出資

 出資=社員になるという、法律的な考えが一瞬頭を掠めたがそんな話ではないだろう。

 「あの、つまり…?」

 「なんて言うのかな。君にはここで働いてほしくない。君はお金以外にここにいる理由がある?まさか、いろんな人とセックスがしたいとか…?」

 「違います!」

 しまった。突然のこととはいえ、仕事中なのに相手の話を遮るように大きな声が出た。笑顔だ。自分はここでは商品だ。言い聞かせる。

 「すみません。でもどういうことですか?初対面ですよね?」

 「今はあんまり説明したくないかな…。怪しむのは当然だけど、悪いようにはしないから信じてほしい。」

 急に現れた客に、金は出すから店を辞めろと言われても信用できるわけがない。でも、確かにお金は必要だ。学校には弁護士も司法書士も講師として毎週来ている。いざとなったらこっちはプロに相談できる相談できるのだ。そう思うと甘い言葉に心が揺らいだ。

 「…もう少し具体的なお話を聞きたいです。」

 「必要なお金は出すから卒業したらうちで働いてもらいたい。生活費も学費も負担するよ。」

 「うちで」ということは社長か個人事業主だろうか。笑顔でなぜか嬉しそうに話す男からは悪意を感じない。きれいな丸い瞳でしっかり見つめられると緊張した。

 悪い話ではない。でも理由が分からない。もし卒業後に違法な労働をさせる気にしたって、生活費や学費の負担はそうとうなものだ。それを回収できるくらいとんでもないことをさせるつもりなのだろうか。

 「その理由はまだ聞けないんですよね?仕事の内容とかは…?」

 「う~ん、簡単に言うと君に惚れたからだよ。仕事は法務だね。」

 ますます意味が分からない。でもなんとなくわかってきた。この人は頭がおかしい人だ。見た目の良さでごまかされたが、こういう意味不明なことをひたすら語ってくる人はネットなんかによくいる。

 「なるほど!光栄なお話ですね!でもさすがに急なんで少し考えさせてもらえませんか?」

 「わかった。じゃあ連絡先教えてもらえるかな?」

 ほら出た。こうやってボーイの個人情報を聞き出すのが目的か。ただでさえ不慣れな仕事なんだから勘弁してほしい。

 「それは教えられないので、二週間後くらいにまた来てもらえますか?」

 「…そうか。分かった。いい返事を期待してるよ」

 最後は彼の優しい笑顔で話は終わった。話が嘘ならもう店には来ないだろうし、もしストーカーのような目的でまた来たとしても、いざとなったらこの店をやめれば彼と関わることはもうない。もっと危ない話なら弁護士に相談するまでだ。清算して早く帰ろう。

 「お疲れ様です。清算お願いします。」

 「ほーい。お疲れさん。」 

 売り専はだいたい日払いだ。うちもご多分に漏れず、指名があればその日の終わりにまとめて現金をもらう。

 「マコトくん、今日のお客さんどうだった?」

 事務の長野さんが金庫を開けながら話しかけてくる。

 「あー、なんか話がしたかっただけらしいです。言いづらいだけかもと思ってそれっぽい話も振りましたけど、特に何もなく終わっちゃいました。」

 わけの分からないパパ活のような話をされたとは言えず、かと言って本当に話をしただけと言うと後ろめたさがあるので、少しだけ話を盛る。

 「そっかー、でもすごい満足そうに帰ってったよ。ああいうお客さんにリピートしてもらえると太いから頑張ってね。」

 「はい。ありがとうございます。お先に失礼します。お疲れ様です。」

 「お疲れー。」

 店の外に出ると、じんわりと夏の暑さを感じたが、風が吹けば心地よかった。ふと仕事前の事を思い出し、さっき見た猫はいないかと見まわしたが見つけられなかった。

 今日のことはあまり深く考えないようにしよう。確かに面倒ではあったし、戸惑いはしたが、実際、話すだけでお金がもらえたのだ。なんとか話をそらしつつ太客になってもらえるように頑張ろう。

 そんなことを考えながら家に着くと、今日は虚無感を感じずに家の戸を開けた。

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水巻 仁 @yu-zin

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