第2話 侵 略

静かな朝は、小鳥のさえずりがよく聞こえる。

食卓には炊きたての白米、焼き鮭、ポテトサラダ、味噌汁が並んでいる。

カーテンが役目を終えて、窓から暖かい太陽の光が僕の目を、ゆっくりと覚ます。


いつもの朝の始まり.........ではない。


そう。僕はと食卓を囲んでいた。


「いただきます」


僕の平穏な日常をおびやかす侵略者は、行儀良く手を合わせると、ポテトサラダから手をつける。


「.........母さん、なんでこいつが僕の家で朝ご飯食ってるんだ?」


イラつく僕とは対照的に、母さんはにこにこと微笑ほほえんでいた。


「その子、家の前でうずくまっていたの。とてもお腹が空いてるみたいだったから招いたんだけど.........ダメだったかしら?」

「ダメだね。今すぐ追い出そう。てか、知らない人を簡単に家にあげるなよ」


僕は食い気味に即答する。

すると、鮭を白ご飯に合わせてかき込んでいた金髪ギャルが、茶碗をゆっくりテーブルに着地させると、僕に爽やかな笑顔を向けた。


「ふふふ。そんなことを言う人は、ぶっ殺案件ころあんけんですよ?」


.........なんだ?


ギャル子のいつもとは違った、別人のように落ち着いた口調に僕は、言い表せぬ違和感を抱く。

「君の〇は」みたいに朝起きたら中身が誰かと入れ替わりでもしたのかな?


「....ところで、その女の子は誰なのかしら」


母さんは優しく微笑みながら尋ねてきた。

もちろん、めんどうなことになりそうなので僕は無視して黙々と食を進める。

しかし、ギャル子ははしを置きたたずまいを直すと、その問いかけに答えた。


「初めまして、お母様。わたくしの名前は紫夏しいな 朱莉あかりと申します。そして.......わたくしは、彼の恋人です」


澄まし顔でお嬢様口調のギャル子が、僕の腕に両腕を絡めてきた。

僕は思わず、食べかけの白ご飯をのどにつまらせてしまう。

母さんは「まぁ」と驚き、また微笑を浮かべた。

僕は麦茶を一気に流し込むと、慌てて口を開く。


「.........おい、何を言っている?マジでこれこそぶっ殺案件ころあんけんだろ」


ギャル子の腕をほどこうとするが、力強く引き戻されてしまい引き離せない。

そんなギャル子の澄まし顔はピクリとも動かなかった。

動かざること山の如し。


てか、こいつ.........


キャラや口調だけでなく、今日のギャル子は容姿ようしにも変化が見られた。

髪型がツインテールではなくロングヘアとなっていて、化粧はいつもよりも薄めだ。

さらに、いつもはかなり短いミニスカートに、ニットの上にだらしなくブレザーの制服を着ているのが、今日は至って模範的な制服の清楚で大人しい着こなしとなっていた。

その姿は、まるでどこかの金髪優等生美少女を想起させる。



こいつ.........たった一夜でやがった!



一体全体、何がどうなってるんだよ。


「まさか.........息子が彼女さんを連れて来る日が来るなんて」


母さんは感激のあまり、目に涙をめていた。

いや、連れて来たのは僕じゃなくてあんただよ。


「母さん、これは違うよ。こいつは嘘をついている。僕に恋人はいないよ」


僕は嘘っぽい笑顔で母さんに訴えかける。


「またまたぁ、恥ずかしがらなくてもいいのよ?」


ダメだ、コレ。

母さんの頭はご臨終りんじゅうのようだ。

ここまで話が通じないとは、さすがに予想外だよ。


「それで.........その........2人は、愛し合う男女でヤる........はやったのかしら?」


朝からなんつーこと聞いてんだこのババァ。

いや朝だろうが夜だろうが、普通はそんなこと聞かないだろ。

仮に彼女を連れて来た息子に、その質問はしちゃあかんわ。

僕含め、この一家はとんだ発情期の野獣一家だと思われるわ。

なにいい歳して顔赤くしてモジモジしてんだよ。この野郎。


「はい、もちろん」


すると、ギャル子は全く表情を変えずにこやかに即答した。

目を丸くして驚く母さんは、興奮のあまり鼻血を出す。


「はぁっ!?」


おいおいおいおいおいおいおいおいおい。


これ朝から僕が精神的にぶっ殺される案件だわ!

アレどころかキスもしたこともなければ、そもそも恋人でも友達でもない!

僕がギャル子に「お前何考えてるんだ」と耳打ちすると、「これってキスのことだよね?」と耳打ちしてきた。


こいつまさか........をまだ知らないのか?


キスと口に出すだけでも少し頬を紅く染めるギャル子。

ここで無駄に清楚な乙女ぶるんじゃねぇよ。お前はまぎれもない天然系ビッチだ。

つーか、キスもしてないだろ。勝手に過去を自分の都合で改変するのはダメってド〇えもんが言ってた。


「........その.....どうだったのかしら?」


どうだった!?


どうだった?って何?


このババァ、マジで人の血流れてんのか?

息子とその彼女にアレの感想求める親なんか聞いたことないよ!?

何が目的なんだ。

体をくねくねしながら僕を殺しにかかってる母さん。

そして、その問いにギャル子が答えやがった。


「.........それは........すごい激しかったです」


母さんはギャル子のその言葉に顔を覆い隠し、声にならない叫びを発しながら、体をなおくねくねさせる。


このビッチーボッチーギャルが!

無駄に話が噛み合うような返ししやがって!

お前が答えるんじゃないよ!さらに母さんの誤解が深まっていくわ!

お前のR指定小説夏コミで販売するぞ、コラ。


そして、朝食を済ませたギャル子がさらに波乱を呼ぶ一言を放った。


「.........ふぅ、お腹いっぱい」


朱莉がそっと腹に手をあてる動作を見た母さんが、あんぐりと口を開ける。

そして、ロボットのように角張った感じに首を回して僕を見てきた。


「あ、あ、あなた.........ま、まさか.........妊娠にんしんさせたの?」


ねぇ、アホなの?アホなんですか?


すると、ギャル子も急に腹を抱えてうずくまる。

おい、やめろ!本当にこれ以上いらぬ誤解を生むな!

お前の口にあふれんばかりのポテトサラダをぶち込んでやろうか?


「ねぇ!産まれるんじゃない!?産まれちゃう!」


あんじょう、慌てだす母親。しかし、その表情はとても嬉々ききとしていた。サイコパスすぎる。


「産まれるわけないだろ!」


「で、でもっ!朱莉ちゃんが......」


母さんがやきもきしていると、ギャル子がムクっと起き上がり、相変わらずの澄ました表情を披露してみせた。


「大丈夫です、お母様。まだ、生まれません」


「いや、これからも生まれないよ?」


「おっお母様!?.........良いわね。なんて礼儀正しくて良い子なの!?」


母さんは、ギャル子の手を熱く握りしめる。


「これから彼と、暖かい幸せな家庭を築いていきたいと思います。これから、どうかよろしくお願いします。お母様」


母さんの手の上に優しく手を添えるギャル子。


「一人で築いとけよ」


「一人じゃ無理よ」


母さん、急に真顔でマジレスするのやめてね。


「朱莉ちゃん!!!これからよろしくね!」


母さんはすぐさまギャル子に向き直ると、鼻息荒くギャル子の手を両手で包み込んだ。


「はい!」


いやいや、なんで結婚しました!みたいな雰囲気になってるの?正気か!?

つーか、妊娠だぜ?

高校一年生の息子が、見知らぬ女の子を妊娠させてるかもなんだぜ?本当はさせてないけど。

とりあえずもうちょっと深刻なリアクションしてくれよ!大問題だろう!

頭イカれてんのか?


朝から僕は後手に回り、心の中でツッコミを大声でしてしまっている始末しまつ

とち狂った母親に届けと懸命に願いながら、僕は諦めずに説得を試みる。


「はぁ......なぁ、一旦落ち着こうよ。だから僕たちは恋人じゃ」

「ハッ!.........さっき家の前でうずくまってたのは.........まさか、このための伏線!?このこのっ、あなたも隅に置けないわねぇ」


うるせぇよ、クソババァ。


僕の声だけ聞こえてないの?おかしくない?あと、肘で僕の腕つついてくるのウザい。


.........はぁ。もう、ほっとこう。

今の母さんに話は通じなさそうだ。

僕は歓喜の産声うぶごえをあげている母を横目に、テレビの電源をつける。


『メジャーリーグ速報です。エンジェルスの大谷選手がサイクルヒットをーーー』


すると、母さんは目の色を変えて今度はテレビに食いついた。


「え?なになに?大谷くんサイクル!?すごーい!」


朝から本当にせわしない人だな。


それにしても.........


僕の母さんは、メジャーリーグどころか野球そのものに興味はないし、ルールすらも知らないような人だった。

だが、目の前にいるこの母は、ニュースで野球の話題が流れると食いつくように見るほどの、大の野球好き。

そしてこの人は、3年前に死んだはずの僕の母さんと容姿は寸分違わず同じだ。

しかし、性格も口調も別人のように違う。


では、この母さんはいったい何者なのだろう。


現状、この人が3年前に死んだ僕の母さんと、全くの同一人物だとは到底とうてい思えない。

だから、僕が最も可能性が高いとしていた


「白鯨島=(天国、地獄の類いのどこか)」説は、見直す必要があるのかもしれない。


でも、頭ではこの人は僕の母さんではないんじゃないかと考えながらも、僕は自然とこの人を「母さん」と呼んでいた。

確かに、僕の知る母さんとは違うところがいくつも見受けられる。

だけど、時折見せる髪を耳にかける仕草や、この味噌汁の味など、僕が知っている母さんを感じさせるところも少なからずあるのだ。


だから僕は、この人を「」と呼んでいるし、僕が知っている本物の母さんであるのかもしれないとも、まだかすかに思っている。


「あっ!」


僕がなつかしさがにじみ出る味噌汁を味わっていると、突然ギャル子が声をあげた。


「もう、8時!.........ごちそうさまでしたっ!」


テレビ画面の左上に8:00と表示されている。

ギャル子は使用した食器を台所に運び込むと、手慣れた手つきでササッと食器を洗い終えた。


「本当に美味しかったです!お邪魔しました!」


満面の笑みで感謝を述べる。

母さんはいつの間にかもたれていたリビングのソファーから振り向き、ニヤニヤと目を細め茶化した。


「は~い。またいつでも来てねぇ~カ・ノ・ジョ・さん!いや、お・よ・め・たん!」


恥・ず・か・し・い!

およめたんってなんやねん。


「は、はいっ!」


ギャル子は頬を赤らめながらそそくさと家を飛び出していった。

何をあんなに急いでるんだろうか?


それにしても.........今日のギャル子のあのキャラ、なんだったんだろうな.........





昼休みの図書室に集まるのは、たいてい読書愛好家かぼっちぐらいだ。

もちろん、僕は前者である。


「ちょっと、なにぼーっとしているの?」


「あぁ、すみません。それで、僕はなんで呼び出されたんでしたっけ」


カウンターにひじをついている、少し長めのふんわりした茶髪のショートヘアがトレンドマークの、美女教師 原田はらだ 玲香れいかがジト目で僕を見てくる。


僕は小説家であり、かなりの読書愛好家でもあるわけなんだが、小説の参考資料を探しに来るにしても、ただただ物語の世界にふけりに来るにしても、基本は図書室に来るのは放課後であり、昼休みに来ることは滅多めったにない。

だが、今日はこの原田に突然に呼び出されたために訪れたというわけだ。


「はぁ~。覚えてないの?あなた、本を返し忘れてるわよ」


原田は額を片手で抑えて重苦しいため息を吐く。


「.........そうでした。カラマーゾフの兄弟でしたよね?」


「それと、ABC殺人事件もよ」


「あーそういえば」


「カラマーゾフの兄弟」は、3人の兄弟と父の間に交錯する陰謀と愛からなる複雑な人間関係を描いた物語だ。

ドフトエフスキーが生み出した、ロシア文学の最高傑作と称されている作品。

人物間の複雑な恋愛関係に、「神は存在するのか?」といった漠然としている問いに対する答えを出す哲学的要素が織り込まれた、作者の高い技巧を伺える素晴らしい作品だ。

そして、「ABC殺人事件」は、かのシャーロック・ホームズを生み出したアーサー・コナン・ドイルと肩を並べる稀代きだいのミステリー作家、アガサ・クリスティの名作の一つ。

ABCとアルファベット順に人が殺害されていく怪事件の謎を、名探偵ポアロが紐解いていくという、王道の推理小説。

次々と読者を裏切る法則の裏返しは、多面的なモノの見方の重要性を教えてくれる。

この2つは僕のお気に入りの作品で、毎週借りているほどだ。

そんな手間をかけるならもう新品を本屋で買えばいいのでは?と思う人もいるだろう。

だけど、僕はそうは思わない。

図書室の本には、新品には無い誰かの足跡を見つけることができる。

何回もめくられてしなれたページ、誰かの置き忘れたしおり。

気に入ったのか、タブーではあるがセリフや文字に蛍光ペンでマークをされているのをたまに見かける。

僕の好きなセリフにマークがついていると少し嬉しくも思う。

誰かがこの物語を読んで、時に笑い、時に悲しみ、時に感動した。

そんな感情や世界の美しさを同じように僕も誰かと共有できたと考えると、言い表せぬ高揚感こうようかんを僕は感じるのだ。

図書室の本は、「君は一人じゃないよ」って優しく言い聞かせてくれる存在。

ゆえに、新品ではなく使い古されたぬくもりをびた、図書室の本を手に取りに僕はここに訪れる。


「.........明日返します」


「絶対にね」


原田はそう言うと、カウンターの上に積み上げられた本の瓦礫がれきの中から、一冊のメモ帳を取りだし僕に手渡してきた。


「はい、これ。面白かったわよ。君の小説

『ペチュニアとガラスの靴』。軽めのライトノベル........ライト文芸か。これ読めば君がいかに天才か一目瞭然いちもくりょうぜんね。芥川賞取れるんじゃない?」


淡々と、テキトーに僕をたたえる原田の顔はなんだか不機嫌だ。


「ありがとうございます」


僕と同じく本の虫であり、本当かどうか知らないが、もっと若い頃は作家として活動してたらしい原田に、僕は新作小説の講評こうひょうをしてもらっている。

かれこれ3回ほどはもう。

真剣にいつも僕のような名もない作家の本を読み込み、深い分析にもとづいた手厳しい講評をしてくれる原田が、今回はただ抽象的ちゅうしょうてきに褒めただけであった。

つまり、今回のは上出来ってことかもな。

僕には妙に、原田は嘘は言わないだろうという謎の信頼感がある。

どんな形の言葉であれ、原田は、自身の紡ぐ言葉には一定の重みがあると自覚していると、勝手に解釈していた。

特に、「本」の講評ならなおさら。


また、原田が本の虫であることは、生徒の間でも有名な話だ。

原田は英語教科を教えているため、通常であればなることは無い、図書室司書に自ら志願してなったらしい。

そんな本をこよなく愛する原田に、図書委員の仕事はほとんど奪われたそうな。


「...............ねぇ、これって」


原田が神妙な面持おももちで何か言おうとしたそのとき、図書室の扉が派手に開いた。


「ふはははは!我!こうりん!」


厨二病が来た。


厨二モードの松原は、可愛らしいうさぎのキャラクターがプリントされた風呂敷ふろしきに包まれた、手作り弁当を片手にこちらに近づくと、片目を隠すおなじみの厨二ポーズを披露。

その様子を見た原田が、こめかみを抑え渋い表情になる。


「.........貴様!なぜここにいる!」


僕に向かってビシッと指を伸ばす松原。

人に指差しちゃだめだよ。

てか、この学校の生徒なんだし図書室にいてもおかしくないだろ。

あんたこそなぜいる。


「ここは我ら魔道士の聖域!禁忌目録観測室!貴様のような闇の世界の住人が立ち入っていい場所ではない!」


うわー。すごーい。

禁忌目録観測室すげー簡単に入れたよー。

セキュリティ大丈夫かなー?

.........アホか。

しかたなく、本当にしかたなく、僕は松原の厨二ごっこに付き合ってやることにした。


........はぁ、やれやれ........しょうがないなぁ!


「.........なら、力づくで追い出してみなよ」


「.........よかろう」


僕らは互いに不敵な笑みを浮かべ牽制けんせいし合う。

しばしの沈黙。

そして松原が動き出そうとした、刹那。


「.........行く」

「おい?図書室では静かにしなきゃ、だよな?」



いつの間にか、そこには



「鬼」がいた。



それはこの図書室の主。

【禁忌目録の番人】頗羅堕はらだ!!!!


.........いや、原田じゃない。もはや別の「何か」だ。


禍々しいその存在に「原田」の面影は跡形あとかたも無い。


「殺すぞ?」


その鬼は僕らの間合いのちょうど境目に顕現けんげんした。


そうだ.......図書室の番人である原田が、奴にとっての聖域であるこの図書室のルールを守らない者を許すはずが無かった。

原田の気に圧倒され、僕は動けない.........が


「ふ、ふふ.........ふははは!やるではないか!【禁忌目録の番人】レイカリオン!よし!我が相手になろうぞ!」


威勢いせいよく松原は鬼を手招きして挑発した。

この時ばかりは、この頭の弱い厨二教師を見直すほか無かった。

腐っても同僚。

2人は同級生でかなり古い付き合いだと聞いたことがある。

互いに手の内は知り尽くしているというわけか。

頼むぞ、松原。この百鬼夜行ひゃっきやこうを1人で体現したかのような化け物を止めてくれ。


「ふははは....さぁ!こ」


松原が威勢よく叫ぼうとしたそのとき。

刹那、僕は原田が何をしたのかとらえられなかった。


ーーー私の必殺技、とだけ原田の声がかすかに聞こえた気がする。



「腹パン」



松原は、呆気あっけなく地に沈んだ。


今、何が...........あれ?松原さん起きないけど、死んだのかしら?


僕の全身を冷や汗がつたう。


こいつは.........ヤバイ!!!!!!!!


危険であることを本能が察知し、警告してくるが、僕は動けない。

原田はゆっくりとこちらに振り返ろうとする。

心臓を鷲掴みされてるような気分だった。

なんて殺気を放つんだ.........よ。

この女、一体何者なんだ!?

鬼の形相の原田の顔が恐ろしく、僕は目をつぶった。



グッバイ!



「.........何もしないわよ。ああ、そうだ。君に頼みたいことがあるんだった」


誰かの柔らかい細い指が、僕の肩をでた。


...............ん?...........おう....まともな原田先生がいる。



原田の表情は柔らかいものに変貌している。

僕は胸の底に穴が空くんじゃないかというぐらいに、ほっと安堵の息を吐く。膝から崩れ落ちそうになる。

汗で全身がビショビショだ。


.................死ぬかと思った。


「君さぁ、ウチのクラスの朱莉ちゃんと仲良いよね?いつも一緒にいるし。だからさぁ、これからも朱莉ちゃんにちゃんとかまってあげて欲しいのと、あと部活立ち上げようとしてるみたいだから、良ければ入ってあげてね」


原田は矢継ぎ早に僕に要求を突きつけた。

.........そ、そういえば、原田先生はギャル子のクラス、B組の担任だったな。

で......こんなことを、他クラスの僕に担任がわざわざ言ってくるってことは、やはり、あいつは相当に深刻なぼっちらしいな。


「それじゃあ、よろしく頼むわね」


原田はにこりと優しく微笑んだ。


うわぁ~クッソめんど。

なんで他クラスの僕があの女の面倒めんどうをみてやらなきゃいけないんだ。

いつものおバカなギャル系キャラを僕以外の人前で貫ければ、友達ぐらいすぐにできるだろうに。ウザがられそうではあるが。

人見知りのくせに僕ばかりはめんどくさいことに巻き込んでくる。

僕が露骨に嫌そうな顔をすると、原田は再び今度は嘘っぽく微笑み、肩を力強く掴んできた。


「頼むわね?」


「は.........はい」


さっきの鬼の形相がフラッシュバックして、僕は首を縦に振るしかなかった。

原田の取って貼り付けたような冷たいにこにこが怖すぎる。


「もう行っていいわよ」


「.........はい」


僕はうながされるままさっさと図書室をあとにした。




松原があの後どうなったかなど、僕は知らない。知りたくもない.........





「さぁて、どこで食うかな」


図書室付近の廊下をブラブラと彷徨さまよう。

基本、僕は自分のクラスの教室、食堂、屋上のうちどこかで昼休みを過ごす。

ここ最近は、ギャル子が必ず僕のいるところに現れるのだが.........そういえば、今日は朝以来あいつの姿を見てないな。

にしてもここ数日、僕はあの女に振り回されるどころかそのまま投げ飛ばされるぐらいのことはされてる。


最も今のところ問題なのが、ギャル子が僕の家の場所を知っていたことだ。

ギャル子の家はこの学校、僕の家の反対方向のかなり遠くにあるらしく、電車と徒歩でいつも通学している。

つまり、間違っても早朝に僕の家の前を通ることなどありえないのだ。

ではなぜ、僕の家の前にいたのか。

おそらくあいつは昨日、お好み焼き屋を出た後に、僕のことを家までストーキングし、僕の家の位置を把握した可能性が高い。

そして今朝、あいつは僕の家の前で倒れ込んだフリをし、お人好しな母さんを利用して僕の家に侵入。

見事にアホな母親に僕とギャル子が恋人であると誤解を植え付けることに成功した。


これらの一連の犯行には全て、計画性があるように思える。

ここで僕は確信した。


やはり、紫夏しいな 朱莉あかりは僕に強い好意があるのだと。


朱莉の行動は明らかに、僕を攻略するための計算の上に成り立っているとしか思えない。

まずは外堀から埋めてこうという意図がけて見える。

そもそも、いくら僕が命の恩人とはいえ、人見知りのあいつが好きでもない男にここまでまとわりくはずもないしな。

だが.........に落ちない点もある。

あの頭の貧弱なおバカさんが、ここまで計画的犯行におよべるだろうか?

.........ふむ。まぁいい。ともかく、あいつは僕の家に気軽に侵入できる存在になってしまった。

なんとしても、だけは見られたくない。

今後はさらに朱莉に対する警戒を強める必要がありそうだ。


そんなことを考えているうちに教室に着くと、イケイケ女子集団が僕の机を囲んで騒がしく談笑しているのを見かけた。

僕はすぐに屋上でランチをすることに決める。

屋上に出る階段のある廊下を進んでいくと、化学室の扉に気になるポスターを見つけた。


星見ほしみ!!!!』


銘打めいうたれたポスターだ。

星と太陽と月に顔が描き込まれたイラストが書かれたポスター。

クレヨンで描かれたそれは、まるで幼稚園児の描いた下手くそな絵だ。

見れば、太陽と月はサングラスをかけている。

いや、太陽がなぜサングラスをかけている?

お前はサングラスをかけさせる側だろう。

まったく、ツッコミどころばかりが多くて、肝心な星見る部が何をする部なのか書かれていない。

僕は持ち合わせていたマッキーペンで「※天体観測部。この島の様々な地点から天体観測をします」とそれらしく書き込んでおいた。

まぁ、この1枚にだけ書いたところで効果はないし、そもそもここは人通りが全くと言っていいほどないからポスターを貼るには適さない。

そう思い視線を横にずらしていくと、横一線にズラっと「星見る部!!!!」のポスターが貼り尽くされているのが目に入った。


「うぉっ!」


あまりの気持ち悪さに思わず声をあげてしまう。

気づけば化学室の壁に取り付けられた掲示板が、おびただしい数の「星見る部!!!!」のポスターで埋めつくされている。


「なんでここだけ集中してるんだよ!?」


自然と飛び出したツッコミが、僕一人だけの廊下に響き渡る。

化学の先生と化学部の連中が可哀想かわいそうすぎるだろ。

いったい何の恨みがあるっていうんだ。


僕はギャル子の奇行に呆れつつ廊下を通り過ぎると、屋上と廊下を繋ぐ階段をゆっくりと上がる。

すると、誰かの歌声が聞こえてきた。

女性の声か、綺麗な歌声だ。

疾走感のあるメロディがだんだん大きくなって、こちらに向かって跳躍して来る。


.........それにしても、この曲どこかで聴いたことあるような........


妙な懐かしさに僕の心は包まれる。

歌ってる途中に屋上に出るのは気まずい気がしたから、一瞬引き返そうとも思ったが、僕の歩みは自然と屋上に向かうのを止めなかった。

その澄み切った透明な歌声に吸い込まれるように、僕は屋上に出る。


そこには、遠い青空の深い青を見上げる少女がいた。


強い風が僕の横を駆け抜け、少女の桜色の髪がなびく。

まるで、桜吹雪がふわりと舞うように。


そして、少女の美しいその歌は、僕の耳を通り抜け深層心理を超えて、



そうか、この曲.........





「..............流星」



すると突然、ガラスに亀裂が走るみたいに、僕の脳裏に鋭い痛みが生じた。

全身を駆ける血が、心臓を強くノックし、心臓が波打つ。

身体の重心を誰かに揺さぶられているようだ。

全身が言い知れぬ脱力感に覆われる。


このとき、僕はぐらりと足元から崩れ、地に倒れようとしていることがわかった。


少女は僕に気づいたのか、こちらに振り返る。



その姿を視界に収めたのを最後に、僕の意識は完全にシャットダウンした。







.........この時の僕はまだ知らなかったんだ。


この出会いから、僕らの物語が、運命の歯車が.......動き始めたことに。

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