終幕の探偵

砂田計々

コーヒー山荘殺人事件 謎解き編

 陸の孤島と化した山荘の広間で、集められた関係者の顔を暖炉と数本の蝋燭の灯りだけが薄暗く照らしている。


「ようやく来ましたね、始めましょう」


 探偵は一同を前に口を開く。


「本当にあの時、篠原さんは生きていたんでしょうか?」


 探偵の突拍子もない問いかけに、その場の全員が首をかしげた。


「何を言ってるんですか探偵さん。私はたしかに見ましたよ……」

「松本さん、その篠原さんは、本当に・・・篠原さんだったと言えますか?」


 松本は考え込む。


「何を言って……、だって、え、まさか!?」


 松本は何かに思い当たった。


「そうです。犯人は特技のものまねで、その時すでに死んでいた篠原さんを演じたのです」


「なんですと!」「ものまねだって!?」

 久保田刑事と狩野支配人が驚いた。


「はい。ものまねです。そして、そんなことができるのはこの中でたった一人だけ」


 一同が、ある一人の人物を一斉に振り向いた。


「犯人はあなただ! 井上直美さん!」


 探偵が指さした先で、井上は黙ったまま視線を受け止めると、力なく微笑んだ。


「ふふふ、おもしろい推理ね。でも、証拠はあって?」

「証拠はあります」

「え?」


 井上が少しの動揺を見せる。


「井上さん、つかぬ事をお伺いしますが、コーヒーはお好きですか?」

「なに? 好きだけど、それが一体何の関係があるのよ」


「篠原さんも、随分とコーヒーが好きだったようで。それはもう、豆の産地にまでうるさかったとか」

「だから何なのよ」

「あの日、篠原さんにコーヒーをお持ちしたのはわたしなんですよ。篠原さんのキリマンジャロとわたしのグアテマラを入れ違えて」

「そ、そんなっ」


 井上の動揺が目に見えて大きくなる。

 探偵は続けた。


「わたしのほんのお茶目心でしたが、篠原さんは違いに気づきませんでした。当然です。それは篠原さんではなかったのですから」


 井上は少しの間を取って言った。


「篠原さんが味の違いに気づかなかっただけじゃないの?」

「それはあり得ません」

「どうして?」

「ワサビも入れましたから」

「それであんな辛かっ……ハッ!」


 井上は慌てて手で口を覆い、俯いた。


「ゴホン。あの時、篠原さんがすでに亡くなっていたとすれば、井上さん、あなたにも犯行が可能なのです」


 探偵の推理に押されて井上がたじろいだ。しかし、一筋の光を見つけたようにもう一度余裕を取り戻して、表情を繕い直すと、ゆっくりと口を開いた。


「百歩譲って……、私がものまねで篠原さんに扮していたとしましょう。私にも篠原さんを殺すことができた。……それで? 私が殺した証拠にはならないわ」


 一同もそれに頷き、探偵の反論を待った。


「たしかに。それだけでは、あなたは死亡時刻を偽装したに過ぎない」

「ほら」

「あなたのおっしゃる通り、つい先程まで、わたしは証拠をつかめずにいました」

「え?」


 山荘の屋根を、雨が静かに叩く音が聞こえる。


「あなたは先程、久保田刑事に頼まれて事件の再現に協力してくれましたよね」

「そうね」

「その時、篠原さん役をお願いしました」

「それがなにか」

「どうして、お腹を押さえたんですか?」

「どうしてって」

「わたしたちは篠原さんの死体を篠原さんの部屋で発見しました。うつ伏せになった篠原さんの背中には凶器のナイフが刺さったままだった。わたしは最初、背中をひと突きで殺されたのだと想像しました。ですが、久保田刑事によると、実際には篠原さんは三カ所刺されていたそうです。背中に一カ所と腹部に二カ所。背中の傷は、逃げる篠原さんの背後から犯人が最後に刺したものだそうです」

「……」

「腹部が刺されていることを知り得たのは、久保田刑事とそれを聞いていたわたしと、そう、もう一人、犯人だけです。さて、井上さん。どうしてあなたは篠原さんが腹部を刺されていたと……」


 井上は探偵の言葉を聞いているのかどうかわからないほど頭を垂れて、小刻みに震え始めた。


「く、くくくっ、くくくくくっ、

 ははははははっ、どうやらこれまでのようね」


 井上はこれまでと明らかに違う様子で笑い声をあげ、白状した。一同はその異様な姿に身構える。


「そうよ、私が殺ったの! あの女は私が殺ってやったのよ! 探偵さん? 私がどうしてあの女を殺したかわかる?」


 探偵はある男に視線を送りながら言った。


「淳一さんですか?」


 井上は小さく目で頷いた。

 淳一は驚いている。


「……なんでもお見通しのようね。そうよ! あの女は私から淳一を奪った! 死んで当然のくそビッチだったのよ!」

「……お、俺のせい?」


 淳一は力なく言って崩れ落ちた。

 井上はコートのポケットからナイフを取り出すと、淳一の後ろに素早く回り込み、淳一の首に刃を押し当てる。


「やめろ!」

 久保田刑事が叫んだ。


「淳一を殺して、私も死ぬ」


 井上は正気を失っていた。

 誰も動くことができずに、その動向を見守るしかなかった。


「淳一さん!」


 声がした方を全員が振り返ると、そこに探偵がいた。この状況にも動揺を見せずに淡々と語り始める。


「これはわたしの思い違いかもしれませんが」探偵はめずらしく、自らの推理に確証を持てずにいた。「篠原さんは淳一さんの妹さんだったのではありませんか?」


 一同がどよめくなか、井上が一層目を見開いて驚いた。


「……はい。おっしゃる通り、篠原は、篠原三葉は生き別れた俺の妹です」

 淳一が言った。


「そんな……」

 井上の手からナイフが滑り落ちる。

 久保田刑事がすかさず近寄り、井上を確保した。


 タイミングよく、パトカーのサイレンが山荘を取り囲み応援が駆けつける。


「井上直美。篠原三葉殺害の容疑で逮捕する」


 井上の腕に手錠が掛かる。

 井上は久保田刑事に連れられながら脱力した足取りだったが、ふと、立ち止まり振り向く。

 目が合った探偵は井上の言葉を待った。


「探偵さん、ひとついいかしら」


 井上が言う。久保田刑事もそれを制することなくただ見守った。


「なんでしょう」

 探偵は答えた。


「いつから私を疑ってたの?」

「こちらに到着した日ですよ。あなたのものまねを初めて見たときです」

「ものまね? さあ、どこかおかしかったかしら?」

「いえ、似すぎていたんです。あなたのものまねは。わたしは真実ほど疑う質でしてね」


 井上は肩の荷が下りたような、どこかすがすがしい様子で笑った。


「そう、それはお手上げね」


 久保田刑事が井上の手を引いて、行くぞ、と連行する。パトカーが山を下っていくのを見届けるまで、全員が言葉を発しなかった。


 その後、山荘に残されたものは、翌朝の送迎バスを待って山を下りることとなった。


 山道が封鎖されていたとはいえ、到着の遅れた助手は探偵に怒られた。


「緊急事態でしたが、記録係がこうも遅れてもらっちゃ困りますよ。助手は常に探偵の側を離れないように」

「すいません。気をつけます」


 探偵はキッチンに向かいコーヒーをいれ始める。


「あ、わたしがいれますよ」

 狩野支配人が代わろうと探偵に言う。


「いえ、わたしにいれさせてください」

 探偵は謎解きの高揚感からか、自ら買って出た。


「キミも飲むかい?」

 探偵は助手にコーヒーを勧める。


「はい!」

 助手は暖炉の前でコーヒーを待ちながら、この記録を書いていた。



 以上。


(僕の到着が遅れたために、事件の終幕のみの記録となったことをお詫びします。)

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