流星と白鯨

海堂 翼

第1話 泡 沫

昼下がりの学校の屋上。

広大な晴天の野原を、羊雲がぷかぷかとゆっくり歩いている。

僕が手をついて座るアスファルトは、太陽から降り注ぐ熱で暖かい。


「.........ねぇあの雲、くじらに似ていると思いませんか?」


少女は、小さな羊雲に囲まれてぽつんと浮く大きな雲を指す。

確かにその雲は、大きな尾ヒレと不敵に笑った口に見えるものをもってはいた。

少女はこちらに背を向け、空を見上げているため、僕は彼女がどんな表情をしているのかわからない。


「そうか?僕にはそうは見えないけど」


あえてなく返すと、少女はこちらに振り返った。


「君って人は、本当に面白くない人ですね」


僕は、少女がいったいどんな『顔』をしているのかを知らない。



なぜなら、彼女の顔は黒の絵の具で塗り潰されて、から。



「ふふっ.......冗談です」


少女は後ろで手を組み、前かがみになる。

制服の胸元についたリボンが風でそよそよとあおられ、蝶が今にも飛び立とうとしているみたいだった。

少女の健康的な鎖骨が浮き彫りになり、僕は思わず目をらす。

そして、彼女はまるで川のせせらぎのような澄みきった優しい声で、くすくすと笑う。


僕はふと空を見上げた。

すると、先ほどまで晴れ晴れしていた空が、ごうごうとうなり、灰色のうね雲に染まっていた。


「.........感性のとぼしい人が、こんなにも美しく、はかない物語をえがけるはずがありませんよね」


いつの間にか、少女の手には僕の最高傑作さいこうけっさくである『流星』が握られている。


「いや、この世界は君のおかげで生まれたようなものだ.........ありがとう」


僕が感謝を言葉に変えると、少女はなぜか黙り込んだ。



しばし、僕と彼女の間に沈黙ちんもくまる。



「..........君でも、素直に誰かに感謝することがあるんですね」


少女の声にはささやかな驚きが含まれていた。

その声色から、なんとなく彼女の表情を想像できる。


「僕を何だと思ってる?僕だって感謝はするよ」


「ふふ、そうでしたか。これは失礼」


なぜだろう.........いや、気づいてないフリをするのも、もう限界か。


この少女と言葉を交わすたび、僕は何かを訴えたい衝動に駆られるのだ。

それをさとられないように、僕は平静へいせいよそおった淡々たんたん平坦へいたんとした口調で話した。


「.........うん。やっぱり........綺麗です」


彼女が僕の小説のページをぱらぱらとめくるたび、心臓の鼓動こどうがどくどくと大きくなった。

彼女は今、いったいどんな表情をしているのだろうか?


知りたい。


そして.........彼女は気づくだろうか?



この一冊の物語に込められた、僕から彼女へのメッセージに。



僕の作り上げた世界に閉じこもってしまった少女を見つめていると、僕のほおを冷たく柔らかいものが優しくでた。


それは.........


「雪か」


灰色の空から白雪がしんしんと降りてきた。

僕の吐息は白くなり、屋上のアスファルトは冷ややかだ。

しばらく僕は、両腕をそれぞれさすりながら、白みがかった灰色が渦巻く天井を眺めた。


「........寒い」


僕は少女にそろそろ帰ろうとうながすため向き直ると、なぜか、彼女は僕の目の前にしゃがんでいた。


「....なに?」





「好きです」





..................................は?



一瞬、遠くで雷鳴がとどろいた気がした。


少女は、人し指を伸ばして僕の鼻先をつんと触る。



「君のことが好きだと言ったんです」



完全な不意打ちに、僕は体の芯から震える。


少女の真意を探ろうと頭を動かすが、ぐちゃぐちゃと思うようにいかない。



顔も見えないこの少女に.........僕の心はどうしてこんなにかき乱される?



僕の表情はこのときどうなっていたことか。知りたくもない。



心臓が熱く、鼓動こどうは速く時をきざむ。血は身体のあらゆるところを容赦ようしゃ無く駆けまくる。



冷たいはずの地面が、とめどなく熱く感じた。



声がなまりみたいに重くなって、腹の底で持ち上げられない。



「君は..........わたしのことをどう思っているのですか?」


少女は、首をかしげる。


「ど.............どうって」


すると、彼女は猫のように四つん這いになり、僕との距離をじわじわと詰めてきた。

近づくにつれ、僕の胸は.........張り裂けそうになった。


「では、質問を変えます。わたしのことが好きですか?嫌いですか?」


............それは、ズルいぞ。


少女はなおもぐいぐい近づいてくるので、僕は半ば押し倒されるような形になっていた。

もう、キスができてしまうほどにお互いの顔がすぐそこにある。

迫り来る二択。


.........ダメだ........拒絶きょぜつしろ。



僕はきっと.........君を裏切ってしまう。



たとえ想いが通じあったとしても.........



「ハッピーエンド」には届かない。



なのに



それをわかっていながら.........




それでも.........僕は




「................................好きだよ」





長い沈黙の後、僕は答えを出した。



敗北を告げる銃弾が、僕の心臓を貫く。



銃弾を放ったのは僕自身だ。



........ああ、らしくない。本当にらしくない。



腹の底から熱いものが込み上がってくる。


これは僕じゃない。


ジキルとハイドのように、僕の知らない裏側の僕が言葉を交えているんだ。


僕が.........こんなの僕じゃない。




僕が恋をするはずがないんだ。




........じゃあ、なぜ何かを期待する?



この胸の高鳴りは何だ?



なぜ拒絶しない?



僕は答えられなかった。



僕はあきらめて天を仰ぐ。

朧雲おぼろぐも越しに、うっすらと月の輪郭りんかくを確かめられた。


「ふふっ。嬉しいです」


彼女はゆっくりと立ち上がる。


「...........でも」


少女は屋上のふちに向かって、ゆうゆうと歩を進め始めた。

遥か先の水平線に暁色あかつきいろの夕日が消え去り、曇天どんてんは晴れ、漆黒しっこく暗闇くらやみが地上を覗き込む。

天の黒いキャンバスに、星が大三角形を描いている。

数多あまたの星々が泳ぐ夜の大海。


なぜか、僕の胸にはぞわぞわと気味の悪い何かがい上がってくる。



「.........本当の『わたし』を早く見つけてくださいね?.........わたしには時間がないので」



初めて、彼女の陽気さを優しく手で包み込んだような声が、低く、重くなった。


「Y・UTさん?いったい何を」


彼女は少しずつこの屋上の外の世界へ歩いていく。

僕は嫌な予感を抱えて、彼女を追いかけた。

そして、少女は屋上のふちに辿り着くと、くるりと華麗かれいに振り返った。


刹那せつな、遠い漆黒の夜空を、一縷いちるの流星が駆け抜ける。



「心臓は白鯨に食べられちゃうんですよ?」



「待てっ!」


僕は駆ける。


彼女の細い身体に届くように手をめいいっぱい伸ばす、が。



届かない。



少女は背から、狭い屋上の外側の世界へと、ゆっくりと堕ちてゆく。




ーーーsakini ikimasune




最後、彼女の隠された表情が僕の瞳に映った。


そう、最初で最後、彼女が僕にようやく見せた表情は




あの日見た流星みたいに、綺麗な笑顔だった.........





夢が醒めるのはいつだって、突然のことだ。



起きろ!



僕の後頭部に衝撃が走った。



「....................な......んだよ」


視界のもやがだんだんと晴れていく。

目をこすりながら、机にした体を気だるげに起き上がらせる。


まったく、今何時だと思ってるんだ。

たぶん午後の3時だな。

こんな時間に起こしやがって、ホントにもう少し寝させてほしい。


奇怪で不快な悪夢をせられた僕の機嫌はひどく悪い。

それにしても、なんだあの夢は。


舞台は昼下がり、蒼天の下の学校の屋上。

僕と、顔を黒い絵の具で塗り潰された不気味な少女がいる。

晴天から曇天へ、昼から夕、夜、春夏秋冬、天候と時間、季節が目まぐるしい速さで狂い始める。

唐突に、『Y・UT』なる少女は僕に告白し、僕もつのらせていた恋心を伝え、ハッピーエンドへと向かうかと思われた。

しかし、少女は謎の一言を残し屋上から飛び降りてしまうという夢だった。



.........まったく、センスを疑うよ。



まず、僕が「恋」なんかするわけがないじゃないか。

恋なんて所詮しょせん、一時の巧妙こうみょうに仕組まれた錯覚、またはもろおろかな幻想にぎないのだから。


学生にとって恋愛が青春の代名詞になることはよくあるが、現実は、最後はハッピーエンドで華やかに彩られる妄想の物語と違って、ひどく退屈で陰惨いんさんでくだらないものであり、上手くいくことなどほとんどない。せいぜい互いに勝手な理想を押し付け合って、最後は勝手に幻滅することだろう。

つまり、「恋」とは時間を無駄に浪費することなのだ。

そう切り捨てる僕が、告白ごときにあんなに振り回され取り乱すはずもないし、誰かに恋をすることなんてありえない。


現実とはあまりに乖離かいりした、それこそ僕にげんなりした。

夢とはいえタチが悪い。

挙句あげくの果てには、人間が飛び降りるシーンなんかせやがって。



それに.........この違和感。



今でも鮮明に脳裏に浮かび上がる「夢」。

まるで、本当にあった出来事のようにハッキリと。

僕は、手を開いたり握ったりして確かめる。


ひんやりとした、屋上のアスファルトの冷たい感触が残ってるような気がして。


そして



「ーーー本当の『わたし』を早く見つけてくださいね?」



少女のあの言葉が頭で何度も反響する。


.........気味が悪い。



「なんだよとはなんだぁ~。授業中に寝るなと言っておろうに」


悪夢の余韻よいんに頭を悩ませていると、いつも僕の眠りを邪魔してくれる魔王のご登場だ。

いや、今回に関しては悪夢から解放してくれた勇者とも言えるのかもしれない。

いつも、運動なんてろくにしないくせに薄赤い体育ジャージを着た、若い女性教師が仁王におう立ちしている。


「お前は授業中に寝るくせに、テストの成績ばかりは文句をつけれないからムカつくんだよなぁ~」


松原まつばら先生。それってつまり、僕は授業を受ける必要がないのでは?ということで、帰ってもいいですか?」


僕の挑発ちょうはつに苦笑いを浮かべる松原。


「帰れるものなら帰ってみろ!」


松原先生は生徒名簿の角で僕の頭にいかづちを落とした。


「ッ!」


暴 力 反 対


教室のあちこちから笑い声が起こる。

もはや、担任の松原と僕のこのやりとりは恒例行事と化し、クラスメイトの笑い草となっている。

クラスの変人として扱われている僕と松原は大人気だ。

僕が叩かれた頭をでていると、松原が悪代官あくだいかんのようにニヤつき、高笑いをあげる。


「ふっふはははは!.........良いだろう。では、私の問いに答えてみせよぉう!全て答えられたなら帰還することを許そう」


何が良いだろうなんだ。

いつもそう言っているが、僕を帰してくれたことなんて一度もないじゃないか。

僕は呆れるあまり重苦しいため息を吐いた。


「おっいつもの始まったぜ。松原の【厨二ちゅうにクエスチョン!!!】」


頭の悪い男子生徒がそうはやしたてる。

これも恒例行事。

国語教科担当の松原は、授業はサボるのに優等生な僕に恥をかかせようと、高校生が解けるようなレベルではない問題をこのような厨二病ちゅうにびょうみたいな口調で、僕にだけ出してくることがある。


これが松原の【厨二ちゅうにクエスチョン】。


僕のクラスの担任、松原まつばら 貴子たかこという人間は20代後半でありながら厨二病を卒業できていないダメな大人だ。

この厨二キャラは生徒たちにかなりの人気があるから、なおさら松原の厨二病はエスカレートし、もう手のほどこしようがない。

この前なんか、抑えきれず職員室で「我のッ我のッ闇がァッ解き放たれるッ!みな!離れよッ」とか言ってて他の教員にドン引きされたそうな。


.........それでいいのか?貴子よ。


僕のクラスの担任が、厨二病をこじらせすぎていつまでも結婚できないなんて、僕が恥ずかしい。

引き返すにはまだ間に合う。


.................やはり、僕が終わらせるしかないのか。


この狂った松原モンスターの奇行を。


「では、行くぞぉぉ!『霹靂閃電へきれきせんでん』、この四字熟語の意味を答えてみせろ!」


スタスタと黒板まで歩いて行くと、松原は乱雑にチョークを走らせ、四字熟語を刻む。

白文字の荒々しいフォントが、松原がいかに厨二病なのかを物語ものがたっている。


.........ふむ。今回は漢検1級相当の問題で来たか。

寝起きのウォーミングアップにはちょうど良い。


「フッ........ 霹靂閃電へきれきせんでんとは、激しく勢いがあって非常にすばやいという意味だ」


僕の完璧な回答に、苦虫を噛み潰したような表情になる松原。

今回は四字熟語の意味を答える形式。

バカが。どんな問題だろうが「国語」というフィールドにおいて、僕が答えられないことなんてあるわけないだろう。



これでも僕は、【小説家・ライトソードナー】だ。



たかが、【国語教師・ジャパニーズラングエイジマジシャン】が僕に語力で勝てるはずもない。

ちなみにこれで、僕の通算180勝目だ。


「くっ!正解だ.........だが、まだだ!」


あきらめが悪いぞ。ラングエイジマジシャン松原 貴子!貴様がどんな魔術を行使こうししようとも、僕のこの魔剣・ニーズヘッグブラストが打ち払ってみせよう」


僕はお気に入りの黒色シャープペンを松原に突き向けた。


「「「ただのシャーペンじゃねぇか!」」」


ラングエイジマジシャンに洗脳、支配されている奴隷(クラスメイト)たちが盛大にツッコむ。


「ふははは!われは松原 貴子ではない。それはこの世界での仮初かりそめの姿でしかないのだよ。そう、我の真名はマツリンリン・テリーナ三世!」


「「「真名だっさ!!!」」」


松原は、厨二病定番の右目を片手で覆い隠すポーズをとりながら言葉をつむぐ。


「我は、この世界のガキんちょどもに国語の楽しさを伝えに異世界より転生した!!!」


「転生の理由ほかになんか無かったのかよ」


松原に呼応こおうし、僕も同じポーズをとる。


「........来い。終わらせてやる」


フッ.........血がたぎるぜ。


「........行くぞぉ!阿轆轆地あろくろくじ!」


「物事がつまづいたり、止まったりせずに進んでいくこと。

または、詰まることなく、次から次へと言葉を発すること」


「グッ!らえ!歓喜抃舞かんきべんぶ!!!」


「無駄だよ。思いっきり喜ぶこと。ちなみに、「抃舞べんぶ」は手を打ち鳴らして踊ることだよ」


「ならばぁ!銷鑠縮栗しょうしゃくしゃくりつ!!!」


「意気がなくなり、恐れて小さくなること。

銷鑠しょうしゃく」は金属が溶けるという意味から、意気がなくなるということのたとえ。

縮栗しゃくりつ」は体をすくめて小さくなって恐れること。

「消鑠縮栗」とも書く」


「す、すげぇ........とんでもなく国語のハイレベルな戦いなんだろうけど、どっちも厨二病こじらせすぎててアホに見える」


奴隷の男一人が、思わずそう漏らす。


「くぅ!全問正解だ!くそぉ生意気に予備知識まで添えおって!」


「いい加減諦めたら?こんなことするのに力使うなら婿むこでも探すほうに力使えよ」


「ド正論じゃぁないですかぁ!だが、そう簡単に退くわけにはいかんのだ!.........ふふ。よし!ならば、もしお前が私に負けたら私の婿になってもらおうか!」


松原はショートカットの髪をかきあげ、ジャージを脱ぎ捨てた。

色気を匂わす吐息。豊満なバストが上下に揺れるのを見て、男子生徒たちは喝采する。もちろん、女子たちは冷ややかな視線を浴びせている。

僕は不敵な笑みを浮かべ、ニーズヘッグブラストをくるりと一回転回し、構えた。



「それは勘弁かんべん.........来いよ、厨二病」



「「「お前もだよ!!!!」」」


その日最大のツッコミは、見事なぐらいにそろっていた。





放課後。


僕は商店街にひっそりとたたずむお好み焼き屋にいた。

島では有名な店らしく、店内は小汚いもののお好み焼きは絶品らしい。


「厨二ばとる?お疲れ様っ!今日はあたしのおごりだよ!ちゃんと食べてる~?」


向かい側の金髪ツインテギャルが、テーブルに手をついて身を乗り出してくる。

ツインテールを方作るさくらんぼの髪留めが軽やかに揺れた。

前髪のヘアピンはライチ。この女のバッグにはイチゴ、パイナップル、バナナなどのフルーツストラップばかりがジャラジャラとひしめいている。

たぶんこの女はフルーツバカだ。

食べるだけでは飽き足らず、フルーツを身につけなければ禁断症状きんだんしょうじょうでも起こってしまうのかもしれないね。


「うるさいぞ、ギャル子」


「う、うるさい!?」


僕は皿に取り分けたお好み焼きを口に運び込む。

すると、ふわふわと柔らかくほかほかと温かい生地きじが舌を優しく包んだ。濃厚なソースが生地に染みており、めるたびに甘味と塩味のカーニバルが僕を楽しませる。極めつけに、鰹節かつおぶし海苔のりがひらひらと舌の上で舞い踊り、お好み焼きの重厚感に天使の羽のような軽やかさを加えていた。


.........ふむ。そこそこに美味い。確かにこれは絶品だ。

そして、渇いた喉をキンキンに冷えたコーラでうるおす。


それにしても、まったく.......何が、厨二バトルだ。

僕は断じて厨二病ではない。松原なんかと一緒にしないでもらいたいな。

子供のごっこ遊びに付き合ってやるのと同じだ。

僕は松原のノリに合わせて厨二病キャラを演じてやってるに過ぎない。


松原もあの歳で厨二病を卒業できていないとか、そろそろ医者にてもらったほうがいいだろう。婚期を逃す前にな。

結局今回も、僕は松原のしごきを難なくこなし、松原はいつも通り地面に拳を打ちつけていた。

僕の無敗伝説は健在というわけだ。


ハッ、無様無様。


「.......うるさいとか、そんなこと言うやつはぶっ殺案件ころあんけんだよっ!」


ギャル子がファイティングポーズからこちらにジャブを放つ動きをする。

本当に落ち着きのないヤツだ。


白鯨高校はくげいこうこう1年B組(ちなみに僕はD組)


紫夏しいな 朱莉あかり


通称ギャル子は、高校入学式の日、ギャル子が車にかれそうになったのをたまたま僕が助けてから、やたらと僕にからんでくるようになった女だ。

最初は、僕が下校するところを待ち伏せし話しかけてくる程度だったが、気づけばどんどん絡んでくる頻度は増加し、今では休み時間になると僕の教室に毎度やって来るようになった。

そのせいか、周囲ではすでに僕たちが付き合っているのではと恋人疑惑が浮上してしまっている。


ついこのまえ、ギャル子に好意を寄せていると思われるやつから、僕の下駄箱に怪文書を入れられたなんてこともあった。

それはテキトーに知らん奴の下駄箱に入れといたので、とりあえずは事なきを得た。

だが、こんなことが今後もあるのはさすがに勘弁。

とんだはた迷惑だ。


とにかく、この紫夏しいな 朱莉あかりという人間は僕を悩ませる種となっている存在なのだ。


今日はなんだか話があるということで、僕は朱莉にこのお好み焼き屋に呼ばれた。

彼女がお好み焼きをおごってくれるということだったので、僕は渋々しぶしぶ来てみたのだが.........

僕はギャル子についてある疑問を抱いていた。


それは、ギャル子は僕のことが好きなのだろうか?ということだ。


恐らく、こいつはチャラチャラした風貌ふうぼうではあるが恋愛未経験だ。

ソースはちゃんとある。

まず、彼氏以前に同性の友達がいるのかかなり怪しいこと。

以前いぜん、昼休みにB組の前を通りかかったところ、チラッと朱莉が1人で弁当を寂しげに食べているところを見てしまったのだ。

高校入学式からすでに2週間がっているが、放課後に僕とお好み焼き屋に来てるあたり、友達がいるとは思えない。

それに、彼女が僕以外の誰かと話しているところを見たことがない。

そう、彼女は見た目に反して人見知りである可能性が高いのだ。

ラノベでも、こういった一見いっけん遊び慣れてそうなギャル系のビジュアルのキャラは、恋愛どころか友情も知らないような、人付き合いが不得手ふえてな設定であったりすることが多い。

また、そういったギャル系キャラは、ドラマチックな出会いだったり、ちょっと男に助けてもらうだけですぐにれてしまう【ちょビッチ】要素をもってることもざらじゃない。

僕の観察の結果、紫夏しいな 朱莉あかりもそんな要素を備えたキャラだ。


つまり、だ。

高校入学式、桜吹雪が新入生たちの始まりをいろどる道で、命を落とすかもしれなかった危機から僕がギャル子を颯爽さっそうと助ける。

そんなドラマチックな出会い方をして、この、人とあまり関わったことのなさそうな女が僕に一目惚れした可能性は高い。


いや、惚れてないわけがない!


僕はそこそこに美男子だし、頭は良いしね。

僕に話があるというのは、恐らく今日僕に告白するつもりなのだろう。


紫夏しいな 朱莉あかりは、化粧がもう少し薄まりさえすれば、そこそこの美少女に化けると思う。

今でさえ、少なからず好意を寄せる男はいるんだ。本来のポテンシャルが皆の知るところとなればかなりモテるだろう。

目はくりくりと大きく可愛いらしく、小顔を際立たせている。柔らかそうな唇、細い眉からなる整った顔立ち。リスのような小さな愛らしさがある少女だ。


僕もこんな少女に告白されるのは悪い気はしない。

まぁ、僕は恋愛に興味も無ければする暇も無いから、もちろん丁重かつ穏便にお断りするが。


だけど.........さすがにこの店で告白はないよねぇ~。


まだ日が沈むのを始めていないこの時間帯は、それほど繁盛はんじょうしていないものの、客はまばらにいる。

お世辞にも綺麗とは言い難いお好み焼き屋。

こんなところで告白するのはセンスを疑うね。


「ん~!お好み焼きおいしいよ~」


ほっぺを両手で触りながら、美味しそうにギャル子はお好み焼きをほお張っている。


「で?用件は何?」


「ん?.......よ、ようけん。そ、それはー......えぇと」


ギャル子ははしを止めて皿に置くと、頬を赤く染めながらモジモジと動き始めた。


ん?なんだこのリアクション.........まさか。


ギャル子の恥ずかしそうな様子が、僕に最悪のシナリオを描かせる。


「え、えっと.........実はね?」


おいおいおい。完全に告白する準備万端じゃないかコレ。

待て待て。告白するにしても場所をもうちょっと選べ。

今なら間に合う!早まるな、ギャル子!


「.........あたしね?」


上目遣うわめづかいでこちらを見つめるギャル子。


.......まずいな。


僕の「人生」というストーリーにおける初告白のイベントが、お好み焼き屋で発生するのは嫌だ。

どうする?この女の口に無理矢理このイカゲソを突っ込んで阻止しようか?

僕は皿に乗せていたゲソを箸でつかむ。

しかし、僕が冷や汗を流している間に、ギャル子が意を決してついに口を開いてしまった。


oh......



「...あたし、部活やりたい!」



.................ふむ?これ僕恥ずかしいヤツじゃん?


ギャル子の口から飛び出した言葉は、僕への愛の告白ではなく、全くの見当違いの言葉だった。

告白するものだと勝手に推理して思い込んで、かっこいい断り文句を考えていた僕、今このとき、僕よりもみじめな男はこの世界のどこにもいないだろう。

てか、こいつもこいつ。

そんなこと言うためだけに顔赤くしてもじもじすな。

思わせぶりな態度は嵐を呼ぶって知らないのか?このなんちゃってビッチめ!

ちょっと可愛いと思っちゃったじゃん!


「聞いて!聞いて!あたしさ!星見る部作りたいの!」


星見る部?.........天体観測部のことか?


「.......あっそ、僕は入らないよ。僕が部活に興味ないの知ってるだろ」


そういえば、今週は部活見学週間だったな。

昼休みや放課後、部活を見学するために校内外を駆け回っている1年生をよく見かける。

もちろん、僕は全く興味がないので一つも見学していないけど。


「えぇ~!入ってよ~!」


ギャル子はちょっと目に涙をめて、僕の制服のそでを掴んでくる。

それにしても、こいつが天体に興味があるとは意外にも意外だ。


「それにしても、君が天体観測に興味を持っていたとはね」


「だってぇ.........だって.........星って爆発じゃん?」


「はーなるほどー」


ギャル子に文脈なんて概念がいねんはないし、相手に伝えやすく言葉を噛み砕く努力なんてものもない。

思ったことをすぐに口にしてしまう。

言葉を良くすれば、幼い子供のような無邪気さと素直さ、そして独特な世界観をもっているのだ。こいつは。

僕はこいつの話す独特でいびつな言語を、「ギャル子語」と称しているが、慣れるのにはかなり時間がかかった。

ちなみに、慣れはしたが理解できるとは言っていない。

現に今のギャル子の発言の意味もさっぱりわからん。


「だからさ!もっともっといろんな人に星を見てほしいから部活を作ろうと思うの!」


「.........それでわざわざ部活作る必要あるか?」


「うん、あるよ。一人で見るよりも、みんなで見たほうが星はずっとキラキラして、みんなの心に届くと思うんだよ。だからまずは部活のみんなで一緒に見る。それから今度は学校のみんなで一緒に見る。それでいつか、この島のみんなで一緒に見たいな」


にこにこ微笑みながらギャル子は心に秘める未来図を僕に見せた。


「ふーん、随分ずいぶんと壮大なプロジェクトだな」


「うん!......で!やっぱり入ってくれるよね?ね?」


ギャル子はキラキラした瞳を押し付けてくる。


......ふむ。めんどうだな。悪いけど、僕が部活に入る気がないのは変わらない。


このバカは、僕のYESの返答を聞くまでここでしつこく粘ってきそうだと僕は感じた。

ならばこいつにとって、簡単に見えるけどで実は難しいような無理難題を押しつけて、諦めさせるプランでいってみよう。


「そうだな.........いいよ」


僕はにこやかな表情で許諾きょだくする。


「ホント!?やったっ!」


さっきほどと打って変わって二つ返事で了承すると、ギャル子の表情が一気に明るくなった。

まったく、少しは何か罠があるのかもしれないと怪しめ。

幼い子供を騙してるみたいでこっちの気が引けるだろ。

ギャル子は僕の仕掛けた落とし穴に誘導されているとも知らず、呑気な笑顔ではしゃぐ。

そして、にこにこと身を乗り出してくるビッチなビッチなギャル子さん。

制服のシャツが少しはだけていて、薄い胸の谷間が見える。

キスできそうなぐらいにお互いの顔が近づいてることに気づいてるのかなー?んー?


僕は少しけ反り、手のひらをギャル子の前に差し出して彼女を制止させた。

そして、仕掛けたトラップを起動した。


「ただし.......5だ」


「なんですとっ!?」


目を丸くするギャル子。

さぁ、ビッチーでボッチーで人見知りなお前にこのミッションをクリアできるかな?

いや、十中八九できないだろうな。


部活は学年問わず活動場所と顧問の確保、そして、部員を2集めることができれば誰でも立ち上げることができる。

人見知りなギャル子は、唯一まともに話すことができる僕を勧誘して立ち上げようとしていたみたいだけど、そうは問屋がおろさない。

ギャル子が部活を立ち上げるためには、僕を勧誘する必要がある。

しかし、肝心の僕を入部させるには他に5人の部員を集めなければいけないという条件を課すことで、僕は

こうすることで、仮にギャル子が5人の部員を集めたとしても、その時点で部活を立ち上げるための条件は十分に満たされため、彼女が僕を勧誘する理由は無くなるというわけだ。

これを逃げ道に僕が頭の悪いギャル子を説き伏せれば、この計略は完成する。

でもそれだと、僕は彼女との約束を破ることになるって他の人は思うじゃん?


........フッフハハハ!


僕がたかが口約束を守るとでも?


約束を守ってほしいなら誓約書でも用意することだ。

本来、約束とはその約束をしたことを証明する証拠が残されて初めて成り立つもの。

僕とギャル子とのこの約束においてそれを示す証拠が無い以上、僕は約束なんてした覚えはないとしらばっくれることができる。

よって、口約束を破る破らないなどほんの些細ささいなことだ。

それに、人見知りの、いまだに友達もいないギャル子が僕以外に5人の部員を集めるなんて

まず無理ゲーでしょ。

つまり、ギャル子がこの条件を了承した時点で僕が「星見る部」に入ることはなくなるわけ。

しかし、これでもかと言うぐらいに僕はさらにダメ押しをする。


「それも、これから1にだ」


「そ、そんな」


ギャル子の表情が徐々に曇る。


時間制限をもうけたことで、僕が「星見る部」に入ることは万に一つも無くなくなった。

人見知りのギャル子にとって、ただでさえ5人の部員を集めるだけでも至難の業なのに、そこに1週間以内という条件が加わったことで、ますます絶望の淵へと追い込まれることとなる。


これはさすがのギャル子さんも諦めるかな?


「........ヒドイよぉ」


目をうるませながらギャル子は見つめてくる。

残念ながら、泣き落としは僕には効かない。


「この条件をクリアできたら僕は部に入るよ。できなかったら入らない。さぁ、どうする?」


ギャル子はしばらくうつむくと、何かを決心したのか一つ頷き、顔を上げた。

そして、涙をぬぐうと、わずかに口角を上げてその意思を言葉にする。

その表情は先程とは一転して、晴れ晴れとしていた。


「.......わかったよ。5人ぐらい集めてやりますよっ!」


「.......へー大丈夫?」


「余裕だよっ!頑張ればなんとかなるもんだよ!」


僕が与える試練にギャル子が挑戦しようと決めたことに、驚きはない。

どっちにしろ、僕が君の部に入ることは叶わないのだから。


「それじゃ、早速さっそく集めに行かなきゃ!」


ギャル子はスクールバッグを手に取ると立ち上がり、座敷の下に降りて、誰かに急かされてるみたいに慌ただしく靴を履いた。

そしてこちらに振り返り、僕を思いっきり指差す。


「絶対お前を星見る部に入れてやるから!覚悟しとけっ!」


太陽のように輝かしい笑顔で、彼女は高らかに宣言した。


「それじゃ!」


そして、ギャル子は海兵の敬礼ポーズで別れを告げると、風のように走り去っていった。


フッ.......せいぜい、頑張れ~と。ま、無理だろうけど。はっはっはっ。


僕が内心ニヤついていると、入り口の引き戸が大きな音を立てて開く。

すると、なぜかまたギャル子が現れた。


「え、えっと、ごちそうさまでした!おいしかったです!.........あと、またね!」


彼女ははにかみながら再び敬礼ポーズで僕に別れを告げると、そそくさと店から出ていった。

どうやら言い忘れた「ごちそうさま」をわざわざ言いに戻ってきたらしい。


.........クッ....やるじゃないか。


僕はギャル子のその殊勝しゅしょうな行動に、思わず愛らしいと感じてしまう。

なんだかしっぺ返しを食らったみたいで、奇妙な悔しさが沸いてきた。


「...........あのぉーお客さん」


僕が片手で右眼を隠しながらもだえていると、女性の店員が声をかけてきた。


「クッ.......はい?」


「お代金のほうはー?」


女性店員が微苦笑しながら尋ねる。


.........


「あ」



.........あんの女ッ!金払ってけよ!てか僕におごるんじゃなかったのかよ!



僕はこのとき、ギャル子があんなことやこんなことをされてしまうR指定小説をこの島の島民全員に配ることを固く決意した。




商店街は、「ダイダラ坂」と呼ばれるひどく傾斜けいしゃが急で長い坂の下にあるが、逆に僕の家は坂の上の高台にある。

僕はゆっくりとその坂道を登っていた。

眼下には少しずつ低くなっていくいびつな港町。

遥か遠くの水平線に沈みかけている太陽が瞳に映る。

冷ややかな海風が前髪を静かに揺らした。


「暗くなってきたな」


街の所々に光が灯り、灯台は仕事を始める。

はぁ.......毎日の通学が本当に身体にこたえるな。まぁ、普段運動をしない僕にはちょうどいいのかもしれないけど。

息を切らしながら登っていくと、だんだん傾斜が緩やかになっていき、やっと平坦な高台に出た。

高台には所狭しと家屋が並んでいる。

細い路地を何回か曲がり、狭狭とした階段を駆け上がると、びれたペンキの赤い色の屋根が目立つ一軒家に辿り着く。

そして、茶色い木の素材のドアを開き、リビングに向かった。


「.......あら、おかえり」


リビングの扉を開くと、静かな女性の声が僕を出迎える。

長い黒髪に整った顔立ち、ピンク色のエプロンを着たスレンダーな女性が、台所から優しく微笑む。


「ただいま」


僕は偽りの笑顔を表面上で作り上げた。

どうにも、この人に心の底からの笑顔を見せてあげることが今はできない。


「ご飯どうする?」


女性は冷蔵庫を開いて中を探りながら尋ねてきた。


「あーいらない。あれ?LINKで送っといたはずだけど」


「そうなの?」


女性はエプロンのポケットからスマホを取り出し、チャットアプリ「LINK」を確認した。

すると、彼女は口元を抑え驚きをあらわにする。


「あっホントね。気づかなかったわ........そっか、残念ね」


女性は少し目尻を下げながら、そっとつぶやいた。


「うん。明日はよろしく」


「はーい」


すぐに女性は屈託くったくの無い笑みを取り戻す。

女性の返事を聞くと、僕は自室のある2階へと向かう階段をのぼった。


「あー本当に母さんは優しいな」


この世界への皮肉を込めて漏らした独り言を、聞いた者はいない。


僕は自室のドアノブに手をかけると、まず周囲に誰もいないか確認した。

そして、ドアを開く。


すると


目の前に、壁一面に貼られた島全体を示す巨大な地図が現れる。

他にも壁の至るところには、おびただしい数の新聞紙の切り抜きが貼ってある。

他の人が見たらきっと気味悪がるだろう。

母さんにもこの部屋には勝手に入らないでくれと頼んであるため、この部屋がいかに奇怪かを知るのは僕一人だけだ。


僕はバッグをテキトーにベッドに放り投げると、デスクチェアに座り込みノートパソコンを起動した。

そして、ファイルに保存してある日記に今日あった出来事を書き込んでいく。



4月20日


とても奇妙な夢を見た。まるで実際に起こった出来事かのように鮮明で懐かしく感じる夢だった。もしかしたら、僕の脳に隠されていた記憶なのかもしれない。僕の記憶と正体に繋がるパンドラの箱を開けるための鍵であることを願う。


また、本日も『わたし』を見つけることはできなかった。



僕がこの日記を書く理由は二つ。

一つは、小説家として毎日何かしらの形で文章を書かないと、僕は腕が鈍ってしまうと考えているから。

二つ目は、もしも、僕が記憶を無くしてしまったときのために、何があったのかを記録しておく必要があるから、だ。


僕には、12歳からつい2週間前の高校入学式の日までの、3年間についての

まるで、完成したパズルから誰かがパズルピースをいくつか抜き取ってしまったみたいに、その3年間だけがすっぽりと空白になっている。

記憶と一概いちがいに言っても、個人が経験した出来事に関する記憶。例えば、今日の朝食は何を、何時に、どこで食べたかといった、過去の経験や体験を記憶した「エピソード記憶」と呼ばれる種類の記憶だけが、綺麗に僕の頭からは消えていた。



まるで、かのように。



少なくとも3年前、僕はこの『白鯨島』にはいなかった。

目を覚ますと、この島にある学校の見知らぬ教室に、僕はいつの間にかいたというわけだ。



空白の3年間。



僕はなぜこの島にいるのか、僕にいったい何があったのか、さっぱり思い出せない。


そして、この島はどこか奇妙だ。


まず、僕はこの島がどこにあるのかを知らない。

公共語、文化、人相、建築様式から、おそらくこの島は日本近海にある可能性が高いと推察できるが、正確な位置まで知ることはできない。


ここで奇妙なのは、僕だけではなくこの島の住民も、この「白鯨島」がどこにあるのかを知らないということだ。


しかし、彼らはそんなことを疑問に思うこともなく、日々を平然といとなんでいる。


また、周りを海に囲まれた孤島にしては、この島はどうにも都会とかいすぎる。

島の人口は約39万人、面積は約710平方mと大きい。大きさは淡路あわじ島をイメージするとわかりやすい。

インフラはしっかりと整備されており、ネット回線も通っている。

島の中央には都会さながらの高層ビル群、繁華街。島の北沿岸部に工業地帯、南部に農耕地帯があり、山手線のような電車一本で島のどこにでも行ける。コンビニもゲームセンターも遊園地、水族館、博物館、学校も、娯楽から教育まであらゆる施設が備えられ、都会となんら変わらない暮らしをこの島ではできる。

こんな島があるなんて聞いたことはないし、あるとは思えない。

僕は疑っているんだ。


この島は、この世界は、果たしてなのだろうかと。


そして、僕はそんな奇妙なこの島を調査するのと並行して、正体不明のを探していた。


僕はデスクの引き出しから、「手紙」を取り出す。


その手紙には


「死にたくなければ、3年以内にを見つけてください」


とだけ書かれていた。


白鯨高校入学式のあの日、僕が教室で目を覚ますと、僕の手にはこの手紙が握られていた。

そう、この手紙こそが、僕が非現実に巻き込まれている証明であり、僕をここへいざなった切符きっぷなのかもしれない。

また、この手紙によって僕の奥底に潜む好奇心はえぐり出される。


、か。この手紙の主は、僕を脅迫してまで自分を見つけてほしいらしい。

しかも、3年以内と時間制限も付いている。

いつまでも待ってくれるつもりは無いようだ。

しかし、現状まったく手がかりが無いため、『わたし』を3年以内に見つけるのは不可能に近い。

それでも見つけることができれば、僕の記憶と、この島の謎について何かわかるかもしれない。

手紙の『わたし』が、僕の『空白の3年間』に深く関わっている存在であることを、僕は確信していた。


僕はしばらく、女性が書いたように思える細くて美しい手紙の文字を見つめながら思案する。

すると、脳裏にある言葉がよぎった。





本当の『わたし』を早く見つけてくださいね?




夢に現れた、あの少女の言葉だ。


そういえば.........手紙に書いてあるメッセージと似ているな。


................Y・UT。


もしも、あの夢がこの手紙、そして僕の失われた記憶に何か関係があるのだとしたら。

夢の少女の名前Y・UT、さらに彼女が残した言葉が『わたし』を見つけるための手がかりになるかもしれない。

とは言っても、目醒めたときは鮮明だった夢は今ではもうかなり薄れて来ている。

ハッキリと思い出せるのは、Y・UTの『わたし』を見つけてというあの言葉。

優しい彼女のあの声色だけは、今でも僕の耳に残っている。


記憶の無い僕。


謎めいた島。


『わたし』とY・UT。


謎、謎、謎、謎が僕の四方を囲む。

この先どんな展開が待っているか想像がつかない。



.........面白い。



僕は大胆不敵に笑みを浮かべた。


僕は絶対に解く。この島と空白の3年間の秘密を。

そして、見つける。『わたし』を。

僕の脳内を占拠する不可思議な謎は全て、一掃する。

僕には不安も恐怖もまるで無い。

あるのは空のように高い好奇心と、海のように深い期待感だけだ。

せいぜい、この刺激的な非日常を楽しませてもらうとしよう。


改めて、この幸福と希望を噛み締めていると、机上の写真立てが目に入り、僕はそれを掴み取り目を落とす。

一人の少年と黒髪の長い、顔立ちの整った女性がピースサインをしている姿が写っていた。

それは、僕と母さんが二人で撮った写真だ。

しばらく僕は写真を眺めていると、ふと思った。



この世界は、この島は、なのかもしれないと。



だって、僕の母さんは.........もう.......






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