揺れ
「揺れてる!揺れてるよ!地震だよ!」
妻の声だ。わたしは目を覚ます。我が家の天井が目に入る。
がばりと上体を上げると、妻が棚を支えているのが見える。
わたしは妻を片手で抑え、空いた手で妻の支えている棚を支える。
「棚は大丈夫、大丈夫だから、姿勢を低くして揺れが過ぎるのを待とう。」
揺れは依然続いているが、見渡す限り、倒れて困るものは今支えている棚ぐらいしかない。
わたしは棚を背中で支えるように姿勢を変え、妻を目の前に座らせる。
それから間もなくして揺れが収まる。
こんな地震は産まれて初めて経験した。まだ体が揺れている感覚がする。
と同時に、うっかり安心してしまう。こっちが現実でよかった。
「―余震に備えて、できることをやらないとね。」
わたしが気持ちの整理をしているうちに、妻はもう次のことを考えている。
テキパキとスマホで情報を調べてくれる。
ガスの元栓を閉め、風呂に水を貯めるなどする。
「防災なんて、考えたことなかったな。」
独り言ちながら、妻の言われた通りに食べられるものと飲めるものの確認と確保、棚の上の物の整理などもくもくと作業をする。
他の住人はどうしてるだろうとふと窓の外を見ると、ほとんどの家が明かりを付けている。時計を見ると午前2:30ごろだった。
「みんな、たたき起こされたみたいだね。実家は大丈夫かな。」
家族とか、友達にも連絡しないとな、と思った矢先に、
窓の外で見えていた家の灯りがどんどんと消えていく。
平時の夜の人々が眠りにつく時のようなまばらな消え方ではなく、列の揃ったテトリスのように一区画ごとにいっぺんに消えていく。
「あっ、停電!」
そう声に出した瞬間、我が家の明かりも一気に消える。
本震の直後に対策していただけあって、停電後にやることは意外と少なかった。
はじめての大地震に加えて停電まで喰らい、興奮気味だったわたしは外に出てみようと提案した。
開いている店があればそこで買い出しできるし、停電の規模も知っておきたいしということで妻も同意してくれた。
仕事帰りに二人で歩いた道をまた歩く。幹線道路に面しているのもあり、見通しはかなり良かったが、見渡す限り灯りが見当たらなかったので停電の規模が思ったよりも大きいことが分かった。
深夜、眠れなくてコンビニへ適当な軽食を買いに行ったり散歩したりすることがあったが、目の前にあるのはその時に見える夜の景色とは全くの別物の闇だった。
家の灯りが点いていないのはもちろんのこと、街灯も、スーパーの看板も、信号機さえもが完全に停止していた。
たまに通る車は、停電のためかいつもの半分程度の速度で注意深く走っていたが、それでも横を通るたびに緊張した。
スーパーを過ぎ、いくつかコンビニを通ったものの、どこも店を開けてはいないようだった。
また、見渡した限り、地下鉄一駅分向こうの区画も真っ暗だったため、探索はここで打ち切りということになった。
妻と一緒に来た道を引き返す。
探索中に妻がスマホで検索した速報によると、少なくとも市内全体が停電しているとのことだった。
それなら警察や病院もまともに機能していないだろう。
警察や病院もまともに機能していない―
薄々気づいていたことだが、改めて認識するとどっと疲れがやってくる。
妻と繋いだ手に力がこもる。からだ中が汗ばむのを感じる。
マンションを見かけるたびに粘っこい圧迫感を感じる。
―この中にはわたしの知らない数百の人間が詰まっている。その中に一人でも悪意のある人がいたら…?
鼓動が速くなるのを感じる。脚も震えてきた。
普段使わない感覚が目覚めている気がする。
スーパーを過ぎ、さっき妻が仕事帰りのわたしを待ってくれたラーメン屋前まで戻ってきた。
家までもう少しだ。
クリーニング屋を通り過ぎ、古い一軒家も難なく過ぎる、
その先は空き地を通り過ぎればすぐに家だ。
―が、空き地であるはずの場所が路地になっている。
妻に聞く。
「あれ、ここ、空き地じゃなかったっけ?」
「ん、そうだけど…
おかしいね、路地になってる…。」
「行ってみよっか。」
「え?いや帰ろうよ。」
「いやせっかくだし。なんか気になるじゃん。こんな機会無いって。」
「えー帰ろうよ…もう私へとへとだよ…。」
「ここまで何も起きなかったんだし大丈夫だよ平気平気。
先っちょだけでいいから!」
「よくこのタイミングでそんなこと言えるね…サイテー。」
「ごめんて。」
なんだか楽しくなってきた。こんな非日常久しぶりだ。
妻を引っ張って未知の路地をずんずん進む。
路地は一本道だった。先は左に曲がっていて見えない。
道なりに進むとまた左に曲がっているのが見える。
「なんだ、なんもないみたいだね。二回左に曲がるだけだから、
ほらあそこを曲がったら元の道に戻ってゴールだよ。」
道の先を指さして後ろを歩く妻に振り返りながら言う。
―妻がおかしい。
表情がない。どころか顔が見えない。
停電の闇のせいにしては見えなさすぎる。顔が影絵のように真っ暗だ。
わたしは慌てて妻を引っ張り路地の先まで走る。見通しのいいところに戻らなければ。
路地を曲がると、その先は元の道…
ではなく、左に続く路地だった。
妻の方を振り向く。身体全体が真っ暗になっていて、影のようになっている。
「お前これから先このまま生きていけると思うなよ。」
影が機械的な声でわたしに言う。
視界がどんどん狭まっていき、意識が遠のいていく―
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