メリーさん4
既に日は落ち、太陽の代わりに外灯が不確かな夜道を照らしていた。
セージのこぐ自転車は、ナゴを後ろに乗せていても平地と速度を変えることなく目的の『殺害団地』に向かって坂道を登っている。
「準備の方をお願い。うん、こっちは大丈夫。セージと一緒だから」
自転車の後ろで祖父に連絡していたナゴは後始末の用意を頼み終えると携帯を切る。
「ムウさん、なんだって?」
「準備をしておくそうです。それよりも、本当にそんな事で【メリーさん】との関わりを断てるんですか?」
今の祖父との件は、セージの指示によるモノだった。彼は全てを解決するためには、【メリーさん】との接触を避けるだけでは終わらないと考えている。
「媒体は携帯だ。【メリーさん】の定義は通話をする事にある。マジの【メリーさん】ならこんな手は使えないが、うちの【メリーさん】は携帯に依存しているからな」
すると、ナゴは分かれ道で“ある存在”が視線に入りセージの背中に触れて声をかける。
「セージ」
「どうした?」
ナゴに呼ばれて自転車を止めた。彼女の視線の先には、下り方向の分かれ道を指差す、“桜子”の姿があった。
「進路変更だな」
下りの先にあるのは廃れた神社だったと二人は記憶している。通り過ぎ様に“桜子”へナゴはお礼を言うと、自転車は下り坂へ入った。
「『都市伝説』ってヤツは、その辺りの噂話と“格”が違う。それこそ、正面から対峙するとなれば『
「…………」
「そんな顔するな」
「……見えてないでしょう?」
セージは前を向いて自転車を操作しているにもかかわらず、ナゴの表情を読み取っていいた。
「……セージのそう言う所はあまり好きではありません」
「天邪鬼だな。大江は」
「うるさい」
弱気になる事を避けている。それは、自らの本質を否定しないためにナゴ自身が常に気をつけている事だ。
その結果、彼女は意図せずに誰からも大人びて見られている存在に映っている。
しかし、不破勢十郎という人間は、そんな彼女の内面を的確に捉える事の出来る数少ない一人だった。ナゴとしても、そんな彼には少なからず心を開いている。
それが決定的になったのは、四月下旬に起こった『神隠し』の一件でだった。
「!?」
そんな話をしながら下り坂の曲り道を抜けた時だった。
曲り道を進んだ所で、ライトをつけていない車が正面に現れたのだ。鉢合わせるような形で眼前に現れ、直撃には十分な距離――――
「おいおい」
セージは咄嗟にハンドルを切る。その際に乗用車の運転手の姿を見るが、あちらも驚いている様だった。
「大江! 跳べ!」
バランスを崩して倒れそうになる自転車からナゴは脱出し、最後までハンドルを握っていたセージは何とか直撃を躱すが、車の側面を滑る様に流れる。車も同等にセージたちを躱した為に直撃は間逃れた形となった。車は外灯にぶつかって停止する。
しかし、セージの乗った自転車は、避けた先の崖に設けられたガードレールにぶつかると、彼だけを宙に投げ出した。
「セージ!」
逆さに落下しつつも、彼は何て事でも無い様にニッと笑っていた。そして、
「近道だ! 先に行ってるぞ!」
ナゴはガードレールから顔を出すとセージは崖下の林の闇に落ちて行く様を見取った。ガサガサと枝を折る音が聞こえる。
「…………まぁ、無事でしょう」
彼の事は心配するだけ損だ。次の間には相変わらず笑って姿を現すだろう。
ナゴはタイヤの曲った自転車はもう乗れないと判断し、ナンバーと場所を電話でゲンさんに伝えると、目的地の神社へ駆けて行く。
もう、目と鼻の先だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
四月上旬。藤崎は小中の友達とは別れ、戸波高校へただ一人だけ通学する事になった。
新たな高校生活は、藤崎にとってときめくモノでは無く、ただ親しい友達の皆と別れた事で、普段の明るい様も意気消沈してしまっていた。
「お。なんだ、藤崎じゃん」
「え? ケン……篠田君?」
校門の近くに張り出されているクラス表を見て、クラスの下駄箱で靴を履きかえていると、話しかけてくる男子生徒に目を向けた。
それは、小学の頃に近所に住んでいたが、引っ越してしまった幼馴染の篠田健吾だった。よく喧嘩した事もあり、二人の関係はある意味兄妹のようなものである。
「懐かしいなぁ。小学の時は男みたいだと思ってたけど、やっぱり藤崎も女だったんだな」
「ちょっと、それってどういう意味!?」
「いや、出るとこ出てるって事。まぁ、さっき校門で見た、外国人の女子生徒よりは小ぶりだが――」
藤崎は篠田の脛に全力の蹴りを叩き込んだ。ぐぁぁぁ、と声を上げて悶える彼に、ばーか、と罵声を浴びせて靴箱を後にする。
「ちょ、ちょっと待て……藤崎――」
ゾンビのように手を伸ばす健吾に、べっと舌を出して教室に向かう。だが、これからの学校生活に対する不安は、いつの間にか無くなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『あたし、メリー。今、神社の目の前に居るの』
その電話を神社の中で受け取った藤崎は、得体の知れない恐怖に震えながらも、彼に対する想いだけを支えになんとか耐えていた。
「ケンちゃん……」
もうすぐだ。もう、メリーさんはそこまで来てる。だから、ちゃんと訊くんだ。あの日――聞くハズだった彼の言葉を……
そして、着信が響く。その音は今まで以上に静まり返った闇の中に反響した。
「…………」
この時の為に【メリーさん】を呼んだのだ。藤崎は意を決して電話を取る。
『あたし、メリー。今……あなたの後ろにいる』
この言葉を聞いた瞬間からだった。背後に“何か”が立っている気配を強く感じ取る。ここからだ……振り向かずに質問をすれば【メリーさん】は何でも答えてくれる。
「メリーさん……ケンちゃんの―――」
「藤崎か?」
その時、背後からかけられた声は、二週間前を最後に二度と聞く事が無くなった彼の――篠田健吾の声だった。
「ケンちゃん……っ!」
藤崎はその声に思わず振り向いた。振り向いてしまった。
『藤崎か? ふじさきか? フジサキカ? 藤さささささささささ? ふふふふふふ――』
目の前に居たのは、篠田健吾では無かった。
三メートルはある長身の影。裂けるような口に、汚れて闇の中に溶け込んでいる様な長髪。ドレスのようなボロボロの服から覗く手足は、まるで棒のように細く、青白い。前髪に隠れ顔は見えず、その隙間から覗く魚の目玉のような眼球は赤く血走り、ギョロッと藤崎を見下ろしていた。
『あああたたたしししメ゛リ゛ィィィ――キャハ……キャハハハハ』
「あ……ああああ――」
藤崎は思わず腰を抜かしてその場に倒れ込み携帯を落す。目の前の【メリーさん】からは眼を逸らす事の出来ない程に、その恐怖に支配されてしまっている。
『ちょうだいいいい……ちょうだああああい』
【メリーさん】は藤崎の腕と足を掴んで持ち上げると、ゴボウのような細い腕からは想像もできない力で別々の方向に引っ張り始めた。
「痛い……! 痛いよ……ケンちゃん――」
尋常でない力に抵抗する事も出来ない。この時、藤崎が助けを求めたのは、今まで支えてもらっていた……もうこの世には居ない篠田健吾だった。
腕と足の付け根から肉が千切れる前兆の嫌な音が聞こえてくる。その時――――
「……ハァ……ハァ……まったく――」
【メリーさん】の足元に石が投げられた。それによって【メリーさん】の意識が向いた相手は、
「なんで先に着いていないんですか? セージ」
大江和だった。
ナゴは二つの意味で呆れていた。
一つ目は【メリーさん】なんて居なかった事。今、目の前に居るアレは【メリーさん】ではない。対峙して目の前のソレの本質が良くわかったのだ。セージが関係を断つと言ったのは、滅す事が出来ない存在だったかららしい。
二つ目は先に辿り着いているハズのセージが居ないと言う事だ。怠け者だが、こんなときに一体どこをほつき歩いているのか。そもそも先に着いていないとおかしい……
「……こっちを見ますよね」
【メリーさん】は首を180度回転させ、ナゴの姿を眼球に捉えた。そして、裂けた口が更に不気味に笑みを浮かべると煙のように闇に溶けて消え去る。
「……藤崎さん!」
ナゴは【メリーさん】が消えると同時に、解放された藤崎へ走り寄る。藤崎は駆け寄ってくるナゴの姿を最後にその場で意識を失った。
「――――まったく!」
セージに対して悪態を突きつつ、とにかく彼女を連れてこの場を離れようと、
「――――」
したところで、ナゴの携帯が鳴った。着信は――藤崎直子さんと表示されている。咄嗟に近くに落ちている彼女の携帯を見ると、淡く電子画面を発光させている携帯はナゴの携帯に対して番号をかけている。
彼女は先ほど気を失ったのだ。つまり……今、電話をかける事は出来ない。
「まずい……っ!」
ナゴは状況を理解し、自分の携帯を投げ捨てようとするが、何故か携帯は自分の手から離れない。それどころか、何かに操られるように携帯を開き、受信のボタンを勝手に押してしまう。
「……身体が――」
金縛りにあったように、自由がきかない。来るはずの無い藤崎からの着信を耳に当てた。
『あたし、メリー。今、あなたの後ろにいるの』
その言葉と共に、後ろから青白く細い指がナゴの首に巻きつくとそのまま持ち上げられた。
「か……っ」
『キ……キャハハハハ!!』
身体の自由が奪われている為、抵抗もできない。【メリーさん】に首を絞められ、その長身によって宙吊りにされる形になっている。ナゴの薄れゆく意識の中で過ったのは――
「とりあえず、それはダメだ」
その瞬間、【メリーさん】は大きく仰け反った。何かに殴られた様に身体をくの字に折り曲げてナゴを手放す。
「そいつが死ぬと色々と困る事が起こるんでね」
咳をしながら呼吸を整えるナゴの眼前には、相変わらず笑みを浮かべながら【メリーさん】と対峙する不破勢十郎の姿が映っていた。
「ゴホッ……ゴホッ……」
「無事みたいだな。藤崎も」
セージは細目を一度開けて、暗闇の中に居るナゴと藤崎の姿を確認。とりあえずは、五体満足であると一度微笑む。
「遅いですよ」
「落ちた時に枝に引っかかってな。後は、森の中を突っ切って来た」
良く見ると、セージの肩や頭には葉や蜘蛛の巣が引っかかっている。靴も汚れている様子から急いだ点は間違いなさそうだった。
「さて【メリーさん】か。ずいぶんと暴力的に解釈されたもんだ」
セージは、よろよろと不気味に漂う【メリーさん】に対して、細い両目を開けてその姿を逃さないように捉えている。その際でも、笑みは崩れないままだが、少なくとも対応するようだった。
藤崎とナゴへ向けられた……充血した眼玉がセージの姿を捉え、闇に溶けるように消えた。
「帰ったわけじゃなさそうだな」
どんな目的があってこの場に現れたのか分からないが、まだ【メリーさん】は目的を達成していない。だから、このまま終わる事は無いと悟っている。
その時、セージの携帯が鳴った。
「!」
ナゴは首を締め上げられたときに、落してしまった自分の携帯に視線を向ける。触ってもいないのに、自分の携帯はセージに対して電話をかけていた。
「やれやれ。さびしがり屋だな」
セージは何の疑う事も無く自分の携帯を取り出す。
「セージ! ソレに出てはダメです!」
ナゴは咄嗟に声を上げるが、セージは一度ニッと笑い、携帯を開くと――
「条件は分かってるさ。なぁ? 【メリーさん】」
そのまま、自分の携帯を半分に折って破壊した。すると、ナゴの携帯からにじみ出るように、奇声を上げながら【メリーさん】が出現する。
『あああたしぃぃぃメリィィィ』
セージを掴もうと手を伸ばすが、すり抜けるように【メリーさん】は彼には触れる事が出来ない。
「もう、触れる事はできないぜ。“条件”が途切れちまったからな」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛』
「だが――」
悪あがきのように向かってくる【メリーさん】に対して、セージは右正拳を顔面に叩き込む。不気味なパーツを集めた顔は更に醜悪に歪んだ。
「オレは触れられる」
『ヴヴヴヴヴ』
歪んだ顔を両手で隠すと、【メリーさん】は恨めしそうな声を上げ、闇に溶けるように去って行った。
「相変わらず、無茶苦茶ですね。この世ならざるモノに触れられるという体質は」
「オレが友達で良かっただろ?」
「……それよりも、【メリーさん】は消えたんですか?」
話題を現状に引き戻し、ナゴは【メリーさん】はどうなったのかを尋ねた。
「この手のヤツを完全に消すのは無理だ。今回は退散してくれたみたいだが、根本的な解決にはならない」
今回の一件は、藤崎直子の篠田健吾に対する想いが引き起こした事態だ。藤崎本人がどこかで健吾に対する気持ちに整理をつけなければ、また引き寄せるだろう。
「大江、藤崎を起こしてくれ。それと、携帯借りるぞ」
「いいですが……何をするつもりですか?」
「聖也に連絡する。これで解決できるかは……藤崎によるがな」
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