最後の幻想曲

伊達 虎浩

第1話 最後の幻想曲

【プロローグ】


 ハァ、ハァ、ハァ…。


 息を切らしながら赤い空を見上げる。


(な、なぜ…だ…)


 青いはずの空がなぜ赤く染まっているのかと、疑問を抱いた次の瞬間。


 ドサッ。


(……そうか)


 背中に強い痛みを感じ、何者かに倒された事を自覚した。


 青いはずの空が赤く見えてしまったのは、頭から流れる自分の血が両方の目に入ったからである。


(負け…たのか?)


 血を流し、背中から地面に倒れたのだから、何かと闘い破れ、こうなっているのは容易に想像ができた。


 しかし、相討ちまたは何者かを倒した後に疲れ、倒れてしまった可能性もあるだろうと思い、頭を動かして先ほど自分が見ていたであろう景色を見ようと視線を向けようとするも、首は全く動かせずにいた。


(だ、駄目…だ)


 力が入らない。


 血を流しすぎたからか、あるいは何処かの骨が逝ってしまっているからなのか…。


 痛みはない。


 痛みに慣れてしまったからか、あるいは骨に異常はなく、ただただ疲れてしまっただけなのか…分からない。


 考えようとするも何も思い出せずにいた。


(……く……そ)


 そんな事よりもだ。


 ただただ眠い。


 抵抗を試みるものの瞼は重く、抵抗する事が出来ない。


 赤い空が黒く染まっていく。


 それは、夜がきたからではなく瞼を閉ざしてしまったからなのだが、少年が気付く事はない。


 何故なら少年は、スー。スー。と、静かに寝息をたてながら、眠ってしまったからであった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーー


【1】 記憶を失った日


 なぜ、泣いているのだろうか?


『○△◇』


 その少女はこちらに手を伸ばし、泣きながら何かを言っているのだが、何を言っているのかが分からない。


 そもそも自分は、この少女に全く見覚えがなかった。


 何を言っている?


 何故、泣いている?


 話しかけようと思ったところで、その少女の姿はスッと消え、全く見えなくなってしまった。


 暗い、暗い視界の中、何かを奏でているかのような音を耳にする。


(……音?)


 一体、何の音だろうか?


 奏でる音に導かれるかのように、少年は音のする方へと歩き出した。


 ーーーーーーーーーーーー


 トントントントン。と、一定のリズムで奏でられる心地良い音を耳にしながら少年は目覚めた。


(て…んじょう?夢?寝て…いたのか?)


 先ほどの少女が気掛かりではあるものの、夢だったのかと思えば特に気にならなくなった。


 それよりも…。


 ぼんやりとした頭のままスッと瞼を開けると、木の目の付いた無数の板が見え、板のあみだくじを視線で辿れば、中央には灯りを灯したランタンが目に映る。


 それを真下から見上げる形でのこの現状…寝ていたのは明白である。


(ベッドの上……か)


 暖かく、手触りの良い毛皮の毛布。甘い香りを漂わせるこの枕…思わず、もう少しだけ寝ていたい衝動に駆られてしまう。


(み、水……)


 喉が渇いた。


 そう思い、喉を潤そうと飲み物を探す為に首を左に向ける。


「…………!!」


 その結果、先ほどの眠気など一気に吹き飛んでしまう結果となってしまった。


「だ、誰だ!?」


 飲み物を探す為にチラリと視線を向けて見てみれば、台所らしき所に人が立っている事に気づいたからである。


「………⁈」


 声を掛けた少年は、しまった⁉︎と、思ったがもう遅い。


「……どう……する?」


 こちらから声を掛けたのだから、向こうがこちらに気付くのは当然の結果だろう。


 誰かが分からない。


 つまりその人物が、敵なのか味方なのかが分からない。そういう事だ。


 そんな状況で、無防備な自分は声を掛けた。


 馬鹿か!!俺は…と、自分を叱咤する。


 少年がしまったと思ったのは、その所為であった。


 とにかく、一刻も早くこの現状をどうにかする必要がある。そう思い、グッと上半身に力を込め……。


「………グッ!!」


 られなかった。


 力を込めて起き上がろうとしたところで、背中、いや、身体全体に痛みが生じる。


(ッッッグッ‼︎)


 顔を苦痛の表情に歪ませ、全身から汗が一気に溢れ出す。


(はぁ、はぁ、はぁ。怪我を…してるのか)


 ボスン。と、甘い香りがする枕の音を鳴らしながら、震える左手を天井にかざす。


(ま、まるで……ミイラだな)


 左手は包帯でグルグル巻きであり、念の為にと右手を天井にかざすも、こちらもグルグル巻きであった。


(くそ!一体、何がどうなっている!?)


 少年には、怪我をした覚えがない。


 そもそもこんな状態で、包帯をここまで綺麗に巻く事など不可能だろう。


 という事は…。


「お?やっと目が覚めたか」


 声を掛けられ、顔をサッと右に背ける。


「………………」


「ん?おぃおぃ。命の恩人に対してそれは、いささか失礼じゃないか」


 やはりか。


 怪我をしている自分。


 ベッドの上で寝ていたこの状況。


 そして、丁寧に巻かれたこの包帯。


 つまり、この人が自分を看病してくれていたという事だろう。と、そう思った少年は、お礼を伝える事を決意する。


「……助けていただき、ありがとうございます」


「ん?あぁ。礼には及ばんさ。そんな事より、気分はどうだ?」


 そんなこと。


 人を助ける事など普通だと言わんばかりのこの態度。


 良かった。


 どうやら自分は、いい人に助けてもらえたようだ。


 ほっと胸を撫で下ろし、天井を見つめながらお礼を告げた態度を詫びる為、声がした方へと首を動かす。


「……………な⁉︎」


 視線を向けたところで少年は、息を飲み込んでしまう。


 そこには、この世の物とは思えないほどの美女が立っていたのだった。


 腰まであるサラサラな長い髪は金色に輝いており、エプロンをキツく結んでいるからなのかは分からないが、スタイルも良いと見て分かる。


 赤い瞳に白い肌。


 思わず、言葉を失ってしまった。


「おいおい?動いて平気なのか?」


「え、えぇ。本当に、本当にありがとうございました」


 見惚れてしまっていた事を悟らせないようにと、少しだけ早口になってしまったが、何とか相手の目を見ながら少年はお礼を告げれた。


「ん。あぁ、いいさ…それで?君はあそこで一体、何をしてたんだ?」


「……あそこ?」


「おい、おい。誤魔化せる筈がないだろ?君を発見したのは私だ。いいか?私以外の者だったら間違いなく即処刑ものだぞ」


「……………」


 処刑という単語に、若干顔を引攣らせてしまう。


 つまりこの人は、そういった生業の人なのだろうか?と、疑ってしまったからだ。


「隠しても無駄なのは今の会話で分かっただろ?見たところ、君はまだ14、5歳ってところか…いいか?隠さずに正直に話すんだ」


 女性は背中を壁に預け、両腕を組みながらそう告げる。両方の腕を組んだ為、右手にギラリと光る刃物が彼の視界に入る。


(そ、そう…いう事か…)


 どうやらこの女性は、自分を助ける為に看病してくれていたわけではなく、何らかの調査を任されていて、容疑者である自分に死なれては困ると思い、仕方なく看病していたという事だろう。


 感謝して損した気分ではあるものの、そんな事を言っている場合ではない。


 相手は刃物を持っている為、自分の返答次第では命の危険すらあるのだから…。


(調査…あそこ…処刑…容疑者…ぐっ!?)


 何とか思い出そうとした所で、激しい頭痛が少年を襲う。


 頭蓋骨が割れそうなほどの痛み。


 ミイラみたいな左手で頭を抑え出した少年に対し、女性は慌てて駆けよろうとした。


「お、おい!?な、何だ!!大丈夫か⁇」


「……!?く、来るな!!!」


「………⁈」


 甘い香りを漂わせていた枕を少年は、全力で彼女に投げつけた。


 ボフッ‼︎と、可愛らしい音をたてる枕は、ポスン。と、これまた可愛らしい音をたてながら、彼女の足元へと落ちていく。


「………うっ!?」


 気持ちが悪い。


 吐き気に頭痛。


 枕を全力で投げつけたが為に訪れる激痛。


「はぁ…やれやれ」


 深いため息を吐く彼女の姿を少年が見る事はなく、彼はまたもや、闇の中へと落ちていった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーー


【2】


 数時間後。


「お?目覚めたか」


 声を掛けられ、声がした方へと視線を向ける。


「ここは…」


 ランタンの灯りを見つめながら彼は質問する。


「ん?寝ぼけているのか?まぁ、いい。ここは私の家だ」


 見覚えのある天井を見つめながら、彼は再度質問する。


「……俺は、死ぬんですか?」


「あぁ。まぁ、そうだろうな」


「………………」


 何故ですか?と、彼女に質問しようとした所で、そんな質問は無意味だということを悟る。


 死ぬ理由は必要だと、少年は思う。


 無意味に死ぬ事などあってはならない事だと、そう思っている。


 もしも、自分が死ぬ理由が分からなければ、少年は彼女に質問しただろう。


 しかし、死ぬ理由は分かっている。


 何処か居てはいけない場所に行ってしまい、見つかったが為に死ぬのだ。


 何処か?


 くそ!?何処だよ!!!


 再び訪れる激痛に、全身から汗が溢れ出す。


 左手でおでこを抑えつけるものの、何の効果も得られない。


 気休め。無意識。少年の行動を説明するのであれば、そんな所だ。


「やめろ」


「はぁ、はぁ、はぁ……!?」


 一点を見つめていた少年は、左肩に何かを感じ、左肩に目を向ける。


 透き通るほど白く細い彼女の手が左肩に置かれたのを視認すると、そんな彼女の手の上に水の入った木で出来たコップが現れた。


「ほら?水だ。飲め」


 み、水…。


 訪れる痛みに耐えながら震える右手を何とか上げて、コップを受け取ろうとする少年。


「……まだ無理か。良し」


 コップ、いや、彼女の手まで後すこしというところで、コップは遠ざかってしまう。


「な………に………を………!?」


 嫌がらせか?と疑問に思う少年であったが、そんな少年の気持ちなど知った事かと言わんばかりに、彼女は少年の頬に触れてきた。


 温かい。


 雪のように白い彼女の手からは想像もつかないほど、温かい手を頬で感じながら、視線を彼女へと向けると、先ほど見たコップが近づいてくる。


「いいか?少しずつ、少しず〜つ、ゆっくり、慌てずに飲むんだ。いいな?」


 頬から温もりが消え、今度はアゴに温もりが生まれた。


 少年のアゴに手を置いた彼女は、ゆっくり、なるべく痛がらないようにと気をつけながら、少年の頭を斜め上へと傾けていく。


 痛くない。と言えば嘘になるだろう。


 しかし、痛みに耐えた先に、自分が心から欲している水が待っているのだと、そう思えばこんな痛みなど蚊に刺された程度でる。


 瞼を閉じ、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク。と、彼女の言いつけ通りに少年は、ゆっくり水を味わうかのように飲んでいく。


 水が、喉から器官を通り過ぎていくのが少年には分かった。


「足りたか?」


「……………」


「ふふ。足りなかったか。どれ?待ってろ」


 無言の少年であったが、不満気な表情は隠せておらず、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべながら、ガラスで出来たビンから水をコップに移し替えていく。


 何も言ってませんが?などと言えるだろうか?


 言えるハズがない。


 言えば最後。


 水を飲む時間が遅くなるだけだ。


 一刻も早く欲しいのに、そんな無駄な事をして何になる?


「ほら?ゆっくりだぞ?」


 コクリ。と、ゆっくり首を縦に振る少年。


 それから少年は、何度も、何度も、彼女に水を飲ませて貰う事となるのであった。


 ーーーーーーーーーーーーーー


【3】


 カチャカチャ、ガチャッと音を鳴らす食器たち。


「…………」


 音を鳴らしていたのは少年ではなく、目の前に座っている彼女である。そんな彼女の動作を無言で見つめる少年。


「大丈夫か?嚙み切れるか?」


 両手が使えない少年に代わり、彼女はフォークとナイフを使って少年の口元へと運ぶ。


 銀色に光るナイフとフォーク。


 音が鳴ってしまったのは、肉を切っていたからである。


 コクリと頷いて肉を口の中で転がすも、中々うまく嚙み切れない。


 鏡を見ていない少年はこのとき初めて、自分の顔にも包帯が巻かれているという事に気がついた。


「ゴホッ!!ゲホッ、ゲホッゲホ」


 肉は喉を通る事もなく、少年の目の前に置いてあるスープへと落ちていく。


 ポチャリ。


「…………」


 苛立ちを覚える少年。


 噛みきれないという事は、アゴに異常があるのだろうか?


 いや、喋れたのだからそれは違うはず…そもそも、なぜ自分はこうなってしまっているのか?


「よせ。考えるな」


 そんな事を考えていると、彼女から注意をされてしまった。


 なら、説明してくれよ。と、そんな思いと共に、少年は彼女へと視線を移す。


「ん。んん……。良し!これならどうだ?」


「…………!?」


 そんな事を少年が思っていると知ってか知らずか、彼女は右手の親指と人差し指を口の中へと突っ込んでいた。


 彼女の小さな口元から、少年が食べやすいようにとほぐされた肉が現れる。その肉を彼女は右手でつまむと、少年に差し出してきたのである。


「何だ?ほら?口を開けろ」


 戸惑う少年であったが、目の前にご馳走がぶら下がっているこの現状…抗えるハズがなかった。


 あーん。と言う可愛らしい声を聞きながら、少年は彼女から柔らかくなった肉を食べさせてもらう。


「無理もないさ。君は丸3日、ベッドの上で寝たっきり状態だったのだから、身体に力が入らないのだろう」


 だからこそ身体が衰弱してしまい、まともに食事が出来ないのだと、彼女は捕捉した。


 それを聞き、少年は考える。


 何故、この女性はこんな事をしているのだろうか?


 これから自分は死ぬのだ。


 そんな人間に対し、食事を与える意味が分からない。


 喋れるのは、先ほどの会話で分かったハズだ。と、先ほどの会話を思い出す少年。


 水を飲ませてもらった後、こんな会話があった。


「なぁ?腹は減っていないか?」


「……………」


「そうか、そうか。腹は減っていないのだな?」


 グー。


「……………」


「やれやれ。減ってるじゃないか。ほら、こっちへ来い」


「……………」


「ん?あぁ、そうか。上手く立てないんだったな…っと」


 少年の背中に右手を回し、彼女は少年の身体を起こした。


「ほら?掴まれ」


「…………?」


「抱っこだよ、抱っこ」


 不思議そうな顔を浮かべる少年の右手を彼女は優しく握り、自分の首へと回す。


 回し終わると、今度は左手を優しく握り、自分の首へと回す。


「あ…………」


「ん?何か言ったか」


「ありがとう」


「あぁ。どういたしまして」


 そして、現在に至るのだった。


 数十分後。


「さてと。食事はすんだな」


「……………!?」


 食事すんだ。


 つまり、これから拷問でもされるのだろうか?と、怯える少年。


「よっと。ほら、食器を寄越せって、まだ無理か」


 ガタッと椅子を鳴らし、独り言のように呟きながら食器を重ね出す彼女を見ながら、少年は考える。


(や、殺るなら……今しか……)


 少年の前にある皿を取ろうと、右手は何も持っていない状態で、左手には重ねた食器を持つ彼女。


 少年の左手の前にはナイフが置かれている。


 右手の前にはフォークが…。


(いけるか?いや、い、いくしかないんだ)


 死にたくないのであれば尚更だ。


「…………!?」


 しかし、少年は何もしなかった。


 いや、正確には出来なかったが正しいだろう。


 掴む直前に、タイミングを測ろうと彼女を見たのが原因だ。


(な、なぜ………)


 そんな悲しい瞳で、自分を見つめているのか?キラりと光る何かを見た気がして、躊躇ってしまう少年。


 その結果、ナイフとフォークは彼女の右手へといってしまうのであった。

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