第12話 書記官

松河原総司令は毎朝7時半に登庁する。

 執務室に入った彼は重厚な机の前に着いて、まずは新聞を広げた。

 大手新聞社の新聞各紙に目を通し、最後に帝都新古新古にこにこ新聞を念入りに読む。

 途中で現れた給仕の出した茶を喫しつつ、興味を惹く記事は無いかと隅々まで目を走らせる。

 執務室のドアがノックされた。

 「入れ」

 静かにドアが開く。控えめな靴音の間にカツン、カツンと固い音が交じる。

 「おはようございます、閣下。佐渡であります」

「ん、」

総司令は初めて顔を上げた。見計らったように書記官が手帳を開く。

「本日は午後1時から第五部との人事会議が予定されております」

「だけか?」

「今回は各部とも大幅な異動が検討されております。会議が長引くと予想される為、他のご予定はございません」

「ん、分かった」

 総司令は佐渡の右手を見やる。

 彼の手には柄が銀色の黒いステッキが握られていた。

 「扱いに慣れたか?」

 左手の手帳を閉じた佐渡は己の右手に視線を落とした。

「松葉杖よりかは」

 復帰直前に突然訪ねてきた各務平八郎かがみへいはちろう大佐から贈られた物だ。

 最初は断った。

 賄賂代わりにされても困ると思ったし、一目で値の張る物だと分かったからだ。

「まあ、なんだ、快気祝いだ」

応接間で各務は照れくさそうにする。

「今の杖より格好が付く」

「動けさえすれば構わないのですが…」

「おっさんがよぼよぼに見えるのは問題だぞ?使わなくなっても爺になったらまた使え」

 

 聞けば、佐渡に合わせて作らせたというので、しぶしぶ受け取る事にした。

 

 「実際今のほうが見た目がいいぞ」

「左様でございますか」

 紳士感が出て彼に似合っていると総司令は思うのだ。

 「では、午前中は何も無い訳だな」

 総司令は話を戻した。

「お前はどうか」

「閣下のご要望とあらばなんとでも」

 会議後に自分の仕事を片付ければいい。特に急ぎの用件も来ていないし、新聞に閣下の気になる案件も無いと把握している。

 松河原総司令は真顔で佐渡を見つめた。

「話したい事がある」


 一旦御前を下がって、佐渡は廊下を歩きながら考える。

 総司令が改まった御様子で「話がある」と仰せになるのは珍しい。大事のご相談さえ突然ふっかけてくるお方だ。しかも「午前の予定を片付けておけ」とも仰せだった。


 

 時間がかかるという事か。なんだ?例の事件絡みの事か?

 

 皇帝陛下毒殺未遂事件に関し、総司令部はその後の全てを警察に任せて、捜査の推移を把握しているだけだ。


 モルヒネ密売事件か?


 清南議員を含む一般人は有罪、収監。密造モルヒネを購入していた軍人は憲兵部により全員拘束。軍法会議で処罰が決定している。

 佐渡の療養中に全て済んだ事だ。上野から聞いている。


 他はなんだ??


 佐渡は一人眉を寄せる。

 閣下のお考えがわからないと落ち着かない。


 

 「………はぅ?」

 書記官の反応に松河原総司令は吹き出したいのをこらえた。

 こいつ、本気で唖然としている。

 「ずいぶんな、反応だなっ」

 笑いをかみ殺しながら総司令は言う。

 テーブルを挟んだ佐渡はフクロウよろしく目を瞬いた。

「今、何と…?」

「お前を三階級昇進させる」

「少将、ですと!?」

「らしくないな、一回落ち着け」

コーヒーを勧めて総司令は自分のカップを持ち上げた。

 「有事の際は参謀長になる男が少佐のままでは評価が不当だ。俺の書記官かつ第三部の部長を務めておきながら、今の階級では低過ぎる」

 総司令部第三部は作戦立案部門だ。武力衝突など、総司令の指揮が必要な際は第三部が中心となる。それに伴いその部長は参謀長となり、作戦全般を担当すると定められている。

 佐渡弥八郎少佐は第三部部長と書記官を兼任していた。他の部長の階級は大佐以上だ。外交部門の第一部となれば佐官だらけである。

 「しかし、私はさしたる功績を持ちません。閣下のお側に仕えるだけの人間が、いきなり将官になど」

「俺は充分ありだと思っているぞ。平八郎にしろ、万千代にしろ、文句言わんだろ」

「ならば今回は見逃していただきたい。先の事件では閣下の手足となるばかりか足手まといでありました。此度の昇進に値致しません」

 陛下の事件で自分のした事など皆無だ。傷を負い、横になっていたばかり。昇進させるべき人間が他にいる。

「今までの働きに鑑みての昇進だ」

松河原総司令は再びコーヒーをすする。

「以前も同じ事を申して断っただろうが。今度こそ観念しろ」

 佐渡は苦い顔でコーヒーカップを持ち上げた。

 これか。どうして時間がかかると仰せなわけだ。

今までの働きとお考えなら、今でなくてもよいはずだ。

………まさか、破格の昇進は書記官交代への布石のおつもりか。

 それだけは避けたい。

「………老いぼれは楽な職に移れと仰せで?」

「ぷはははっ」

総司令はついに吹き出した。

「コーヒーに変な薬を入れた覚えはないぞ?ぷふっひひひ」

爆笑してソファーの中で体をよじる松河原総司令。帝国軍片翼トップの威厳は吹き飛び、ただのガキである。

 笑い事ではない、と佐渡は思ってカップに口を付ける。先の負傷で以前のようにどこへでも、とはいかなくなった。左大腿の傷は塞がったが、今も力が入らない時があり杖が欠かせない。

 総司令に影のごとく付き従う事を第一義としている彼にとって、扈従不可は恐るべきことであった。

 コーヒーがいつもより苦く感じる。

「んなわけあるか、安心しろ」

ようよう笑いの収まった松河原はソファーに座り直す。

「お前以上に片腕の務まる人間はいない」

その言葉にひとかけらの冗談も含んでいなかった。

 だが佐渡の心配は収まらない。

 「以前のように行きませんぞ」

 総司令の懸案解決の事だ。

「必要とあらばお前が人を選んで命じても構わん。いずれ治る怪我なのだろう?」

「年単位と軍医が申しておりました」

「だろうな」

少し弾がずれていたら動脈が傷ついていたと聞いている。

 「………恐れながら、三階級はご勘弁を」

長年の働きを評して、としても三階級は多すぎる。

「ああ?」

眉を寄せた総司令はすぐに命じる。

「だったら大佐だ」

「お受け致します」

深く頭を下げる佐渡に松河原総司令は苦笑を向けた。

「次こそは将に上がってもらうぞ」

「は」

次があるかどうかはわからないが、将官に見合うだけの働きをせねばならないな。



 

 

 後日、東方面軍内部で辞令が発表された。

 「君にも辞令が出ている」

 上野千穂うえのちほ中尉を前に、前欧州駐在武官松河原英忠まつがわらひでただ少将は言った。

 『も』と言ったのは少将自身も今回の異動で第一部副部長に決まったからだ。若年20の副部長だ。

「『上野千穂中尉を第三部少佐に任ず』だそうだ」

「第三部でありますか?」

本人は僅かに眉をひそめた。

「書記官代理の働きが気に入られたんだろう。良かったじゃないか」

「………」

「お父上にお会いする機会が増えるというものだ。少し考えておくといい」

「あれを親と思った事はございません」

嫌悪感をにじませる上野を松河原少将は面白がる。

「君は書記官の事になると人間味が出るな。常に佐渡の話をしようか」

「お止めください、閣下」

若き少将は爽やかな笑みを浮かべた。

「親としてどうであれ、佐渡は優れた書記官だ。学ぶ事は多々あろう。向こうでも活躍してくれると思っているよ」




 4月。

 総司令付書記官兼第三部部長佐渡弥八郎大佐は執務室で書類を繰っていた。

 年度始めは目を通す書類が特に多い。

 閣下のご裁断を仰ぐべき案件も早くに吟味してお渡ししたほうが良いだろう。閣下のご予定も連日埋まっている。

 ドアがノックされた。

 時計と手元の書類に目をやった彼は入るよう命じる。

 執務室に若い佐官が入ってきた。右肩の飾緒の数は1本。少佐だ。

若き少佐は固い声で敬礼する。

「第三部少佐上野千穂であります。佐渡部長にご挨拶に参上致しました」

 部長と来たか。

 平素、「書記官」または「大佐」呼ばれしている分、こう呼ばれると新鮮だ。

「話に聞いている」

 佐渡大佐は書類から目と顔を上げた。

「貴様が私の補佐だそうだな」

鷹に似た上野の眼が不機嫌に細められる。

「April foolかと期待した自分が馬鹿でありました」

「冗談の一つも言うようになったじゃないか。まあいい」

佐渡は上官の顔に戻る。

「先の騒動ではこちらもずいぶんと助けられた。ここでも貴様の働きに期待させてもらおう。よろしく頼む」

「はっ」

再敬礼した上野少佐は元に居直った。

「それでは失礼致します」

「待て、」「は?」

机上の書類をまとめた佐渡は傍らの杖を手に立ち上がる。

「早速だが来てもらおうか」



 

 

 来室を告げる声に松河原総司令は返事をする。

木製の重厚なドアが開いて、供を連れた書記官が入ってきた。

 「えらく早いな」

書記官が脇に抱えたファイルを見やり、総司令はぼやいた。

 総司令の自裁案件だ。

「閣下もお忙しくあらせられますゆえ、未だお手すきのうちにご確認をお願い致します」

ファイルに挟んだ書類の束を取り出し、総司令の机に差し出す。

 気乗りのしない返事をした総司令は怪しく目の光らせた。

「お前の手も未だ空いているうちに用を申しておこうか」

「あの記事でございますか」

「先に貴様の用を片付けさせてやろう」

 総司令は佐渡の後ろに控える上野に声をかける。

「貴様が書記官補佐だな」

「は。第三部所属少佐、上野であります」

「ん。早速だが働いてもらうぞ」

鷹揚に返事をした総司令は佐渡に新聞記事を突き出した。

 「これだ」

『神社で鬼火目撃相次ぐ』『怨霊か』

人知を超えたモノの存在を感じさせる見出しである。

 佐渡もこれは把握済みだ。

「墓場なら分かる。だが神社だぞ?出てくる場所を間違えてる」

「さまよい出たなら教えてやらねばなりませんな」

「何にしろ、鬼火とかを見ねばならんな。教えるも退治するもそれからだ」

「御意」

含み笑いを浮かべて佐渡は応じる。

「上野も佐渡に付いて鬼火の正体を調べよ」

「は、───?」

素直な返事と裏腹に上野は不思議そうな顔をした。

総司令はニヤリと笑った。

「どちらに転んでも面白い事になるだろう。この事件は面白そうだ」




〈終〉



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帝都書記官 参河旺佐 @iti-ohsa

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