メリーさん5

「――――きさん―――崎さん―――藤崎さん」

「う……」


 藤崎は自分の名前と身体を揺さぶられて意識が覚醒した。ぼやける視界がはっきりしてくると、クラスメイトのナゴの姿が映る。


「大江さん……? 痛ッ!」


 【メリーさん】に引きちぎられかけた腕と足に激痛を感じた。先ほどの事が嘘では無かったと、改めて身体が震えはじめた。


「大丈夫か?」

「……不破君?」


 そのナゴの後ろからセージも声をかける。彼は耳に携帯をあてながらどこかに連絡していた。


「……そっか。二人してあたしの事捜してくれたんだね……」


 最初で最後に【メリーさん】の話をしたのは、この二人だけだと思い出す。自分の事を気にかけて助けに来てくれたのだ。


「腕と足は大丈夫か?」

「ちょっと……痛いけど」

「いま、救急車を呼んだ。しばらくすればここに来る」

「【メリーさん】……は?」


 この腕と足の痛みの元凶の存在を恐る恐る訪ねてくる。


「帰った。急用でも思い出したんだろう」


 最初に会った時から、崩れる事の無いセージの笑みに藤崎は、不気味な神社に居るとしてもどこか安心する事が出来た。


「…………う……」


 そして、安心した事で、本来の目的が達せられなかった事を思い出して感情が揺れる。人前だと言うのに涙が止まらない。

 あたしは……何も知る事が出来なかった。残ったのは腕と足の痛みだけで――


「藤崎さん……」

「藤崎」


 ナゴが慰めの言葉をかけようとすると、藤崎の携帯を拾ったセージが割り込んで声をかける。


「まだ、篠田の事を聞きたいか?」

「!」


 弾けるように藤崎は涙でくしゃくしゃになった顔を上げてセージを見る。


「出来るの……?」

「コイツはさっきの【メリーさん】みたいに力技は通用しないからな。出来れば真剣に向き合ってくれないと困る」

「…………たい」


 か細く呟くように弱々しい声だったが、セージは確かに彼女の本心を聞き取った。

 その様子にニッと笑うと、藤崎本人の携帯を拾って電源を切ると投げて渡す。


「条件は同じだ。振り向かないように気をつけろよ? 大江離れるぞ」


 と、セージはナゴに声をかけると、その場から共に離れるように促す。


「藤崎さん。私達は神社の外に居ます。何かあれば声を上げてください」






 藤崎は再び神社で一人残された。セージとナゴの二人が去って行き完全に視界から消えた途端、携帯が鳴った。


『今、神社の前に居るよ』


 電源が入っていないにも関わらず、液晶は光り、その会話の間だけ通話が可能になっている。


「…………」


 これは……


 通話が切れて、再び暗転した画面を見ながら、藤崎はこの都市伝説を小耳にはさんだ事があった。すると、すぐさま電源の切れたスマホに光が灯ると着信が鳴った。


『今、後ろにいるよ』


 取った藤崎はそこでようやく確信した。


 【さとるくん】。

 【メリーさん】と類似する、全国的にも知れ渡っている都市伝説である。そして、背後に“何か”がいる気配を【メリーさん】と同じように感じ取っていた。


「あ……」


 先ほどの恐怖を思い返し、声が出なかった。

 【さとるくん】は、背後に居る時に何も聞かなければ、そのままどこかに連れ去られてしまうと――

 背後に居る【さとるくん】は少しずつ彼女を連れ去る為に、その気配を禍々しいものへ変化させて行く。


「ケン……ちゃん――」

『…………』

「篠田健吾が……二週間前に……藤崎直子に言いたかったことを……教えてください……」


 振り絞る様に、弱々しく震えながら質問を口にした。現状の恐怖に呑み込まれそうになるも、彼への想いが僅かながら上回った証だった。


『…………藤崎か?』


 その時、通話先の声が【さとるくん】から別の者に変わった。その声に藤崎は眼を見開く。

 聞き間違えるハズがない。ソレは間違いなく、二週間前に交通事故で亡くなった、篠田健吾の声だった。






「大丈夫でしょうか?」


 ナゴはガードレールに座って藤崎の安否を気にかけていた。その理由として、先ほど目の前の神社に入っていく、都市伝説の存在を眼に捉えたからだった。


「さぁてな。藤崎による」


 近くの自販機で、ジュースを買って来たセージはうち一つを投げた。ナゴは何気なくキャッチする。


「なんですか? これは」

「詫び代だ」


 セージは【メリーさん】につけられたナゴの首にある痣を指摘する。首を絞められた様に指の跡がくっきり残っていた。


「普通なら呪われてる所だが、『神落とし』は一週間程度で消えるだろ?」


 今回の【メリーさん】は、人によって良くないモノの塊のような存在である。触れられるだけでも、毒のように後遺症を残すほどの“呪い”がまとわりつく。


「藤崎もしばらく大江のトコに通った方が良いな」

「いえ……私から頼んで憑いてもらいます」

「説得できるのか?」

「必要な事ですから。それに――」


 ナゴは缶コーヒーを持っているセージの手を見る。それは【メリーさん】を殴った方の手。黒い靄が蓄積された様にまとわりついていた。

 ナゴはポケットからいつも持ち歩いている包帯を取り出して巻きつけた。


「セージも、一度家に寄ってください。祓ってもらいます」


 その靄はセージにも見えている。後で塩水にで手をも突っ込もうと思っていたが、ナゴの方でこの呪いを処理してくれるのなら問題ない。


「おかげでコーヒーが飲める」

「……相変わらず無茶苦茶ですね」


 【メリーさん】を殴るだけではない。普通の人には見えない“この世ならざるモノ”。それをセージは強い繋がりがなくとも見る事が出来ている。

 それが先天的なのか後天的なのかは分からない。だが、ナゴが知る不破勢十郎という人間は、幽霊を視界で捉え、殴る事の出来る人間という事だけだった。


「見て、触れるだけだ。坊さんみたいに、祓っている訳じゃない」


 セージの拳には悪霊や幽霊を浄化させる程の聖的要因があるわけではない。

 ただ殴れるだけなのだ。

 ソレによって彼が受ける、悪霊の呪いのような“負の想い”まで弾く事は出来ないのできないのである。手を出す事は自らの毒の水に手を入れるに等しい。


「それでも、助けられる事には変わりありません。私は触る事は出来ませんから」

「それがいい」


 包帯を巻いたコーヒーを飲みながら当然のように呟く。その表情は相変わらず笑っているが、何か別の事を考えている様だった


「大江。お前は“幸せ”になれよ。藤崎みたいにな」

「“私”と……同じことを言わないでください」


 その返答に、セージは相変わらず笑みを作る。そして、残ったコーヒーを喉へ流し込んだ。






「ケンちゃん……? ケンちゃんなの?」


 【メリーさん】の事もあったが、藤崎はその声色は間違いなく彼のものだと確信した。そして、電話越しでは無く直接顔を見て話をしたかった。


『振り向くな!』


 その言葉にビクッと身体を震わせる。


『頼む藤崎……お願いだから振り向かないでくれ』


 【さとるくん】に質問をした時に決してやってはいけない行為。それは、【さとるくん】が後ろにいる時に振り向いてはいけないと言う事――


「ケンちゃん……」


 藤崎は携帯電話から流れてくる声に縋る様に集中する。


『悪かったな』

「え……?」

『あの夜……電話をした時に伝えていれば、こんな事にはならなかった。お前が【メリーさん】に電話しようとも思わなかった』

「違うよ……ケンちゃんの所為じゃない……」


 これは、あたしが勝手にやった事だ。あたしの軽率な行動がここまでの事態を引き起こした。


『お前はいつもそうだったよな。いつもは強気なくせに、ここって時には弱気になる。いつも、カバーしてたのは俺だぜ?』

「あ……あはは。そうだったかな? でも、ケンちゃんも、よく悪戯して先生やお父さんやお母さんに怒られてたじゃない。その度に何もしてないあたしも一緒に巻き込んでさ」

『う……まぁ、若気の到りって事で。見逃してくれ』

「高校で再開しても子供っぽいのは何も変わって無くて、ここひと月のあたしの苦労知らないでしょ? 立ち入り禁止の屋上に行ったり、廃校舎に入ろうとしたり、先生に誤魔化すの大変だったんだよ?」

『あ、あれは……まぁ……いっか』

「よくない!」

『ご、ごめんなさい……』


 藤崎はいつの間にか、いつもの自分に戻っていた。小学の頃から変わらない大好きな人と話していると、いつも辛い事も悲しい事も全部忘れてずっと話していたくなる。


「でも、そんなケンちゃんをあたしは好きになったんだよ」


 それが……恋心だと気づいたのはきっと、当たり前の事だったんだろう。


『……ああ。俺も高校でお前と再会した時、緊張したよ。今までは妹とかくらいにしか見て無かったからな』

「あ、それひどい!」

『ふはは。まぁ、アレが俺の初恋で、藤崎直子に対する一目惚れだった』

「…………」

『藤崎……いや、ナオ。俺もお前の事が好きだよ。もしも、時間が巻き戻るならって何度も考えちまう』

「ケンちゃん……」

『でも俺は……もう、お前の傍には居られない』

「……やっぱり……やだよぉ……ケンちゃんが居ないなんて……あたし……あたしも――」


 このまま振り向けば、ケンちゃんと一緒の場所に行くことが出来るかもしれない。それでもいい――

 藤崎は迷わず振り向こうとした時、背後から優しく抱きしめられた。


『頼むからさ……俺の為に全部諦めるような真似は止めてくれ……』

「でも……ケンちゃんが……居ないとダメなの……あたし……」

『いいや……俺が惚れたナオは、そんなに弱い奴じゃない。それは、俺が一番よくわかってる』


 一緒に居たいのは健吾も同じだった。けど、それはもう叶わない未来だと解っている。こうして、話が出来るだけでも奇跡なのだ。これ以上の奇跡は望むべきではない。

 そんな彼の気持ちを藤崎も理解した。その上で涙が止まずに流れ出る。これが本当の別れだと――


「うん……そうだよ。あたしは……藤崎直子だ。篠田健吾が惚れてくれて、篠田健吾を好きになった藤崎直子だ! だから!」


 強く、ケンちゃんが好きになってくれた“あたし”で彼を見送ろうと決意を固める。


「うんと、幸せになるよ! ケンちゃんと一緒に幸せになった時と同じくらいに!!」


 強気な発言とは対照的に涙は止まらない。別れたくない……ずっとこのまま話していたい。けど、それはあたしの我儘だ。もうあたしもケンちゃんも子供じゃないから――


『ああ。それと、俺の親友の――に、ありがとう、って言っておいてくれ。今の状況はアイツのおかげだ』

「わかった」

『最後までサンキューな。じゃあな、ナオ――』

「じゃあね。ケンちゃん――」


 そして、背中を包んでいた温もりは消え、携帯は電源が切れた状態に戻る。ただその場には藤崎直子だけが座り込んでいる。

 二度と会えない永遠の別れ。しかし、彼女の心には、前に進む為に必要な温かさが残っていた。






 廃神社から立ち昇る光の奇跡は、神に捨てられた土地から離れるモノにしては清々しく、綺麗な一つの魂だった。


「終わったな。篠田だけか」

「そのようですね」


 その様を確かに捉えられる眼を持つ二人は、藤崎は篠田と共に行くことはしなかったと……全てが“無事”に終わったと悟る。


「そう言えば、最初に何故藤崎さんの事を知っていたのかが気になるのですが」


 ナゴはセージが藤崎と初めて対面した時に、彼女の事を知っていた様子を気にかけていた。

 藤崎はセージを知らなかった事もあるが、怠け者の彼が特に興味もないのに自分から進んで他人を知ろうとすることは考え辛い。


「半々だと、言ったんだがな」

「半分は知っていた訳でしょう? 向こうはセージと面識は無かったみたいでしたけど」

「その答えは、オレが篠田健吾と知り合いだったと言えば納得できるか?」

「篠田さんと?」


 藤崎とセージの繋がりは、その間に居た篠田健吾がキッカケらしい。


「二週間前、アイツから電話を貰った。なんでも、幼馴染に告白されてどうしよう、という連絡でな」

「普通に知り合いじゃないですか」

「ただの成り行きだ。オレからすれば篠田は別のクラスだったし、すれ違えば挨拶する程度の奴だったからな」


 セージはそう言うが、篠田健吾からすれば、そんな大事な話をふる程に彼の事を強く信頼していたのだろう。


「それで、何と答えたのですか?」

「返事は早い方が良いって言った」


 それが最後の会話になるとは、流石のセージも思っていなかったらしい。

 彼の表情は相変わらず微笑みながら、ゆっくり天に消えて行く魂の光を見ているが、細い眼は真剣に何かを考えるように開かれている。


「葬儀と言うモノは、死者に対する安らぎを願う儀式ではなく……死者に対する生者の未練を無くすための祭儀です」


 その様子を察したナゴは、真理のように呟いた。

 人の死には悲しみや恨みが渦巻き、生者の感情は死者とは比べモノにならないくらい強く伝わってしまう。

 それが未練や怨嗟となり、死者を強く縛る鎖となるのだ。又は、別の悪霊を生み出す糧となってしまう。

 しかし、その死に対して生者の感情を正しく清める事が出来る儀式が存在した。


「それが一般的に行われている“葬儀”です」

「大江」

「なんですか?」

「流石だな。人の死に対してよく理解している」


 彼女は人の死に対して深く知り過ぎている。それが当然だと思う事が存在意志として定着していることもあるが。


「……神に捧げる供物も同じです」


 ナゴは夜空を見上げて続ける。

 人一人の命を捧げる事が当然だと思われていた時代もあったのだ。悲しみと恨みが世界を包んでいたその中で生み出された『空亡』は今も尚、この地に眠っている。

 過去に幾度も、『空亡』は人に害を成した。そうする事が人々に求められてしまったから、そうする事が存在の定義となってしまったのだ。


「『空亡』には供物なんて要らなかったけどな」

「…………」


 しかし、そんな辛い時代と『空亡』を何とかしようと矢面に立った者達がいた。彼らのおかげで今の自分たちの世代がある。

 だからこそ、今生きる自分たちがソレを繰り返してはならないのだ。

 それが、見える者の責務だと彼女は言い、彼は義務だと笑みを浮かべる。

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