第3話 異変再び
打ち上げでは酔いつぶれることもなく、僕は軍団の皆と別れ家路についた。夜もすっかり更けた住宅街をぽつぽつと歩いているとき、一陣の風がさっと吹き付けてきた。僕の足に新聞紙が絡みついて、足で払っても払ってもまったく離れない。
「なんだよ?しつこい新聞紙だな?」
僕は、それを手でつかもうとした。しかし、新聞紙はまるで僕の手を嫌がるようにすぐに僕の足から離れ、再び吹いて北風に乗ってどこかに飛び去っていった。その新聞紙の第1面の見出しにちらりと
<木村宰相、退陣す>
という文字が、見えたような見えなかったような。
『…?宰相?首相のことだよね?…まあ、首相のことを宰相とも呼ぶし』
僕は、少しいぶかしく思ったが、深く考えなかった。
しかし僕は、やはり酔っていたのだろう。その、いつもの住宅街がなにやら暗すぎて、灯りもともっていないことに僕は気づいていなかった。夜空に満月が輝いていたからかもしれない。
「ただいま」
と玄関の硝子戸をガラガラと開くと、そこにおふくろがたたずんでいた。なんともおかしな苦渋に満ちた表情をしている。
「お…、お
『はあ?お…とうさま?』
おふくろは、いつもおやじのことを<パパ>と呼んでいる。おかしいな?と思った。
僕は、靴を脱ぐと、奥へ進んだ。
「おいっ!カイ!そこへなおれ!おまえのような親不孝者は、こうしてくれる!」
とつぜんおやじが、ムチのようなもので僕に殴りかかってきた。
「うわー?おやじ、なんだ?」
僕は、その木で出来たムチを手で防ぎながら叫んだ。
「なにー?おやじ?親に向かって、その口の利き方は何だ?この門限破りめがっ!こんな遅い時間まで、何をしておった?」
「え?いや…、友人たちと飲み会で」
僕は、朝におやじとおふくろにきょうは飲み会で遅くなると言っている。
「それはわかっておる!我が
『え?わし?』
おやじのふだんの自称は、<おれ>である。
僕は、おやじのムチをかわしながら、2階に駆け上がり自室へと逃げ入った。
おふくろが駆けてきて
「カイ、どうかお父様に謝って!この通り、以後いっさい家訓を犯しませんと」
『え?家訓?なにそれ?』
「僕は何も悪いこと、してないよ?いくら親だからと言って、ムチはやりすぎだ。パワハラだ。それに、僕はもうすぐ30歳だ」
僕は、わけがわからず頭が混乱した。ポケットからスマホを取り出し、ニュースを見る。
<田中氏に大命、即日勅令>
「うん?大命?勅令?」
僕は、思わず声に出した。
そのとき、今年高3の弟が部屋に入ってきた。
「兄上、これの覚え方を教えてほしいんだが」
僕は、弟が冗談で<兄上>と言っていると思った。
「どれどれ?」
と、受け取ったその本の1ページ目。
<じんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうあん、こうれい、こうげん、かいか、すじん…>
『え?』
僕は、なにげに
「これ…って、もしかして、天皇の初代から十代?」
と言った。
すると弟は
「し!兄上、声が大きい!」
とたしなめるように言う。そして弟は、きりっとかしこまり直立不動の姿勢を取り
「かくも
と、こわばった表情で言った。
『だいにっぽん帝国などと、冗談きついな、こいつ』
と思いながら、僕はそういえば昔興味を持って覚えたっけと思い出し、その覚え方のコツを伝授してやった。
「これは、ジス愛、好き好き好き、好きかい?崇神さんと、覚えるんだ」
その夜は、一晩じゅうおやじがわめいていて、眠りにくかった。
朝、起きて食堂に牛乳を飲みに行くと、おやじが
「おい、カイ!しんぶん!」
と怒鳴った。
いつまで命令口調なんだ、おやじは…といぶかしく思いながら、僕は、玄関から出て、門扉の新聞受けから朝刊を取り出した。
その第1面を何げなく見て、僕は、驚いた。大きな見出し。
<帝大生数人、大逆罪で逮捕>
僕は、記事を詳しく読んだ。
<帝大生たちは、帝国政府を批判する書き込みをSNSにおこなった。これは、大日本帝国と (1字空けている。これは、敬意を払っているという意味)天皇陛下に対する重大な反逆である。きつく取り調べ、必ずや極刑に処されるであろう>
僕は、なにやら冷や汗と酷い戦慄を覚えた。新聞をめくり第2面を見ると
<帝国会議、招集さる。島津侯、毛利侯らご参集>
『島津?毛利?帝国会議?はあ?』
僕は、慌てて新聞の日付を見た。
<令和元(2019)年8月5日>
確かに、今日だ。
僕は、新聞のテレビ欄を見た。
<国営放送10チャンネル…にっぽんのうた24時間。きょうは、歴代国歌特集>
<関東放送5チャンネル…薩摩の尊いかたがたに話を聞く>
僕は家に駆けこむと、居間のテレビをつけた。
リモコンの10を押すと、子供たちが合唱している。
<わーれーらーのーにーほーんーはー、とーうーとーきー、かーしーこーきー、へーいーかーのーしーろーしーめーすー、か-みーのーくーにー>
それが、延々と続いている。
リモコンの5を押すと、燕尾服に胸に勲章、肩から腰にビロードの帯をかけている50人のいかめしいカイゼルひげを生やした集団が映し出された。
<只今ご紹介にあずかりました私めは、オホン、大日本帝国天皇陛下より内務大臣を拝命いたしました、西郷一郎であります!爵位は、男爵!>
『はあ?内務大臣?爵位?男爵?』
その時、テレビに臨時ニュースが入った。アナウンサーが、読み上げる。
<大逆罪の帝大生たちは、憲法と議会の設置を要求したということです>
すると、西郷内務大臣が、コメントした。
「怖ろしい…。憲法…、議会…、なんて不敬な?畏くも尊き天皇陛下の
アナウンサーが
「そうですね?怖ろしい事件です」
と相づちを打った。
すると解説者が
「臣民のみなさん、法はすべて天皇陛下がお作りあそばします。臣民である我らは、それを平身低頭し有難く受け取るのみであります」
と説明した。
僕は、事態の重大さに身体がわなわなと震えた。
スマホにメールが届いた。佐助ことシンさんから、だ。
<カイくん、部屋に戻って。急いで>
シンさんの文字は、なぜかそのものズバリを書いていない。でも、その文字の意図はすぐに分かった。
僕は、テレビをつけたまま自分の部屋に戻った。
「おい、カイ!しんぶんは?しんぶんは?」
と怒鳴り続けるおやじの声がしたが、無視だ。
部屋の机のわき、本棚の2段目を見た。
「わ?」
そこだけ、空間が歪んでいる。真っ黒な円形の穴が、開いていた。もちろん、僕にとっては既視感ありありだ。タイムトンネルの穴、だった。昨夜は、確かに閉じていたんだが。
その黒い穴に、左手を突っ込んだ。今は、8月。しかし、その左手の指の先には、ひんやりとした冷気が。それは、まるで雪解けのときのような、スッキリとした冷気だ。
『もしや…』
僕は、顔をその穴に突っ込んでみた。目を閉じて突っ込み、そして目を開いた。
そこは、間違いない、江戸城の御用部屋の奥の部屋の、天井裏だった。
僕は、身体ごと穴の中に入り込み、そして抜け出た。天井裏といっても、その天井板は何枚も重ねられ、頑丈で、人が数十人載っても壊れないほどだ。忍者を防ぐための仕様である。
「小次郎ぎみ」
声をかけられ振りむくと、もう佐助や嘉助ら、そして
「小次郎ぎみ、もうわかってますね?事態は、非常に重大かつ深刻です」
佐助が、宣告するように言った。
僕は、沈痛な表情でみなに語りかけた。
「みなさん、どうやら使命は、失敗したようです。今、日本には…、民主主義も人権も自由も平等主義も、何もかもがありません」
しかし横から上村さんが
「いえ、先の使命は、完全な成功でした。明治維新は、無事、行われました。しかし、その後の歴史は大きく歪みました。別のアルゴリズムが、発見されました」
と言った。
「僕が…、松平紀伊守が元凶、ですね?」
「歴史の教科書です。小次郎ぎみ、見てください」
僕は、嘉助から渡された高校の日本史の教科書を読んだ。
<1877年 西郷隆盛が降伏し、政府に復帰>
<1878年 大久保利通暗殺未遂事件>
<1881年 宰相制度導入、初代宰相大久保利通>
<1885年 全国藩主が参集する帝国会議を設置>
<1889年 明治勅令発布>
<1890年 大久保宰相引退。後継宰相は西郷従道>
<1894年 朝鮮割譲条約を清国と締結。南朝鮮を領土化>
<1905年 朝鮮全土割譲条約をロシアと締結>
<1914年 第一次世界大戦に際し、中立を宣言>
<1921年 国際連盟結成を提唱。本部が東京に置かれる>
<1937年 中国東北部割譲条約を中華民国と締結>
<1941年 第二次世界大戦に際し、中立を宣言>
<1945年 幕末の不平等条約の改正に成功>
<1964年 東京オリンピック開幕>
<1980年 民主化の風潮のため満州・朝鮮を自治区とする>
<1991年 満州・朝鮮を自治王国とする>
<2001年 国際連合の常任理事国となる>
<2015年 2020年2度目の東京オリンピック決定>
僕は、ぼうぜんとした。本来の歴史と、まるで違う。ところどころ一致しているのが、憎い。
「現在、日本の人口は3億5000万人。本土が1億5000万人、朝鮮自治王国が1億人、満州自治王国が1億人です」
嘉助さんが言い添えてくる。
僕は、日本史の教科書をさらに読み進んだ。
<大日本帝国の政治は、16~18世紀のヨーロッパを模範とする近世的な絶対主義政治である。明治維新の中心となった薩長土肥の4藩出身者が政府の主要メンバーで、とくに宰相と閣僚は80%以上が薩摩藩出身者である。これは、維新を主導したのが薩摩藩であったことから、当然である>
<資本主義は、帝国政府が導入し、帝国が全面的にバックアップしている。全産業が、5大財閥によって運営されている。物価も安定し、インフレやデフレは一度も起こったことがない>
<社会保障は、1990年に初めて導入された。天皇陛下の尊き
<20世紀後半、テレビ、ラジオが普及し、21世紀に入るとインターネットが普及している。帝国政府の厳重な監視があるため、炎上はいっさい起こらない>
<1990年、初めて地方自治が認められた。全国の旧大名家の領地を46に統合し、それぞれに県令を置く。県令の有資格者は元藩主で、その継承方法は世襲である。2001年、各県の代表者が一堂に会する帝国会議が、自治制度として再設置された>
<政府の主なメンバーは、ほとんどが世襲である。これは、至極当然である。各職業も、すべて親の職業の世襲である。これも、臣民としては当然である。ゆえに、わが国には、失業者はいない>
絶対権力の下、政治も経済も社会も超安定しているというわけだ。
「わたしたちの存在が消えないのは、不思議ですね?」
佐助が言う。
「それがアルゴリズムの不思議さです。なぜか、つじつまが合うんですよ」
と、上村さんが解説した。
「それで…、僕たちがここに来れたというのは…?」
僕は、周りを見渡しながら、言った。この天井裏は、軍団の秘密の会合場所や、歴史修正現場の監視の場としてうってつけ、だった。天井板は、頑丈そのもの。そして、そこにはアリ一匹入ってこない。出口も入口もない密閉空間である。もちろん僕たちには、随時どの空間にも開くことのできるタイムトンネルがあるので、密閉かどうかは関係ないわけであるが。
「歴史を元に戻せ、という使命を課されていると考えたほうが良さそうです」
上村さんが、厳然と言い放った。
「元に…、ですか…」
「どうしました?カイ君」
佐助ことシンさんは、さすが僕の相棒として数年間を共にしてきただけ、ある。僕の微かな心の動きを、瞬時にくみ取ってくる。
「この年表を見る限り、日本は、戦争をしていませんね?」
「…そう、ですね」
「ということは、あの悲惨な犠牲はなかったということに」
僕の言葉に、そこにいた全員が息をのんだ。
このまま放置し、歴史を修正しないほうがいいのではないか?そんな考えが、全員の心を支配しようとしていた。
「しかし、やはり修正しないとダメです。じつは私、例の帝大生たちの話を聞いてきました」
「え?どうやって?」
僕は、嘉助さんに聞き返した。
「昨夜、なぜか1か月前の帝大生たちの秘密会合の場にタイムトンネルが開いたのです」
「…」
嘉助さんの話によると、政治も社会もすべてが超安定というのは表向きで、じつは多くの人たちが貧困に苦しんでいるという。物価が非常に高いため食料を手に入れにくく、またまともな医療もうけられないという。義務教育は小学生の6年間だけで、13歳で成人となり平均15歳で結婚し1日10時間以上労働し休日も2週間に1日という…。現在、平均月収は5万円で、それに対しラーメン1杯が千円という物価状況。勤め人の大部分が、会社に住み込み状態。女子の売春も非常に多く、そこらじゅうに国黙認の買春所があるという。
「わかりました。歴史を修正しましょう!」
僕は、意を決し、一同に叫んだ。
歴史修正軍団が、ここに再結集となった。
歴史軍団・牙 第2部 よほら・うがや @yohora-ugaya
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