第25話(最終話) それぞれの暁(後編)

スピーチは続いていた。自分が最後になることを嫌った姫川夏路はすっと立ち上がった。


「この度室蘭にある工業大学に合格しました。私はここに来る前は自分を抑え込んで生きていました。本当は車や機会いじりが大好きで女の子らしいおしゃれもしないでいつもジャージでほっつき歩いていました。そのせいで学校では誰とも話が合わなくて孤立するようになって、お母さんが死んでから一人で私を育てたお父さんや弟、叔母さんには心配かけたくないから。できるだけ世の中の『普通』に合わせて生きてきました。大学もお父さんが薦めてくれた医療系の大学に行く予定でした。でも、内心そんな生き方をしてきたことに息苦しさを感じていました。やっぱり馬鹿にされても、周りから好奇の目で見られても自分の好きなことをしたいって思ったから入学を辞退しました。それから1年経って進みたい道に行くことができたのも、私のわがままを聞いてくれたお父さんと私を受け入れ、今日まで一緒に頑張ってきたみんなのおかげです。将来は立派な自働車メーカーに就職してみんなの生活を支える車を造っていきたいです。1年間、本当にありがとうございました。」


 強い意思表示に塾生達は拍手で応えた。次は高知萌果の番となった。


「ウチは子どものころはなんとなく家の農家継ぐんだろうなって考えてました。でも、ある日獣医になることを夢見てしまいました。ウチは一人っ子なので跡継ぎがいません。それでも、お父さんとお母さんは何も言わずに応援してくれました。現役の時はまったく歯が立たずに落ちてしまいました。それでも、お父さんとお母さんは何も言わずに応援してくれました。今回、やっと帯広の大学に合格することができました。正直怖かったんです。自分の夢が近づくたびに誰かの人生を壊してしまう気がして…。」


 いつもニコニコとして塾生を癒してきた萌果、彼女の抱えていた苦しみを始めた垣間見たとき思わず女性メンバーは立ち上がった。


「そう思っていたんですけど、ウチの農園若い人が住み込みで来るみたいなので大丈夫です。だから…獣医目指して頑張りまーす。」


 これがギャグマンガなら全員盛大にズッコケているはずである。


「うまくオチ、つけましたね。松山君、そろそろ出たっていいんですよ。」

「何ですかその振り方。」


 三津屋先生が無茶ぶりを松山慎平にすると、前島弘と中松健太郎は両手を合わせ慎平に時間稼ぎをすることを懇願した。別の方を見ると松江麗も小さく両手を合わせていた。


「仕方ないなあ…。」


 けだるそうにみんなの前に立った松山慎平は言葉を探して天井を仰いだ。


「俺は…受験生として、職員としてみんなと1年過ごしました。俺が大学受験をあきらめたのはみんなのせいです。」


 その角の立ちそうな一言は、塾生を凍り付かせた。そんな空気を無視して慎平が話を続けた。


「だってさ、みんなには夢があって…俺には何もない。とくに何もない奴が行くところじゃなくたっていいんじゃないかって思って、辞めました。」


 そう言うと割って入ったのは根本俊彦だった。


「別に夢とか目標とかなくたっていいんじゃない?さっきの俺の話聞いたでしょ。」

「ああ。確かに根本君の言う通りにすることだってできたけど、大学行く以上にもっとやりたいことができたから。」

「やりたいこと?」

「ああ、この予備校で多くの人の旅立ちを見送りたい。そう思えるようになったのはみんなのおかげだ。ありがとう。そして…合格おめでとう。」

「いい話なんだけど時間稼ぎになってないからね。」


 弘はそう言ったが、松江麗にとっては十分すぎる時間だったようだ。


「Where there is a will,there is a way.(意思のあるところ、道は開ける)この1年、この言葉が体現できたと私は思っています。自分で言うのもなんですが、私は小さいころから何でもできました。それが退屈で気が付いたら人生のタスクをこなすだけの人間になっていました。高3の共通テストをインフルで受験できなくて、追試も十分にできず浪人しました。このとき、初めて人生でうまくいかないことがあって不思議なんだけど初めて自分の人生を『おもしろい』と思うようになりました。でもそう思ったのははじめのうちだけで、模試でE判定が出る度に焦りと不安で押しつぶされそうでした…。」

「麗ちゃんがそう思っていたなんて、以外…。」


 そうつぶやいたのはそんな彼女に励まされたことのあった犬山みどりだった。麗の話は続いた。


「そんなある日、大学教員の父がフィリピン人の留学生を連れてきたんです。その留学生とは英語で話していたんですけど、その人から『君には英語がある。英語で誰かと分かり合える』って言ってくれたんです。こんな私にも何かあったんだなって初めて思えたような気がしました。それから本当に受験勉強に打ち込むことができました。まだ将来の夢とかそういうのはないけど、私は自分にあるものを生かして、誰かと誰かを繋いで行けるそんな大人になりたいと思います。1年間ありがとうございました。」


 これまた名スピーチとなった。


「弘、すまん俺先行く。」

「えっ。」


 そう言って健太郎がみんなの前に立った。


「札幌の医科大学の保健学部理学療法学科に進学します。ここに行くことを決めたのは12月でした。」


 堅実そうな健太郎からは想像もつかない『博打』のような決断に一同は驚いた。


「俺はもともと体が弱くて学校も休みがちだったって話は親睦会でもしたんだけど、入院していたことがあって、その時に心臓の病気のある男の子と同じ病室になって仲良くなりました。俺は今このように元気でいられるんだけど、彼は入院中でした。予備校が休みの時はお見舞いに行く時間帯には彼はよくリハビリをやっていました。」


 やけに過去形が多い話だと誰もが思っていたが、次の一言でその理由が分かった。


「彼は今天国にいます。人はいつか最後を迎えるけどその時まで懸命に生き続ける、彼と担当の理学療法士から教えてもらいました。今ある命を懸命に支える、そんな理学療法士を目指します。最後に急な進路変更を受け入れてくださった三津屋先生、ありがとうございました。」


 天井を見上げていた健太郎は最後にはしっかりと全員のほうを向いて話していた。そしていよいと大トリとなった弘だ。


「やりづらいな…。」


 弘は少し文句をこぼした。


「俺は元弁護士の市議会議員の父と、弁護士の母のもとで育ちました。2人ともいわゆるエリートだったので小さいころから勉強するのは当たり前で勉強をすること、勉強ができることが自分の立場を守る唯一の方法だと思っていました。おかげで成績だけは常にトップで、人から頼られることはあっても人を頼ることはありませんでした。しかし高校に入ってから俺の人生は一変しました。市内の秀才が集まる旭川第一高校では成績が思うように伸びませんでした。勉強が難しい、わからない…そう初めて思うようになりました。ちっぽけなプライドが邪魔をして誰も頼ることができませんでした。多忙な両親にも相談することはまずなかったので、俺が高校で成績が中位から下位をさまよっていることを知ったとき、父は言葉を失っていました。このままズルズルと3年間過ごし、結局第1志望の北大に全く手が届かず卒業しました。予備校を選んでいる中で母がノリでここの予備校に決めました。みんなを見て『レベル低そうだな』と正直なところ思っていました。今思えば本当にありえないこと考えてました、ごめんなさい。でもこの12人で、みんなと勉強して関わっていく中でそれぞれが自分と向き合っていることが分かって、俺自身の人としての薄っぺらさを改めて痛感しました。それから俺は『プライドを堅持』するためではなく『自分の未来を見つける』ための勉強をすることにしました。そんな中で俺は誰かに頼られるのが嬉しかったこと、父以上に人の役に立てる人間になりたかったことに気づいて北大出た後は国家公務員になりたいという夢も見つかりました。そこから俺は『夢をつかむための勉強』に切り替えていきました。共通テストはD判定だったので焦ったんだけどそれでも、みんなと作り上げてきた自分を信じて北大の総合文系入試に合格することができました。ここが俺にとってのスタートラインです。卒業後は中央省庁に入ってきっとみんなを幸せにして見せます。1年間ありがとうございました。」


 思ったより長く、熱い話に驚きながらも一同は弘に惜しみない拍手を送った。全員の話がようやく終わり、いよいよ三津屋先生から塾生全員に最後の言葉が贈られようとしていた。


「あらかじめ断っておきますが僕は『結果報告と今後の展望』としか言ってませんよ。それがとんだスピーチ大会になりましたね。」


と先生の苦笑いにつられ全員クスッと笑ってしまった。


「まあいいでしょう。きっと僕の想像以上に濃い1年を過ごしたみたいですからね。じゃあ改めて僕から。皆さんが初めてここに来た時僕は『浪人することにメリットはほとんどない』と言いました。いわゆる大学全入時代で受験生の数が大学の募集人員を下回るから、統計上は大学は選ばなければどこでも入れます。ただそれで皆さんの人生はどうなるでしょう。『入れるから入った』という安易な選択をする学生が増え、学習意欲の低下。さらに進路のミスマッチがあれば退学もあるでしょうからその分の時間とお金を無駄に浪費してしまいます。さらにちゃんと卒業できたとしても目的意識が低く向上心がないと大学何も身につかず社会で活躍できなくなり大学を出た意味がなくなる。皆さんにはそういう風になってほしくなかったんです。だから私は偏差値とかうちの実績作りとか関係なく皆さんが後悔しない進路選びをする場としてこの予備校をつくりました。ただ浪人は一種の『博打』でした。やりたいことを突き詰めさせすぎて最悪全員受験に失敗するかもしれない。そう考えていた時もありました。でも皆さんは自分な納得できる進路を見つけただけではなく全員が第1志望、それも国公立大学に全員合格を成し遂げてくれました。実績なんて気にしないつもりでしたがやっぱり結果が出ると嬉しいしこれからもここを続けていくうえで僕にとっても大きな自信になりました。本当に、本当にありがとうございました。」


 そういうと先生は深々と頭を下げた。それからすっと顔をあげ再びこちらを見て話し始めた。


「最後に3つ、約束してください。1つ目はゴールがスタートであることを忘れずこれからも向上していくこと、2つ目は今以上に仲間の輪を広げること、そして3つ目は時代や世相に流されず自分がどうしたいかを常に考えていくこと。これらを絶対に忘れないでください。今日この瞬間が皆さんの人生にとっての『暁』の瞬間であると信じています。みんな本当に、合格おめでとう。」


 そう言い終わると、弘が急に立ち上がった。他のメンバーも何かを察してバラバラながらも立ち上がった。


「三津屋先生…ありがとうございました!」

「「「「「「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」」」」」」


 とくになにも打ち合わせてないためタイミングはバラバラだった。ただこの1年間の三津屋先生に対する思いはみんな同じだった。先生は目をうるませた。


「ありがとう。みんなのこと…絶対に忘れません。」


 全員が立ち上がったところでカメタクが体を伸ばしながら言った。


「この後みんなでボウリングいかね?」


 そう言うと全員乗り気だったところに三津屋先生が


「いいですね。僕はいけませんが松山君は参加しますので。」

「でも仕事が。」

「今日は有給とってもいいです。生徒も来ませんから。」

「よし!じゃあ慎ちゃんもつれて12人で行くぞ!」


 カメタクがそういうとこうしてみんなウキウキしながら予備校を後にした。


 外は澄み渡るような青空だった。この青空のもとに最初に出てきたのは健太郎と萌果だ。


「萌ちゃん。今度、ゴールデンウィーク会えないかな2人で。」

「え?」


 萌果が意味を解釈する前にカメタクが降りてきた。


「お?告白タイムか?」

「分かってるなら邪魔するんじゃないの!」


 夏路が突っ込みを入れた。みんながぞろぞろ来たため2人の仲はうやむやになってしまった。一方虹子は青空やみんなの姿をスマホで撮っていた。


「何とってるのさ。」


 みどりがそういうと虹子は


「今度描くイラストの参考にしようと思って。」


と言うと後ろから麗が入ってきた。


「せっかくだから思い出も作ろう。Would you like to take a picture?」


 虹子のフレームに3人がしっかりとおさまった。そのあとから圭祐と慎平も出てきた。


「松山君、あのさ。」

「何?」

「これからも、僕たちってあ、会えるよね。」

「もちろんだ。っていうか俺たちは旭川にいるんだからすぐ会えるさ。土日や祝日は基本開いてるからさ、気が向いたら声かけてよ。」

「あ、ありがとう…。僕たち、と、友達になろうよ。少しずつ。」

「もう、友達じゃないか。」

「そ、そうかい?ありがとう。」


 2人のやり取りを弘と俊彦はほほえましく見ていた。


「新潟は5大ラーメンというのがあってさ、いる間に1つずつ制覇したいと思うよ。」

「トシはすっかりラーメンキャラがオタクキャラ以上に定着したな。」

「こんど新潟来なよ。いい店見つけておくから。」

「もちろんそっちのおごりな。」

「ま、しゃあねえか。」


 そういうと俊彦は圭祐たちのところに駆けていった。一人最後方にいた弘は青空を眺めらこの浪人生としての1年を走馬灯のように思い返していた。そしてこれからはこの空を違うところで眺めるんだろうな、と思いながら。


「弘、何ぼーっと突っ立ってるんだ。行くぞ!」


 俊彦から呼ばれると弘は小さくなった背中をまっすぐ追うため雪の残る道を駆けて行った。予備校『暁』高卒部第1期生の12人の春はすぐそこまで近づこうとしていた。


―完―

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北の暁と12人の浪人生 しげた じゅんいち @math4718

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