山にて。

 5月の割に肌寒い日が続いていた。

これはそんな時期に愚かにも一人でキャンプをした私のお話です。


 私はもともとキャンプや旅行が趣味でね、いろんなところに一人で出かけてはぼっちで焚火にあたりながらコーヒーと煙草ってのが最高にカッコいいと思っていた痛いヤツだったんだ。


 その日もまあ適当にザックへ道具を詰め込んで、少し遠くの山まで向かった。


 電車から降りて暫く歩くと山道になっていて、20分もあれば上り切れるような山頂と中腹の沢あたり、それぞれでテントを張れるようなところだった。

 

 勿論お気に入りは沢。

上まで登るのは鳥の足ではすこし辛かったから。


 そこには駐車場と隣接した受付というかロッジがあってね、上るときに利用する旨の申請が必要なのでそこでちまちま書類に記入していたら、突然ぽんぽんと肩を叩かれた。


 振り返ると見知った友人の顔。

話を聞くとどうもたまたま同じ日に思い立ったらしく、今日はソロのつもりで来たがボロいザックに見覚えがあって声をかけたとの事。


一緒に登らないかと誘われたが、今日は中腹だと伝えたら相変わらず体力のない奴だと笑われた。

余計なお世話だ。


 やいのやいの言いながら山道を登ることにしたのだけど、どうも風が冷たい。

雲は出ていないが雨の匂いもする。

そう伝えると友人はしまったなと言い、今日はタープしか持ってきていないから振ったら日帰りだとぼやく。


 夜中に振られたら降りてくればテントの隅くらいは貸してやる、と言ったら「頼むかも知れんね」とけらけら笑っていた。


 予定通り中腹で別れ、少し下るとお気に入りの沢が出迎えてくれた。


 見知らぬザックとテント。

今日は独占できなかったか、と小さくため息をついてから、十分に沢と先客から距離を取り設営に入った。


 無事に設営も終わり、焚き付けを集めようとベルトに差し込んだ小ぶりな鉈を確かめていると、同じように焚き付けを集めていたのか、先客とばったり遭遇した。


「どうも」とこちらから一声かけると、向こうも「どうも」と返してくる。


 線の細い男だった。


 人の事は言えないが、キャンプをするようには見えないなと思いながら焚き付けになる小枝を拾い集め、テントに戻ると先客の男が何やらザックをがさがさとひっくり返している。


 なんとなしに火が付くまで眺めていたが、どうも着火剤を忘れたらしい。

何か火種になるものを探してくればいいのにと思ったがそういえばこの辺には松なんかは生えていなかったな、と思い直して燃えさしを一本融通してやると恐縮したようにぺこぺこと頭を下げられた。


 向こうで煙草を吸っているが問題ないか、と尋ねたところ快諾された。 

むしろコーヒーを出すから飲んで行ってくれと。


なにやらこだわりがあるようで、実際とても美味かったのを覚えている。


日が暮れるまでしばらく話こんだが、カップの水面に波紋が広がるのに気付いた。


 雨だ。


 火が消えるほどではないが、上着が湿る程度には降り始めたので、慌てて焚火の組付けを調整したりザックをテントの中に放り込み始めてようやく落ち着けた。

 しかし雨脚は強まるばかりで、雨具を着ても外に座り込むのは厳しい振り方になってきたため、息をつきながらテントの荷物と化した。


 しばし持ち込んだ文庫本をながめつつぼんやりしていたところに、テントの口をばしばしと叩く音。

雨音とは違う音だ。


 首だけ出した先で目が合ったのは、仏頂面の友人であった。  


やはり振られたか、とからかうとむっつりと頷いたので、よほど慌てていたのだろう、小脇に抱えていたタープを奪い取りテントに手早く括って前庭にし、焚火をここに移すから中で体でも拭いていろと狭いテントへ押し込んだ。


流石に雨に降られた女の着替えへ同席するほど落ちぶれてはいない。


 放置した焚火はすっかり冷え切っていたので、昼間に集めた焚き付けをささらに削って一から火おこしをする羽目になったが、強くなる雨脚で風邪をひくのも馬鹿らしいと半ベソで火をつけた。


 着替えの終わった友人をテントから引きずり出して火に当たらせ、災難だったなと声をかける。


むっつりと俯いて粉っぽいコーヒーを飲む友人。


 妙だな、とは思った。


自分の友人は比較的口から先に生まれてきた奴が多いのだが、目の前のこいつは輪をかけてその傾向が強く、いつもならやれひどい目にあっただのやれ相変わらずコーヒーがマズいだの、強くなる雨脚にも負けず劣らずの雨を降らせてくるはずだったが。


むっつりと黙り込んでコーヒーを飲むばかり。


 まあそういう日もあるのだろう、とそこまで気にすることもなく若干気まずい団欒を終えて、シュラフを譲り、中身を出したザックへ足をねじ込み、雨具をまとって眠りについた。


結局友人は一言もしゃべる事はなかった。


 ふっ、と目が覚めた。


ざあざあと強くなった雨音

目をこすりながら起き上がり、外を覗く


闇と目が合った


なんとはなしにゾッとして、ゆっくりとテントに戻り


ぐにゃり

と何かを手で踏んだ


喉の奥まで裏返るほど息を飲み、恐る恐る視線を下へ向ける 


空のシュラフ


さーっと血の気が引く


あいつはどこへ行った? 隣で寝ていたはずの友人は? 

この雨の中 

明かりもなく 


どこへ?


散らかした荷物からライトを取り出し、震える手で点ける 


やはりいない 狭いテントの どこにも


先ほどひっこめた頭を、今度は体ごとテントの外へ抛りだそうとした時


雨音以外の何かを耳が捉えた


ざあざあ ざあざあ ざあ じゃぐ

ざあ ざあざあざあ じゃぐ じゃぐ

ざあざあ じゃぐ じゃり じゃぐ


石を踏む音 足音か


重たいものが 砂利を押しのける音


近づく 音が


初めは友人が返ってきた音かと思っていた

用を足しにでも行っていたのだろうと


すぐに違うと気づいた


まわっている テントのまわりを

じゃぐじゃぐと音を立てながら


何かが テントの周りを


入口のジッパーを内側から締めた


音を立てないように 見つからないように



びち。


ゾッ、として振り向く

 ライトが当たった布地に浮かび上がる


手が

てのひら


びちぃ。


増える手のひらが ふたつ


ぐいっと押し付けられ 歪む布地

 ライトが乱反射し、ぎらぎらと光る


切った 

 慌てて  ライトを


きしきしと

骨組みがきしむほど押し付けられる手のひら 


歪む布


やがて手のひらに加えて押し付けられるものが増えた


丸いあと 追いかけるようにとがったなにか また二つの丸いあと


ぽっかり開いたくちびる




顔だ。



気が確かなら、私が正気を保っているなら、それはよく見た友人の顔だ


べったりとテントに張り付く友人の顔をしたなにか


口がぱくりぱくりと動く








最期まで見る……いいや「聞く」前に、ふっつりと意識は途切れた


 目が覚めると 雨はやんでいた。


中身が泥まみれになったシュラフを沢で黙々と洗い、それから荷物を背負って山を下りた。


 受付に入ると見知った後ろ姿。


心臓が跳ねる。


 振りむいた友人は、げんなりした顔でこれから帰ると言った。 

駅まで乗せてくれるというので車までついて行ったのだが、わずか10mの間に半年分にはなろうかという雨への憎悪を訴えられ、無性に安心した記憶がある。


タープを無くしたのだ、と言っていた気もするがよく覚えていない。


帰ってきて解いた自分の荷物にも入ってはいなかった。


先客の男の姿は どうだろう 覚えていない

帰る時には居なかったような気がするし、やたら泥のついたテントが張られていたような記憶もある。


まあ、今となってはどうでもいいことだ。



おしまい。

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山にて。 @takamura_eight

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