地上の星々(エーベル誕生月おめでとうSS)

 


 幼き頃に生まれて初めて見たその光景を、今でもはっきりと思い出せる。小さな窓から見えた無数の光の粒が街全体を照らし、まるで地上の星々のようだったからだ。


『ねえ、ラーラ。あそこから見えるたくさんの光はなに?』

『あの光は、エーベルハルト殿下がお生まれになったことを民が祝っているのですよ。ほら、殿下の御髪の色と同じでしょう?』

『……ちちうえはボクをいわってくれない、会いにもこない』

『国王陛下は御公務がお忙しいからですよ。兄君のステファナス王太子殿下はいらっしゃったではありませんか』

『あにうえから、おうきゅうに咲いてるはなをもらった』

『これまた殿下の御髪と同じ色の薔薇。良かったですわね』

『うん……』

 使用人や召使いから祝われることや、腹違いの兄から祝われるのも良いが。

 一度でいいから、あの光に触れたい。触れてみたい。それが幼い自分の夢のひとつだった。



 それから十年以上が経ち、現在自分は狭い籠の中ではなく思い焦がれていた街の中にいる。

 目の前のテーブルには、様々な国の酒と自慢の料理が間を空かずに並んでいる。林檎酒が注がれたマグを持った黒髪の女――フロレンシアが軽く咳払いをした。周りの人間たちも穏やかな表情で彼女を見つめる。

「それではっ……改めて」


「エーベル誕生月おめでとうーー!!」


 その一言で、多種多様の酒が入ったマグが軽やかにぶつかる音がする。その音を合図に店主のベルナデッタが陽気な口笛を吹いた。

 聞いたところによると、馴染みの店となったキトロン料理店で自分の誕生の心祝いを企画してくれたのは、幼馴染のヴィートなのだそうだ。だが、まさか国を挙げて催される生誕祭の一週間前に呼び出しを受けるとは思ってもみなかった。今日が過ぎたら、生誕祭絡みで暫く離宮からは離れられなくなることを見越してのことだったようだ。さすが我が幼馴染は気が回る。

 自分の素性の問題のためか、本日のキトロンは終日閉店の看板を入口のドアに吊るしている。その実、店内ではフロレンシアとベルナデッタが自慢の腕を振るって山のような料理を作っていた。加えて、ホール担当のカイと自分が初めて街で出会った庶民であるリズが店内の飾り付けをしていた。

 周りをぐるりと見渡してみる。各テーブルには黄色や橙色の花々が生けられ、賑やかな小物や布飾りが天井や壁を彩っていた。

 それらが自分の祝いのために用意されたと思うと、何だか温かい水の中で揺蕩うような心地になるのだった。


 乾杯の後、葡萄酒で喉を潤すと浮き立つ気持ちを抑えきれずに料理に手を付けた。まずは土鶏つちどりと木の実の炒め物……フロレンシアが作ったものらしい。口に入れると鶏肉の旨味と爽やかなハーブの風味が鼻から通り抜け、食欲を刺激する味だった。コリコリとした食感も良く、改めてフロレンシアの料理センスの良さを感じる。一通り堪能した後は大海おおうみイカのチーズ焼きに手を伸ばした。一口かじると、ピリリと刺激があった。とろけたチーズの中には大麦とスパイスが入っているようで、辛味とチーズのまろやかさがとても良く合っている。この斬新な味付けはベルナデッタが作ったものだとすぐに分かった。

 この自分の様子をリズが口角を少し上げた表情で見ていることにふと気づく。

「なんだよリズ。……あんまり見てくれるな」

「エーベル、うれしそう」

「…………感謝はしている」

 正直、とても嬉しかった。

 今までこういった形で祝ってもらうのは生まれて初めてであったし、心許した者たちで酒を片手に楽しんで食卓を囲むことの素晴らしさは改めて筆舌に尽くしがたかった。

 そう感じ入りながら、目の前で次々と料理をかき込むヴィートに声をかける。

「……相変わらず、お前は大食いだな」

「此処の料理が美味しくてつい……」

「ヴィートは美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるわ! 甘いものもあるわよ」

 顔をうっすらと赤らめたヴィートに、いそいそと甘味をすすめるフロレンシア。

 食後のレモンとアーモンドを混ぜ込んだ蜂蜜タルトは自分が切り分けることになり、慣れてないせいか案の定失敗したのだが、皆が頬を綻ばせながら食べる姿は見ていて悪くはなかった。


 タルトをつついている時に、不意にリズがフロレンシアと共に小さな包みを目の前に出した。

「何だ?」

「エーベル、おめでとう。プレゼント」

東方エウロス人居住区のお店で見つけたの、開けてみて!」

 包みをこちらに寄越すので、それを恐る恐る開けてみる。慎重な態度なのは、以前贈り物に毒蛇が入っていたことがあったからだ。その警戒心が中々消えてくれないのが密かな悩みの一つでもある。


 包みを開け、手に収まったのは小さなカンテラだった。黒い鉄の装飾部分には炎の模様が入っている。年代物だろうか、古いが手に良く馴染む。

「あと、これはボクから。……これに火を着けてみて下さい」

 ベルナデッタが手渡してきたのは石だった。石にしては薄く透き通っている。石に火を着けるとは?

「さあ、カンテラに入れてみて下さい」

 ヴィートとカイが店内の灯りを消すのを確認すると石をカンテラに入れる。それからムスビの言葉と共に出来た小さな火の玉をころんと中に入れてみた。


 すると子どもの時にずっと自分を魅了してきた光が現れた。

 金色の星、地上の星。


 ――――それが今、自分の手の中にあるなんて。



「これならエーベルが自分のへやにいてもさみしくない」

「……ってヴィートが考えてくれたのよ」

「二人ともバラさないでくれ!」

 そう言いながらカンテラを見つめる三人の瞳が光に照らされ、同じく星のようで綺麗だ。

「……余計な気を回すなよ」

 憎まれ口がどうしてもそう聞こえてくれないだろうというのは予想出来た。その通り、周りの人間たちは一斉に破顔した。


 店からの帰り道、カンテラに灯った火と同じ色のランプが街中で煌めいていた。

 昼にはキトロンに入ったので、気づかなかったその景色に暫し圧倒される。隣にいた幼馴染はただ一言、

「こんなに沢山の民に祝われる王子は間違いなく幸せだろうな」

 と呟いた。



 あれから五日後――生誕祭の儀式が滞りなく終わり、離宮の自室へと戻って来られたのは日付が変わる頃だった。

 疲れた身体を引きずりながら窓へと移動し、外を見る。街に散りばめられた眩い光を、今までよりもずっと身近に感じることが出来た。きっとキトロンでもまたランプを灯してくれているだろう。いや、キトロンだけではなく港や広場、酒場やバザール……小さな民家でも。それらを想像するとじんわりと心が暖かくなる。


 小さな手を伸ばして遠くの光を取ろうとしていた幼子はもういない。


 貰ったカンテラに火の玉を入れるとたちまち街の灯りと同じ色になった。離宮の図書室で調べたのだが、ベルナデッタがくれたのは燃える物質が入った塩の石だった。


 産出国は――亡き母の故郷であるザルツミナイル。まるで母に祝われているようで、何だかくすぐったい。


 このカンテラのおかげで、自分のことを見失わずに進んで行けるかもしれない。

 あの楽しかった日に、自分は決して独りではないと知ることが出来た。だから。


 ――――地上の星々よ、どうかオレの往くみちを照らし続けてくれ。


 そう願いながら灯りを見つめる。カンテラの中の石は暖かい光を放ちながら静かに燃えていた。





END.


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エルピスの鐘・短編集 鯛めし @taimeshi__

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