酔ひもせず

「王様のお顔が見えなくなりました」

 山小屋の夜からしばらく経って、梅の木に蕾がちらほら目立ち始めた今朝、貴女は私の前にふらふら立ち尽くし、無理やり言葉を吐き出すように言いました。

 貴女は、いつもは一つに結い上げている髪を下ろしたままで、うつむいたり見上げたりせず、ただ口を真一文字に結んで私の胸の辺りを穴が開くほど見つめていました。そうは言っても、何も見ては居ないのだろうと分かります。凛とした印象だった瞳はただ黒色で、髪も好き勝手に風に舞い、貴女の周りだけ音が消えた気がしました。悲しみの花が咲く前に愛を注げるだけ注ごうと考えていたのですが、いつも気付くのが遅いのです。私が蒔いた悲しみの種は透明な蕾をつけました。きっと私が望んだような淡藤色の美しい花は咲きません。空っぽの色のない花が、鉛空の下で咲くのでしょう。泣きもせず……。

「どうした?」

 私がそう溢しても貴女はなにも返しません。ただ口をあっ、あっと動かしただけです。悲しみだけを吸い上げて成長したので、言葉も失くしてしまったのでしょう。

 戦の音だけがいつものように聞こえています。

 貴女はもう笑いません、私を呼ぶ事もありません。

 貴女が笑えば鉛空だって煌めいて見え、唄えば雨さえそばえます。どうか忘れないでください……私は貴女を愛しています。奪ってしまった私だけが与える事のできる愛がありますから、この浅ましい世で、貴女を傷つけるような夢に酔う必要はありません。

 空っぽのままで構いませんから、この愛に酔ってください。

 貴女は月のようでいて月より眩しい。

 貴女の声は鶯のようでいて鶯より温かい。

 例えばその肌が滑らかな柔肌でなかったとしても、髪が真っ白だったとしても、私は変わらず貴女へ想いを寄せるでしょう。

 命のかぎりに私の持つ愛を注ぎますから、私の死の間際にもう一度だけ、あの滝の上で出会った、悲しみに囚われた美しい少女に会わせてください。

 今度は私の愛だけを吸い上げて、最期の時に悲しみの花が咲くように、いつか蕾が色づくように、私の言葉の中で生きて下さい。

 その為ならば喉に血が滲もうと、何度も語ります。

 貴女を愛しています。

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何度も語る 小林秀観 @k-hidemi

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