第11話 引見

警察庁本庁。

 「密告のみを証拠として逮捕するのは勇み足ではないのかな、刑事どの?」

飯田章いいだあきら議員は取り調べ室の椅子に悠然と腰掛けて言った。

 取り調べ室、と言っても会議用の個室に近い雰囲気であり、テーブルや椅子に汚れ一つ傷一つ付いていない。

 被取り調べ者の背後と出入り口に背広の刑事が立っている以外は、取り調べの圧迫感を与える要素はなかった。

「警察としても調査を行った結果です」

「容疑をかけてから結果を出すまでの期間を教えてほしいものだ」

「機密事項ですのでお答えできません」

テーブルの反対に腰掛けた警部の答えに飯田議員は腕を組む。

「じゃあ、密告者も機密事項かな?」

「ええ」

彼は大袈裟に眉を寄せた。

「逮捕の透明性が無いじゃないか。誤認逮捕だったらどうしてくれるのさ」

 「それこそ暴動を起こす、とのたまうかい?」

ドアが開いて、室外の光が強く差し込む。

逆光に目を細めた飯田議員に対して、ドアを背にしていた警部は振り返って相手を認めた瞬間、動きを止めた。

莫迦ばかな」

「何がだ、真意を知られたからか?」

場違いなほどに満面の笑みを浮かべて入ってきた男は警部の横に立った。

「それとも金づるの事かな?」

 話にならない、と言わんばかりに飯田議員は顔をしかめた。

「………松河原総司令御自らお出ましですか。益々怪しいですな」

「余裕振るのもそこまでにしておけ」

総司令の顔から笑顔が剥がれ落ちる。

 「貴様の秘書にも聴取をさせてもらった。陛下のご不例を軍の陰謀だと噂を流したのも貴様らの指示だそうだな」

「でたらめだ、自白を強要したな!」

飯田は声を荒げた。

「聴取は公平さを遵守しているさ。貴様の指示を記したメモもある」

「作り話だ!!証拠と言ったって捏造もできるだろ!!」

身を乗り出す飯田の後ろで、刑事2人がぴったり背後に付く。

「百歩譲ってだ。こちらを貶める為に陛下のご不調に乗じて、というのは倫理が欠如している」

「陛下のご不例を見過ごした軍部が言う事かっ!!」

 総司令の眉が僅かに持ち上がる。

 「『見過ごした』とは聞き捨てならないな。陛下の不調が起こる可能性を言い方じゃないか」

飯田議員は直前までの剣幕を引っ込めた。

 総司令は後ろでゆっくり手を組む。再び笑みの仮面が貼り付けられた。

「allergyという言葉をご存知だろうか?」

「…知らないな」

総司令は横の椅子に座っている警部を見下ろす。

「長官に新たな情報を提供しておいた。直にこちらに参られるだろう」

諒解りょうかいしました」

警部の言葉に軽く頷いて、総司令は飯田議員に背を向けた。

 「ところで、私の発音はどうだったかな、飯田先生?」

「は?」

 総司令はくるりと首を回して飯田を振り返る。鋭い眼光が、意図を掴めていない相手を射る。

「初見であればあの単語は聞き取れないはずなんだが」

 相手に向けられた顔は捕らえた獲物を食らわんとする猛禽そのものだった。

「大変邪魔をしたな、警部。私はこれで失礼しよう。丁寧な捜査を続けてくれたまえ」



 

 取り調べ室を後にした総司令は、外の廊下で待機していた佐渡少佐と上野中尉に声を掛ける。

「次に行くぞ」

上野がすかさず総司令の後を追う。

「次でございますか?」

「そうだ」

自ら先に立って進んでいく総司令は2つ先のドアの前で足を止めた。

 ドア横には警官が二人立っている。

「ここにおわすのは誰だったかな?」

「飯田と同容疑の議員であります。大津義清おおつよしきよ議員」

 上野の答えに総司令は頷く。ドア横の警官に声をかけた。

「取り調べの様子を見せて欲しい。長官のお許しは得ている」

「しかし、」

戸惑いを見せる警官らに総司令は微笑む。

「君たちに責は負わせないと約束しよう」

背後から立ち上る有無を言わせぬ圧に彼らは屈せざるを得なかった。

 ドアに耳を付けて室内の様子を窺う。手がノブにかかったと思うと総司令の姿はあっという間に向こうに消えた。

 

 松葉杖一本で歩けるようになったといえ、素早く後を追うまでにいかない。傷は塞がったが、機能の回復が追いついていないのだ。

総司令のなさりようを目で追う事しかできなかった。

 動けるようで動けないもどかしさを感じつつ、追いついた佐渡は書記官代理に目配せする。

 上野はぴったり閉まった取り調べ室のドアに目を向けた。

 「お止めできる様子ではありませんでした」

だろうな、と彼は思う。怒り狂った閣下を止められる人間は近しい者の内にも数えるほどだ。

 このままでは全ての容疑者に自ら尋問なされる、いや、尋問という名目の復讐か。

 室内を見透かすように目を細めた佐渡は松葉杖を上野に預けてドアに寄った。


 

 「陛下のご不例を自らのいいように使うとは性根が腐っている。国民に知れたら風当たりはますます強くなるだろうな」

「だったらどうしろと?」

 大津義清議員は嘲笑する。

「議会といえど貴様ら軍の言いなりだ。議員の言い分を聞く気など無い。『対案を出せ』だ?どうせ潰される案を作るだけ時間の無駄だ。だったらこちらの権限を取り戻す方法を考えた方がよっぽどいい」

「………」

大津議員はくぐもった笑い声を発する。顔が良い分、狂気的に見えた。

「その結果がこれさ。我々の策に乗った新聞社が噂を広げ、帝都民に不信を抱かせた。議会の権威回復の余地が残っていたわけだ。総司令が介入する捜査は軍の意向を汲んだ不当な調査とみなされる。貴様らに一矢報いる結果を出せた。どうだ!あくせく対案作りにいそしむより、こっちのほうが結果が出せるじゃないか!」

「………」

総司令のこめかみに青筋が膨れ上がる。ふっ、と息が吸い込まれ、

「今となっては議会の重しにしかなりませんな」「んふ!?」

 至近から発せられた声に総司令は拍子抜けした。

 彼の背後から顔を覗かせ、身体をさらしたのは佐渡である。

「策としては上出来でありましたが、この場で披露なされるべきでなかった」

佐渡は飄々と語る。

「取り調べ中の音声は全て録音されております。調査結果が公表されたなら、今の企て全てが国民に知れ渡る事になりましょう。とすれば、議会復権の日は限りなく遠くなります。あるいは、帝都騒乱の比ではない騒ぎとなるでしょう」

 

 帝都騒乱。

 14年前の帝都震災に端を発した事件である。当時の帝国議会は壊滅的被害を受けた帝都の復旧活動に会派を越えて団結するどころか、当時の防災計画の責任の追及を始めた。

警察、消防などは各組織の判断で活動するしかなく、避難者支援、インフラ復旧は遅々として進まなかった。

 状況を憂えた先の皇帝が帝国軍に勅命を下し、軍の全面的動員により帝都機能は瞬く間に復旧した。

 頭越しに勅命を出された議会は面白くなかった。軍の総司令を議会に呼び出し、議会権限で総司令を解任させようとした。

 議会の体たらくは国民の怒りを買った。毎年のように各地で災害が起こり、議会の対応に国民間で不満が蓄積していたせいもあった。議会議事堂は暴徒化した国民に襲撃、包囲された。

 皇帝が軍に鎮圧を命じて事態は収束したものの、この一件で議会の信用は地に落ち、国政を担う能力無しと見なされた。

 三度目の勅命で軍の国政参与が命じられたのはこの直後である。


 

 佐渡は流れるように続けた。

 「方々は公平公正な捜査をお望みであるようですので、我々は擁護できかねます。…と申し上げましたが、先生方は弁護士でもあられましたな。弁護は軍人よりもよくご存じでありましょう。我々が口を添える必要もございません」

差し出口をお詫びいたします、と最後に付け加えて彼は引き下がった。

「いや、いい…」

不意打ちに近い書記官の登場で、完全に勢いを削がれた総司令はそれだけ答える。

 「………ふん、」

大津議員は鼻を鳴らした。

「人の殺し方しか知らない軍人どもに擁護される謂われがないな」

音が聞こえそうなほどに総司令のこめかみに青筋が走る。

 総司令は長く長く息を吐いた。

 「───ふ、」「軍がその武力を行使するは国の為である。私利私欲の為に人命を軽視する貴様らに言われる筋合いは無い」

総司令の言葉を遮って佐渡が低く言った。

「控えろ、佐渡!!」

「は、」

佐渡を黙らせた総司令は短く息をついた。

「我が書記官が失礼した。捜査を続けてくれ」




「おい、弥八どういうつもりだ!!」

 取り調べ室から距離を置いた廊下で総司令は書記官にくってかかる。

「と仰せでありますと」

「すっとぼけるな、録音されていると自分で言ってただろうが!!」

「ゆえにであります」

 肝心の部分を発言していたのは自分。あの音声が公開された場合、問題視されるのは自分の発言であろう。総司令は自分を処分すれば事足りる。

 佐渡は総司令が怒りに任せて口走るのを防ぎたかった。総司令が無意識にそれをお求めになっての同行だろうとも。

 「閣下のお言葉が揚げ足を取られては、事態が混迷いたします」

「───だから、か」

己が右腕の一言で松河原総司令は腑に落ちた。

「だが、ああまで言わんでも…」

「閣下のご使用に耐えうる者も現れましたゆえどうとでもなりましょう」

 総司令の後ろに控える上野が物言いたげな視線を佐渡に向けた。






 皇帝陛下ご不例騒動は予想外の広がりを呈した。飯田、大津の両議員、両議員秘書の他、帝室に仕えるメイドがスパイ容疑で逮捕された。議員側の命令で帝国医学校片山教授の論文を書写翻訳し、議員に提供したとして医学校の研究生が逮捕。事情聴取は総司令部晩餐会を担当した料理人菓子職人から、帝室侍従団に及んだ。

 皇帝の『軍総司令部晩餐会直後の体調不良』は『議会議員による毒殺未遂』と報じられた。年末年始で沈静化しかけていた報道は、新たな食材を与えられて再び盛り上がる。

 飯田章、大津義清両議員は裁判を待たずに議員職を剥奪された。

 この間、帝国軍及び総司令部は介入を一切しなかった。

 皇帝毒殺未遂事件が一応収束したのはこの年の3月。桃が咲き終えた頃である。

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