優先席では慎重に。

紫 李鳥

優先席では慎重に。

 



 私たちが毎日、当然のように使っているケータイ。皆さんご存じですよね? 優先席では電源を切らなくてはいけないことを。



 午後の京葉線。杖を手にした一人の老婆が乗車した。優先席には、ケータイを操作しているヘビメタ風の男が陣取っていた。


 老婆は、ヘビメタ風の向かいに座った。途端、


「う~」


 老婆は胸を押さえると、ヨロヨロとヘビメタ風の傍に歩み寄って倒れた。


「げ。な、なんだよ!」


 ヘビメタ風は咄嗟とっさに腰を上げた。


 ザワザワッ……


 乗客がざわめいた。


「大丈夫ですかッ!」


 ストパーの若い女が老婆の傍にやって来た。


「う~、う~……」


 老婆は苦しそうにうなっていた。


 声をかけたストパーは、老婆の体に手をやると、シートに寝かせようとした。それを見ていた他の乗客が手伝いに駆けつけた。


「おばあちゃん、大丈夫ですか?」


 大学生風の男が声をかけながら、老婆をシートに寝かさせた。老婆は苦しそうに顔をしかめていた。


「ちょっと、おばあちゃんに謝りなさいよッ! 優先席ではケータイを使っちゃダメって、知ってるでしょ? アナウンスでも言ってるじゃない、優先席ではケータイの電源を切るようにって」


 ストパーにとがめられたヘビメタ風は、驚いた様子でうなずいた。


「ほらッ、謝りなさいよッ!」


 ヘビメタ風は老婆の傍に行くと、


「……どうも、すいません……でした」


 ボソボソと呟いた。


「う~……」


 老婆は尚も苦しそうな顔で胸を押さえていた。


「おばあちゃんに何かあったら、あんたのせいだからね。万が一のために、ケータイと名前、住所と勤務先を教えなさいよッ!」


 女の迫力に負けたヘビメタ風は、渋々ケータイ番号を教えていた。



 当日の夕方、ストパーはヘビメタ風に電話をした。


「――おばあちゃんが入院したわ」


「エッ! ……」


「入院費や慰謝料の請求をおばあちゃんに頼まれたの。ちゃんと払ってくれるわよね? 警察に届ける? それとも示談にする? どっちよ?」


 ストパーは決断を急がせた。


「じ、示談で……」


 ヘビメタ風は慌てて答えた。




 午後の中央線。杖を手にした、一人の老婆が乗り込んだ。優先席に座ると、向かいの席にはケータイに夢中になっているサラリーマン風の中年男がいた。途端、


「うッ」


 胸を押さえた老婆がヨロヨロと、向かいのサラリーマン風に歩み寄って倒れた。


「ヒェッ」


 びっくりしたサラリーマン風は、咄嗟に立ち上がった。


「だ、大丈夫ですか?」


 ひざまずいてシートにもたれている老婆に、セミロングの若い女が声をかけた。


「う~、う~……」


 老婆は苦しそうに胸に手を当てていた。


 ザワザワッ……


 他の客がざわめいた。セミロングは、シートに寝かせようと、老婆の体を持った。


「ちょっと、突っ立ってないで手伝ったらッ?」


 セミロングはケータイを手にしているサラリーマン風をにらんだ。


「あっ、は、はいッ」


 サラリーマン風は慌てて老婆をシートに寝かせた。


「おばあちゃん、大丈夫?」


 セミロングが声をかけた。


「ぅ……ぅ……」


 老婆は尚も苦しそうにしていた。


「ちょっと、おばあちゃんに謝りなさいよ。あんた、社会人でしょ? 優先席でケータイが使えないのは常識でしょ? おばあちゃんに万が一のことがあったら、あんたのせいだからね。ちゃんと連絡先教えなさいよ」


「……は」


 セミロングの迫力に圧倒されたサラリーマン風は、渋々と名刺を出した。



 当日の夕方、セミロングはサラリーマン風に電話をした。


「――おばあちゃんが入院したわ」


「エッ!」


「入院費とか慰謝料をおばあちゃんに頼まれたの。ちゃんと払ってくれるわよね? 警察に行く? それとも示談にする?」


「示談で」


 サラリーマン風は即答した。





 駅のトイレ。


「アハハハ……」


 セミロングと老婆が高笑いをしていた。


「チョロいもんよ」


 セミロングのカツラを脱いだ方が言った。


「ってか、さっきのサラリーマン、俺のオッパイ触ってやんの。おもちゃの垂れパイ付けててよかったぜ」


 白髪のカツラを脱いだ方が言った。


「クッ。今月のもうけ、スゴいぜ。成功率100パーじゃん。やめられない、止まらないって奴。よう、今度は何線にする?」


 セミロングのカツラを脱いだ、茶髪のショートが聞いた。


「てか、老婆役、代わってくんねぇ。腰曲げんのマジ疲れんだけど」


 白髪のカツラを脱いだ、黒髪のショートが不平をこぼした。


「いいよ。じゃあさ、こうしよう。来月は俺が老婆で、お前が助け役と交渉役」


 化粧を落としながら、茶髪が提案した。


「……か。交渉はお前の方がうまいもんな。やっぱ、老婆役でいいかぁ」


 ブラウンのアイブローで描いていたシワを拭き取りながら、黒髪があきらめた。


「だろ? はい、これ。さっきのサラリーマンが会社に内緒にしてくれって、くれた金を折半した分」


 茶髪が金を渡した。


「サンキュー。今度さ、脚本変えてみねぇ?」


「例えば?」


「例えば、……親子同士とか、老婆同士とか」


「いいよ、別に。けど、老婆同士だと、シワ描くのめんどいし、これまでどおり、若い女役でいいよ」


「自分ばっか楽してからに」


「それより、明日は登校しようぜ」


「オッケー! じゃあな」


「バイバイ!」





 着替えを終えた高校生の男子二人は、各々の自宅に帰って行った。





 おしまい。ジャンジャン!

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優先席では慎重に。 紫 李鳥 @shiritori

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