第10話 消えた少女
三年前の夏。
スイが自分のもうひとつの能力――現実にあるものを忠実に描けば、そのものが消えてしまうことに気づいたのは、もう村のほとんどを消してしまったあとだった。
仕上げを夜に、しかも山奥の神社でやっていたことが災いした。最後の締めくくりに、神社の絵を描こうとしていたところで、今まで描いたはずの絵がなくなっていることに気づいたのだ。それは、自分が生み出したものの絵だった。
それで初めて、自分のもうひとつの力に気づいた。
そもそもスイは、神社で一人で暮らしていた。もとは別の場所にいたのだが、両親がスイの能力に気づき『神』として信者を集めた。が、ある日、スイが密かに描いた『理想の両親』の手引きで、ここに暮らすことになった。『理想の両親』は、スイをここに残して、それ以来戻ってこなかった。
『理想の両親』はスイが生活するだけの手配をしていってくれた。近所のおばあさんが面倒は見てくれたし、学校への転入手続きも済ませてくれたし、新しい名前も手に入れた。自分で生み出しておいてなんだが、どうやったのか想像もできなかった。
だけど、一人は寂しかった。
友達を生み出してみようか。そう思ったこともあった。だが、やめた。やはり寂しさから作り出してしまったのが『理想の両親』だったが、大変なことをしてしまった気がする。きっと、あまりこの力は使わないほうがいいんだ。子ども心にもそう思った。
そんなとき、透と出会った。
彼もまた、親がいなくなった子だった。すぐに友達になり、それからは毎日が楽しかった。
彼にせがまれれば、能力を使った。ただ、やはりよくない力だ、という考えは消えなかった。成長するにつれて、その思いは日に日に強くなった。
透の家でテレビを見ていたときだ。戦隊ヒーローもので、巨大化した怪人を、巨大ロボに乗ったヒーローたちが倒していた。
透は気づかなかったが、スイは内心でひやひやしていた。
もし透が、巨大ロボと怪獣を作ってくれと頼んできたらどうしようか、と。
自分はそれを叶えることができる。
その気になれば、無数の怪獣を生み出してこの世を滅ぼすこともできるし、滅ぼしたあとに別の世界を描いて生み出すことだってできる。
この力は、よくないものだ。
その気持ちが確信に変わったのは、子犬を生み出したときだった。
透に頼まれて、子犬を生み出した。
だが、数ヶ月経っても子犬は子犬のままだった。透は子犬の成長スピードはそんなものだと思っていたのかもしれないが、周囲の大人たちは訝しんでいた。
そして、車に轢かれる。
それでも子犬は無傷だった。
確信した。
自分の力は、悪魔の力だ。
この力に魅入られたせいでスイの本当の両親は不幸になり、スイ自身も一人になってしまった。
使い続ければ、きっと透まで不幸にしてしまう。
すぐに透のもとから去るべきだ。そう思うがしかし、結局それを実行することはできなかった。透との楽しい日々が消えることもまた、恐ろしかった。
スイは子犬を神社から外に出さないようにした。
それ以来、もうモノを生み出すことはしなかった。透も何かを感じてか、頼むことはしなくなった。
透が最後の夏休みの記念として絵を描こうと提案してきたのは、それからしばらくしたときだ。透なりにスイを励まそうとしてくれたのだろう。
その心遣いがうれしくて、やってみようと思った。現実にあるものを描けば何も生み出されることはないということは、わかっていた。もともと絵を具現化するとはかなりデリケートな作業だ。ちょっとでもイメージがぶれると、それはただの絵となる。だから、安心しきっていた。
自分には、もうひとつ呪われた力があるとは、思いもしなかった。
自分の『消失』の能力に気づき、すぐに神社を飛び出した。村に下りると、何もなくなっていた。
家も、学校も、道も畑も。
ただ広がるのはむき出しの地面だけ。
描きもれた家や木の断片が点々と残っているが、何の慰めにもならない。むしろよりいっそう喪失感がこみあげてきた。
スイは、鏡を取り出した。
もう限界だった。
一秒たりとも、自分を存在させていてはいけない。
やはり透のもとから去るべきだった。いや、すぐさま死ぬべきだった。そうすれば、村ごと彼を消し去ることなどしなかったのに。
一気に鏡に映る自分の顔を描く。
だが、自分が消えることはなかった。
なぜ? 自分だけはこの能力が及ばないのか? それとも絵にしたものを消す能力なんてなかったのか?
ためしに、ヘアピンを抜いて、それを色まで正確に再現して描写してみた。すると、見る見るうちに色と輪郭が薄くなり、透け始める。重さも軽くなり、やがて完全に消えてしまった。
消す能力は、存在する。だがなぜ自分のことは消せないのか。
ふと、透の言葉がよみがえった。
『ねえスイ、知ってる? どうやっても自分の姿を見ることは、できないんだよ。鏡や写真に写ったものは、自分自身じゃないんだから』
テレビの受け売りかなんかだろうけど、今の状況は説明できる。鏡に映った自分は、虚像だ。実物を見て描かなければ、消すことはできない。
なんにせよ、自分を消せないことには変わりはない。ナイフでも作り出して自分でかたをつけるしかない。
そう思うが、心のどこかではそれに反する気持ちがあった。
死ぬのは怖くない。むしろ存在し続けることのほうが怖い。だが、透と違う場所にいってしまうことが、なにより怖い。
普通に死んでは、絵の中に封じ込まれた透と同じ場所には行けない。
いまさら同じ場所もなにもないと思う。自分のせいで消してしまったのに、この期に及んでまだそんな甘いことを願うのか。
自分を消せないのは罰かもしれない。透が同じ場所にくるなと怒っているのかも。
それでも、いい。けど、せめて彼のいた場所の近くで死のうと思った。
スイは透の家があった場所に向かう。
そこで、土の中に誰かがいることに気づいた。
思わず走って近寄った。
透だった。
眠ってはいるが、たしかに息もある。存在している。
スイの中で言い知れない安堵が広がった。たしかに、村は消してしまった。だけど透だけは消えなかった。スイは、初めて神様に感謝した。理由はわからないが、透だけは見逃してくれた奇跡に。
「透!」
声をかけると、身じろぎする。たしかに、生きている。
安心するが、同時に焦りが生まれた。
目覚めた透にこの状況をどう説明するのか。
「んむ?」
起き上がる透。
スイは、結局付近にあった消し損ないの壁の影に隠れてしまった。
「まさか――」
透の驚きの声が聞こえる。目の前の光景に驚いているらしい。
とっさに、スイの脳裏に考えがひらめく。
次の瞬間には、手が動いていた。
「夢だ――」
呆然としたままつぶやく透。
「夢だ、夢だ、夢だ……」
その通り、これは夢にしなければいけない。
スイは物陰から身の乗り出す。同時に、絵を描きあげた。
透の体がびくんと震えて、地面に倒れる。
電撃だ。スタンガン程度の電気を生み出し、透の体に走らせた。とっさに彼の意識を奪うにはこれしか思いつかなかった。
透を元の生活に戻すには、これしかなかった。
「……ごめん。透」
いまさら、後悔がどっと押し寄せてくる。
これは、ただの逃げなんじゃないか。透を傷つけてまで隠すことか。本当に彼のためなのか。
だが、もう戻れない。
まず、村を絵で生み出す。消してしまった分を全部――少なくとも、透が生活していけるだけは元通りにしなければいけない。彼の家に、学校、近隣の家々、商店。秘密基地なんかは、いらないので消えたままにしておく。
来年から中学だ。そうなれば彼の生活の中心は村外にうつる。多少粗があっても大丈夫なはずだ。
そして高校に入れば、村の中からでは通えない。一人暮らしをはじめるしかない。
それくらいになれば、もう大丈夫だ。透は独り立ちして、もう村がなくなっていてもやっていけるだろう。
四年後、透が高校生になったあたりに、生み出した村を消す。この、存在するはずのない村を。
最初は戸惑うだろう。自分がいたはずの村がいきなり消えるのだ。でも彼なら、それを乗り越えていけると思う。
問題は、誰が消すかということだ。
消すことができるのは、自分だけだ。だが、自分はもう存在してはいけない。それは、絶対だった。
自分がもっと強い自制心を持ってさえいればよかったのに。
そのとき、スイは思いついてしまった。
いかなるものをも、自分は作り出せるということを。
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