メリーさん エピローグ

「思い切った事をしたな、大江」

「全員でかかりました」


 一週間後、首に包帯を巻いたナゴは仕上げた『地域文化新聞』の原文を昼休みに顧問の女教師――伊車濫いぐるまらんに見せていた。


「少し慌ただしい形になってしまったので、やはり駄目でしょうか?」

「いや、良いと思う。最近、生徒の間でも【メリーさん】の事はひっきりなしで、何か対応策を考えないといけないと思っててな」


 今回の『地域文化新聞』に載せる内容で特に注目したのは、【メリーさん】に関する小さな記事。


「どこのバカが作ったのかは知らないが、学校の裏掲示板とか言うのに、ある事ない事書く奴がいてね。しかも別クラスの女子生徒で【メリーさん】の被害に合ったとか言うヤツも出てきて、噂に拍車がかかってきたから丁度良かったよ」


 ナゴが提示したその内容は、【メリーさん】に関する歴史と、呼び出す方法だった。


 午前0時00分00秒にxxx-xxxx-8888に連絡すると【メリーさん】に繋がる。


「下手に、『止めろ』とか言っても効かないヤツが殆どだから、こういう偽の情報を浸透させるのは良い考えだ」

「部長の考えです」

「不破か? 珍しく仕事したな」


 濫は自分の担当クラスで問題児の怠け者の事を思い浮かべた。

 その後、掲載する記事の内容に容認を貰うと一礼して職員室を出た。後はPCを使って印刷し、明後日の朝に張り出せば五月の『地域文化新聞』は完成だ。自分でも納得できる物が作れたし、何とか間に合ってよかった。


「あ。大江さん」


 その職員室から出た際、ナゴは松葉杖を突く藤崎と対面した。






「驚いたなー。大江さん、髪切ったんだね」


 藤崎は、肩口から垂らすほどに長かったナゴの三つ編みを覚えていた。しかし今は、肩に届く程度のセミロングを三つ編みに結んでいる。


「諸事情がありまして。変ですか?」

「ううん。全然似合うよ。ていうか大江さんって結構、可愛いね」

「女子が呟くにしては、ずいぶん男前なセリフですね」


 同じクラスであるが、ナゴの存在は極端に希薄だった。近寄りがたい雰囲気はあるものの、絶対的にかかわりたくない、とは思う程では無い。

 しかし、気がつけばいなくなったり、いつの間にか席に座っていたりと、その存在はどことなく認識し辛い人間だった。


「あはは。やっぱり、そう言う言葉って気になる人に言われたい? ていうか、気になる人いる?」

「いません」

「絶対嘘だぁ」

「それよりも――――」


 ナゴは未だに片足と片腕を痛めたままの藤崎の様を見る。松葉杖はあの出来事が現実だったと物語っていた。


「大丈夫ですか?」

「中々治らなくてさ。でも、松葉杖なら学校にいけるって言われて午後から登校したんだよー」


 不便な現状も物ともせず、器用にVサイン作る藤崎。彼女は今日の午前中で退院し、午後から登校してきたのだ。


「不破君を捜してるんだけど、どこに居るか知らない?」


 ちなみに、ナゴと藤崎は同じクラスだが、セージとは二人とも別のクラスだった。

 藤崎は彼のクラスにも顔を出したが、そこにセージの姿は見当たらず、あてもなく捜していたとのこと。


「セージですか? 昼休みは本校舎の屋上に居ます。付き添いますよ」

「ありがとー」


 まだ、うまく動けない様子を察したナゴは藤崎が転ばないように階段の上りに手を貸した。


「大江さんと不破君だよね。【メリーさん】から助けてくれたの」


 曖昧な記憶から、あの時助けてくれた二人の事を改めて確かめる。


「ただ、運が良かっただけです」


 その口調は、その手の話題に関心の無い藤崎でも冗談では無いと感じるモノだった。

 アレは本当に人が対抗できる様なモノではなかった。『都市伝説』というモノはある種の災害なのだ。災害に巻き込まれて三人とも命があるのは本当に運が良い結果なのである。


「それよりも、携帯をダメにしてしまってすみません」


 ナゴは話題を逸らす。

 救急車で運ばれた藤崎には、携帯の事を詳しく説明せずに破棄したため、後日連絡となってしまったのだ。【メリーさん】との繋がりを完全に断つためとはいえ、消したくない電話番号もあっただろう。


「別に気にしてないよ。あたしもさ【メリーさん】の事は現実だと思ってるし、大江さんと不破君があたしを助けようとしてくれた事もわかってるから」


 二人は自分を助けてくれた。感謝こそあれど、彼らを疑う事は絶対に無い。


「でも物損の弁償はします」

「いいっていいって。あたしも軽率だったし、大江さんにも迷惑かけたみたいだから」


 藤崎はナゴの首に巻かれた包帯を見る。彼女も【メリーさん】から被害を受けたのだとわかっていた。自分が【メリーさん】を呼び出した所為で彼女が傷ついたのだ。


「ごめんね」

「私には藤崎さんが謝る意味がわかりませんが」

「……良い娘だよねぇ。大江さんって」


 その言葉は何気ないモノだったが、ナゴは深く何かを思い出す様に数秒だけ停止した。


「大江さん?」

「……すみません」


 階段を登り、ナゴは屋上の扉を開けた。二人は、旧校舎と違って綺麗なフェンスに囲まれた屋上へと出る。

 突き抜けるような風は、暑くなってきた今日ではとても心地いい。そして、誰も居ない様を見るとその空間を独り占めしたような蒼天の爽快感が身体を包む。


「あれ?」


 そこで藤崎はセージの姿が無い事に辺りを見回すと、ナゴは更に一段上の給水タンクが乗っている所に梯子を使って上がっていた。


「起きなさい。セージ」


 そのシーンをどこかで見たことがあった藤崎は、思わず笑みがこぼれる。


「下校の時間か?」


 そう言いながら、のそりと身体を起こすのは不破勢十郎だった。下に居る藤崎でもその姿を確認できる。


「午後の授業をさぼるつもりだったのは、よくわかりました」

「イーサンに原稿は通ったんだろ? あれで駄目だったら流石に抗議に出るがな」


 そんな事は言葉とは裏腹に自信満々な顔をするセージに呆れながら、ナゴは梯子を使って降りる。そんな彼女を視線で追ったセージは藤崎に気がついた。


「元気そうだな。藤崎」


 セージは狐のように細い眼といつもの余裕溢れる笑みを浮かべて彼女を見る。






 ナゴは、昼休みを使って記事の仕上げにかかると、屋上を去って行った。

 雲が点々とする晴天と、そこから降り注ぐ太陽の光。そして時折流れるそよ風に当てられながら、藤崎は松葉杖を置いて段差に座る。セージは飲みかけのペットボトルを片手にフェンスを背にして横に立っていた。


「篠田とは話せたんだろ?」

「……うん。不破君と大江さんのおかげだよ」

「それは良かった」


 相変わらず、細い眼と表情は崩れず、常に余裕のある笑みを浮かべるセージは、一体何を見ているのか、藤崎はどうしても分からなかった。

 なにか、彼は別のモノ――別の世界を見ている気がする……


「不破君って――」

「なんだ?」

「幽霊とか見える?」

「見える」


 思いもよらない言葉に対して躊躇いなく彼は答えた。冗談のつもりだったのだが……


「って、言えば面白いか?」

「……なにそれ?」

「聞かれたから答えただけだ。比較的正直にな」


 初めて正面から彼と話をしてみたが……決定的な違和感を覚えた。

 彼の言葉には本心が混ざっていない。発現する単語の一つ一つに、本質を躱す様に言い回しているのだ。

 それはあたしに対してだけなのか、それとも話をする人間全てに対してなのかは分からないが。


「手足は大丈夫か?」


 すると、自分の身体を気遣って話題を振って来る。最初は自分の手足じゃないみたいに感覚が無かったけど、今では松葉杖を突いて歩けるまでに回復している。


「呪いが完全に抜けてないが、後一週間もすれば完全になくなるさ」

「?」


 セージはナゴに言われて、藤崎に憑いている一体の『神』に視線を向けた。

 流石【メリーさん】だな。神が一週間かけても呪いを消し去ることが出来ないとは。人の想いとは時に“神”を凌駕すると言う事らしい。


「ねぇ、不破君。あの【メリーさん】ってなんだったのかな……」


 当時の事を思い出して、対峙した【メリーさん】について藤崎は質問する。

 まるで現実味がなかった。あの時だけ、今青空の下に居るこの場所とは別のところに居たと……全部夢だったんじゃないかとついつい考えてしまう。


「不浄無常の塊だ」

「え?」

「絵具で言えば“黒”。だが、ただの黒じゃない。あらゆる色が混ざり混ざって生まれた黒。“興味本位”や“恨み”“辛み”……そして“願う意志”が複雑に混ざり合って生まれた混沌だ」

「興味本位や……願い?」

「悪戯に興味を持つと言う事は、それに対して意志を向けていると言う事だ。それが一人や二人なら大したことは無いんだが。ソレが百人、千人、万人となって来ると話は変わってくる」


 都市伝説は噂によって存在している。お坊さんの読む“お経”が時を得て、力を持ったように、人の強い意志が集まるモノにはそれ相当の力が宿る。


「だから都市伝説や怪談には意志がない。ただ条件が満たされた時に現れて、命を攫って行く」

「今回の【メリーさん】は……あたしが振り向いたから駄目だったの?」

「うちの【メリーさん】は特別だ。【さとるくん】と混ざったモノになったから、あんな形になった。本来の【メリーさん】はもっと――」

「もっと?」

「シャイだ。だから振り向いて顔を見られると恥ずかしがって帰る」

「ぷっ……あはは、なにそれ」


 今回の事件で藤崎が感じた【メリーさん】と言う存在は危険な悪霊として認識していたが、本来の【メリーさん】は少し違うらしい。


「他にもこんな話もある。壁を背に【メリーさん】から電話を受け取り続けたら、最後の背後で壁に埋まってたりとかな」

「ドジだねー」

「まぁな。今回の件であまり怖がってやらないでくれ」


 【メリーさん】の結末では色々な解釈がされているが、どれもが真実でどれもが虚偽だ。体験した事は居ないし、居たとしても信じてもえないだろう。だけど――


「そう言えば、不破君に伝言」


 これは、嘘では無い。


「ケン……篠田君が、ありがとう、だって」


 セージは藤崎からの篠田健吾の伝言を聞き、額を掻くように手を当てた。


 まったく……オレに言葉を残すよりも、一秒でも長く藤崎と話せばよかっただろうに……つくづく――


「お人よしだな。二人とも」

「それが取り柄だよ。あたしも、ケンちゃんも。それに不破君には言われたくないかな。大江さんにも」



 蒼天の太陽に負けない笑みを作る少女は恋心に整理をつけ自分を取り戻し、道を歩む。それが、想いを通わせた恋人との願いなのだから彼女は精一杯、前に進むだろう。


 これが1年目の五月下旬に起こった【メリーさん】の話。

 高校生になってから不破勢十郎が関わった――――人が信じるにはあまりにも荒唐無稽な――の怪奇譚だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 藤崎が救急車に運ばれる様を見送ってから、セージとナゴはある場所に赴いていた。

 その場所は地域でも比較的に神的聖地とも言える場所――大江神社。

 二人は中庭で薪が割れる音を聞きながら目の前で燃える焚火を眺めている。


「【メリーさん】と繋がりを断つ条件?」

「土地や地域には、その地に存在する土地神って奴がいる。そういう、その土地古来の神が、土地に暮らす存在を護ってるってわけでな」


 悪霊や、心霊による被害が表沙汰にならないのは、そう言った神々になる加護が大きな要因だ。稀に、そう言った加護を受けられる条件から外れた人間が、心霊や悪霊の被害に合う。


「それに加えて、人には守護霊が憑いてる。よほどのことが無ければ、霊から被害を受けるなんてことはない」


 人間と言う存在は形を持つ分、怨霊や悪霊よりも強い存在である。しかし、ストレスや心身の弱みに付け込まれて、逆に霊に取り込まれる事もある。


「だが、そう言った“心の衰弱”とは別の条件で悪霊の被害に合う」

「それが、【メリーさん】?」

「正確には“噂話”だ」


 霊は人間と違って肉体を持たない。その為、その存在を維持し続けるには、内外問わず強い“想い”が必要になるのだ。


「本来、霊の存在定義は生前の未練が一般的だが、それなら個人で祓える例が殆どだ。だが、世の中には人が想像もしないような化物が意図せずに生まれることがある」

「それが『都市伝説』でしょうか?」


 セージは、ナゴの回答にニッと笑って答える。


「人が噂をするって事が、多くの意志がソレに向いているって事だ。だから『都市伝説』は意図せずに強大な存在になる。それでも、大概は土地神や守護霊によって防がれ被害を受ける事なんてほとんどないが」


 特定の想いによって構成される一般的な悪霊や怨霊とは別に、『都市伝説』とは人の興味本位から生まれた“色の無い霊”なのだ。見えていても近づいて触れる事が出来ない霧のようなものである。


「しかし、今回のように例外もあるんですよね?」

「今回と言うよりは、この辺りの土地が問題だな」


 この辺りの地域には土地神が居ない。だから、他の所に比べて霊的被害が生まれやすい土地なのである。


「ここみたいに、神が三体も寄っている場所がある様な、土地神のいない土地は加護の偏りが凄まじい。結果として悪霊が出やすい環境になってるんだな」

「やっかいですね」

「ああ」


 元々『都市伝説』は万人の意志が形となったモノ。仮に宗教に存在する神が、信仰する信者の数でその力を増すのならば、『都市伝説』の信者は噂話を知っている人間全て――つまり、日本中の人間の想いが形になっていると言った所だろう。


「絶対に消える事がなく実態を持たない意志。『都市伝説』は意志を持たない、眼に見える神、って解釈も間違いじゃない」


 だから性質が悪い。この辺りで噂される【メリーさん】は、本来の【メリーさん】と、それに似通った【さとるくん】の混ざった定義の不明な悪霊として確立されてしまっている。

 だから……現れたからとって、その通りになるとは限らないし、『都市伝説』である以上、完全に消す事も出来ない。


「それで、繋がりを断つ事が重要なんですか?」

「逃げ切る事も倒す事も出来ないなら、相手から視認されないようにするしかない。だから、こうやって携帯を焼却処分してるんだろ?」


 セージはナゴの住居でもある『大江神社』に火を焚いて、その中で今回【メリーさん】が直接通話した三台の携帯を焼却処分していた。


「何度も聞きますが、こんな事で【メリーさん】から逃れられるんですか?」

「うちの【メリーさん】は携帯に依存してる。だから、直接連絡を受けた携帯を完全に破棄する事で、関係を断つことが出来る」


 セージはその可能性の裏を取っていた。【メリーさん】は電話に出た者を順に襲っていた。これは、そうしなければ害を加える事が出来ない事を意味しているのだろう。


「土地神の居る土地なら、どこの神社でもいいんだが、この辺りだと安定して行うなら『大江神社』以外に適任地はないからな」


 それはどこでも良いと言うわけではない。一時的に【メリーさん】も近づけない場所――つまり、神の存在する土地でなければならない。

 『大江神社』には、その神主の人柄に惹かれてか神が三体も滞在している。流石に【メリーさん】とはいえ、ここには近づこうと思わないだろう。


「藤崎には一体だけ、行ってるんだろ?」

「はい。後で対価を払わなければなりませんが」

「オレの寿命を削ってくれ」


 セージは躊躇いなく、いつもの余裕の表情で自分の身を削る事を告げた。神と言う存在を動かすにはそれだけの対価を払わなければならない。これは、そう言ったモノを認識できる者同士だからこそ可能な取引である。


「それには及びません。既に失う物は話がついていますので」

「そうか」


 彼女の事だ。無茶な代償ではないだろう。その点では自分よりも上手く交渉できる立場にはある。


「そこで、一応聞いておきたいのですが……」

「ん?」


 パキッと薪が弾ける。ナゴは呟くようにセージへ問う。


「セージは……セミロングは好きですか?」

「三つ編みが好きだ」


 セージは焚火の中で燃える携帯を見ながら、笑みを浮かべていた。

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御霊の感覚~地域文化研究部の怪奇譚~ 古朗伍 @furukawa

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