毒を喰らわば穴二つ

田山海斗

空殻の色

 まただ。


 クラスの中心人物の一人で、子犬のような印象を与える可愛らしい顔立ちに、モデルさんのようなプロポーション。誰にでもニコニコと笑いかけては、小粋なジョークを交えたトークに花を咲かせて、人を楽しませる。そして自分自身も、心底楽しそうに生きている。

 それが私の、その人に抱いている印象だった。

 だけどここ最近、見ていて一つ、気づいたことがある。きっかけはほんの些細なこと、ただただチラッと視界に捉えただけ。


 時折、ポケットに入っている何かを、強く握りしめている。


 表情も視線も声色も全く変えずに。そっと、自然な調子で手を伸ばして、ギュッと。

 初めは、ハンカチか何かかと思っていた。うっかり手が汚れてしまったのを拭いたとか、まあ、その位にしか思わなかった。

 けれど、明らかに汚れる理由が無いときにも握っていたし、服の上から握っているときもあった。

 では、一体全体あれは何な

「委員長ー、先生が職員室来てくれってさー」

「はーい」

 クラスメイトの声に、そんな無意味な思考は切り上げられたのだった。そもそも、誰が何を持っていようが、自分には関係のない話だ。

 ただ、なんとなく気になって。ただ、それだけだ。



 ガラガラ

 ここの扉は引き戸で、どんなに気をつけても必ず音がする。図書室の扉としては不適切なのではと思うけれど、誰も何も言わないのは、ひとえに開ける人が少ないからだろう。

 そして案の定、今日も今日とて一人しか居ない。たしか、隣のクラスで、図書委員長だったかな。カウンターの中で、一人静かに本を読んでいる。といっても、誰もいないのだから静かにならざるを得ないけど。

 いそいそと本棚に向かって、本を選ぶ。

 こうしてタイトルと背表紙のデザインだけを眺めて、少し手に取ってみたりして、こうしている時間が大好きなのだ。これから垣間見る世界があると思うだけで、ワクワクが止まらない。

 めぼしい本を見繕って、カウンターに持っていく。

 足音で気づいたようで、チラッと視線を上げてメガネを外した。読みかけの本に栞を挟む。

「こっちを返して、こっちを借ります」

「はーい」

 いつも通り、淡々と作業をこなしていく委員長を眺める。いつも通り、なんの会話も無い

「ねぇ」

 と思っていたのに。

「え、なに?」

「ただ、興味本位で聞くんだけど」

 バーコードを通す作業を止めて、目線を上げて、

「右のポケット、何入ってるの?」

 息が詰まったのを、咄嗟に誤魔化せただろうか。

「普通に、ハンカチだけど?」

 前から用意していた答えを、前から考えていた通りに返す。

 声は震えていなかっただろうか、絞り出したようになっていなかっただろうか、目は泳いでいなかっただろうか、

 作業は再開される。

「………………」「………………」

 静かな図書室には、バーコードを通す音だけがある。

「そうなんだ」

 張っていた糸が緩む音はしなかっただろうか。

「ただ気になっただけだから。ごめん、変なこと聞いて」

「いや、別に」

 咄嗟に伸びかけた右手を抑えた。

「おまたせ」

 カードと本が差し出される。ニコリと笑ってくれるのは、いつもの委員長だ。

「ありがと」

 それだけ言うと、逃げるようにその場を去った。

 バレていないだろうか。



 嘘だ。

 聞いた瞬間、チラッとだけ目が右側に寄った。人は隠し事がある時、そっちを見てしまうものらしい。

 あれは、ハンカチなんかじゃなく、もっと大切なもの。

「ふーん」

 嘘をついてまで隠したいモノなんて、とっても気になるけど、

「そっか」

 あまり聞いて欲しくもないだろう。

 メガネをかけ直すと、また本に目を落とした。

 図書室の外からは、あの子と、その仲の良い子とがお喋りする声が聞こえてくる。動揺も何も無い、いつもの調子だ。

 きっと、また握ったのかな。



「昨日、新しいの買っちゃってさー」

「え?金欠じゃなかったっけ?」

 やっぱりもうちょっとぐらい追及しても良かったかな、なんて考えているだけで今日が終わってしまった。

 黒板を消すのもおざなりになってしまう。それはいつもだけど。

「委員長はどう思います?」

「え?ごめん聞いてなかった。何が?」

「もー。今日昼休みからずっとそんな感じじゃないっすかー?どうしたんです?珍しい」

 自分で思っていたよりも、ポケットの中身が気になっているみたい。友達のお話も聴き逃してしまうなんて。

「いやー、ちょっと考え事を。って、だから敬語やめろって言ってんでしょ。同い年でしょうが」

「いやいや、委員長にタメ口だなんて恐れ多い」

「そうですとも」

「やめろー!」

「「あははははは」」

 なんていつものやり取りにも、いかんせん身が入らない。

 ガラガラッ

「おや」

 噂をすれば影と言ったところか、悩みの種がやってきた。

 なんだかオロオロしている。しきりにキョロキョロしながら、机の中とかを覗き込んでいる。

「どうしたのー?」

「あ、委員長。いやちょっと、忘れ物というか」

 ただ忘れ物をした、という風には到底見えない。たぶん、例のポケットの中身じゃなかろうか。

 ……少し思いついてしまった。

「ハンカチー?」

 ビクンッと肩が跳ねた。そのまま固まって動かない。

「…………うん」

 微動だにしないまま、聞こえるか聞こえないかの音量で、ボソッと答えられた。

 もうちょっと揺さぶってみよう。

「手伝おうかー?」

「大丈夫!大丈夫だから!」

 ガバッと顔を上げたと思ったら、すごい勢いで首を左右に振り出した。

「そう?早く見つかるといいね」

「うん、ありがとう」

 捨て台詞のように感謝の言葉だけ置いて、脱兎のごとく出ていった。

「あの子、どうしたんだろうねー」

 なんて、とぼけて笑って言ったら、二人とも顔を見合わせていた。



 ないないないないないないないないここにもないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないどこにもないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないな

「どうしたのー?」

 夢中になって、ない、探していたから、ない、教室に、ない、委員長とその友達が、ここにもない、居るのにも気づかなかった。

「あ、委員長。いやちょっと、忘れ物というか」

 ないないない、ないないないないないな

「ハンカチー?」

 は?

 なんで?

 バレてたの?

 興味本位みたいな言い方だったじゃん忘れといてよ

「……うん」

 いやまだハンカチだと思ってるかもしれないそうにちがいないそうであって

「手伝おうかー?」

「大丈夫!大丈夫だから!」

 これはバレてるのかバレてないのか揺さぶってるのか天然なのか

「そう?早く見つかるといいね」

「うん、ありがとう」

 とにかく一旦逃げよう

 それにしてもない

 どこにもない

 トイレにもなかったし体育館にも落ちてなかったし落し物にも届けられてないし

 ないないないないないないないないないないないないないないない



 あ。

「今日の6限って体育だったよね」

 日直の仕事って一人で出来る量じゃないと思う。二人にして欲しいね。そうすれば、きっと素敵な出会いだってあるかも、なんて。

「そうですね」

「ですね、マット運動でした。あれ大嫌いなんですよね、体が硬いから」

「わかるわかる」

 そんなことを背中越しに話しながら、ゴミ箱から一つゴミを拾い上げる。

 これは、楽しくないなぁ。

「それで、体育がどうしたんですか?」

「いやー、あんなに取り乱すほど大切なものなら、もしかしていつでも肌身離さず持ち歩くのかなって」

「まあ、そうかもしれませんね」

「でも、マット運動は逆さになったり横になったりするし、体操服には移さなかったのかなって」

「…………何の話です?」

 ゴソゴソとゴミ箱を漁り始めた、支離滅裂な話をしながら。傍から見たらただの不審者に、さすがの二人も怪訝な表情を隠せない様子。

「5限までは、ソワソワもせずに普通に座っていたから、多分それまではあったんでしょう」

 話しながらも、ちゃんと仕事はこなす。一日分のゴミを収集所まで捨てに行かないといけない。これがけっこう重い。

「そして、今あの子が来たのは、玄関とは逆方向の体育館側。帰宅部だったはずだから、放課後になってから無いことに気付いて、探し回ったんだろうね」

「だから、何の話なんです?」

 お、今日はいつもよりちょっと軽い。

「よしよし。話しかけられて退散して、ここは満足に探せなかったのかな」

 二人には見えないようにポケットに入れる。振り返ると、二人ともすごく微妙な顔。

「じゃ、探し物届けてくるね」

 そう言って出ていくのを、二人はただ見送るだけだった。微妙な顔のまま。



 ないないないないないないないないないないないないないないない

「やっぱり教室かな?今日通った廊下にもなかったし」

 ないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないない

「そうだ更衣室のロッカーの下とか」

 そうと決まれば一目散。

 ひっくり返すようにロッカーの下を探してみたけれど、やっぱり見つからない。ない。ない。ないないないないないないないないないないないないないないない

 まさかもう二度と会えないんじゃなかろうか誰かが拾得物横領したかもしれないし捨てられてるかもしれない

 やだやだやだやだやだやだ離れたくない離れられない

「教室かな?委員長たちはもう帰ったかな」

 とりあえず更衣室を出ようとして、

「探し物はこれかな?」

 入り口に委員長が立っていた。手には

「あああああ!!!ピョン助!!!」

 半ばひったくるように、ピョン助を委員長から受け取る。

「ピョン助ぇ」



 ピョン助とは、なかなか安直な名前を付ける。

「ありがとう、委員長。ピョン助はどこに居たの?」

 ギクッと、背後にオノマトペが出なかったのが不思議なくらいに、分かりやすく動揺してしまった。当の本人は、ピョン助ばっかり見つめていたから、幸い気づかれていない。

 でも、あれって多分、そういうことだよね。

「えっと、体操服のポケット、じゃなくて。えー、そう、ナップサックの底に入ってたよ」

 声が露骨に震えていたと思う、

「えへへ、そっかー。急いでたから無意識に放り込んじゃったのかな。何にせよ、ホントにありがとう」

 気づかれなかったけど。

「いやー、ただたまたま思いついただけだよ」

 なんて苦笑いにすら、ウサギのあみぐるみを胸に抱える高校生は気づかない。

「ありがとうね、委員長!今度何か奢るよ!」

「ああ、うん、ありがと」

 ぴょいん、とウサギのように立ち上がって、同じ高さになった目。見つめ返す、なんてことは終ぞ出来なかった。



「うーーーん」

 悩みが増えてしまった。

 数日経って、相変わらず当の悩みの種本人はニコニコヘラヘラ笑っている。こっそりピョン助を握りしめながら。

「はぁーーー」

 でも、あれってやっぱり俗に言う『いじめ』ってやつだよなー。正確に言うと、窃盗と器物破損ってところかな、法律なんてからっきしだけど。

 それってマズいよなー。何がマズいって、本人が分かってるのか分かってないのか、それが分からないことがマズいよねー。

「委員長、ホントにどうしたんですか?日に日に酷くなってますよ」

「敬語をやめなさいって言ってるでしょ。いやー、ちょっとばかし厄介なことに首突っ込んじゃったなー、って」

 部外者も部外者が、気軽に言ってしまっていいものか。漫画とかならここで、「私が守ってあげるよ(キラーン)」みたいな展開になるのかもしれないけど、なるわけが無いんだよなー。

 はー、とんだ爆弾抱えちまったぜちくしょう!

「ところで、委員長」

「ん?」

「放課後カラオケ行きませんか?熱唱すれば気分も晴れますよ」

「いーね、行こう行こう」

 こんな時は大声で大熱唱に限る。古事記にもそう書いてある。



 ない

 また無くした。もう体操服の中も探した。どこもかしこも探した

 ない

 どうしよう

 どうしようどうしよう

 頭回らない

 足も立たない

 もう一周する?もう一時間かけて?そんなことしていたら、下校時間になっちゃう。じゃあ先生に相談してみる?それは、それだけはない

 でも一人じゃ見つけらんない

 誰か、相談、できる人……

「委員長……」

 そうだ

 委員長だ

 あの子ならきっと見つけてくれる

 それにもうバレてるし

 そうだ委員長だ

「委員長……図書室かな……今日は居るのかな……」

 とぼとぼと足を引きずる



 委員長にも見捨てられるのか

 唯一の救いの手だと思っていたのに

 別の委員の子が、今日は当番じゃないって言ってた

 教室に残ってた子も、もう出てったって言ってた

 帰っちゃったのかな

 でも、それもそうか。最初から、ただ興味本位って言ってたし

 でも、あの日は救世主に見えたよ

 今日も、救ってくれるかなって

 わがままだったかな

 あぁ


「委員長……」


「なーに?」


 がばっ

「うわびっくりした」

 委員長だ

「委員長……?帰ってなかったの?」

「あー、友達とカラオケ行ってたんだけどさー、あっちから誘っといて急用だって。それで、借りてたの読み終わっちゃったから、本借りに来たの」

 委員長だ。

 やっぱり、助けに来てくれるんだ。たまたまかもだけど、これは奇跡ってヤツだよ、きっと。

「どうした?廊下の真ん中で座り込んで」

 しゃがみこんで目線を合わせてくれるのは嬉しいけど、涙目なのがバレる。

「あの、ピョン助が、また、居なくなって」

「あらま」

 完璧な涙声も披露してしまった。

「ほらほら、泣いてないで探すよ。一緒に行くから」

「うん」

 暖かく手を握ってくれるのは、もうピョン助だけじゃなかった。



 とは、言ったものの。

「心当たりは?」

「ない…………」

 完全に、あれだよなぁ。

「もう全部探したの?」

「うん…………」

 ここで見つけて渡したとしても、多分ループだよね。

 ちょっと、踏み込んでみるか?

「その……言いにくいんだけど、さ。いじめられてる、ってことは?それで、隠されたとか」

「へ?」

 ポカンとする、の典型例みたいな反応だ。

「ないないないー。誰が、なんの為にさ?」

 典型例、というより常套句のような答え。

「あっははー、そーだよねー。ただの可能性の話だよ」

 そーなのかなー?可能性は可能性でも、めちゃくちゃ高い可能性だと思って言ったんだけどなー?

 もしかして、また捨てられてたんじゃ。

「とりあえず、もう一回教室から見て回ろっか?」

「うん…………」



 端的に言うと、無かった。ゴミは回収されてたし、掃除道具入れとかトイレとかにも。

 キーンコーンカーンコーン

「タイムアップかー」

「うう、ピョン助ぇ」

「あー、ほら、泣かないで。明日も付き合ってあげるから。ね?もしかしたら、誰かが拾ってくれてるかもだしさ」

「……うん……」

 少しでも楽になるのか、空っぽのポケットを上から握りしめてる。

「ね?一旦帰ろう?」

「……うん……ありがとね、委員長」

「いーのいーの」

 ヨロヨロと歩くのを後ろから支えてやって、一時帰宅。

 と、何気なく窓の外を見ると、ちょうどパッカー車が来ていた。今まさにゴミの詰め込みを始めようとしている。

 …………あの中では?

 ヨロヨロをほっぽり出して、大急ぎで駆け出す。

「え、ちょ、委員長!?待ってどこ行くの?!」

 制止の声も振り払って一目散。

 階段を駆け下り、人の間を縫って。革靴に履き替える間も惜しんで、上履きのまま外へ。

「ちょっと待ってー!」

 さっきのカラオケでも出さなかったような大声。先生や収集員さんも、思わず手を止めこちらを見る。

「な、なんだ一体。もう下校時間だぞ!」

 先生を無視して、ゴミの山に突っ込む。うちの学校では、クラスのゴミ袋は、それぞれマジックで組を書いて捨てる。

「違う、違う、違う、ちが、あっ、あった!」

 目当ての袋を引っ掴んだら、今度は中身をぶちまける。

 無いか?さすがに同じところには捨てないか?それなら、他のもぶちまけるけど。

「い、委員長!?しっかりして!壊れちゃったの?!」

「君!やめなさい!やめ、やめなさーい!」

 ようやく追いついたのも、ようやく我に返ったのも、未だにあっけに取られて喋れないのも、全部無視してゴミを引っ掻き回す。

 はたして、

「あったー!!!」

 ピョン助が、底の方に入っていた。

「え、ピョン、なん、ピョン助な、やったー!って、え、なんで、ゴミ箱」

 ホントに、欠片も感じてなかったんだな。人がいいというか、なんというか。

「いやーよかったねー、ピョン助見つかって!」

「え、あうん。そうだ、そうだね、うん。ピョン助ぇー!」

 ようやく思考が落ち着いたと思ったら、今度は感情が落ち着かない。ピョン助が潰れてしまわないか、実に心配だ。

「全然良くないが?」

 この後先生にこってり絞られた。



 幸い、プリントに挟まれて入っていたらしく、ピョン助は汚れていなかった。

「でも、なんでゴミ箱に入っていたんだろう。拾った人が、ゴミだと思って捨てちゃったのかな」

 そこまで汚くなかったと思うんだけど。

「多分、わざとじゃないかな」

 委員長は、とっても言いにくそうに言った。気を使ってくれてるんだろう。

「えー?でも、いじめられたりなんかしてないよ?」

 全く身に覚えがない。好かれることはあっても、嫌われることは無いと思う。

「じゃあ、誰が人のあみぐるみ勝手に捨てるのさ。キーホルダーくらいなら、人形を付けてる子も居るのにだよ?」

「それも、そうかも…………」

 いじめなんて、自分とは関係ない画面の向こう側のこと、そう考えてきた。でも、違うのかな、これはいじめ?

「まあ何にせよ、困ったらいつでも言ってね。通話してくれてもいいよ」

「え、知らないんだけど」

「あれ?そうだっけ?じゃあ」

 委員長は本名で登録してあるのか。分かりにくいし、『委員長』にしとこ。

「ま、また廊下の真ん中で泣かれても困るしね」

「むー、馬鹿にしてー」

 あははっ、と悪びれずに笑うから、ぷいっ、とそっぽを向いてやった。



 あれから数日、何も無かった。

 やっぱり心配のしすぎだったかなー、なんて思って。あの子ともなんだかんだ仲良くなって、学校でも少しばかり話すようになって。

 一件落着かー?とか思っていたのも、つかの間だった。

「いーんちょ、ちょーっと来てよ」

「え?」

 放課後。いつものメンツで話していたら。

 ウチの学校でも一二を争うクz……ワルの、えっと名前は、思い出せないな。まあ、そういうのに声をかけられた。変にヘラヘラ笑ってる。

「なんで?」

「いいから!」

 腕を引き上げられて、引きずられるように連行される。

「委員長!?」

 頑張って引き留めようとしてくれる友達は、睨みをきかせられて止まった。

「あー、先に帰っててー」

 心配してくれる友達が居るなんて、自分は幸せものだなぁ、とか考えていた。



 体育館裏なんて、ありきたりな場所で。見た目に目立たないお腹とかを蹴って殴ってって、ありきたりなことをされた。

 本気で害されるのは初めてだから、痛いけど、なんか学生っぽいなーとか思って。でもさすがに、ありきたりすぎで。

「……いたい」

「そーだよなー、イタいよなー。ま、言うことをちょーっと聞いてくれたら、もうイタいことしないから」

 学校一のクズの、そのまた先輩らしい人に、顔を覗き込まれる。取り囲むように周りに立つ、舎弟気取りのクズたち。どいつもこいつもヘラヘラ笑ってる。

 あまりに見苦しいから、そっぽを向いてやったら、取り巻きに2、3発お見舞いされた。

「しゃべってる人の目を見て話を聞きましょうって、先生に習わなかったの?ん?」

「ゲホッゲホゲホ。あー。自分の話を聞いて貰えない時は、暴力で屈服させましょう、とも習ってないけどね」

 また1発貰った。

「まあまあ。よび出しもいきなりだったしさ、イヤミの一つくらい大目に見てあげようよ」

「センパイが、そう言うなら……」

 そうして、取り巻きを下がらせると、また顔を覗き込んでくる。

「君さー、このごろ仲良くしてる子、いるよねー」

 無視してたら、髪を掴んで無理やり目線を合わせられた。

「あの子さー、ウチらの、かわいーかわいーおもちゃ、じゃない、ATM、じゃなくて、お友だち、なんだよねー」

 まだヘラヘラ笑ってる。何がそんなに楽しいのか。

「それでさー、あんまりあの子にちょっかい、かけないでくれるー?しょーじきさー、メーワク、なんだよねー。そんな友だちごっこされてもさー」

 睨みつけたのが気に入らなかったのか、また1発殴られた。

「もうあいつに近づくな?分かった?」

「……一つ、質問いいかな?」

 質問することを肯定と取ったようで、ニッコリと微笑まれた。似合わなさ過ぎて、吐き気を覚えるレベル。

「何かな?」

「あの子、ウサギのあみぐるみ持ってるんだけど、最近それ捨てたの、あんたの後ろのバカの一人?」

 途端に後ろの一人が殺気立ったのを、目の前のが手で制する。

「そーだよー。なんかキモかったんだよねー。すてろって言ったらイヤとかナマイキぬかすから、すてさせといたよ」

「ふーん」

 こいつらか。

「よし、もういいよね?じゃ、もうあの子に近づかないってことで、いいかい?」

「死ね」

 ガンッと地面に頭を叩きつけられた。

「ナめた口きいてんじゃねーぞ!おい!」

 耳元でガンガン叫ばれたから、耳がキーンってなる。

「じょーきょーが分かってないみたいだから、教えてあげよう。おい」

 後ろのに声をかけて、一人に羽交い締めにさせると、また数発殴られた。

「ねー、さすがに分かったかなー?」

「死ね」

 思いっきり顔に喰らって、後ろのヤツ諸共吹っ飛んだ。

「おい!こっちはテメーのそのふざけた口、二度ときけなくしてやってもいいんだぞ!」

「死ね、死んで二度と喋るな」

 ペッ、と血が混じった唾を飛ばしてやると、ますます怒ったみたいで、近くにあった金属バットを持ってきた。

 そのまま、とりあえず1発、足を殴られる。

 さっきまでとは比べ物にならないくらいの痛み。思わず悲鳴が漏れた。

 もしかしたら、このまま殴り殺されるんだろうか。と、その時。


 体当たりが飛んできた。

 仔犬のような印象の体当たりでも、それなりの質量が、それなりのスピードで、完全に油断しているところにされたから、金属バット諸共吹っ飛んだ。

「委員長!大丈夫?!」

「大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれたら、限りなく大丈夫に近い大丈夫じゃないかな」

「大丈夫そうだね!」

 耳に入ってくるのは乱入者の強気な声、目に入ってくるのは乱入者の震える足。頑張ってくれてるみたい。

「なにすんだ!センパイに向かって!ATMのくせに!」

「うるさい!黙れ!えっと、ばーか!」

 …………頑張ってくれてるみたい。

「よくもやってくれたな!ふざけんなよ!絶対にコロしてやる!」

「残念!ここまでのやり取りは、もうSNSで拡散希望のタグ付けといたよ!」

「はぁ?!」

「ついでに実名公開のおまけ付き!今だって生配信中!笑って笑って!写ってるよー!」

 あっはっはっはっ、と高らかに笑ってる。とんでもなく無理してるなー。普段のテンションから乖離しすぎて、別人みたいになってる。

「……まれ」

「うん?スマホだから集音性そこまで良くないの!もっとハキハキ喋んないと!拾われないよ!」

「だまれ!!」

 次の瞬間には、ドゴッと鈍い音を残して、救世主は画面外へ。

「そこまでされたなら、もうどうでもいいわ。ATMをコロして、お前もコロす」

 吹っ飛んでいたバットを携え、ゆっくりと、羽交い締めにさせたATMに近づく。さすが普段からケンカ慣れしているのか、それなりの質量がジタバタする程度じゃ、全然振り切れない。

 その拍子に、ピョン助がポケットから落ちた。

「お、いいもんミッケ」

「え?あ、やだ!ピョン助はダメ!やめろ!」

 助けに行こうとするが、さっきの殴打で痛めたらしく、立ち上がるどころか力を入れるのもままならない。

「おふたりさん、なんでかコレにこだわってたよな?」

 ゲスが笑いながら取り出したのは、ライター。それをヒラヒラと目の前で見せびらかす。

「やだ!ピョン助!ピョン助ー!」

 ボッとライターに火がつくと、みるみるうちにピョン助は黒く焼けていく。

「やめろー!!ピョン助ー!!やだー!!」

「あっはっはっはっ、笑って笑って!」

 ピョン助の断末魔が体育館裏に響き渡る。ギャハハハと下品な笑い声が、悲しみに降り注いでいる。

 そこでようやく、呼んでおいたらしい先生が到着した。

 あみぐるみを燃やすヤツと、羽交い締めのまま泣きじゃくるヤツと、それを羽交い締めにしてるヤツと、ひどく腫れた足をそのままに燃えたあみぐるみを見つめるヤツと、それらを取り巻くヤツら。なんだこの状況、と言いたげな表情の先生たち。

 それでも先生たちは直ぐに我に返って、ボスの奇行にドン引きのクズ共ごと、まとめて連行して行った。

 先生たちも可哀想に。大炎上の後始末に追われるんだろうなぁ。なんて、ボーッと考えてた。



 黒炭と化したピョン助は追い討ちのように踏みつけられて、もはや跡形もない。解放された元救世主は、黒の混じった砂を必死に掻き集めている。

「うぅ、ぐす、ぐすん。ピョン助ぇ、ピョン助ぇぇ、ぐすん、ピョン助無しで、これから、どう生きていけって言うのさ、ねぇ、ピョン助ぇ」

 こんな時、なんて声をかけるべきなのかを教えてくれないのなら、義務教育なんて大層な名前を、のうのうと背負わないで欲しい。

「ぐすん、ぐす」

 ピョン助の遺灰に、涙が零れ落ちたその時、奇跡が起きない。ここはファンタジーじゃない。奇跡も魔法もないんだよ。

「ねぇ」

 覚悟を決めよう。あれだけ首を突っ込んどいて、なんか面倒くさそうだからバイバイ、なんて通用しない。

「……………………委員長」

 たっぷり時間をかけて、弱々しくも反応してくれた。

「その、大したことじゃないけど。ただ、言っておきたくて。…………ごめんね、ごめん」

「あはは、なんで、謝るのさ。謝んないでよ。悪いのは、委員長じゃないでしょ」

 勇気の一歩は、痛々しい笑顔が出迎えてくれた。虚ろな瞳に浮かぶ涙で、辛うじて、その目が生者の目だと分かる。

「ピョン助のことはさ、確かに悲しいけど。でも、単なる、そう、ただの……あみぐるみ、だし。あはは」

「そう。ただのあみぐるみだったんだね」


 ダンッ、と一歩足を踏み込む。

「ふざけんな!」

 ビクッと肩を震わせた。よし、目がこっちを向いてる。

「じゃあ何?ただのあみぐるみを探すために?学校中歩き回って?ゴミまみれになって?先生にもこっぴどく叱られる羽目になったの?ふざけんなよ?!」

 豹変した委員長に、呆気にとられているようだ。よしよし。

「はーっ!そんなんだったら、最初から放っておいたら良かったなー!骨折り損のくたびれもうけじゃんかー!騙された気分だよ!」

「な?!騙してなんか」

 騙された、とまで言われて、ようやく頭が回り始めたらしい。みるみるうちに表情が変化していき、目にも光が宿る。

「騙してなんかないよ!そもそも、委員長が勝手に探したんでしょ!誰も、探して、なんて頼んでないし!」

「はぁあー?!あんな惨めな顔してるのが悪いんでしょー?あんな顔、無視する方が人間じゃないよ!はいー、悪くないー!勝手じゃないー!」

「なにそれ!惨めな顔なんて、するはず無いでしょ!はぁぁぁ、こんな人だなんて思わなかったなー!こっちこそ騙された気分だよ!」

「はぁー?!この期に及んで、まだそんな大きなため息つけるの?分かってる?あの不良のクズ共から助けてあげたんだよ?十分優しいよね?ねぇ!ATMさん!」

「あー!それ言っちゃうんだ!それ、言っちゃうんだー!それこそ頼んでないよね?委員長が勝手に深入りしてきたからだよね?別にATMのままでも良かったもん!そしたら、きっとピョン助も燃やされなかったよ!」

「ピョン助はどっちにしろ焼かれてましたー!二回も救ってあげたの、もう忘れたの?ゴミまみれになりながらさぁ!誰がピョン助見つけたのかなぁ!」

「だったら!さっきも助けてよ!そんな所でへたり込んでないでさぁ!」

「こっちは足痛めてるんですー!今だって、立ってるだけで精一杯ですー!さっきのダンッ、ってやったの、めちゃくちゃ痛かったんだからね?!でもなー!ただのあみぐるみとしか思ってなかったみたいだしなー!無駄だったなー、無駄無駄」

「そうだよ!ただの……ただのあみぐるみだよ!それに勝手に首突っ込んできたんでしょ!」

「そりゃそうでしょ!あれだけ狼狽えて!学校中を這いずり回って!泣いて!喚き散らして!名前呼んで!抱きしめて喜んで!そんなの見て!誰が!ただのあみぐるみだって思うのさ!」

「うっ。そ、そこまで分かって、頼んでもないの二回も助けたんなら、三回目も助けてよ!わざわざ首突っ込んできたならさぁ!責任取ってよ!」

「分かったよ!」

 足を引きずりながら、でもできるだけ素早く距離を詰める。痛みなんて、ここまでの言い合いで絞り出したアドレナリンと、ちっぽけな意地で、痛いの痛いの飛んで行けー。

「え、なになにな」

 後退る暇も与えずに、ガッと手を取る。

「ほら、握っていいよ」

「は?え?」

 急に近づいた顔と手を、交互に行ったり来たり見つめている。

「責任、取ってあげるよ。ピョン助の代わりに、この手を、握っていいよ。折っちゃっても、握りつぶすくらい強くても、いいよ」

「何言って、だから、ピョン助は、ただの」

「違うでしょ?ピョン助は、大切な、とっても大切な、かけがえのない存在だったんじゃないの?ピョン助に頼らないと、生きていけないくらい」

「う……」

 揺れている。狭間でグラグラする所まで、押してこられたようだ。ここが、正念場、踏ん張りどころだぞ。もう一押しだ。

「辛い時、嫌なことがあった時、ピョン助に助けてもらってたんでしょ?友達と話してて、キツめにいじられた時も、先生に怒られた時も、握ってたよね?いいよ。ピョン助が助けてた子を、首突っ込んでピョン助を焼いちゃった張本人が、助けないでどうするのさ。手ぐらい、貸してあげるよ。責任取ってさ、ピョン助の代わりに、ずっと、隣に、居てあげる」

 そこまで、一気に言い切った。

「……くふふ、ははは、なにそれ、そんなに見てたの?ストーカーじゃん、完全に」

 クスクス、と笑ってはいるけれど、手はちぎれんばかりに握りしめられている。

「もう騙さない?」

「最初から騙してないよ」

「ホントにずっと一緒に居てくれる?」

「ほんとに」

「そっか。ふはは、あはは、はは、…………ごめんね、委員長」

「何言ってんの。こういう時はね、ありがとうって言うんだよ。ごめんねは、こっちのセリフだから」

「うん……ありがとう。ありがとう、委員長」

 どうやら、覚悟を決めた甲斐はあったらしい。

 でも、「私が守ってあげるよ(キラーン)」の覚悟は、さすがに出来てなかったや。



「委員長」

「ん」

 あれから1ヶ月。委員長は、見た目には何も変わってない。傷だらけだったのが、もう治ったのも含めて。

「ほら」

「うん」

 もう慣れたように差し出された両手を、もう躊躇せずに握る。

 委員長は、あの日の約束通り、何かピョン助に頼りたくなった時には、いつでもどこでも、こっそり、手を握らせてくれる。

 ぐにぐに。もみもみ。こねこね。

「もういい?」

「まだ」

「はいはい」

 さすさす。ぶんぶん。

「ねぇ、前から言ってるけどさ」

「なに?」

「長くない?ピョン助も、こんなに長く握ってなかったよね?」

「気のせいじゃない?」

 くにくに。ぎゅーぎゅー。

「いや、絶対長いって」

「気のせい気のせい」

 ぺたぺた。みょんみょん。

「…………はぁ。ま、そういうことにしておこうかな」

 でも委員長も、満更でもなさそうな顔をしている。

「えへへ。ごめんね、委員長」

「だから、ちがうってば」

「あそっか」


「ありがとう、委員長」

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毒を喰らわば穴二つ 田山海斗 @kaito2000

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