第11話 消えない約束
「そして、私は生み出された。スイと同じ能力を持ち、スイより強い自制心と使命感を持つ『理想の自分』として。もう一度村と、そして自分自身を消すために」
「……そんな、こと……」
予想はしていたことだった。
だが、実際に聞くと言葉が出なくなる。
「結局、スイがしたのはただの逃避よ。自分のしたことをあなたに知られないよう、ごまかしただけ。自分のことしか、考えていない」
「そういうことじゃ、ないと思います」
スイを非難する言葉だけは、否定することができた。
「スイの気持ちは、わかります。僕に何も気づかせない。その思いやりは、感じることができる」
実際、透は消失への不安がなければ、スイの思惑通り、普通の人生を送っていたはずだ。
だが、思いやりがわかるというのと、それが許せるかは別だ。
「なんで僕は消えなかったんですか」
「……きっと、昨日の晩、言ったとおりよ。あなたの絵だけが、『絵』になっている。書き手の感情がこめられている。でもそれじゃ、ダメなの。消すことは、できない」
「わかりました。なら、ひとつだけお願いします。それを叶えてくれたなら、消えようとどうしようと好きにしてください」
スイの気持ちはわかる。
透だって、同じ気持ちだからだ。
「僕を消してください」
「え?」
「僕を、スイと同じ絵の中に閉じ込めてほしい。それだけが、僕の望みです。できないというのなら、今この絵を破り捨てます」
透は、絵をつかむ手に力を込める。
「……絵を? そんなもので、私が動くはずない」
「動きます。この絵を村を消すことを先延ばしにしても探そうとしたこと。まとめて仕上げることでも消せるという話。そして、さっきのスイが自分を消せなかったことを聞いて、確信しました。この絵は、あなたが自分を消すためのものです」
アヤカは小さくため息をついた。
「おかしいとは思ってたんです。この絵の中で唯一カラーで描いているのが、アヤカの絵だった。ほとんど完成している。さっきのアヤカの話を聞いて、わかった。自分自身は消せなくても、もう一人の自分に描いてもらうことで消えることができる。だから、あなたはスイにほぼ完成している自分の絵を描き遺してもらった。ちょうど、ほとんど完成させた風景をあとで仕上げるように。ほんの少し色をつけたすだけで完成できるなら、自分自身でもできるんじゃないですか」
「まあ、そういうこと」
アヤカはため息をつく。
「それが、私の最後の役目だから」
「まだです」
透は否定する。
「僕を、消してください」
「さっき、スイの気持ちはわかるって言ったのに――どうして。彼女の気持ちは、無視するの」
「先に無視したのはスイのほうじゃないですか」
透の声は震えていた。
怒りだ。
「勝手です。摂理とか、許されないとか。村を消したのがなんですか。そんなことより、僕はただ一緒にいたかったんだ。せめて、話してほしかった。全部一人で抱え込んで消えるなんて――僕は認めません」
彼女の気持ちは理解できる。あのときできる最善の選択だったのかもしれない。
それでも、透は許せない。
アヤカの描かれた絵を掲げる。その手にぐっと力を込めた。
「断るならこの絵を破り捨てます。それが嫌なら、今すぐ僕を消してください」
「そんなこと、できるはずない」
「できますよ。僕がこの絵を破り捨てれば、あなたは永遠に存在し続けるしかない。それは、摂理に反するんでしょう? 『理想のスイ』であるあなたは、そんな選択はできないはずだ」
「それは……卑怯だ」
「なんとでも言ってください」
永遠を生きるということ。透も、ぞっとしない。しかも彼女は、摂理に反することを許せない、という使命を与えられている。その自己矛盾を抱えたまま生きるのは、地獄だ。
それはわかっている。
だからこそ、彼女を動かすにはそこをすがるしかなかった。
もう生きていられない。
アヤカにとって使命がすべてであるように、透にとってはこの村と、スイがすべてだった。絵となり永遠に一緒にいられるのなら、本望だ。
アヤカは目を閉じて、ゆっくりとうなずく。
「……わかった」
「じゃあ、これにお願いします」
彼女に向かって、透は四年間ずっと肌身離さず持っていたスケッチブック――スイの最後の作品――を投げて渡す。
受け取ったアヤカは、最後のページを開く。何も言わずに、ただペンを走らせた。
「ありがとう」
透が言った。先ほどの勢いは消えている。
「ごめんなさい。あなたには、嫌な役ばかり押し付けてしまった」
「気にしなくていい。それは、お互い様だから」
「お互い様?」
「……」
少し経ってから、アヤカが答えた。
「透に生きることを押し付けること。それができないのは、スイの――そして、私のせいだから」
「別にアヤカが謝ることじゃ……」
「謝ることだよ。私の中身はほとんどがスイ。スイが望んだことは、私も望んでいる」
スイが、紙面から透に視線を向ける。
「それに、これからあなたをひどく裏切るから」
その瞬間、透の全身に衝撃が走る。
意識が根こそぎ消し飛びそうな激痛。頭の中と視界が真っ白に染まる。すべてが問答無用に消し飛ばされる。
――これが、消失の力?
透はわずかに残った意識でそう思うが、とっさに別のことを考えた。
――違う。
もしそうなら、こうして考えることすらできないはずだ。全身の感覚が吹き飛び、意識の大半が四散しても、また透は存在している。
「ごめん。でも、お互い様。あなたは私を脅して、私はあなたを騙した」
どこかから、そんな声が聞こえた。
聞こえはするが、意味が把握できない。言葉でなく、ただの音に聞こえてしまう。
――く、そ……
必死に意識をつなぎとめる。
「そもそも、私はあなたを消すことができない。スイと同じ、だから」
スイ。
スイと同じ。
どういうことだ?
「あなたは大丈夫。人は、変われる。スイや私がいなくても、いつか乗り越えられる」
なんだ。
何の話をしている?
どうして彼女の声は震えている?
「私は消えるしかない。そういう風に、生み出されたから。透と一緒にいて、楽しかった。もう少し歩き回りたかったけど、これ以上消える人間と一緒にいても、透のためにはならない」
そう、この声はアヤカだ。
スイに生み出され、ただ村を消す役だけを与えられた人だ。
「……なにが『理想の自分』。使命感や義務感なんかより、あなたへの想いをなくしてくれたほうが楽だったのに……」
「……ふざけるな……」
意識が明瞭になってくる。
同時に、全身に痛みが走る。体中がいっせいにこむら返しを起したような激痛。だが、感覚がないよりはマシだ。
痛みを無視し、透は目を開ける。
壁に腹ばいになっている――違う、これは地面だ。うつぶせに倒れていた。すぐ目の前にアヤカの足がある。
彼女は、透が取り落としたスケッチブックを拾い上げようとしていたところだった。
その手を、つかみとった。
「うそ。気絶させたはずなのに」
驚いたアヤカの声。同時に、彼女が手にしていた紙が滑り落ちる。弾ける電光。電撃を生み出した。あのときのスイのように。
「なにが、消えるしかない、だ。そんなの誰が決め付けた。いたいのなら、いればいい。誰かに決められたから消えるなんて、そんなこと、許さない」
透は、立ち上がる。
正直いって足元はおぼつかない。ちょっとでもバランスを崩したら倒れてしまうだろう。
それでも、立ち上がってアヤカを見つめた。
アヤカは泣いていた。
本当に、何が理想だ。理想だというのなら、こんなに苦しむはずがない。
「……まだ、アヤカの役目は残ってるよ」
「役目って……でもあなたを消すことは……」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
それはおそらく、もっと過酷なこと。
「『ずっと一緒にいてくれる』ということ。出会ったときに言ってくれたじゃないか」
アヤカは、一歩退いた。
「で、でも、それはスイがした約束で……」
「スイの意志を引き継いでいるんだろ。なら、スイの約束はアヤカの約束だ」
「そんなの――」
詭弁だ。
無視することはたやすい。
それでも、アヤカの使命感を呼び起こすには十分なお題目だ。
アヤカにとって、無視することも、従うこともできる選択。
透は、手を差し出す。
アヤカはその手と、透の目を見比べる。
ゆっくりと、首を振った。
「無理だよ」
「――ありがとう」
手を、取っていた。
「私に、断れるわけがない」
冷たい。彼女の手から、本当に生きているのか不安になる体温が伝わってくる。
それでも、脈打っている。
透の倍以上の強さで血がめぐっている。
アヤカは生きているんだ。
なら一緒に歩き出していけないことなどない。
――あ。
透は森の暗がりの中に、淡く瞬く光を見つけた。
ホタルだ。
スイが生み出したものかどうかはわからない。少なくとも、アヤカが消すために描いた絵の中にホタルはなかった。
アヤカが、透の視線に気づく。
「どうした――あっ」
振り返ろうとしたアヤカを、抱きしめて止めた。
「と、と、透?」
「摂理に反していたって、生きてるならいてもいいんだ。アヤカにもいつかわかる。僕が、わからせる」
アヤカは何かをいいかけたが、飲み込んた。代わりにはっきりと、
「お願いする」
小さく、透の胸につぶやいた。
了
スケッチブックに永遠を 京路 @miyakomiti
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