23 『Sugar and spice』

 はらを、割る?

 ディスプレイの向こう──ボスは、躰こそ元に戻っているけれど、動きを見ればわかる。まだ本調子ではない。

 ガスマスクの拳が、ボスのお腹にめり込んだ。顔を背けた。見ていられなかった。

「さぁて、最初の質問だ。ボス。アンタはお嬢に何をさせようとしている?」

 ボスは、片膝をついたまま、何も言わない。けど、なんとなくわかる。瞳にともった光は、揺れ動いている。


「質問を変えようか? アンタはどうして野狐やこに襲われているお嬢を助けた?」


 あの日──赤い苔に覆われた世界で四肢を失った私をボスはどうして助けてくれたのか。ヒヒイロゴケで造った新たな四肢を与え、その使い方を、生き抜くすべをどうして教えてくれたのか。

 ボスは俯いた。やっぱり何も言わない。ガスマスクが、ボスの顔面を蹴り上げた。尻餅をついた。苦悶に歪んだ表情が露わになった。

 トーマ君が、不遜に鼻を鳴らす。

「どうですお嬢? これでもコイツは貴女に相応しいと言えますか? 背を預けるに値すると言えますか?」

 私は、上体を起こす。ガスマスクたちは何もしてこなかった。ディスプレイ越しに、ボスの目を見つめる。

「ボス。どうして何も言ってくれないの」

 テレパシーで訊かなかったのは──。私の声で訊きたかったから。貴方の声で返事を聴きたかったから。

「今は、何も申し上げることができません。何より──」

 何より──。


「貴女に、嘘をつくことはだけはしたくない」


 だから、黙っている他ない。それ以外の選択肢がない。

「お嬢。俺は自分が貴女にこそ相応しいだなんて自惚うぬぼれちゃあいません。しかし、コイツは──こんな信用ならねぇ奴だけは、即刻切り捨てるべきです」

 トーマ君の声が、遠い。私は目を閉じて、テレパシーに集中する。ボスとの繋がりに全神経を傾ける。

 ──私ね。ボスに隠してることがあるんだ。

 いつか私が全力を出して、全戦力を投じて抗えないものがやって来たら。

 ──あの力。思いがけず使えることはあっても、自由には使えないって言ってたでしょ。アレ、ちょっと嘘なんだ。本当は結構自由に使える。気を抜いたら、あっという間にもっていかれちゃいそうになるんだけど。でも、平気。

 ああ、これが裁きなんだって。たくさんの命を奪ってしまった。たくさんの命を助けられなかった報いなんだって。受け入れようと思うの。

 ──これは貸しだから。先に私の秘密を教えたんだから。いつか、ボスの秘密も教えてくれなきゃダメなんだから。

 目をゆっくりと開けた。


「ねえ、あのときとおんなじこと言って」


 ガスマスクが、一斉にこちらへ銃口を向けた。それは、トーマ君がそう指示したからなのか、ガスマスクが判断したからなのか。

 いずれにせよ、伝わってしまうものがあったらしい。けれど、もう遅い。その銃から弾が出ることはない。その拳足けんそくが二度と私を打ち据えることはない。


 私が、それをゆるさないからだ。


 ディスプレイ越し──ボスの咆哮が私の肌を震わせる。ボスが、ガスマスク二人の顔を鷲掴みにした。後頭部から壁に叩き付けた。

 ──貴女はもう何も知らない少女ではありません。

 いつまで可愛い子ぶってんだコラ。

 ──力に溺れる悪鬼でもありません。

 カイジューはさ、力が強いんだ。強いから、痛い思いをさせちゃうかもしれない。だから──怖いんだ。怖いから、大切な人の隣にいられない。

 ──俺は貴女を一人にしません。一生貴女に付いてゆきます。貴女と共にあります。

 だから、ボス。そのときは。

 裁きを受けるそのときは、傍にいて。

 私を、一人にしないで。


「ココ、今はまだそのときじゃないだろ」


 ああ、力強い貴方の声がする。

 立ち上がった。銃を捨てたガスマスクが殴りかかってくる。その拳が、すっと上げた私の掌に収まった直後、原形を失った。紅の雷光。全身が、ヒヒイロゴケに分解された。

 ディスプレイに顔を向ける。

「今から、そっち行くね」

 私──今どんな顔をしているんだろう。

             ※

 トーマは唖然としている。

 ディスプレイには砂嵐が映っている。赤い稲光が閃いたと思って、それきりだった。

 誰だ。今、笑っていたのは。自問自答して、心の中で、かぶりを振る。ココだ。ココに決まっている。お嬢に決まっている。けれど──。

 あんなココは知らない。お嬢は知らない。


 自分は、見せてもらえなかった。


 躰ごと振り返る。ボディーガードとして、配備していた二体のゴーレム。うち一体の頭上に、赤い立方体が浮かんでいた。自分の操る〈ウインチェスターキューブ〉ではない。どうして──使える。ハンドラーが使えるワンノートは、契約ギノーが使えるそれに限定されるはずではなかったか。

 降ろされた刃が、ゴーレムの脳天を貫く。そう、突き下ろされたと呼ぶには、あまりに緩慢な速度。全身が、赤い稲光を帯びて──刀身が悠然と立方体へ引っ込むや、躰は苔となって崩れ去った。

 ココが、八百八狸のもとで一年を過ごしたことは知っている。野狐やこに襲われ、手足を喰われたところを助けたのがボスだということも知っている。

 それ以外だ。それ以外で、少女とギノーの間に何があった。

 ハンドラーとギノーは、お互いに恐怖を与え合う関係だ。それでも、双方に信頼めいた感情が芽生えるケースは特段珍しいことではない。

 だが、ボスとココの間にあるものは何だ。付け入る隙のない、あまりにも強固で、得体の知れないこの繋がりは何だ。

 二体目のゴーレムが消えた。足元に立方体があった。繋がっている先へ落ちたのだろう。立方体が、激しく咳き込むようにヒヒイロゴケを吐いた。最後に、ひしゃげたガスマスクが吐き出されて、べしゃりと落ちた。

 いつの間にか、ヒヒイロゴケはトーマの足先に届くところまで広がっていて──。

 そこから、有刺鉄線が蛇のように伸びる。

 トーマは悲鳴を上げた。ショットガンを向けたが、もう手遅れだった。右足に有刺鉄線が巻き付いた。尻を打つ。余計にとげが食い込んだ。いや、違う。これは、締め付けが徐々に強まっている。足を千切りとる気なのか。

 真っ赤に染まってゆく視界。〈ウインチェスターキューブ〉から、ココが現れる。

 もう、笑ってはいない。何を考えているのかわからない。


 そう、わからないのだ。


 全身に、剣尖に至るまで張り詰めていても、おかしくないはずの殺気が。何故か微塵も感じられない。早歩きで近付いて来る姿についぼうと見入ってしまう。

 はっとして、ショットガンを構えて──。

 放り投げた。銃口から這い出した有刺鉄線が、手首に喰らいつかんとしていたからだ。

 顔面を蹴飛ばされた。仰向けに倒れたところで、きっさきを突き付けられる。

            ※

 トーマ君の胸板を足で押さえながら、尋ねる。

「つくしちゃんを撃ったあと、何かした?」

 ──もう綺麗になっていました。血のあとはなくなって、ベンチに横たわっていたんです。

 あの日着ていた、ささめ姉さんのダッフルコートを頭から被って。

 トーマ君は首を──幽かだけれど横に振った。真実だと思えた。今にも泣きそうな顔をしている。何て勝手なんだろう。

「アイツは、やましいことを隠している」

「私だって、隠してることたくさんあるよ」

 つくしちゃんだって、ささめ姉さんだって、鏡花さんだって、まこ姉さんだって、玲市兄さんだって、晶だって。


「誰だって──そうでしょ」


 喉に、刃先を走らせる。ヒヒイロゴケが噴き上がって。しゅるしゅるという音が、虫の鳴き声みたいだなぁと思って。

 何かを──思い出しそうだった。


 首を絞められている。

 細い首だ。女というよりおんなのこの首だ。

 折れそうで、苦しいはずなのに、それ以上にずっと胸が痛い。

 小岩のような貴方の手に、自らの手をそっと重ねて。

 くらい瞳に光を探して──。

 

 怖くて、切なくて、酷く哀しい。そんな気持ちを、まとめてばくんって、丸呑みにされた気配があって。

「ココ!」

 名前を呼ばれて我に返った。涙が、頬を伝っていた。大きな腕で優しく包まれている。

 ボスの躰に、力が行き渡っているのがわかった。

 それはそうだろう。私のことを、私から湧き出た負の感情を少しは食べてくれたのだから。怖い思いを糧としてくれたのだから。

 ねぇと声をかける。ボスが私と目を合わせるために、少しだけ身を引いた。


「美味しかった?」


 ボスは何も言わない。ただ、さすがに無表情ではいられなかったようで。

 私は、再び抱き寄せられる。自分でもびっくりするくらい、女の子している声が漏れる。

「それは──ずるい」

 ずるい言い方ですねとボスが言った。

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