書籍発売記念SS 勉強会の一幕
「あーもーづがれだー!」
「馬鹿言わないの。まだ二時間しか経っていないわよ」
「二時間『も』じゃん!!」
情けないわね、とため息をつく桐ヶ谷をよそに、高坂は手に持った赤ペンを放り投げるとソファに倒れ込んで占領する。隣を席にしていた林がいないのをいいことに、ぐでりと伸びた高坂はそのままスマホをいじりだした。
「そもそもー、あたしが書き直すとこ全然ないじゃんかー」
もううんざりだと言わんばかりの声音。桐ヶ谷が解いた問題の採点をさせられた高坂が、この二時間で間違いを見つけた個数は片手で足りてしまう。逆に田崎の採点をする桐ヶ谷は涼しい顔で回答欄を真っ赤に埋め尽くしていた。
「あら、褒めているつもり?」
手元から視線を上げた先、高坂は不貞腐れた顔をぐるりと桐ヶ谷に向ける。
「多少抜けてる方が愛嬌あるよねフツー」
「悪かったわね」
田崎が風邪で休んだ分の補習、という名目の勉強会はこれで何度目かになる。本来なら高坂と林が参加する必要はない──桐ヶ谷にとっては──が、無下にする理由もなくお決まりになりつつあった。補習分は既にやり終え、テスト期間に突入してからも。
「その点、林さんはいいよねー。お菓子持参ってポイント高くない?」
「……学校に学業と関係のないものを持ち込むのは推奨されていないわ」
眉を寄せた桐ヶ谷は不服そうに顔を背ける。
反対に高坂は一本取ったとばかりにニヤリと笑った。
「うんうん、そゆとこ」
くるくると高坂は自分の髪を指に巻いた。ラズベリーピンクに染めたそれが許される程度には明進の校則は緩い、というか穴だらけだ。良く言えば自由な校風。菓子類を持ち込んだとて、封を切らなければそれはあくまで『箱』である。
仮に食べても、と高坂は思ったが口にチャックをした。
あくまで高坂が持ち込んだ菓子の数々は空箱である。
そんな、詭弁じみた屁理屈を桐ヶ谷が認められるか、と言えば難しい。
「余計なお世話よ」
垂れた髪を片手で押さえ、ペン先を滑らせて桐ヶ谷は採点作業に戻る。
けれどふと思い出したようにページをめくりかけて、止まった。
「私は、紺野さんとは違うもの」
それはどこか、桐ヶ谷自身と紺野との間に線を引く雰囲気を含む。
横目に桐ヶ谷を窺った高坂は相槌を打った。
「もちろん、あなたとも林さんとも違うわ。だってそうでしょう? 私が紺野さんのように接したとして、それで田崎くんの好意を得ることができたとして。けれど、それは私ではないもの」
私に向けられたものではないもの、と桐ヶ谷は繰り返す。
「恋を成就させるために変わる必要はないわ」
静かながら毅然とした言葉は誰に向けられたものか。
言わずとも、高坂は理解したようだった。ラインのトーク画面をスワイプする。
「変『え』る必要はあるかもしんない?」
「そうね」
束の間の沈黙。お互い言葉の裏に貼ったものを読み合った。
桐ヶ谷はそれを望んではいるし、恐らく高坂もそうだろう。
そんな共通認識が無言のうちに交わされた。
「ふいー」
ゴロリと高坂は仰向けになってスマホをいじり始める。まるで我が家にいるようなぐうたらな高坂だったが、桐ヶ谷がそれをたしなめることはない。田崎の解答が悲惨すぎて桐ヶ谷の添削が遅れに遅れているだけだ。
「……それにしても遅いわね」
大量の添削をする桐ヶ谷とハナからやる気のない高坂をよそに、採点を終えた田崎と林はキッチンに向かった。時間にして十分は過ぎたが戻ってくる気配はない。飲み物やお菓子を用意するにしては少々時間がかかっている。
思わず刺々しくなった言葉尻に高坂の口元がニヤつく。
「へえ〜気になるんだ? 気になっちゃうんだ?」
桐ヶ谷をおちょくる高坂はプププとわざとらしいほどに笑ってみせた。
赤ペンが軋んだ悲鳴を上げる。
「……それとこれは話が別よ」
「へーふーん、そーなんだー?」
「そうよ」
「ローテで回してるのに、春人の添削だけは譲んないもんねー?」
「……っ」
ニヤニヤと余裕の笑みを浮かべる高坂に、言い返す言葉を思いつけなかった桐ヶ谷は小刻みに震えた。この四人の中で一番勉強ができるのが桐ヶ谷で、反対にできないのが田崎。ゆえに田崎の勉強を見るのが桐ヶ谷の役目になっていたが、口実と言えなくもない。
実際、それを盾に田崎の隣を今日だって主張した。
「田崎くんがべ、勉強できないのが悪いのよっ」
「そーいう体ね」
「あなたねえ……!」
桐ヶ谷が怒りをあらわにしようと高坂はどこ吹く風だ。大袈裟に怖がっているフリをされて、桐ヶ谷の昂った感情も萎んでいく。この数度の勉強会で下手に噛みついてもよりおちょくられるだけだと桐ヶ谷は学んでいた。
それもこれも不甲斐ない田崎のせい。
矛先を変えた桐ヶ谷によって、休憩後の田崎の命運は決まった。
哀れ、田崎。
ストレス発散の方向性を定めた桐ヶ谷は赤ペンを置く。だいぶ遅れての休憩だ。
「それはそうと準備の方は進めているのよね? 結構、実現は難しくないかしら」
「んー、まーなんとかなるんじゃなーい?」
「曖昧ね……」
こちらを見もせずにあっけらかんとのたまう高坂にため息が出る。明進高校の文化祭。その花形は受験に追われる三年生──ではなく二年生だ。文化祭でガス使用が認められるなか、クラスで取ったアンケートの結果は当然のように激戦区の飲食系に決まった。
クラスのグループラインで共有されたものは、高坂が再度決を採って出店候補が揃っている。
桐ヶ谷が見ている限り田崎はそのことを知らなさそうだ。高坂が決を取った日は『たまたま』田崎は風邪を引いて学校を休んでいた。クラスメイトから距離を取っていた田崎はもちろん、グループラインにも入っていない。
「なんだか一人で動いているようだけれど、こういうのは田崎くんに話を聞いた方が早いんじゃないかしら?」
桐ヶ谷の意見は真っ当至極だ。
しかし、しらばっくれたように高坂は口を尖らせた。
「んーなんとなく反対されるような気がするんだよねー」
「もっと駄目じゃないの……」
桐ヶ谷に呆れられて、高坂はたははと笑う。
「頼りにはしてるから」
フラれてから始まるラブコメ【web版】 金木犀 @sijimaissei
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