひっこみがつかなくなっていたこともあって、音だけ合わせてボクを「真琴マコト」と名付けた。

 期待していた男の子ではなかったけれど、両親は落胆したわけでもなかったらしい。

「いいお婿さん、さがしてあげるからね」

 と、父に言い聞かされて育った。ボクは両親に溺愛されていた。

 幼いころから活発な性格だったので、髪を短くそろえていた。そのせいもあって、ボクをよくしらない周囲の大人たちからは男の子と勘違いされ、「ボクちゃん、元気だねえ」と言われていた。そのせいもあって、いつのまにか一人称が「ボク」になっていた。家庭内でもボクを使っていたけれど、両親とも、特にとがめようとはしなかった。それどころか、父は喜んでさえいた。ある日、父がこう教えてくれた。

「マコト、ボクって意味わかるかい? 僕っていうのは「しもべ」って意味があるんだよ」

「しもべ?」

「そう。お父さんのお仕事は政治家って言って、おじいちゃんもそうだった。政治家っていうと、みんなからえらい、えらいって持ち上げられるのだけど、じつは逆なんだよ。えらいって言われるのは、国のみんなの生活を、善い方向に向けてがんばっているから。だから、お父さんは、みんなの上に立っているわけじゃあなくて、みんなの『しもべ』のつもりでいるんだよ。だから、ボクっていう言い方、おとうさんは大好きだ」

 しもべ……みんなのためにがんばる。ボクはボクをボクで続けることにした。


 今日も幼稚園でお遊戯の時間。ボクはなかよしのヌイと隣り合わせで、ビーズが詰まったお手玉をもてあそぶ。ぽんぽんと四つのお手玉を宙であやつると、まわりのおともだちや先生から、すごい、すごいと、もてはやされる。ボクは家でお手伝いさんに付き合ってもらって、たくさんお手玉の練習していたから。

 ボクはみんなに喜んでもらえることがうれしい。これは、みんなのしもべを自称する父の血のせいかもしれない、と、うっすら思っていた。

 ヌイはお人形みたいな金髪と碧い目で、まわりと違っていたけれど、いつもボクと一緒にいたので、良い意味で同列に扱われていた。太っちょだけど、なんでも器用にこなすボクと、やせすぎだけど、とてもキレイなヌイ。ボクらはお互いを補い合って、ふたりとも天使扱いされていた。

 羽根がひとつ足りない片翼の天使でも、抱き合えば両翼で空にはばたける。

 ヌイの実家は大工さん。いちど棟上げのときに誘われて見学したことがあったけれど、まっさらだった空き地に、こんな立派なお家を造れるなんて、すごい! と思った。その感想をそのままヌイに伝えると、「へへーん」と、とても得意そうにしていた。

 そんなある日、ヌイが園庭のすみっこで、膝を抱えてうつむいていたことがあった。

「ヌイちゃん、どうしたの? なわとびしようよ」

 そう声を掛けたけれど、ヌイは顔を上げない。ボクはとなりにすわって、寄り添った。しばらくすると、ヌイが泣いていることがわかった。

「ヌイちゃん、ぽんぽんいたいの? もしかして……いじめられたの?」

 ボクがそういうと、ヌイはゆっくりと金色の頭を横に振る。

「……ママンが、ママが」嗚咽しながら震えたこえで絞り出す。「また、かえってこれないって……」

 ヌイの母はフランスでファッションモデルをやっていると聞いたことがある。売れっ子で、年二回あるパリコレの前後は長期間帰国できない。パリコレのランウェイモデルをやっているということは、ものすごく名誉なことだとヌイに何度も聞かされていた。

 それでもやっぱり長い間、愛しいママンに会えないのはつらいんだろう。

「えっと、パリコレだっけ」

「……そう」

 なんどかヌイの家には遊びに行ったことがある。家の奥にある畳敷きの和室には、ヌイのママンのドレスをまとったトルソーがいくつも並べられていた。

 ヌイはさびしくなると、ドレスをまとめて抱え、押し入れに入って寝そべる。ボクもそれに付き合って、いっしょに中で身を寄せる。

「マコちん……せまいよ。……でも、あったかい。なんだかママンのにおいもするね」

 横に発育していたボクの胸に顔をうずめると、ヌイは安心してくれる。金髪の頭をよしよしとなでてあげると、寝息を立てて眠る。ボクもそれに誘われていつのまにか寝てしまう。


 夕方になって、ふたりとも目が覚めると、ヌイのパパがごちそうを出してくれる。

「マコちゃん、ヌイとなかよくしてくれてありがとな! たんと食べておくれよ!」

 ヌイのパパとおじいちゃんは、大きな鉄板でもんじゃ焼きや焼きそばをつくってくれる。遠慮せずにもりもり食べていると、ヌイのおじいちゃんに頭をなでられる。

「いいなあ! マコちゃん。その食いっぷり! 見てて気持ちいいよ」

 台所と居間を、いそいそとヌイのおばあちゃんが往復して料理や材料を運んでくれる。ボウル四つ分いっぱいのもんじゃ焼きと、焼きそばを八玉くらい食べて、ごちそうさまをした。デザートに白玉ぜんざいをだしてくれたけれど、これも五杯おかわりをする。

「ほんとうにとっても気持ちがいい食べっぷりねえ」

 ヌイのおばあちゃんは満足そうに笑う。ヌイのパパとおじいちゃんもにこにこしている。ボクはヌイとその家族が大好きだった。


 自宅はヌイの家から歩いて二分の距離。帰宅すると夕飯の時間。少しだけ遠慮してごちそうになったので、問題なく食べられるだろう。

「マコちゃん、おかえりなさい」

 おなかの大きくなった母が玄関まで迎えてくれた。ボクは来年から小学生。その頃には弟が生まれると聞かされていた。とても楽しみ。

「おとうさん、呼んできてくれる?」

 母にそう言われたので庭にある防音室に向かう。中からは小気味よい打楽器の音が聴こえる。ノックしても父には聞こえないだろうから、二重の防音扉を開けてから両手を大きく振る。

 父はボクに気づいて演奏を止めた。

「お、マコトか。夕飯に呼びに来てくれたのかな?」ボクがそれにうなずくと、父が、首にかけたハンドタオルで汗をぬぐいながら続けて言う。「マコトもちょっとやってみるか?」

 父はそういって簡単なパターンを披露してくれた。気持ちの良いリズムだった。やがて立ち上がって、ボクに向かう。父がヒッコリーでできたドラムスティックを二本渡してくれた。でも、どうすればいいのかわからない。ボクを促してドラム椅子スローンに座らせてくれた。

「左側のお皿がハイハット、真ん中の太鼓がスネア、下にあるペダルを踏んで叩くのがバスドラムっていうんだ」

 ボクの右手に手を添えながらハイハットを四分音符で叩く。左手では、二拍と四拍のタイミングでスネアを叩く。拍アタマにキックを入れながら楽しんでいると、いつのまにかボクはリズムを奏でる音楽になっていた。とても気持ちがいい。

 自転車練習時の補助を外すかのように、父が添えた手を離す。リズムにのったままボクの手足は勝手に動き出す。他の太鼓はどう使うんだろうと、シンバルをならしたり、タムも叩いたりする。振り向くと父が微笑みながら見守ってくれていた。その時、入り口から声がする。

「ちょっと、おとうさんもマコちゃんも! もう晩ごはんですよ!」

 大きくなったおなかをさすりながら母が呼びにきていた。


 小学校はヌイとは別のところだったので、近所なのに疎遠になってしまった。学校が別だったことに加えて、予定通り弟がうまれたので、弟をあやしたりすることも増えていたから。弟は父の名、誠一郎から一文字とって誠二セイジと名付けられていた。周りの大人たちから「セイジちゃん、おねえさんのマコちゃんそっくりね」といわれていたこともあって、余計にかわいがっていたのかもしれない。

 小学校四年生。高学年になるとクラブ活動がはじまる。ボクは吹奏楽部に入って、パーカッションを担当することになった。家では父からドラムを習っていたので、すんなりと修得することができた。男子児童からは、「マコ~、今日も体重乗っかったデカい音させてるな~」などと、からかわれることもあったけれど、実際に体重を乗せて、いい音を出していた自信があったからぜんぜん気にしていなかった。

 ある日、帰りの会でボクのことが議題にあがった。おなじクラス、おなじ吹奏楽部の女子からだった。

「先生。男子たちが、マコちゃんのことをいじめています」

 いじめ? ボクはぜんぜん意識していなかったけれど、周りから見るとそうでもなかったみたいだった。押し黙った先生の前で、ボクをさしおいて喧々諤々けんけんがくがくと女子と男子の舌戦が繰り広げられる。帰宅後、そのことを父に話した。

「マコトが全然気にしていなくても、周りに影響があるんだろうね。それだけマコトの存在が大きいんだよ。ときとしておおやけ神輿みこしになるのが「僕」という存在だからね」

 父の言うことは、よくわからなかった。小学校残りの三年弱、吹奏楽部を続け、中学校に進学。共学ではない、名門の女子中学校。そこでふたたびヌイと同じ学校に入ることができた。


 偶然なことに、ヌイも小学校時代、吹奏楽クラブに入っていたと知る。ピッコロ担当だったけれど、背がどんどん伸び、中学入学時には一六〇センチ近くなったヌイの身長から比較すると、小さくて似合わない、と言われていたことがひっかかっていたらしい。

 身の丈にあった大きい楽器がいい、とのことでテナー・サックスを担当することになった。ストラップを肩にかけて真鍮色のサックスを構えるヌイの姿はとても恰好よかった。


とある日、いっしょに帰宅する途中、ヌイから相談があった。

「ねえ、マコちん。部活もたのしいけどさ、ちょっとバンドやってみない?」

 ヌイはコードレスのイヤホンを自分の耳から外して私に曲を聴かせる。煽情的な歌、激しいギター、大音量のベース、そしてタイトなドラム。衝撃で、ボクのやわらかい体が、びびびと振動した。

「これって、ロック?」

「そう。吹奏楽で誰かが書いた曲やるのもいいんだけど、バンドで自由にオリジナルやるほうが楽しいかなって思ったんだ」

「ロックでサックス吹くの?」

「ううん、この機会に別の楽器もいいかなって。ギターもいいかな、と思ったけど、背ばっかのびちゃったから、スケールの長いベースを狙ってる。テナー・サックスも低音楽器だし、応用できるかなあって」

 エアドロップでスマホにその曲を送ってもらう。帰宅してからなんども聴き返す。タイトでラウドなロック・ドラムのサウンドは、ボクの理想に近かった。父にも聴かせて、バンド結成について相談をしてみる。

「うん、とってもいいと思う。おとうさんも大学のころバンドでドラムやっててさ、ロックも大好きだった。マコトがやってみたいっていうなら、どんどんやりなさい。おとうさんのドラムも使っていいからね」

 放任、ではなく、心底応援してくれそうだった。

「そういえば、ヌイちゃんはベースやりたいって」

「そうか、おとうさんの知人が御茶ノ水で楽器屋経営しているから、紹介してあげるよ」

 この時、ヌイとのバンド結成が決定的になった。ギターとボーカルはまだ欠員だったけれど、このあたりはヌイから語ってもらおうかと思う。


 あれから五年後の今。せまい五右衛門風呂を余計にせまくしている私の体。ぷよぷよな胸に、対面するヌイのおなかが埋もれている。ヌイと密着するのは幼稚園以来だった。


「マコちん。……フェス、最高のプレイしようね」

 頭上からヌイの声が聞こえた。

「うん。ヌイちゃん」

 翌日に控えている初めての音楽フェス。

 あの時思った理想にたどり着いたバンドとサウンド。思い切り体重を乗せて太鼓を響かせよう、と心の中で誓った。


 五右衛門風呂で体温が戻ってくると、おなかがくぅと、鳴る。

 おなかすいた。


<了>

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『we're Men's Dream』 -type B- 澤俊之 @Goriath

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