第3話 歌 姫
知らない天井だ。
言ってみたかっただけだけど。
僕の体は、ふかふかのベッドに背中から沈み込んでいた。ふかふかすぎて、底無し沼のように感じる。
ベージュのカーテンに
だが、この鼻につく薬品の匂いから、僕はここが保健室であると察していた。
「あ、起きた。おはよ」
ひょっこり、金髪ツインテールのギャルが視界に現れる。
彼女は妙な笑顔で僕の目覚めを出迎えた。
「.........ここはどこ?君は誰?」
「わ、忘れちゃったの!?朱莉だよっ!あ・か・り!」
僕がちょっとしたイタズラ心からふざけると、ギャル子は目を丸くして慌てふためく。
どうやら僕が本当に記憶喪失していると思っているようだ。
やっぱり期待通りのバカだな。
「ごめん。わからない」
すると、ギャル子は何か悪巧みを思いついたのかニヤつきだす。
「えぇ~!お前の彼女の朱莉だよ?あんなに熱いキスを毎日してるのに忘れたの?」
なるほど。そうきたか。
ここぞとばかりに、ギャル子は自分に都合が良い嘘の記憶を僕に植え付けようとする。
朱莉はやっぱり僕に好意があるみたいだ。
逆にこんなに積極的にアプローチしといて、好きじゃなかったらビックリだわ。
それにしても、ここで記憶喪失のフリをしていたことを明かしたら面白そうだな。
いや、もうちょっと泳がせてみるか。
僕はさらなるギャル子のリアクションを求めた。
「.......お、思い出した!」
「ホント!?」
「ああ。確かに僕には彼女がいた.....確か名前は......
「誰だよっ!」
良いツッコミだ。
「君は.......美奈子?」
「朱莉だってば!」
「誰だよ」
「だから彼女だって!」
「おかしいな。僕の彼女はクリオネなんだけど」
「え!?めっちゃ怖いんですけど!」
宴もたけなわだが、そろそろこのドッキリを終わらせるか。
ふくれっ面になっているギャル子に、ネタばらししようとしたその時だった。
見慣れた体育ジャージを着た女性が、カーテンをこじ開けた。
「まったく.....イチャイチャするのもその辺にしとけ。独身の目には毒だ」
哀しいかな。まともな松原を見たのはずいぶん久しぶりのことに感じる。
松原は嘆息しながらベッドに近ずいた。
「イチャイチャなんかしてませんよ。それより先生、なぜ僕はこんなところでぐっすり寝ていたんですか?」
「えっ!?記憶喪失してるんじゃなかったの!?」
普段の様子に戻った僕に、もちろんギャル子は驚く。
松原はかまわず答えた。
「覚えてないのか?お前は屋上で気絶したんだ。これで午後の授業を1時間潰せたな。おめでとう」
皮肉交じりに松原は事情を説明してくれた。
なるほど。
心当たりが無いでもない。
ここ数日、新作小説の
「あと、お前をここに運んでくれた奴にちゃんと感謝を伝えておけ」
「誰だそれは」
「はいはい!あたしあたし~!」
「嘘をつくな」
「にゃん!」
高らかに名乗りを上げたギャル子の脳天に、松原のチョップが炸裂。
にゃん!とかあざといね。さすが、ビッチーボッチーギャル。
「で?誰なんだよ」
「.....1年A組の
「は~い」
そう
にしても、女子にここまで運ばれたのかよ。
なんだか気恥しいな。
「どうしたの?」
僕が
「なんでもない。それじゃ」
「うん!またあとで!」
僕がテキトーに挨拶をすると、ギャル子は元気良く、おまけに笑顔でこちらに手を振りながら、僕とは反対方向にテクテクと歩いていった。
....そういえば、なんでギャル子は僕と一緒に保健室にいたのだろう。
まぁ、どうでもいいか。
僕は自分の教室に戻るべく中央階段に向けて廊下をゆっくりと歩いていく。
一階の廊下からはガラス越しに中庭が一望できた。
昼下がりの中庭。
晴れ晴れしたライトブルーの海には、小魚のような形の雲が泳いでいる。
大気圏と世に言うその深海底よりもさらにさらに深いところで輝く恒星。そこから小さな中庭に光が届けられていた。
届けられた光はきっと、約8分間、暗闇の無重力空間を旅してきたのだろう。
その光が、中庭にたむろしている水溜まりに反射する。
そんな穏やかな陽だまりの中で昼寝したら、どれほど気持ちいいだろうと考えながら、階段を上がった。
教室に辿り着き、ゆっくりと静かに扉を横にスライドさせる。
誰にも気づかれずに、いつの間にか席に着いているというのが理想だ。
しかし、その
教室に片足を入れると、背後から声をかけられた。
「私の授業で遅刻するとは、
「原田......先生」
6時限目は原田の英語Ⅰだったか。
原田は苦笑いを浮かべながら皮肉を口にした。
さっきから思ってたが、これでも一応気絶したんだし僕は体調不良の生徒と言えるはずだ。
なのに、松原も原田も僕に対する風当たりが強い。
「さっさと席に着きなさい」
「.......へーい」
僕は少し不満を抱きながらも、大人しく教室の左隅にある自席に着く。
すると、隣の男子生徒が身を乗り出して小声で話しかけてきた。
「お前気絶したんだって?大丈夫かよ」
「ああ。問題ない」
髪は茶髪に染め上げられていてチャラチャラとした印象を受けるが、顔立ちは整っておりそこそこのイケメンだ。
制服のシャツは胸元が開けられており、だらしない。
この隣の住人の名は、
あらっきーと呼んでくれとしつこいのでしぶしぶ僕もそう呼んでいる。
イケメン効果でクラスではそこそこの人気者で良好な人間関係を築けているようで、運動も勉強も器用にこなせるようだ。
「青春」を楽しめるスペックを備えていると言えるな。
一見僕とは無縁に思えるこの男だが、実は同級生でたった一人、僕がチャットアプリ「LINK」で友達登録してる人間でもある。
席が隣だっただけでやたらと友達登録しろとせがんでくるのでしてやったのだ。
それに、昼飯も一緒に食べようとしたり放課後ゲーセンに僕を誘ったりとやたらと絡んでくる。
もちろん断ってはいるが、不思議とそんなあらっきーをあまり迷惑に感じない。
自然と根は悪いヤツじゃないと僕は判断しているのかもな。
初めて会ったそのときから。
「なぁ、ひょっとして気絶って仮病か?」
あらっきーはニヤニヤしながら耳元で
「いや、マジだ」
「マジか。それは笑えないな。ま、しっかり飯食ってちゃんと寝ろよ。お前最近目にくま作ってたしな」
あらっきーは見た目に反して、ラブコメ主人公のようなお節介で世話好きという性質をもつ男だ。聞いた話だと、家事全般余裕でこなせるらしい。
「わかった」
「おう」
お前は僕のおかんかと思いつつも、素直に返事をすると、にかっと爽やかな青年の笑顔を見せた。
僕はその笑顔を見届けると、窓ガラスの外に目を向ける。
......宇多見 優梨愛ね。
この後、僕は授業に集中するはずもなく、僕を保健室まで運んだ宇多見 優梨愛という女生徒の人物像についてばかり考えていた。
時は経て、放課後ーーー
僕は昇降口で一人の女生徒を待っていた。
「来ないねー」
隣に立つギャル子が眠そうな顔をしながらつぶやく。
もう既に、多くの生徒が僕らの横を通り抜けて下校していったが、待ち人はまだ来なかった。
「お前は帰ってもいいぞ」
「嫌です!そのうた...ださん?を星見る部に勧誘するんだ~」
「なるほど。そういう
なんて図々しいヤツ。
僕は苦笑いを貼り付けながらギャル子を
「うん!」
太陽のような輝かしい笑顔でこちらを見上げてくる。
ギャル子の背丈は僕の肩ぐらいまでなので、いちいちギャル子は僕の顔を見るために見上げる必要があるのだ。
顔を合わせる
「.......ねぇねぇ。あの
「.......みたいだね」
あらかじめ先生から宇多見さんの下駄箱の番号は聞いておいた。
その番号の下駄箱を今開けているあの女生徒こそが、おそらく宇多見さんだろう。
スカートは規定よりも短く、パーカーを羽織っている。
垂れ下がる長い桜色のポニーテールが印象に残る女生徒だ。
「うわー.....けっこう可愛いっぽい」
思わずそう漏らすギャル子。
確かに、宇多見さんはとても端正で中性的な美少女だとここからでもわかった。
彼女はパーカーのポケットから取り出したスマホに目を落としながら、こちらに近づいてきた。
僕も歩み寄って話しかける。
「なぁ、突然悪いんだけど、君が宇多見 優梨愛さんで合ってる?」
「そうだけど。なんで.....あー屋上の」
無表情で彼女は言葉を返してきた。
僕が何の要件で声をかけてきたのか察したようだ。
「迷惑をかけてすまなかったね」
「.......んー」
彼女は
「もしあんたが、怪獣に襲われたときにヒーローに助けてもらったら、そのヒーローに助けてもらってごめんなさいって謝る?」
ん?何の話だ?
僕は一瞬返答に困るが、彼女の問いに答える。
「いや、謝らない。感謝を伝える」
「でしょ?私は気絶してるあんたを保健室に運んであげたヒーロー。迷惑だなんて思ってないし、すみませんとか別に嬉しくない」
なるほど。そういうことか。
僕は彼女の遠回りな表現で伝えてきた意図を察した。
そして、彼女の求める言葉を今度は返した。
「........ありがとう」
「それでいいのよ」
満足気に宇多見さんは
「
「あー.......知り合いからの受け売りで、なんとなく癖になっちゃった」
「そうか」
気のせいか、宇多見さんの頬が少し紅く染まっているように見えた。
仏頂面に戻ると、宇多見さんは口を開く。
「......それじゃ、助けてあげたお礼をもらおうかな」
「え?」
彼女は真顔でそんなことを言ってきた。
その豹変ぶりに僕は気の抜けた声を上げてしまった。
........おいおい。ヒーローは助けた人からお礼なんて貰おうとしないぞ。
「あったりまえでしょ?私はあんたの命の恩人なんだし、保健室に運ぶの本当に重くて大変だったんだから」
犬にお手を求めるみたいに、宇多見は手のひらを差し出してきた。
ちょっと納得いかないところはあるとはいえ、まぁ確かに、形あるお礼は何かしらしといたほうがこっちとしても気持ち的には楽かな。
「.......で?何が欲しいんだよ」
僕がそう尋ねると、彼女の口から飛び出した言葉は全く予想外のものだった。
「欲しいっていうか頼みがある。その前にまず、原田先生のところに入り
「それは......たぶん僕のことだな」
原田のもとに小説を持ち込んでいるのは僕ぐらいだろ。
というか、なんでそんなことを宇多見が知っているんだ?
原田がそんなことを話すぐらい親しい仲だったりするんだろうか。
「それじゃあ......」
彼女はスクールバッグからゴソゴソと何やらファイルのようなものを取り出した。
ファイルには、たくさんのルーズリーフが入っている。
「それは何?」
宇多見は僕にファイルを手渡してきた。
「見てみて」
ファイルからルーズリーフを取り出す。
すると、そのルーズリーフは楽譜であることがわかった。
様々な音符などの記号が五線譜の上を踊っている。
音楽の心得が無い僕にとって、それは全くの未知の領域を示した地図そのものだった。
「これ、私が作ったオリジナル曲なんだけど、曲の名は『流星』。あんたにはこれの歌詞を付けてほしいの」
「歌詞を付ける?君のオリジナル曲なのに僕が歌詞を付けていいのか?」
「うん。曲は作れるけど、それに歌詞を付けるの苦手なのよ。文才っていうかなんていうか....とにかくそっち方面のセンスが無いの。だから、自称天才作家のあなたに依頼するわ」
宇多見は自嘲気味に苦笑いを浮かべながら言葉を
「まぁ.....歌詞付けるぐらいなら」
「そ。じゃあ一応、連絡先交換しよ」
「.......それって必要か?」
「一応よ。一応」
「わかった」
僕はしぶしぶ彼女と連絡先を交換する。
LINKを開いた状態でスマホを横に振るとすぐに友達登録することができた。
すると、ギャル子がジト目で僕を見つめながら、不満を言葉に変えた。
「むー.......あたしと交換してない」
「お前とする必要はないだろ」
「必要ありよりのありだよ!」
「えー」
僕があからさまに嫌な顔をすると、ギャル子は駄々をこねた。
めんどうなので僕はしかたなく連絡先を交換してやった。
「やったー」
スマホを両手で胸に当てながらギャル子ははしゃいだ。
その姿は幼稚園児と比べても大差ない。
その様子を遠目で見ていた宇多見が、ギャル子を見ながら口を開いた。
「......ていうか、あんた誰よ」
「1年B組の
「あー.......よろしく」
ギャル子は宇多見の手を両手で掴むと、ブンブンと上下に振る。
そのハイテンションっぷりに宇多見はついていけないのか、表情には疲労が見て取れる。
「あっ!そうだ!宇多見さん!星見る部に入らない?」
「星見る部って何?天体観測部のこと?」
「えーとね.......天体観測部って何?」
ギャル子は目を点にして僕に尋ねてきた。
あまりにおバカすぎて僕は呆れるあまり笑ってしまう。
「星見る部=天体観測部だ」
「なっるほど!だってさ宇多見さん!」
「悪いけどパス。私、演劇部に入る予定だから」
まぁ星見る部とかいうわけわからん部活に入るわけないよなー。
宇多見にギャル子は簡単に断られてしまった。
既に入る部活を決めているとなると、ギャル子もこれ以上引き留めるのは諦めるようだ。
「そっかー......残念」
「あとそれと、宇多見さんじゃなくて、優梨愛でいいよ。堅苦しいの苦手だし」
「うん!わかった!ゆりりん!」
「ゆりりん!?」
ゆりりんに宇多見の仏頂面は崩された。
宇多見は苦笑いを浮かべている。
「そ、それはちょっと....」
「なーにゆりりん?」
「はぁ.......まぁいいや。それじゃ私は帰るわ。特に期限は設けないから、歌詞が完成したら連絡して。じゃ」
そう言い残すと、宇多見は
ギャル子はその背中に声をかける。
「バイバイ、ゆりりん~」
すると、彼女は顔を赤らめながら振り返って言葉を返した。
「大声でそれ言うなっ!」
「あはは........ねぇ、宇多見さん可愛いかったね」
宇多見の背中を見送っていたギャル子が突然そんなことを言ってきた。
僕はテキトーに返事をする。
「そだな」
「私とどっちが可愛い?」
妙に落ち着いた声でギャル子は話す。
僕が違和感を覚えて彼女の表情を伺うと、彼女の表情は笑ってはおらず、何かを悟ったような冷静な表情だった。
「.........知らない」
「そっか........それじゃっ!帰ろっか!」
ギャル子は駆け足で走っていくと、こちらに振り向き、輝かしい笑顔を見せながら言葉をかけてきた。
「ああ」
にしても、曲に歌詞を付ける、か。
僕はぼんやりとしながらギャル子に続いて校門へと歩いていく。
僕らを見送る校舎は、夕日でオレンジ色に染まっていた。
流星と白鯨 海堂 翼 @kanta7971
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