第19話 将軍御目見

 叛乱から数日後、捕えられた逆徒たちは一斉に処刑された。その数、およそ千。戦場ですでに殺害された約二千人と合わせると、三千もの逆徒が殺されたことになる。

 だが、逃走した者も大勢いた。そのため、半月近くが経った現在も、南北町奉行所や非公認の岡っ引きが必死に捕り物に当たっている。

 首謀者であった松平通温はいったん牢に入れられ、厳しい詮議を受けることとなったが、御三家の筆頭たる尾張の名聞もあり、ごく一部が事実を知るのみとなった。

 しかし、投獄されたすぐ翌朝、松平通温が死んでいるのが確認された。

 舌を噛んだ跡があったため、一応は自害したと見られているが、真実のところは分からない。その後、国元で幽閉されていた男が別人であったことが判明し、現在は尾張藩家への詮議が行われているが、誰もが幽閉者が松平通温当人であると信じていたとして共謀を否定している。


「月影をひっ捕らえとけば、何か分かったかもしれねぇが。ま、俺らにはもう関係ねぇけどよ。一応、無事に叛乱は収まった訳だしな」


 庭に面した縁側に腰掛けた一右衛門は、相変わらず昼間から酒を飲み、だらしなく酔っぱらいながら言った。

 隣に腰を下ろした剣華は、一右衛門の話を少々複雑な表情で聞いていた。


「それはそうだが、どこかすっきりせぬ」


 とは言うものの、その原因は月影に逃げられたからというよりは、むしろ通温があっさりと死んでしまったことにあった。死んだ以上、もはや何を言っても詮無いことではあるが、父や妹、一族を殺した相手への恨みは、簡単に消えるものではない。


「一右衛門さん! またお酒飲んでるですか!」


 大声が響いた。

 振り返ると、髪を結って顔に白粉と紅を塗り、目いっぱいおめかししたらしい真鶴が部屋に入って来た。それを見るなり、一右衛門が言う。


「餓鬼が背伸びしてやがらぁ」

「餓鬼じゃないですよ!」


 馬鹿にするように笑う一右衛門に、真鶴が反論する。そこへもう一人。


「真鶴はいちいち怒るからあかんどす。一右衛門はんの思うつぼやさかい」

「みことは黙っとるどすよ!」

「……混ざっとるどす」


 みことと呼ばれた女の子は、いつもと変わらぬ巫女装束に身を包み、いやに老成した雰囲気で溜息を付いた。しかし、実年齢は剣華や真鶴より三つ幼い十二。現在、御庭ノ者の最年少であった。


「みなさん、そろそろ行きますよ」


 廊下から常盤が顔を出す。いつもの下女風の格好、あるいは練習着の時とは打って変わり、これまた綺麗にめかし込んでいた。真鶴とは違い、しっかり大人の色香が漂っている。


「早くしないと、諫鼓鶏かんこのとりが城内に入ってしまいます。剣華さんも、わたくしに見惚れておられないで」

「見惚れてなどおらぬ。そもそも、遅くなったのはお主らのせいだろう。ただ祭りを観に行くというだけに、なぜそんなに時間を食うかまるで分からぬ」

「剣華さんは、女のおしゃれに対する理解をもう少し持つべきでございます。……また女装でもされますか?」

「二度とせぬ!」


 今日から山王権現祭礼(山王祭)であった。

 山王権現は江戸城の鎮守であり、また徳川家の産土神として歴代将軍に手厚く祀られてきた。そのため、山王権現祭礼は神田明神祭礼(神田祭)と並んで天下祭りと呼ばれ、幕府の命で執り行われる江戸最大の祭であった。派手な装飾が凝らされた絡繰神輿や絡繰山車が行列となって街を練り歩き、将軍の上覧も受ける。


「ところで、かり――」

「にぃちゃ!」


 剣華が言いかけた時、元気な声が聞こえてきた。


「こらこら、あんまりはしゃぐと転ぶよ」


 珠藻に手を引かれ、浮かれた足取りで入って来たのは、『かりん』――いや、かりんであった。






 叛乱が鎮圧された日の翌朝、彼女は目を覚ました。

 道場にて訓練をしていた剣華はその事実を聞いて、汗すらも拭かず急ぎ駆け付けた。

 剣華が傍に寄ると、彼女は横になったまま顔を少しだけ傾けて、頬をぴくりと動かした。


「良かった……」


 剣華は安堵の息を吐き出した。


「本当にすまなかった。おれが付いていながら、あんなことに……。だが、もう二度とあんな目には遭わせない。たとえ何があったとしても、護ってみせる」

「………」

 ――でもわたしは、本当の妹じゃない。作られた人形だ。

 ふと彼女の表情がそんな風に陰ったように、剣華には感じられた。

 剣華は彼女の手を握り締めてやる。それは痛々しいほどに細く、今にも壊れそうな手であったが、そこには生きた温かさがあった。


「お前は人形などではない。こうして確かに生きている。息をしている。温かい血が通っている。それに……あのとき、おれを必死になって助けようとしてくれた。そんなこと、人形にできることではない」


 剣華は力の籠った声で告げる。


「だから……お前は人間だ。そして……おれの妹だ。おれが大好きな、最愛の妹だ」

「ん……」


 彼女の円らな双眸から、すっと涙が零れ落ちた。それは人形のように無感情であった彼女の中に、確かに人としての感情があることの証左でもあった。

 そして彼女は今のその、人だけが抱くことのできる気持ちを、端的に表せる言葉を知っていた。


「……にぃちゃ……だ、だい、す、き……」

「かりん……」


 剣華は誓った。この愛おしき妹を、今度こそ守り通そうと。

 ――ところで。

 この直後、二人の様子を秘かに盗み見ていた常盤から、

『剣華様。妹様が目を覚まされるなり、またそういう御趣味を』

 と、からかわれたのは余談である。





「かりん、どうしたのだその格好は?」


 珠藻に手を引かれて部屋に入って来た妹の姿に、剣華は思わず目を丸くした。

 かりんは真新しい華麗な着物に身を包み、また化粧も施され、見違えるほどに美しくなっていた。


「んっ」


 かりんは嬉しそうにくるりとその場で回ってみせた。


「せっかくだから、かりんちゃんにもおめかしさせてあげたの」

「んんっ」


 珠藻の言葉に大きく頷くかりん。


「そうか。良かったなかりん。うん、凄く綺麗だぞ」

「えへ」


 剣華が頭を撫でてやると、かりんは満面の笑みを浮かべて喜んだ。言葉の方はまだそれほど話せはしないが、この短期間の間に随分と表情が豊かになっていた。


「……やはり剣華さんは、重度の妹病の御様子で」


 背後から険のある声がした。振り返ると、なぜかいつになく不満げに口を尖らせている常盤がいた。


「いや、病気うんぬんではなく、本当に綺麗だから綺麗だと言っているだけだ」

「そうでございますね。ええ、そうでございましょうとも。さて、急ぎましょう」


 剣華が言い返すと、常盤はなぜか拗ねたように言って歩き出す。


「……?」


 女心に疎い剣華は、ただ不思議そうに首を傾げるだけであった。





 ――まだ剣華が江戸を訪れる前のこと。

 各地の道場を訪れては次々と手練れを破り、天雲剣華の名が次第に知られ始めた頃、武芸者としての順風とは裏腹に、剣華の胸の内は晴れない靄のようなもので覆われていた。

 もっと自分が強ければ、一族を守ることができたかもしれない。剣の腕を磨き始めたきっかけは、恐らくそんなところであっただろう。

 だが、いくら強くなったところで、もはや守るべきものはいない。それゆえ、いつしか虚しさを感ずるようになっていたのである。

 御庭番への誘いを受けたのは、まさにそんな折であった。


「あれが諫鼓鶏ですよ!」


 大勢の人で溢れかえる半蔵御門前の大通りへ出たとき、真鶴が門の方向を指差して怒鳴った。剣華が顔を向けると、巨大な絡繰山車が視界に映った。

 諫鼓鶏は数ある山車の中でも、その先頭を担う筆頭山車であった。青黄赤白黒の五彩色の羽根を絡繰仕掛けで動かし悠々とはためきながら進んでいくその様は圧巻。剣華は思わず圧倒されてしまう。


「すごいな」

「すごいですよ!」


 山王権現祭礼は聞きしに勝る盛況ぶりであった。

 町内ごとの絡繰山車は毎年、新たに作り替えられるという。そのため、そのどれもが絡繰技師を初めとする様々な職人たちの当世一流の技術が結集されていた。

 笛や太鼓の音に合わせ、氏子たちの威勢の良い掛け声が夏の炎天へと響き渡る。

 まるで一つの壮大な絡繰のごとく躍動し進んでいく祭りの行列を眺めながら、剣華は口元に小さな笑みを零した。


「江戸に、来て良かった」







 山王権現祭礼も終わり、まだ残暑が厳しいながらも、次第に秋の到来が感じられるようになってきた頃のある一日。

 剣華は御城へと呼び出されていた。

 それも、いつも詰めている御庭御番所ではない。剣華が通されたのは、いかにも格式の高そうな一室であった。だが、御用掛であるという老幕臣に連れられてきただけであり、そこがどのような意味合いを持つ部屋であるのか、剣華にはまるで見当がつかない。


「平伏してお待ちなされ。上様が参られる」

「え?」


 剣華は一瞬、聞き間違えかと思った。上様とはすなわち、将軍のことであったからである。

 剣華が通されていたのは『御座の間』であった。すなわち、御三家や御三卿、老中などが将軍と謁見するために使われるような非常に格式の高い間である。当然、剣華のような者が入れるような部屋ではない。

 狼狽しながらも畳に頭を付けていると、やがて壇上に人の気配があった。


「苦しうない。面をあげよ、剣華」


 どこかで耳にしたことのある声だと思いつつ顔を上げた剣華は、将軍の姿を視界に収めるなり絶句した。


「……御頭?」

「はっはっは」


 目と口を大きく開いて言葉を失う様子が可笑しかったのか、将軍――御頭は大きな笑いを響かせ、


「何度やってもこの反応を見るのは面白いのう。その通りや。わしは御庭番の御頭。そして同時に、第八代征夷大将軍でもある」


 これは何かの冗談ではないか。剣華の頭にはそんな考えすらも過った。だが、御頭――将軍はいつもの紀州訛りではなく、威厳のある口調で続けた。


「この度のそちの働き、見事でござった。また剣の腕も、そして、強大な敵にも恐れずに立ち向かおうとするその胆力も、確かなものがある」

「……いえ、おれなどまだまだ」


 剣華は思わず畏まってしまう。


「謙遜せずとも良い。将来性も含め、そちには十分に期待しておる」


 天下の将軍にそう手放しで褒められ、剣華は再び平伏しようとする。それを吉宗は片手で制し、そして告げた。


「ゆえに、じゃ。天雲剣華、そなたを〝正式に〟御休息御庭の者として命ずる」


 ――こうして。

 享保十六年の初秋。

 剣華は、時の第八代将軍徳川吉宗より直々に、御休息御庭の者を拝命したのであった。

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御休息御庭ノ者隠密活動秘録帖 ~絡繰大江戸~ 九頭七尾(くずしちお) @kuzushichio

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