諦め
―外で子犬がしきりに吠えている。
隣家のあの犬はいつになったら躾けられるんだ。
吠え声に小学生の無邪気な声も混ざる。ばたばたと子どもが走る音。
わたしは目を覚ます。午後3時半。
ものすごく長く嫌な夢を見た。
今日はまだ何もしていないというのにもうくたくただ。
だが今度こそハローワークに行かなくては。
うんざりしながら服を着替えて歯を磨く。
普通ならもう少し身支度するんだろが面倒臭い。うだうだしているうちに妻が帰ってくるのもバツが悪いのでさっさと家を出る。
嫌な夢を見た。最低だ。
―わたしは仕事を辞めた。
勤務中に急にすべての自信が無くなって、怖くなって仕事に手がつかなくなったのだった。
ぶるぶると震える手で、なんとか上司の大重さんに「面談お願いします、仕事が辛いという内容です」とチャットを飛ばし、
その後の面談でもう無理ですと言って辞めた。
わたしはさっき見た夢のように褒めらるような社員ではなかった。当然あんなご機嫌な面談なんて無縁だった。
あれはわたしの願望だったんだろうか。だとしたら恥ずかしくてやってられない。未だに自分に何かできる可能性でも期待してるんだろうか。
わたしには何もない。仕事で活躍するどころか、仕事をするのが怖くてたまらない。
今だって失業手当で生活できることになっているだけで、自分で生活するなんてとてもできていない。
ハローワークに着き、発見機から整理券を受け取る。
平日の夕方なので特に待たずにすぐに呼ばれる。
いつもの担当がカウンターで待っている。
挨拶をして彼の前に座る。
「もっと早く来てもらわないと。失業手当もいつまでももらえるわけじゃないんですよ?」
最初は親身になっていた相談員も、いつまでも仕事に前向きにならないわたしに対して焦れた態度を隠さない。
「返す言葉もないです…。今日こそはって毎日思ってるんですけど…。」
「求人の条件は前回と一緒でいいですかね?ですと…まあいくつかはありますけど、
あなたの場合、職務経験が浅めなんでどうしても絞られちゃいますねぇ。」
PC画面を見ながら相談員はぼそぼそと話す。
「はい…。」
面目のなさに思わずうつむいてしまう。情けない。
「今後どうすんの?」
「は?」
ドキッとして顔を見上げる。
「今後どうすんの?」
PC画面を見ていたはずの相談員がわたしを真っすぐ見据えている。
次に言われる言葉はわかっている。
「お前これから先このまま生きていけると思うなよ。」
相談員の顔がどんどん溶けていく。眼だけはわたしを離さない。
意識が遠のいていくのを感じる。
・
・
・
―外で中年の口喧嘩が聞こえる。何を言っているのかまでは聞き取れない。
大型犬が絶えず何かに吠えている。
ヤニで黄ばんだ天井が見える。わたしのちょうど真上にはどういう経緯でできたかわからないがコーヒーが広がったようなシミがついていて、どことなく人の眼にも見える。
ここがどこなのか、にわかには思い出せない。
見渡した感じ、ひとり暮らしに最低限のアパートという風情で、壁は薄く寒い。
わたしは一年前に妻と別れた。
仕事は…時間が経てば思い出せるだろう。
だがもうどうでもいい。
なにもかも面倒だ。
わたしはわたしに関心がない。
今目覚めた場所になじみもない。
ここが自分の今の家なのかを確かめる気にもならない。
なにもかも面倒だ。
今日はもう終わりでいい。
わたしはわたしの意識をそのまま手放した。
わたしのからだは、わたしの手放した意識を甘く、余すところなく包み込んだ。
(了)
今日も一日が終わる Yuu @john95206
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