25『涙で雪は穴だらけ』
本当は直接お会いしたかったのですが──と前置きして、しずりちゃんは電話越しに話し始めた。
あのスニーカーは、つくしとしずりちゃんの二人で相談して決めたものだったらしい。どうやら私のプランはバレバレだったみたいだ。二人で考えるに至った経緯を訊いたら、主にささめさんのせいですと冗談っぽく言われた。
──ねーちん、オシャレさんだからな。私、ダサいって思われるのはイヤだ。
普段からよく行くお店だったのに、妙にきょろきょろしてると思ったら。あらかじめ目を付けておいたスニーカーを探していたのか。
どうして話してくれる気になったのって訊いた。夢を見たからですとしずりちゃんが言った。夢につくしが現れて、何をするでもなく、普段通りただ一緒にいたと。
そのとき誕生日プレゼントの話をしていいって言われたんだ──と先読みした私に、しずりちゃんはいいえと多分受話器の向こうで
──つくしちゃんは何も言いませんでした。けど、つくしちゃんがいなくなって、それから夢に出てきてくれたのは初めてでしたから、きっとそういう意味だと思ったんです。
私は、膝にスニーカーを抱いている。もう、片っぽだけじゃあない。
ココは、あの林の中で偶然拾ったのだと言った。こうして、探し物が手元に帰ってきて──。
シャロからは、つくしを殺した青い膚のギノーは消滅したと聞かされた。
あまりにも──気持ちが急に軽くなり過ぎた気がする。
隣にはオッドアイのフェレットがお座りしていた。フェレットってどこ触ったら喜ぶの? いや、厳密には見た目だけなんだけどさ。とりあえず、頭をカリカリしてみた。わりと──正解っぽいリアクションだった。
「ありがとね。助けてくれて」
何故か、目線がキツくなった気がする。今のどこがいけなかったのかちょっと考えて。
「いや、皮肉じゃないから。ガスマスクのときだって、アンタがいなきゃヤバかったし」
アンタが時間を稼いでくれなかったら、あの蝶だって間に合わなかった。そう、和柄を
「それに、アンタがいたから──私は、もうこれでいいやって思わずにすんだ」
自殺──せずにすんだ。
フェレットが、私の手首をぺろぺろと舐める。
「大丈夫。もう、あんなことはしない」
皆を引っ張らないとって思ってた。皆が前を歩いてるって思ってた。自分だけが、つくしのいない事実から、立ち直れていないって思ってた。でも、そうじゃなくて。
──私、つくしちゃんがいなくて寂しい。
「もう、私だけじゃないから」
皆──似たようなものだったから。皆で、ちょっとずつ前に進んでみせるから。
フェレットの像が陽炎みたいに揺れる。嘘みたいにあっさりと消えた。最後に名乗ったわけでも、こっちに背を向けたわけでもなかったけど。
なんとなく、もう会えない気がした。
気が付けば、茜色が部屋を優しく彩っている。もしかしたら、あのフェレットは本当につくしの置き土産か何かだったりして。そんな淡い期待に心の中で頭を振って。振ろうとして──止める。何も焦ることないじゃない。だって、私は、ココは、他のみんなだって、まだ。
私は、スニーカーをぎゅっと抱き締めた。
あの音は、もう聞こえない。
※
乾杯。お
「甘酒はお好きでないでしょうに」
「うん、あんまり好きじゃない。けど、気分は大事でしょ?」
上目遣いに、ボスを見る。見上げている。ああ、いつもの高さだ。いつもの縁側で、何もかもこれまで通りとはいかないけれど、こうしてボスと一緒なら、またすぐにこの境内はカエル君たちで賑やかになるだろう。
微笑んで、ボスの胡坐の上に身を収める。居心地が良いとは言い切れないそのお腹に、
ただいまもおかえりもなかった。おかえりと、言いかけたには言いかけたのだけれど──止めた。どうして口にしなかったのかはわからない。ううん、わからないというより、この気持ちは上手く言葉にできっこない。
佐竹君の謝らなければいけないこととは、つくしちゃんのスニーカーを取ってしまったこと。
あの日、佐竹君は林の中でつくしちゃんのスニーカーを拾い、基地ですでに亡くなったつくしちゃんを見つけて。気が動転して、それを持ったまま逃げてしまっただけなのだから。
どうして、佐竹君が雪の降る早朝、そんなところに一人だったのかは、訊かなかった。思い出すのは、つくしちゃんの時間を気にする素振り。私が時間を伝えた時の、ぎこちない反応。
二人は──約束していたのではないだろうか。トーマ君の言う、フラフラしていたつくしちゃんとは、佐竹君のもとに向かおうとしているつくしちゃんだったのではないか。
けれど、だとしたら、どうして。つくしちゃんは、私について来たのだろう。佐竹君との約束をすっぽかしてしまうようなことをしたのだろう。
「トーマ君、言ってたんだ。つくしちゃんはフラフラしていたって。それについては、本当のことを喋っていたと思うの。つくしちゃんを撃ったのはトーマ君。けれど、私と
すると目的は、私への報復などではなく。
「最初から──つくしちゃんだったのかな?」
それに、つくしちゃんの怪我。つくしちゃんは無傷で、頭からコートを被っていた。事故か事件かわからなかった頃、図書室のパソコンで見たネットのニュース。犯罪心理学の専門家のコメント。遺体の顔を隠すのは罪悪感の顕れ──。
誰が、怪我を治してコートを被せたのだろう。
頭がぼうっと熱い。知恵熱だろうか。ほんの少しだけくらくらする。
記憶の
「データ自体が損傷していた為、二割しか復元できませんでした。そこから、手がかりは何も。だが、形跡を辿れば誰の仕業かは特定できる。今はその方向で調査を進めています」
そっか、無理しないでね──と、声をかけた矢先、下の方で音がした。それが、お猪口を落とした音だと気づいて。私は、掌をじっと見る。指が幽かに震えている。
完全に感覚が、ない。
「ボス。私──」
そろそろ帰らないと。
そう、口にしようとしたところで、肩に大きな手が添えられる。
「お尋ねしていなかったことがあります。お嬢はどうやってアジトの入口を特定できたのですか?」
私は、何も言えない。
「お嬢、貴女のしたことは──」
語尾が震えている。何かを必死に押し殺そうとしている。
ボスの手に、自分の手を重ねた。
「ボスを失うことに比べたら、怖くなんかなかった。だから、お願い。怒らないで」
貴方が、怒っていないことなんて、心配しているだけなんだって。もちろん、わかっているのだけれど。この感覚の喪失は恐らく一時的、悪くても所詮断続的なものだ。けれど、ボスを失うことは違う。だから。
目を閉じて、しばらく、そのままでいた。
未来界に戻り、畦道に続く石段をちまちまと下りている。
ボスは言っていた。ヒヒイロゴケに直接触れてはならない。ましてや躰に取り込んではならないと。
ヒヒイロゴケには、それに直接触れた人の記憶や、あるいは他の苔から流れ着いて来た記憶が眠っている。それを取り込むことは自分の脳に他人の脳を植え付けるようなものだ。拒絶反応は避けられない。確かに──危ないことだ。そんなことをしたら、記憶が混濁して、私が私でなくなってしまうかもしれない。
私はあの日、ガスマスク──元はゴーレムの一部だったヒヒイロゴケを食べたのだ。そこから情報を読み取って、トーマ君のアジトを突き止めた。トーマ君がいるスペースがわかったのも、倒したゴーレムのヒヒイロゴケから、地下壕の内部構造に関するデータを直接吸収したからだ。
ボスは、二度としてはいけないと強い口調で私を諭した。
私は、そうだねと頷いて、けれどもうしないとは約束しなかった。
ねぇ、ボス。私、初めてじゃないんだよ。ヒヒイロゴケを体内に取り込んだのは。今はまだ、あの稲光をコントロールしきれていないけれど、もしできるようになったら。きっと、私文字通りの意味でこの世界に知らないことなんてなくなっちゃうんだよ。この世界に、私を裁いてくれる相手なんていなくなっちゃうかもしれないんだよ。
それでも、私──やさしいカイジューであり続けられるのかな。
うずくまってしまう。
ああ、どうして夢でみたあの
あの
傘を差し伸べてくれる人がいるのに。
お
うなじのあたりが、あつい。
日傘は、落としてしまったのだろうか。
私、みんなのところに帰っていいのかな。
ふわりと、足許に影がひろがった。
「ユキンコ」
白い日傘を
本気で心配している、私よりずっと心を痛めているとわかる、その眼差しに。
「大丈夫だよ」
私は──うまく笑えているだろうか。
※
気が合わない娘だと思った。ピアスに指輪、尖ったファッションに多少身構えはしたけれど、それだけでそう判断したわけじゃない。そういう子たちとお話ししたことは、鎮目姓だった頃によくあったし、見た目がちょっと悪そうだからって中身まで悪いとは限らないってことくらい、私は身をもってよく知っている。
初めて会ったとき、晶は私の枕元に伏せて居眠りをしていた。目元が赤く、腫れていた。見ず知らずの子のために、すっごく疲れた顔をしているのに、傍にいてくれる優しい娘。
だから──気が合うわけがない。
目を覚ました晶に、私は首を傾げてこう言った。
──初めまして?
疑問形にしたのは、自信がなかったから。晶の喜びに満ちた瞳を目の当たりにした途端、私はまるで彼女に憶えがなかったのだけれど、もしかしたら知り合いかも──って考え直したから。
晶の目が潤んだ。口をへの字に歪めて、頷いたのか、それとも俯いたのか、ああそうだよって何だか擦れた声で。
──うん。初めましてだよ。ユキンコ。
ユキンコ。肌が白くて髪の毛も白い。
不思議と──初めて呼ばれた心地がしなかった。
※
ウチは不良娘ばっかだなと傍で自転車を押す晶が言った。
「えっ」
「ここンとこ、行き先も告げずに出て行く奴ばっか」
ちくりと胸のあたりが痛んだ。
晶は、あまり私の方を見ない。私も他人のことは言えないか。むしろ、見ないようにしているのは私の方で。それが、貴女を──。拳をぎゅうっと握る。考えるまでもない。傷付けているに、決まっている。
「ねぇ、晶──」
カイジューが人間にやさしくするにはどうしたらいいのかな。
カイジューが人間に成ることはできない。けれど、やさしくあることはできると思う。私はつくしちゃんにそう伝えた。口で言うのは簡単だけれど──どうすれば、優しくあれるのだろう。
「それは、なぞなぞか何かか?」
うんと返事はしてみるけれど、すぐにそれがつくしちゃんに申し訳ないことのように思えて。たまらず違うって言おうとする私のおでこを、晶がちょんと小突いた。
「違うってことはすぐわかるよ。けど、大事なことなんだろ?」
そうだなぁと明後日の方を向いて、考え込む晶。
「ユキンコ、前に私のこと怒りっぽいって言ったろ?」
言った──だろうか。
晶は、憶えてねーならまあいいけどと拗ねたように言って、頬を掻きながら、尖らせた唇からゆっくり息を吐いて。すっかり、吐き終わってから。
「私さ、本当に怒りっぽいんだ。そういうビョーキなんだって」
──え?
「わかるか? 何の根拠もなしに怒りっぽいって言われてるんじゃないんだぞ? 医者が医学的な見地から、貴女は普通の
あっけらかんとした、いつもと変わらないふうを装っているけれど。
「ユキンコは、私が怖いか?」
眼には、覚悟の色があった。
「そんなことない。だって、晶だもの」
「──だろ? カイジューの晶ちゃんは、怒りっぽいけど、それでも怖くないって言ってくれる人間が傍に居る。だからやさしいおねぇちゃんでいられる。おい──今の笑うとこじゃねーから。思うに、そういうことだろ。カイジューがやさしくあるためには、カイジューを受け入れてやる──受け入れてくれるやさしさをもった人間が傍に居ないとダメなんだ。傍で支えてくれなきゃダメなんだ」
気付いたら、手を伸ばしていた。晶の袖を掴んでいた。
どうしたと小首を傾げて、こっちを見てくれる貴女の声は、とても優しい。
「もし、私もビョーキだったら? 晶とは違うビョーキで、カイジューだったら?」
貴女は、それでも。
わしゃわしゃと片手で頭を撫でられる。
「こんな可愛い"雪ん子"なら大歓迎だぜ」
ああ、そうか。もう、それしかないんだ。
「ねぇ、二人乗りしよっか」
「校則違反だろ?」
「偶には、そういうことする娘になろうと思って」
何かわからんがわかったと頷いて、晶が自転車に跨る。荷台に座った。彼女の腰に手を回した。うおっと晶が声を上げる。思いのほか、私の動きに遠慮がなかったからだろう。
「悩み事は──もういいのか?」
「ううん、まだだよ」
むしろ、膨らんでゆく一方で。ただ、それでも。
「今は、頭をからっぽにしたいから」
もう、何も知らない女の子じゃない。もう、殺すばかりの悪い鬼じゃない。
私の守りたい人たち皆が怖がらない、やさしいカイジューになるしかないんだ。ユキンコになるしかないんだ。そして、すぐ傍には、これから帰る家には、私をやさしくしてくれる人たちがいる。
だから。
私──大野木ココは恵まれている。
ERAZER Reboot 姫乃 只紫 @murasakikohaku75
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