24『おだいじに』

 空中に投影されたディスプレイは、左右に分割されている。左側にはディフューザーの煙──〈水火の折〉に護られたしずりちゃんの家が映っている。シャロの言う通り、安全は確保されているらしい。そして、右側には──。

 輪郭がぶよぶよとはっきりしない、ヒヒイロゴケの塊に抱かれたココ。この角度からじゃ顔が見えない。意識があるのかさえわからない。そう、本来ならギノーはこう映る。あの青いはだのギノーが特別なのか、ここの設備が特別なのか。根拠はないけど、何となく後者だと思った。

 シャロが、彼は河太郎かわたろう君と言って私の式だから安心していいと言った。式っていうのは式神しきがみの略で、陰陽師なんかが操る霊的下僕れいてきげぼくみたいなもので。マジで言ってんのそれって感じの目を向けると、式であることは否定しないが名前は間違えているかもしれないと悪びれもなく言ってのけた。

「急いで──」

 合流しないと。そう、続けようとして、咳き込む。

 と、足がふわりと床を離れた。つい、ガラにもない声が漏れる。

「今は、はぐれないですむことを考えたまえ」

 いわゆるお姫さま抱っこだった。

 正直言えば、ありがたかった。苦抜くぬきを使って溜まった疲労を取り除こうにも、釘を視ようとした時点で頭がガンガン悲鳴を上げていたから。さっき、咬まれたシャロの手を治すのに使った分で打ち止めだった。


「皆──命が助かるには助かるのだからね」


 ──は?

 言ったそばから、壁のあちこちをブチ破って現れたのは。私の躰がすっぽり収まる直径のパイプ。口が小刻みに震えて、とんでもない勢いでヒヒイロゴケを放流し始める。このゴミ山に、注ぎ込み始める。主を失って崩壊する城とは酷くありふれている──とシャロが他人事みたいな調子で呟いた。

「助かるの? コレで?」

「ああ、フルグライトの説明をしていなかったね。フルグライトは、地気をかてに成長する工房だ。地中というフラスコの中でしか生きられない、巨大なホムンクルスだよ。このまま行けば、私たちはフルグライトへと続く転移ポータルのいずれかへ吐き出される。そう、いくつあるかもわからない、いずれかのうちの一つにね」

「ここって、そんなに広いの?」

「広いも狭いも予測が付かない。フルグライトは、数ある地気の一種類のみを生涯の糧とする。地気の種類は土地によって異なるが、仮にこのフルグライトが糧としている地気をタイプAとして、そのタイプAが十朱とあけ市内に収まっているかどうかなど私は知らない。噂では複数の地気を吸収可能なタイプも存在するというから、いよいよ事態は深刻だよ。次に目覚めたとき、私たちは共にいるどころか散り散りにされて、ささめ君はインナーアースを突っ切った挙句ブラジルにいる可能性だってある」

 ナニ私だけ日本の裏側に飛ばそうとしてんだコラ。いや、ホントに日本の裏側がブラジルかどうかなんて知らないけどさ。

「シャロ」

「インナーアースについて知りたいのかね?」

「それは帰ったらたっぷり聞いたげる。ブラックコーヒー飲みながらね。私に──できることは何?」

「ヒヒイロゴケには、大きく分けて五つの特質がある。プライマリ〈同化〉、セカンダリ〈記憶〉、ターシャリ〈具現〉、クォータナリ〈反転〉、そして、クワイナリ〈革命〉。うち〈具現〉は言わば願いを形にする能力だ」

〈具現〉──それを使って、私は思い入れのあるプリペイド携帯をネイルガンに変えている。

「これだけのヒヒイロゴケだ。君が義妹いもうと君と共にいたいと強く願えば、どこに流れ着くかはわからずとも、同じところには流れ着けるかもしれないよ」

 シャロの首に回した両腕に力を入れて、顔を近づける。

「どうせブラジル行きならみんなで行きましょ」

「いいともアミーゴ。皆でコシーニャを食べよう」

 私は、笑って眼を閉じる。ココの顔を想い描く。つくしは、もう手の届かないところにいる。けど、ココは。たとえ日本の裏側だって、手が届く。捜しに行ける。だって、生きてるんだから。

 瞼の向こうで赤い光がちらついている。頬に鱗粉りんぷんみたく降りかかってくるそれは、多分ヒヒイロゴケ。天井はじきに落ちて、私は想うがままあののもとへと流される。赤い記憶の海に意識がほどけてゆく中で、ふと──思った。

 ああ──いないってこういうことなんだ。

                 ※

 家族で、食卓を囲んでいる。

 そこに、つくしはいない。つくしの分の料理もない。

 けれど、みんなの顔は活き活きしてる。

 私も、多分イイ顔してる。

 ああ、これはそう遠くない未来だ。

 いつか迎えなくちゃいけない、日常の風景だ。

 私は、これを受け容れていいんだろうか。

 あの娘のいない世界で、笑顔でいていいんだろうか。

「うん。いいんだよ。ささめねーちん」

                 ※

 私とささめ姉さんは、山奥の開けた場所にいる。木の幹にもたれて、お互い寄り添うように座っている。どこにいるのかはわからない。ただ、明けたばかりの空は静かで、木の葉を零れる日差しはまだ大人しくて、澄んだ空気には何だか馴染みがあった。だから、きっとここは十朱市内のどこかで──ささめ姉さんも同じ匂いを感じてくれていたらいいなと思った。

「どこ──だろうね」

「さあ? ブラジルじゃなさそうよ」

 ブラジル? 私が何かを口にするより先に、ゴメン今のは聞かなかったってことで──とささめ姉さんが早口に言う。

「まあ、私たちは生きてるし、一人じゃないから──何とかなるでしょ」

 ささめ姉さんが笑った。良い意味で姉さんらしくない──あどけなさがあった。

「ねぇ、何があったか憶えてる?」

 肩に力が入って、つい顔を伏せてしまう。あの時と同じ言葉だったから。あの底なしに暗く哀しい瞳を思い出さずにはいられなかったから。


 何か──憶えてないの?


 咎められるわけがないと、姉さんにそんなつもりはないとわかっているのに。

「ココ」

 私に向けられた声は、変わらず優しい。

「そんなふうに目を背けてたら、私が怒ってないってこともわからないでしょ」

 はっとして、ささめ姉さんを見た。初めて、目を合わせたような心地がした。姉さんが、幽かに目をみはっている。唇が声にならない言葉を短く結んで、けれど、読み取ることはできなかった。


 だから──待つよ。


 ああ、待たせてしまってごめんなさいと。こんなにも気持ちの整理に時間がかかってしまってごめんなさいと、心の中で貴女に伝えてから一つひとつを声にする。

「私、遅れてるって思ったの。皆が自分の先を歩いていて、その背中を追いかけてる。後ろに付いて行っているつもりだったんだけど、それじゃ心配かけるだろうなって思ったから、無理をして皆の隣を歩いているフリをしてた。でも、皆と話をして。ささめ姉さんがこうして私の言葉を待ってくれていて、ああ、ホントの気持ちを口にしていいんだって思えた」

 深く考え過ぎるあまり──。


「私、つくしちゃんがいなくて寂しい」


 本当に伝えないといけない言葉は、いつも遅れてやってきてしまう。

 でも、貴女は待つと言ってくれたから。こうして待ってくれていたから。

「つくしちゃんを助けられなくてごめんなさい」

 強く──抱き締められた。私から、姉さんの顔は見えない。でも、どんな顔をしているかはわかる。姉さんの肩が、震えている。徐に伸ばした手で背中をそっと撫でてみる。あのささめ姉さんにこんなことをする日がくるだなんて思わなかった。こんなことを──してもらえる日がくるだなんて思わなかった。

「あ」

 目頭が痺れるように熱くなった。そんな──こんなに泣いてばかりいては、まるで。まるで、普通のおんなのこみたいだ。だから、伝えないと。この震え声が、ちっちゃい子みたいな今日まで押し込めていた全部をさらけ出すかのような泣き声に、変わってしまう前に。

「姉さん。私ね、帰ったら姉さんに渡したいものがあるんだ」              

                 ※ 

 結局、私とささめ姉さんがいたのは十朱中学校の裏山で、見知った道に出るまでそう時間はかからなかった。

 家に帰ると、みんなと警察の人がいた。タックル紛いの勢いで、真っ先に抱き着いてきたのが鏡花さんだったのは、ちょっとだけ意外だった。それから、まこ姉さんと玲市兄さん、警察の人(よく見るとつくしちゃんを捜したときお世話になったおじさんだった)に叱られた。怒ってくれた──と言った方が正しいのかもしれない。

 晶に両手で頭をぐしゃぐしゃされて、触んなバカなんて言いつつも、満更ではなさそうなささめ姉さんを見ていたら──とてもじゃないけど、尋ねる気にはなれなかった。

 ねぇ、何があったか憶えてる?

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