第38話 「ふっ……うっ…」

「ふっ……うっ…」


 顎を持ち上げられたまま…あたしは泣いてしまった。


 幸せに…なりたかった。

 なのに…

 あたし、もう…ここに居られないよ…

 テロリストとか殺し屋とか…

 そんな世界とは無縁の聖君と…

 …そんな世界に足を踏み入れて…

 抜け切れないあたし。


 どうして?

 あたしの顎を持ち上げてる家主さんは、どうして父さんと同じ名前なの?

 拓人の事、殺っちゃうよ?って…

 拓人が何をするって言うの?

 真面目に俳優をしてるだけなのに…



「…なんで泣くかな。」


「うっ…うっ…」


「…君、何も知らないの?」


「な…何の…こっ…事…うっ…うっ…」


 家主さんは唇を尖らせてあたしの顎から手を離すと。

 ティッシュボックスを持って戻って来て…


「……」


 無言で、優しくあたしの涙を拭いてくれた。


「あ…り…りがとう…」


 一応お礼は言ったものの…涙は止まらなくて…

 続いて流れる涙は、自分で拭く事にした。



「……」


『ふ』と『ん』の間ぐらいのため息をつきながら、家主さんは床にあぐらをかくと。


「俺の母さんの名前、『こう』ってんだ。」


 指をもてあそびながら言った。


「……」


 鼻にティッシュを押し当てて、少しだけ鼻をかむ。

 そして…


 今…家主さん…

 お母さんの名前、あたしの本名と同じような事言ったかな…って気付いて。

 定まらない焦点のまま、何度か瞬きをした。


「昔、事件に巻き込まれて…記憶を失ってる。」


「……」


「母さんには…仲間がいた。」


「……」


「ロクとヘキ…」


「…ロク…と…ヘキ…」


 変わった名前だな…って、漠然と思ってると…


「君の弟…本名は碧って書いて『あおい』って読むんだろ?」


 ドキッとする事を言われた。


 …ヘキって…『碧』?


 自然と目を見開いてしまった。


「母さんの仲間…ろく瞬平しゅんぺいへき薫平くんぺい。」


 家主さんは…床に指で『緑』と『碧』って字を書いた。

 ヘキって…あたしの…父さん…て事?


「一条に生まれ育った三人は、一条の者として育った。」


「……」


 一条の者…

 それは…

『そういう』者…


 情けとか、思いやりとかって感情を持たない…



 冷酷な…殺し屋達。



「…や…家主さんも…こ…」


 手にしたティッシュを握りしめて質問をしようとするのだけど…

『殺し屋』なんて恐ろしい言葉…

 口にしたくない。


 …はっ…


 もしかして…

 家主さん…

 一条の…人間…?


 あたしはガクガクと足を震わせてしまって。

 それに気付いた家主さんが。


「…あんた、よっぽど向いてなかったんだな…」


 って、口をへの字にした。


 …さっきまで…

『君』って言ってくれてたのに…

『あんた』になった…

 …あたし…

 見下されてる…んだよね…?


 でも…でも…

 仕方ないよ…

 ほん…ほんとに…あたし…

 …出来損ないだったもん…~…



「あーあーあーあー、もう泣くなよ。俺は別に一条の人間じゃないし、あんたを殺しに来たわけでもないから。」


「うっ…うっふっ…」


 あたしがまたポロポロと泣き始めると、家主さんは立ち上がって面倒くさそうにティッシュを目元に押し当てた。


「ったく…あんたほんとに三枝さえぐさ こう?」


「…(コクン)」


「…うちの母さん、記憶は失くしてるけど、めちゃくちゃ出来る女なんだけどなー…」


「……」


 悪かったわね…同じ名前なのに…出来損ないで…

 それでなくてもコンプレックスの塊なのに…今日はもう…散々だ…



「…一条は…」


 あたしが話し始めると、家主さんは椅子を引いて…静かに座った。


「あたしが…弟から聞いたのは…父親達が…一条のトップを殺して…」


「……」


「だけど…生き残った人達が…一条を立て直そうとしてるって…」


「それから?」


 早く喋れ。と言わんばかりに。

 家主さんが、足を組み直した。


 …ど…どうせあたしは…喋るのも…とろいですよ…


「…父親達が…それを阻止しようとしてる…って…」


「……」


「……」


 家主さんは…首を傾げたまま、少し何か考えるような顔になった。


 あたし…大丈夫なのかな…

 正直に喋っちゃったけど…


「…一条の奴らは…」


『一条の奴らは』…って…

 家主さん、なんだか…敵みたい…


「俺の母さんを探してるんだ。」


「…え…っ?」


「あんたの父親達…三枝瞬平と薫平の弱点は、一条 紅だからな。」


「……」


 それはー…

 あたしの記憶の中に、少しだけ…残っている『何か』でもあった。


 …一条 紅…


『おまえの名前は俺が付けた。強く美しく、そして優しい女の名前だ』


 …あたし、思い切り名前負けだ…



「で、あんたの父親『達』は、どこにいるの。」


「…それは…」


「それは?」


「…し…知りません…」


「……」


 たぶん…気付かれた。

 それまでは正直に話してたけど…

 初めて嘘をついて…

 …あたしの右手は…

 震えが止まらなかった…。



 あたしは…震えを止めるためにも、しばらく頭の中を整理する事にした。

 家主さんは、『おはじき』を撫でながら…あっちを見たり…こっちを見たり…


 私と拓人の父親達は…家主さんのお母さんの仲間…

 で…

『一条』の人間は…

 家主さんのお母さんを探してる…

 …で…

 そのお母さん…『一条 紅』さんは…?



「…あの…」


「何?」


「…家主さんの…お母さんは、どこに…?」


 うつむき加減のまま、上目使いで問いかけると。


「教えると思うー?」


 テーブルに両肘をついて、満面の笑みで言われてしまった…


「…ですよね…」


 そりゃそうだよ…

 あたし、仮にも…

 一条の訓練所に居たんだから…

 …しかも、それがバレてるんだから…


「…家主さんは…一条…じゃなさそうですけど…」


「言ったじゃん。一条じゃないって。」


「…何者…なんですか?」


「何者かと言われるとー…んー…今は何者でもないんだよねー。」


「…何者でもない…」


 頭の周りにクエスチョンマークをたくさんつけて、眉間にしわを寄せてしまった。


 何者でもない…?


「あのさ。」


 家主さんは頬杖ついてた両手をテーブルについて立ち上がると。


「訓練所を出た後、一条の人間と連絡は?」


 斜に構えて言った。


 …可愛い顔してるのに…

 怖い。


「…取りませんよ…あたし達…逃げ出したんだし…」


「逃げ出した?」


「…はい…」


「て事は、追われてるかもしれない、と?」


「……追われてる?」


「一条って、裏切者はすぐ殺すだろ?」


「……」


「脱走なんて、あり得ないんじゃない?」


「……」


 あたしと拓人は…訓練所から逃げ出して…

 あたしの生まれ育った町に戻った。

 そこで一年身を潜めて…ミラノに移った。

 ミラノでは…人を騙すような事ばかりして。

 ほんと…自分を見失ってたと思う。

 …もう、いつ死んでもいいって思ってたから…

 それなりに…悪事を働いた。

 …あたしも。


 拓人は14歳の時に腕のいい闇医者に、最初の整形をしてもらって…

 別人になった。

 家主さんほどじゃないけど…可愛いタイプの顔だったのに…

 キリッとした、目を見張るほどのいい男になった。

 隠れるんじゃなくて、表に出る事で敵を欺く…って考え。


 あたしは…いつも『自分は無関係』って思ってしまってて…

 だから…拓人ほど必死にもなれなくて…

 今、こうして…『追われてるかもしれない』って言われても…

 全然ピンとこない。



 #########


 ふいに携帯が鳴って。

 あたしが驚いて自分のスマホを見ると…あれ?あたしのじゃない…


「もしもーし。」


 あ…なんだ…

 家主さんのか…


「えー、来てくれたんだ。でもざーんねん。俺、今日本なの。」


 家主さん…何だか楽しそう。

 あたしはコーヒーを入れ直そうと、立ち上がる。


「泉も早く帰っておいでよ。」


 ……泉…?


「いや、マジで。待ってるから。」


 短い電話が終わって…

 あたしはやかんを手にしたまま…家主さんを見つめてしまう。


「何。」


「いえ…彼女…ですか?」


「彼女じゃないけど、彼女にしたいなーって子。どうして?」


「……前に…彼が…寝言で言ってた名前だな…って…」


 泉って名前の人なんて…きっとたくさんいるだろうけど。

 何となく気になってそう打ち明けると…


「…あんたの彼氏、まさかだけど…聖って名前?」


 家主さんが、目を細めて言った。


「…え…どうして…」


「…マジかよ…」


「…て事は…え…えと…」


「泉は、聖って男の父親から、身分が違うからって身を引かされたんだ。」


 …え?


 ニッキー会長が…そんな事を…?





「……」


 あたしを散々怖い目に遭わせた家主さんは…


「あんた本当に何も知らないみたいだから、今日はもういいよ。俺、弟の方探るから。」


 って…

 拓人の正体を明かしてもいないのに…

 拓人の居場所を教えてもいないのに…

 会長に渡されたスマホを手にして何か操作すると。


「何か不審な点や怪しい奴見掛けたりしたら、連絡して。」


 って…

 それと、拓人に彼女が居るかどうかを確認して…

 あたしが『たぶんいない』って答えると…

 おはじきと一緒に帰って行った。


 あたしは…



「にゃ~…」


 シロが足元であたしを見上げる。


『泉は、男の父親から身分が違うからって身を引かされたんだ』


 …身分が違う…

 それ言われたら…あたしだって…

 あたしだって…って、泉さんと並ぶ価値もない。

 …あたしなんか。だよ…


 父さん達は、殺し屋集団に反旗を翻したはずなのに…

 どうしてあたしと拓人を一条の訓練所に放り込んだの?

 あんな事がなければ…

 あたしと拓人は…


 19年前の今日…

 あんな事をしなくて…済んだのに…



 ########


 今度はあたしのだ…

 落ち込んだ気持ちのまま、それを手にして…


「…はい。」


『おまえ今どこ』


「…家…」


『迎えに行く』


「…来ないで…今から…あたしが行くから…」


『…何かあったのか?』


「……」


 何かあったのかと聞かれても…

 どう答えていいか分からなかった。


 あたしの素性を知ってる人物に会った。

 その人は…家主で…

 …何者でもない人…


 …そんなの言ったって、拓人は納得しないよね。


 きっと…昔みたいに無茶して、人を騙してまで…家主さんとやり合うぐらいの事…しちゃうよね…


 あたしが育ったのは、そんな環境。

 拓人同様、あたしだって…自分は無関係って思い込みながらも、人を騙したり…

 …騙したり…



「にゃ~…」


「…にー…」


 シロとクロの頭を撫でる。

 あたしは、自分がしてきた事を思い返して…聖君の隣に居る自分を想像出来なくなった。


 身分が違う。

 …本当にそうだ。

 あの世界から逃れるために…

 あたしと拓人は…19年前の今日…


「……」


 今日は、あたし達にとっては、祈りの日。

 あたし達が…ここで…何の害もなく…生きていけるための祈り…

 …それは…とても…身勝手で…

 訓練とは言え、奪ってしまった命は…

 懺悔しても戻らない。



「…ふっ…」


 書き置きをする手が…震えた。

 だけど、もう…あたし…

 聖君の顔も見れない。


 愛されて、大事に育てられた聖君。

 うなされて名前を言ってしまうほど好きな女の子と…身分で別れさせられるなんて…

 …あたしとは…

 最初から違ってたんだ。

 間違いだったんだ。


 あたしは、人を好きになる資格もない。

 幸せになる資格もない。

 歌を歌う資格もない。

 …生きてる資格も…ない…



「…うっ…ふ…」


 涙を拭いながら、文字を書いては紙を丸めて…何度も書き直した。

 だけど…

 書き直してる最中に、あたしの中に…新しい感情が芽生えた。


 聖君と…

『泉』ちゃんを…

 もう一度、恋人同士にしてあげたい。


 そうだよ…

 家主さんの知り合いなら、聖君と泉ちゃん…きっとまだ会う事出来る。

 あたし…

 今までの幸せのお返しに…



 聖君に、幸せをあげたい。





 聖君へ


 聖君。

 本当にごめんなさい。

 あたしは大嘘つきです。

 本当に、ごめんなさい。


 何から話せばいいのか、何を打ち明ければいいのか。

 全然まとまりません。


 あたしが歌ってるのは、何となく生きていくためです。

 昔から、あまり生きる事に執着する事が出来なくて。

 いつも死にたいって考えてるような人間で。

 あなたと出会ったあの日も、あたしは死ぬはずでした。


 聖君の、とてもあたたかい家族。

 羨ましかった。

 あたしも、欲しかった。

 あなたの事、大好きになって、苦しくなった。

 また死にたくなった。

 だけど、今は死ねないから。


 ごめんなさい。


 さよなら。


 この家は、売りに出します。

 詳しい事は拓人に聞いて下さい。


 シロとクロをお願いします。


 優里




 家主さんとの出会いは、『あたしの正体を知ってる人』として恐怖でもあり…

 捨てたはずの自分を拾われたような気もして…なぜか少し…心の片隅に嬉しさもあった。

 あんなに憎い過去なのに…



 あたしは…聖君に…書き置きじゃなくて、手紙を残した。

 本当は…頭の中がパンクしそうだった。

 親の事、拓人の事、聖君の事、会長の事、家主さんの事、一条の事、シロとクロの事、あたしの事…

 色々考え過ぎて…

 正直、どうでも良くなった。


 元々面倒な事が嫌いなあたしは、今までなら…ここで死ぬ決断をする事で、全てを頭から排除してた。


 …だけど、これだけは…

 聖君の幸せ…だけは…って。



「…大丈夫。あたしが…絶対、泉ちゃんとの仲を取り持ってみせるから…」


 束の間でも…あたしに幸せをくれた聖君。



「にゃっ。」


「んにゃっ。」


「…いい子にしてるのよ。」


 連れて行きたいけど…あたしについて行くより、聖君に可愛がってもらう方がいい。

 聖君もだけど…華月さんも可愛がってくれてた。

 …あたしと別れて、最初は寂しくても…

 きっと…すぐに、ハッピーになれるから。


 シロとクロに多めにご飯をあげて、外に出る。

 短い間だったけど、あたしのお城だった家。

 聖君と…一緒にいた空間。


 あたしはこの後、拓人に会って。

 家主さんの事は…話さず…

 あの家を出る事を話した。


 そして、もし聖君が訪れたら…


 …あたしが風俗で働いてた事…

 聖君との事は…暇つぶしだった…って。

 打ちのめして欲しい。

 って。お願いした。



 普通なら、嫌な役目なんだろうけど…

 あたしと聖君が付き合う事を良く思ってなかった拓人は、ニヤリと笑って『任せとけ』って言った。



 …待ってて…聖君。

 あたし…

 あなたに、幸せをあげるから。



 あたしはこの時。

 聖君がどんなに落ち込んだかなんて…知りもせず。

 彼の幸せは、泉ちゃんとの復縁だと信じて疑わなかった。



 これが…


 あたしの愛だった。





 ううん。




 愛、以上。







 だと思ってた。




 45th 完

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 えーーーー!!

 優里ちゃん大間違いの、ここで終わるんかい!!って感じですが、一旦終わります。


 次は違うお話を。



 今後ともよろしくお願いしますm(__)m

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いつか出逢ったあなた 45th ヒカリ @gogohikari

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