メリーさん3

 地研部からの帰り、藤崎はセージに言われた事は間違いのない正論であると思いつつも諦める事は出来なかった。


「そうだよね……そんなこと無いよね」


 最初に【メリーさん】と話してもう一週間以上経つ。にもかかわらず、【メリーさん】からの着信は無かった。

 学校でその手の話が聞けそうな年配の先生にそれとなく聞いてみたが、唯一得られた情報が、その手の話は『地域文化研究部』という部活が過去に調べたという事だけ。

 そして、最近、休部状態から活動を再開した事も聞き、その部室に向かった。

 しかし、『地域文化研究部』で得られた情報は何も無かった。寧ろ、自分の意志を否定されたようで、逆に行かなければよかったと思ったほどだ。


「やっぱり……ただの噂だったんだ。【メリーさん】なんて――」


 メリーさんが電話の度に近づいて来て、後ろにいる、と言った時に振り向かず質問すれば何でも答えてくれる。

 そう、何でも答えてくれるのだ。


「ねぇねぇ知ってる? 友達の友達から聞いた話なんだけどさ。【メリーさん】の話」


 あの日と同じように商店街を歩いていると、そんな声が聞こえて思わず足を止めた。どこから聞こえているのか分からないが、聞き逃さないようにその言葉に集中する。


「実は、メリーさんって凄く恥ずかしがり屋で、人が近くにいる場所とか明るい場所では姿を現さないんだって」


 その情報に、藤崎はそう言えば、と思い出す。

 あたしはいつも家で電話を待っていた気がする。最初に電話を掛けた時も、ずっと部屋の電気はつけっぱなしだったし……


「もしかして……」


 誰も居ない場所なら、メリーさんは電話を返してくれる?

 藤崎は商店街から少し外れた場所に、廃れた神社がある事を思い出した。そして、迷うことなく神社へ繋がる裏路地へ歩き出す。






「今の時代じゃ、公衆便所を見つけるよりも大変だな」


 商店街から外れた人気のない田舎道。ナゴの帰宅路でもある、その道には今の時代では珍しいガラスの箱が置かれている。

 時代に取り残されたように、ぽつんと存在するその箱は、半世紀の間も機能は更新されていない。稀に清掃の手が入る程度に古びた公衆電話である。


「何をするんですか?」

「ちょっとな」


 錆で開きの悪くなった扉を、少し力を入れて開けるとセージは中に入る。そして、中に設置されている電話の受話器を持ち上げ、財布から10円硬貨を取り出し――


「……しまった」


 何かに気がついて、10円硬貨を電話機の上に置くと受話器を戻した。


「どうしたんですか?」

「忘れてた。本人の電話番号がいる」

「?」

「藤崎とは連絡がつくだろう? 明日呼び出してくれないか? 番号を交換したみたいだしな」

「何で知ってるんですか?」

「部室で番号のメモを書いていれば察しが付く。その後に、藤崎を追いかけたのなら尚更な」


 全部見透かしたように、ずっと笑みが崩れないセージ。彼との会話は不思議と嫌悪は感じない。話していて、揚げ足を取られるのはむっとするが。


「…………」

「嫌そうな顔だな」

「当然です」

「なら、番号を教えてくれ。オレが自分でかける」

「それはもっと嫌です。明日、私のクラスを尋ねればいいじゃないですか」


 わざわざ連絡しなくとも、クラスに顔を出せばいくらでも呼び出せるだろう。というか、そちらの方が問題は何も発生しない。


「明日、藤崎が来る保証は無いからな。下手したら数日休むかもしれない」

「は?」


 不破勢十郎は、藤崎直子と対面して一体なにを感じ取ったのか。それを知りたくとも、彼はいつものように、ニッと笑うだけだった。


「まだ五月下旬だし、早い方が良いさ。気持ちを整理するのはな」


 10円硬貨を置き、セージは電話ボックスから出る。すると、何かに気がついたように視線を誰も居ない道中へ向けた。


「どうしました?」


 ナゴも彼の視線につられて同じ方を見る。そこには、一人の女子生徒が立っていた。

 セミロングの髪に、一昔前の戸波高校の制服を着ている童顔の少女である。彼女は外灯に下に居るにもかかわらず、“影”が出来ていなかった。


「桜子さん……」


 ナゴは彼女の様子を見ると何かを言いたそうに口を動かしている。しかし、声は出ていないため、何を伝えようとしているのか聞こえない。

 そこで、伝わらないと察したのか“桜子”は公衆電話を指差すと煙のように消えた。


「大江。今すぐ、藤崎と連絡を取ってくれ」


 セージも同様に聞こえていなかったが、それでも“桜子”が何を伝えたかったのかを悟ったらしい。


「何か分かったのですか?」

「オレの推測よりも、藤崎は一歩先に行ってた。まさか、既に【メリーさん】と話が付いていたとはな」


 想定違いの推測を恥じるように、セージは一度額に手を当てると、再び余裕の笑みを浮かべる。


「【メリーさん】とは連絡は取れないのではなかったのですか?」

「連絡は取れない。ただ、話はついていた。既に【メリーさん】が藤崎の元を訪れる条件は揃っているらしい」


 セージは彼女が『地研部』に来たことで、まだ【メリーさん】とは話をしていなかったと推測したのだ。しかし、藤崎は先に【メリーさん】と話をしていた。


「オレの落ち度だな。藤崎が『地研部』を訪れたのは“【メリーさん】との連絡を取る方法”を知りたかったわけじゃない」


 彼女は、一度もとは言わなかった。【メリーさん】と話がしたい、と言う意味で話をしていたのだ。


「だから、既に連絡はついていた、と?」


 ナゴは携帯を取り出すと、藤崎に着信を入れながらセージと会話する。


「ねじ曲がっているとは言え、相手は有名な“都市伝説”の異児だ。強い感情に惹かれる事だってある。『空亡そらなき』みたいにな」

「…………」


 この手の話は、興味本位での接触では“現れない”。だが、本気で求める者の前にソレは姿を現す。強い想いが形となって奇跡を見せる様に、今回の【メリーさん】は、藤崎直子の“ある想い”が図らずとも最悪の悪夢を引き寄せている。

 と、ナゴは藤崎に繋がった様を確認する。


「こんばんは藤崎さん。今家ですか? 出来れば今日の事でお話があるのですが――」

『―――――――――』

「藤崎さん? 聞こえて――」

『ちょうだい……キャ……キャハハハハハハハハハハハハ!!』


 甲高く、不気味な狂った声。人が出せるようなものではないと瞬時に感じ取り、ナゴは思わず携帯を耳から遠ざける。

 携帯から漏れ出る“人ならざるモノの聲”はセージの耳にも間接的に届いていた。彼は見定めるように細いまぶたを開き、相変わらずの様子で聞いている。


「切れました」


 ブツッと線が切れたような音までその場に響き、ツーツーと電子音だけが良く通った。


「いたな。【メリーさん】だ」

「のんきに構えている場合ですか?」


 もう一度、藤崎に連絡をかけようとしたナゴをセージは静止する。


「やめとけ。もう、藤崎にはつながらない」

「ですが……」

「それよりも、藤崎を捜す方が早い。家はないだろう。たぶん、人気のない場所だ」


 と、今度はセージが携帯を取り出す。彼は迷わずに聖也に電話する。


「よう。頼みごとがあるんだが、ちょっといいか?」


 そして、一、二言会話をすると携帯を切ってポケットに直す。


「人海戦術で捜すんですか?」

「いや、聖也に本気で動いてもらう必要はない。アイツにはパシリを頼んだ。藤崎の居る場所は絞られるからな」

「どういう事ですか?」

「とりあえず、交番に行くぞ」


 ナゴの問いに、セージは、いつもの余裕の笑みだけを向けると一番近場の交番に向かった。






 藤崎は廃れた神社の前に足を運んでいた。

 その場所は、商店街の路地の先にある階段を上がって住宅街の道を進むと、その道中に存在している目立たない神社だった。

 外灯の届く光は、道路の所まで。神社の中は大口を開けた怪物が、獲物の入っているのを待っている様な不気味な気配に包まれている。

 手入れが行き届いていない鳥居は、不気味に蔦が巻きついている。点々と存在する崩れた石像は、元が何だったのか分からない程に砕けて散っていた。

 神に捨てられた土地。

 そう口に出しても信じられる程に“恐怖”を感じる気配が漂っている。


「…………」


 思わず、足を踏み入れるのを躊躇う程に、藤崎は目の前の神社がこの世の場所では無いと感じていた。なぜか理解している訳でもない。ただ、この先には入ってはいけないと、本能の危機管理が訴えているのだ。


「……恐い」


 思わず、そう呟いてしまう。この時、藤崎は【メリーさん】に会うと言う事よりも目の前の神社きょうふから離れる方を優先し、

 携帯の着信に、驚いてビクッと身体が跳ねた。


「――――大江さん」


 表示されている着信相手は、放課後に番号を交換したばかりのナゴだった。状況が状況なだけに知り合いの声を聞きたくて間を置かずに出る。


「大江さん。よかったぁ。電話をありが――」

『あたし、メリー。今、商店街の入り口に居るの』


 メリーさん……? まさか、本当に――――

 すぐに電話は切れる。そして、藤崎は神社を見た。

 今までは、一度もかかってこなかった事もあり、本当にただの噂だと思っていた。けど、この場所ならメリーさんに会えるのかもしれない。


「……ケンちゃん」


 神社に対する恐怖はまだある。だが、藤崎はどうしても知りたかったのだ。


 メリーさんが背後にいる時、質問をすればなんでも答えてくれる。

 なんでも……ケンちゃんが……あの日……あたしに伝えようとしてくれた言葉を――


 藤崎は唇に強く力を入れると、神社の中で【メリーさん】を待つ為に足を踏み入れる。






 セージとナゴは近くの交番で地図を見せてもらっていた。

 一人の警官が駐在する程度の小規模な交番は交代制で、今は定年を控えた老警官が勤務している。


「藤崎さんは、商店街を通って住宅地に向かってました」


 ナゴは篠田の葬儀の帰りに藤崎が向かった先から彼女の帰宅路を推測していた。確信を持って言い切る彼女を見てセージは笑みを浮かべる。


「なんですか?」

「よく見てると思ってな。大江も藤崎の事は気になってたんだろ?」

「……別に。ただ、クラスメイトが二人も被害に会うのは見過ごせませんので」

「だな。篠田は完全に事故だが、藤崎のは防ぐことが出来る」


 篠田健吾の死は、本当に偶然の死なのだ。だが、藤崎の【メリーさん】は違う。今回は助ける事が出来る。


「場所は二つだな」


 学校から商店街までの道で、二つだけ【メリーさん】の現れる場所をセージは推測する。

 一つは、昔からこの辺りの都市伝説とされている『殺害団地』。そして、もう一つは、廃れた神社である。


「どうしてこの二つだと?」

「両方とも、“桜子”の目が届かない上に、地神の居ない土地だ。だから、色々とヤバいモノが溜まりやすい」

 昔から、この辺り一帯は大きな問題を抱えている。

「この辺りは偏ってるからな。大江のトコも三体も居るし。古い土地も多くて、根づく人の想いも強い」


 セージは地図を閉じると老警官を見る。


「ゲンさん。自転車貸してくれ」

「……勢十郎よ。警官に自転車を借りるとは……逮捕されたいのか?」


 老人とは言え、犯罪者を取り締まる警察官である。威圧する眼力にナゴは思わず怯んだ。


「オレはゲンさんだから頼んでるんだ。他の警官だったらこんな事は頼めない」


 崩れない余裕の笑みを作るセージと、警察帽の隙間からギロリと覗く眼光はまるで火と水のような温度差がある。


「やっぱりいい。若者は走るとするさ。大江、とりあえず『殺人団地』から――」

「勢十郎」


 踵を返した背中に投げられたのは自転車の鍵だった。セージは振り向かずに肩越しに鍵をキャッチすると警官に笑みを向ける。


「後、見逃してくれ」

「何をだ?」

「二人乗りだ」

「…………さっさと行け」


 呆れたように、老警官は嘆息を吐くと、問答するのも面倒になったのか、さっさと消えてほしそうに手を払う。

 そんな事を言われながら、セージは交番の横に止めてある自転車の鍵を外すと跨ってライトをつけた。


「大江、乗るか? ゲンさん公認だ」

「職質されたら、セージの所為にします」


 ナゴは自転車の荷台に半身を預けて座る。セージは最後に老警官と目が合い、


「明日には返すぜ。空気を満タンにしてな」

「今夜中に返さんか!!」


 怒鳴り声を背に浴びながら、自転車をこぎ出す。その向かう先は二つだが、まずは『殺害団地』からだった。






「ったく。人使いが荒いぜ」


 聖也は、歩いてセージに指示された場所に向かっていた。その後を、興味本位でアメリアが着いて来ている。


「いったい、何の電話だったのデスカ?」


 街中を歩く際にもアメリアは他者の目を引いていた。人混みで少し距離が離れると、絶えずナンパされ、その度に聖也が睨みを効かせて、目的地まで変に時間がかかってしまっていた。


「よりにもよってパシリだ。珍しく動いていると思ったらすぐこれだ」


 不破勢十郎は、基本的に省エネモードで動く事は殆ど無い。それが、今回のように割と“適度”に動いていると言う事は、それなりの理由があると踏んで了承したのだが、


「ガキでも出来るお使いだよ。それより、バーン。お前は帰らなくていいのか?」

「セージが動いているのナラ、ワタシもキョーミありマース」


 少なくとも、成り行きで『地研部』に入ったナゴや聖也とは違い、アメリアは自分から進んで『地域文化研究部』に入部した部員である。

 本人曰く、セージの雰囲気を気に行っての入部だったらしい。


「まぁ、ワシもあの余裕面が変わる所を拝んでみたいがな」


 聖也は五月上旬に起こった、自分が『地研部』に入るきっかけとなった事件が起こった事を思い出す。あの時も、セージは終始余裕の笑みで自分の前に相対し続けたのだ。


「っと、これか」


 そして、二人は目的のモノを遠目で発見した。ソレを良く知らないアメリアは先を歩く聖也の背に問う。


「なんデスカ? あのボックス――」


 目指していたのは数十分前にセージが使おうとした公衆電話。それが彼に指示された事に繋がっている。


「……よし」


 聖也は10円硬貨が置かれている事と受話器を持ち上げて電話が繋がっている事を確かめた。

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