第37話 「ごめん。」

「ごめん。」


「……」


「ほんっとうにごめん。」


 帰って来た聖君が、すごく申し訳なさそうに…頭を下げる。


 明日…聖君の誕生日。

 仕事で一緒に過ごせなくなった…と。

 仕事がらみのパーティーに行かなくちゃいけなくなった…と。

 そして、跪いて…赤いチューリップを差し出された。


「すげー悔しいんだけど…でも俺が行かないと、他の人が行く事になるからさ…」


 …他の人が…行っちゃいけないの?


 あたしは、すぐさま…そう思った。

 聖君は誕生日で…特別な日なんだよね?

 あたしと一緒に過ごしたい…って言ってくれてたよね?

 だったら…

 他の誰かが行ったって…いいんじゃないの…?


 あたしは、そんな事を考えながら…

 少し冷めた目で、聖君を見下ろしてしまった。



「…怒ってる?」


 聖君があたしを見上げる。


 …怒ってる…?

 ううん…

 怒っては…いないけど…


「…どうして…」


 どうして…

 大事な日に、自分の想いを優先しないの?

 どうして…

 誰かの事を…気に掛けるの?


 聖君は社長なんでしょ?

 社員に命令すれば、あたしと過ごせるんじゃないの?



「え?」


「……ううん……」


 あたしは小さく首を横に振った。


 ああ…あたし…

 今日は拓人のせいで、一条寄りの頭になってしまってるのかな。

 せっかく…聖君のおかげで…

 普通の女の子らしくなってきたかな…って。

 誰かを思いやれるあたしになってきたかな…って。

 …そう思ってたのに…


 誰かのため。なんて…考えられない世界に足を踏み込んで…

 あの三年間、あたしは…一条に洗脳もされかけた。

 …あんなあたし…

 もう…消し去りたい…



「聖君……」


 ゆっくり立ち上がった聖君の胸に、身体を委ねる。


「ん?」


「…あたし…」


「うん。」


「……」


「どした?」


「……あなたに…」


「……」


「……」


「……」


 あなたに…言わなきゃいけない事が…ある。

 そう、言いたい気がした。

 だけど…『言わなきゃいけない事』を…まとめる事が出来ない。


 あたしは、あなたにふさわしくないと思う。

 心からそう思う自分がいるものの…

 だけど…そばにいたい。

 だったら、そんなの隠してなきゃダメ。って言う自分もいる。


 …話したところで…信じられる話じゃないよね…

 テロリストとか…殺し屋とか…

 そんな世界…



「にゃ~。」


 あたしが考え込んでると、足元にシロがやって来た。

 それまで我慢強くあたしの言葉を待ってくれてた聖君は、そのシロの鳴き声をキッカケに。


「…腹減らない?」


 あたしの顔を覗き込んだ。


「…減ってる…」


「座ってて。何か作るか…」


 あたしから離れかけた聖君の腕を取る。


「…優里さん?」


「……あたし…」


「うん。」


「…聖君…」


「うん?」


「…大好き…」


「……」


 聖君は、ふっと優しい顔になって。


「明日…本当にごめん。その分、明後日は朝からずっと一緒にいるから。」


 そう言って…あたしの額にキスをした。





「にゃ~。」


「にゃっ。」


 今日は…クリスマスイヴ。

 聖君の…誕生日。


 夕べ、日付が変わると同時に『おめでとう』って言えた。

 ベッドの中で、じゃれ合うように…キスをして…

 出逢った時に『25歳』って言われたから、26になるのかと思ってたら…

 今日で25で。


「昨日まで8歳違いだったのね…」


 って落ち込むあたしに。


「俺、歳の差なんて全然気にしてないよ?」


 って…ギュッとしてくれた。


 抱き合って眠って…

 朝、聖君は早くに自宅に戻って行った。

 どうしても朝に弱いあたしは、また…それに気付けなくて。

 目覚めた時に一人だった事と。

 テーブルの『朝ご飯は電子レンジの中』って書き置きに…またガックリとした。



 #######


「うにゃっ!!」


「にゃー!!」


 置きっぱなしにしてたスマホが鳴って。

 シロとクロが、聞き慣れない音に過剰反応。


 あたしがどうやって応答するのか分からなくて、手間取ってる間に切れてしまって。

 もう一度じっと見つめてると…


 #######


 …『応答』を押せばいいのね…


「…はい。」


『おまえ、今日何時頃来る』


 拓人だった。


「…仕事は?」


『三時以降なら、二時間ぐらい空く』


「…分かった。」


『絶対来いよ』


 しつこい。


 そう思ったあたしは、さっさと電話を切ってしまった。



 それから、のんびりと…聖君が作ってくれた朝ご飯を食べて。

 ああ…億劫だ…なんて思ってると…


「ふーっ!!」


「…シロ?」


 シロが、威嚇するような声を出してる。

 それは、納戸に向けられてて。

 あたしはゆっくりと納戸の戸を開け…


「……」


「ふーっ!!」


「にー!!」


 シロとクロが、一斉に低い体勢になって唸ったのは…

 そこに、見知らぬ猫がいたから。


「こら、シロ、クロ。可愛い猫ちゃんじゃない。どうして威嚇するの。」


 二匹を追いやるようにして、納戸にいる猫の顔を覗き込む。

 シロとクロに威嚇されても、平然としてた。

 …首輪もしてる。

 飼い猫かな…

 賢そうな顔してる…



「……!!」


 ふいに…視線を感じて庭を見ると。

 男の子がいた。

 くるくるな髪の毛の…きゃしゃな…若い男の子。

 あたしが一瞬見惚れてしまってると…


「…はっ…」


 すごいスピードで…ガラス戸を開けたその子は。


「君、何者?」


 あたしの身体を壁に押し付けて…



 いつでも首を絞める体勢に入ってた…。



「く…っ…」


「苦しい?」


 な…なんで…っ…

 そんな事…聞くのーーー!?

 く…首は絞められてないけど…圧迫されてて…

 あたしは…咄嗟にあの三年間を思い出してしまって…


「!!!!」


 男の子が、驚いてあたしから距離を取った。

 なぜ…そうしたのかは…分からないけど…

 …とにかく、呼吸が出来るようになったあたしは…


「はっ…はっ…はー…っ…」


 胸元を押さえて、うずくまった。

 そこへ…心配そうにシロとクロがやって来る。


「…君、ここに住んでんの?」


「……」


 可愛い顔した…涼し気な顔した…ちょっとあたしを見下ろした風に言ってる…クソ生意気な男の子は…

 ポケットに手を突っ込んで…

 ゆっくりしゃがみ込むと…シロとクロの頭を撫でた。


 …なんで…あんた達…

 威嚇しないのよ…っ…


「……」


 何も答えないあたしに首をすくめて。

 その子は…土足のまま、家の中に入った。


 …嘘でしょ…昨日…床磨いたのに…!!


 椅子を引いて座る音。

 そして…


「ねえ、こっち来てよ。」


 …な…何なのよー!!


「……」


 あたしは呼吸を整えて、ゆっくり立ち上がるとキッチンに向かった。

 椅子を引いて…少しテーブルから離れて座ると。

 すかさず、シロとクロが膝に乗った。


 お…おもっ…

 あんた達、一度に来る事なんてないのに…

 どうしたの!!


 怪訝そうに猫達を見てると。


「意外と賢い猫達だね。」


 クソ生意気な男の子は、自分の膝に来た猫の頭を撫でながら言った。


「こいつは『おはじき』っていうの。おりこうさんなんだよ。」


 知るか!!


 って心の中で毒を吐きながら、あたしは目を細めた。


 いったい…この子、何。

 だいたい、土足なのが気に入らない。


 あたしが目を細めたままその子の足元を見てると。


「あっ、そっか。日本だ。」


 悪気はなかったんだよ。と言わんばかりに…その子は黒のショートブーツを脱いで…玄関じゃなく、掃き出しに持って行った。


 …この、慣れた一連の動作…


「…以前、ここに住んでたの…?」


 納戸から入って来た猫を見て言うと。


「て言うか、ここ俺の家なの。」


「……」


 …ここ俺の家なの…?


「あたし…ちゃんと不動産屋に行って…契約しましたけど…」


「えっ?マジ?」


「…はい…」



 それから…その男の子はあたしが契約した不動産屋に電話して…


『あの…長期不在の予定なので、賃貸物件で扱って欲しいと契約されましたが…』


 と言われたらしく。


「ごめんなさい。」


 土下座して謝られた。


「い…いいえ…誤解が解けたなら…いいです…」


 カップを出して…今日こそ聖君のカップはあたしが使う。と心に決めて、コーヒーを入れる。


「…ここに男と暮らしてんの?旦那?それとも彼氏?」


「え…えっ?」


「だって、カップも食器もほぼ二組だし。」


「あ…」


 た…確かに…


「…その…彼と…」


「ふーん…」


「……」


 な…何なのかな…

 この子…

 きゃしゃで…可愛くて…綺麗な顔してるんだけど…

 ちょっと怖い。


 最初にされた事がアレだったから…って事もあるけど…

 あれは、自分の家なのにあたしがいた…って事での出来事だとしても…

 …あの一連の動作は…


 ただものじゃない。



「……」


「……」


 お互い無言でコーヒーを飲んだ。

 家主として…気にならないのかな。

 あたしの素性。

 聞かれないなら聞かれない方が楽ではあるけど…


「あのさ。」


「…はい…」


 聞かれない方が楽だと思った矢先、質問が始まりそうな予感がして…少し緊張した。

 だけど…家主さんだから…

 ある程度の事には答えなくちゃ…


「名前、教えてもらっていい?」


 …名前…


「…前園優里です。」


「…うん。で?」


「……で?」


「本名は?」


「……」


 あたしは…あの日から…

 拓人が整形して『片桐拓人』になったあの日から。

 あたしも…前園優里になった。



『本名は?』


 どうして…そんな事。

 知ってるの…?



「……」


「……」


 さっきとは…打って変わって…テーブルに頬杖をついて…

 膝の『おはじき』を空いた方の手で撫でてはいるけど…

 鋭い目で…あたしを見てる…家主さん…


 …って。

 この子、若いよね?

 あたしより、うんと年下だよね?

 下手したら未成年…


 …聞いてみようか…



「…あの…」


「何。」


「…家主さん…おいくつなんですか…?」


「25だけど。」


 25!?

 聖君と一緒!?

 み…見えない!!


 顔に出したつもりはないけど、少し目を大きく見開いてしまったのか…


「童顔だから仕方ないけどね。その25に見えない。嘘でしょって顔、ちょっとムカつく。」


 家主さんは、表情を一つも変えず…低い声でそう言った。


 …それは…失礼しました…


 心の中で謝って、少しうなだれる。



「…じゃあさ。」


 家主さんは頬杖をやめて背もたれにすがると。


「本名は言わなくていいから、いくつか質問に答えて。」


 相変わらず…低い声で言った。


 …質問に…答える…んですか…

 に…苦手だな…

 そう思ってるのに…


「兄弟がいる。」


 質問が始まった。


「……(コクン)」


「それは弟だ。」


「………(コクン)」


 どうして分かるんだろ…


「生まれ故郷はイタリアだ。」


「……」


 さすがに…頷けなくなった。


 どうして…?


「頷かないの?」


 この人…


「…あたしを…」


「日本に来たのは、何が目的…?」


「…え…?」


「何か目的があって、日本に来たんじゃないの?」


「……」


 その質問には…頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになった。

 あたしが日本に来たのは…


「…弟が…日本は住みやすいからって…」


「それだけ?」


「…人も…騙しやすいから…って…」


「あとは?」


「…あと…?」


 何…拓人、何か言ってた…?


「…どうやら君は訓練した甲斐がなかったみたいだね。」


 ハッと顔を上げた。


 この人…どうして訓練の事まで…


「まさか、こんな所で会えるとは思わなかったよ。三枝さえぐさ こうさん。」


 ガタン


 思わず立ち上がってしまった。



 もう…何十年も…人の口から言われた事のない名前。


 忌まわしい…名前…



「あなた…」


「さっき…押さえ付けた時に見えちゃったんだよね…ここにかすかに残ってる傷。」


 そう言って…家主さんは、鎖骨の辺りを片手で押さえた。


 これはー…

 あの事故で…出来た傷。

 だけど、本当にうっすらとしか残ってないし…

 だいたい、なんで…家主さんがこの傷の事…


「その傷見て、君が誰か気付いちゃった。」


 家主さんはゆっくり立ち上がると。

 あたしの前まで来て。


「俺は…薫平くんぺい。」


「……え…?」


 父親と…同じ名前のその人は…

 ぞっとするような目で…


「もし、君の弟が何かしでかすつもりなら…」


 あたしの顎を持ち上げた。


「……」


 …鳥肌が立った。


 瞬きも出来ずに家主さんを見つめる。

 すると家主さんは、少し見惚れてしまうような…冷たい…だけどとても綺麗な笑顔で。


「俺…殺っちゃうよ?」



 ゆっくりと、あたしの耳元に…



 唇を寄せて言った。

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