【R15】美女の秘密 PART2【なずみのホラー便 第45弾】

なずみ智子

美女の秘密 PART2

 今夜こそは彼女を私の妻に……と男は決意していた。


 若く美しい女が、彼の思い人であった。

 彼女は、単に若く美しいだけではない。

 素晴らしい詩の才能までをも彼女は併せ持っていたのだ。


 自分同様に彼女を狙っている若い男たちの噂によると、彼女自身は中流家庭の出身であるらしかった。

 しかし、その素晴らしい詩の才能によって、上流階級の者たちが集う社交界での名声を手に入れたばかりか、彼女の詩を耳にした全ての者たちの心を熱く切なく震わせ続けていた。



 夜。

 詩の女神と世間で崇められている彼女が、ただ一人で不用心に暮らす、こじんまりとした屋敷の一室。

 男は白い百合の花束を手に、彼女へと頭を下げていた。

 今宵は、男にとっては人生最後ともいえる勝負の夜だ。


「今夜こそは私の思いを受け入れてくださいませんか?」

「いえ、何度も申し上げましたが、それはできません。お帰りくださいませ」

「なぜでございますか? 私はこれからの生涯、あなたを大切にし、お守り申し上げます」



 男は今夜もあきらめなかった。

 自分には身分も文学的才能もないが、”今日という日までに貯め込んできた多少の財産”は持っている。

 今夜こそ、この片恋に決着をつけるつもりだ。

 彼女は浮いた噂などは一切なく、また女性を愛する女性というわけでもないはずである。

 それに、年長者である自分がこれほどまでに頭を下げているのだ。ここまで来て諦めてたまるものか!



 男が一歩踏み出す。

 彼女は一歩後ずさる。


 白い百合の花束が宙へと舞った。

 彼女は悲鳴をあげた。


 そう、男は「私はこれからの生涯、あなたを大切にし、お守り申し上げます」と先ほどその口で言ったにもかかわらず、強引に彼女を抱き寄せ、自身の男性器によって危害を加えようとしている!



 ジリジリと壁へ向かって追い詰められた彼女は悲鳴をあげながら必死で抵抗した。なんとかして、男の細い腕から逃れんとし……


「やめてください!! もう、いい加減にして!!」


 彼女は男を突き飛ばした。

 ”筋肉が減り、骨も相当に脆くなっていた”男の体は、そのまま後ろに吹っ飛んだ。

 ”長年使い古され、しなびた男性器”によって、彼女の貞操を汚さんとしていた男は、その後頭部を床にゴツンと打ちつけ……口から血を吐き出し痙攣したかと思うと動かなくなった。目をカッと見開いたまま……


 男は死んだ。

 いいや、状況的には完全に正当防衛であったとはいえ、彼女自身が男を殺してしまった。

 彼女より五十年以上も早くこの世に生を受けた男を。

 男自身も自覚していたであろうが、それほど遠くないうちに死の国からの迎えが来ることは確実であった男を。



「そ、そんな……どうしよう……?!」


 この国での殺人は、縛り首が相場だ。

 それに、いわゆる有名人である彼女が殺人を犯したとなると、世間は無名人が同じ罪を犯した以上にスキャンダラスに騒ぎ立てるであろう。


 ここに来るまでに彼女が辿ってきた道のりは、決して平坦なものではなかったというより、険しいばかりであった。

 自身の魂の奥深くにある泉より生まれ出づる詩を何篇も生み出し続け、それにより評価も名声も得たが、同時に”嫉妬の洪水”にこの身を流されそうにもなった。

 どれだけ苦しく悲しいことがあっても、今日というこの日まで”ただ一人”で懸命に生きてきたというのに。

 呼吸そのものではなく、詩を生み出し続けることこそが彼女にとって生きることであったというのに。



 !!!

 突然、背後に気配を感じた彼女は振り返った。


「あ、あなたは……!?」


 見覚えのある若い男が、”宙に浮かんでいた”。

 ”天と地、どちらの界隈に所属するかを示す翼”こそないも、誰が見ても明らかに人外の者だと分かる男が。


「……これはうれしいな。俺のことを覚えてくれていたのか?」


 若い男はフッと笑った。


「数年前の夜……俺はあんたの元に、さらなる美貌と成功・名声・財産を授けるための交渉にやってきた。だが、あんたは首を縦に振らなかった。俺と”契約を結ばなかった”。それにもかかわらず、あんたは自身の才能と努力によって、全てを手に入れた。本当に大したもんだ」


 そう言った若い男は、目線を下へと――先ほど事切れたばかりの”老人”の死体へとやった。


「だが、相当困ったことになったようだな。人を愛すること自体は自由であるも、孫であってもおかしくない年齢の女に、年甲斐もなく強引に懸想する愚かな男がいたとは……」


 フーッと溜息をついた若い男は、女へと向き直った。


「こんな男のために、あんたが今までに必死で築いてきたものを失うことはない。俺がこの事態を片づけてやる」


「え? か、”片づける”って……?」


「一度死んだ者を生き返らすことはできない。だが、この死体をお前の目の前から完全に消失させることはできる。古今東西、人を殺してしまった者が一番困ることと言えば、死体の始末だからな。それに……散らばっている百合の花も含め、男がこの家に来たことを示す証拠を、俺が今から全て隠滅するとしよう。仮に他の者に何を聞かれても、あんたはシラを切りとおせばいい。今夜のことは、俺とあんただけの”秘密”だ」


「ま、待って!」


「? どうした?」


「あなたが全て片づけてくれることと引き換えに、私はあなたと契約を結ぶことになるのよね? そうよね? でも、その交換条件というのはいったい何なの?」


 彼女は体だけでなく、声までをも震わせ、若い男に問うた。

 何らかの代償なくして願いを叶えてくれるという虫の良い話など、古今東西、滅多にあるはずがない。

 このまま自首して、人間社会での法の裁きに身を任せ、罪を償った方がまだマシな結末となるのかもしれない。

 人外の者であるこの若い男が、自分に望んでいるものはいったい何であるのか?

 寿命か? 魂か? それとも、体の一部に著しい不具合が起きたりすることなのか?



「……俺があんたに望む交換条件は一つだけだ。あんたがこれからも詩を書き続けることだ」


「え……?」


「あんたの詩は、それを耳にした者たちの全ての者の心を熱く切なく震わせ続けるんだ。そう、俺みたいな者の心までをもな」



 なんと!

 この若い男もまた、世間の者たちと同じく彼女の詩の愛好者であったということだ。人外の者であると同時に、一人のファンとしての立場で彼女を”助けよう”としてくれているのだ。

 まさに契約なんてあってないようなものであり、彼女は一切の肉体的代償も被ることはない。


「わ、分かったわ。私はあなたと契約を結ぶ。そして、私はこれからも詩を書き続ける……書き続けるわ…………」



※※※



 あの”秘密の一夜”から、ちょうど三年の月日が経った。

 若い女の、それも美しいうえに有名人でもあった若い女の尻をしつこく追いかけまわしていた好色爺さんの”突然の行方不明”など、記憶に留めている者など少なくなっていた頃、世間を揺るがす事件が起こった。


 美しき女性詩人の自殺。

 彼女は、ただ一人で暮らしていた屋敷の浴槽にて手首を切り、自ら命を絶ったのだ。

 彼女は、この数年――正確に言うなら”ちょうど三年”、一篇の詩も世に発表してはいなかった。


 しかし、彼女は自身の魂の奥深くにある泉より生まれんとしている様々なものを、この三年間、幾度も詩にしようともがいていた。苦しみ、もがき続けていた。

 詩を生み出し続けることが彼女にとっての生きることであったというのに、それができなくなった。

 あの夜に抱えることになった”秘密”に――自身が犯した罪に、真っ当な精神を持っていたからこそ、ジワジワと押し潰されていった彼女には、もう詩を生み出すことは無理であった。


 誰に宛てたものであるのか、彼女の遺書にはこう記されていた。

 ただ一言、「ごめんなさい」と……

 


―――fin―――

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